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第18話 改竄された記憶

 来た時と同じように、悠司の運転する黒のセダンで光の実家のある地へと向かっていた。高速道路に入り、もうすぐ夕暮れに染まる似たような景色が、光の視界をどんどん過ぎ去ってゆく。  三日間はあっという間に過ぎた。  動物病院を翌日から再開するという予定は動かせない。光も患畜の飼い主であるから、いつまでも予定を上回って病院を締められるのは困る、というのはよくわかっていた。  愛莉にせがまれたからとは言え、光の勝手な願いで、悠司の貴重な休暇を何日か無駄にしてしまった。当初より短い逢瀬だった。  しかしその間に予想外のことが起こってしまった。その間、というより、その前から予想外のことは起こっていた。  今回の帰省は、波乱尽くしだ。 (結局流されまくって、先生といっぱいエッチしちゃったし……)  翌朝、つまり今日からしてみれば昨日の朝だが、ちゃんとユイは出てきて、普通に悠司と一緒にキッチンで朝食の準備をしたりしていた。  ユイの態度は至って普通だったし、日中も二人でデートめいたことをしながら楽しんでいたように思う。あくまでも傍観者としての目線だが、光はそういう印象を抱いた。  それなのにユイときたら、また最中に光へ意識を明け渡してしまった。しかも最中、といっても本当に序盤の方で、ほとんど光が相手をしたようなものだ。  もしかしてユイは、あまりそういう肉体的な関係を持つのが好きではないのでは……なんて思ってしまう。  自分の一部だが、ユイの嗜好はよくわからない。あまりそういうことに積極的ではないのかもしれない。  ユイは唐突に姿を消した。  悠司は元々ヘテロセクシャルだと思っていたのだが、普通に光のことをそういう目で見れるらしかった。ユイの形を取らなくても抱けるのだと思ったら、なんだか複雑な気持ちだ。 「あ……の、先生……また、ユイ引っ込んじゃって……」  最初の夜は、悠司が気づいていないと思って黙っていたが、どうもそういうことではないようなので、意識が切り替わった時に申告してみた。  すると悠司はにこりと笑んで、 「じゃあ、それ脱ぐ? ……ここ、舐めてあげる」  さわやかにそう言って光の着ている服を器用に脱がすと、実行に移されてしまった。びっくりした。 「なんで……っ?」 「……ユイの時も、するよ? 駄目?」  悠司はちょっと口を離して、不思議そうに問いかける。 (駄目? と言われても……)  ユイは、スカートを履いているから何をされているのか、見えていない。普通の女の子にはついていないから、自分にそんなモノがあるなんて認識したくないのを知っている。  だけどそうじゃなくて、 (僕に代わったのに、中断しないんだ……)  確かに前日もすでに光として抱かれてしまったけど。  中断して欲しかったのだろうか、と考えて、こんな火照った体を放置されるのは、それはそれで勘弁、と思い直した。悠司にしてみたところで同じだろう。 「光くん、昨日俺のこと好きって言ってくれたから……もっと好きになってもらおうと思って。気持ち良くしてあげるから、途中でやめるなんて言わないで」  言いながらも、太ももの辺りを吸い上げて、キスマークを残す。舌先がじりじりと皮膚の上を移動して、光を追い立てた。 「……先生って、結構、エロ親父ですか」  ふと漏れた本音に、悠司は一瞬固まった。  親父、なんて表現されたのが不本意だったのかもしれない。  けれど光と悠司の年齢差が16歳もあったのは事実だ。 「光くんも、充分……エッチな反応するけどね。セックス、好き?」 「……やっぱエロ親父ですね」  親父呼ばわりについては触れず、悠司は小さく笑んで再び光をその唇に咥え込んだ。尚志と比べたら少し技術不足かな、なんて失礼なことを考えたが、それでも気持ち良くて体の芯がとろとろに蕩ける。指が体の中に入り込んできて、いいところを探っているのがわかった。 (柴田と比べるのは、……やめよう、とりあえず)  罪悪感が募るだけだ。  しかし、今後の方針……つまり光自身が悠司と恋人関係を築くか否か、という問題が保留になっている状態で、悠司に抱かれるのは正直どうなのだろう。 「先、生……っ」  うさぎは性欲が強い、なんて以前言われた気がした。  うさぎの性欲が強いのは、被食者だからだ。いっぱい子供を作って増えないと、食べられてしまうから。 (このままだと、僕は子供なんて作れないけどね)  別に欲しいわけではなかったが、ふとそんな思考がよぎった。どちらを選ぼうとも、男同士でそんなふうにはならないから。  女の子とは付き合えない。  愛莉が好きだから、他の女は選べない。 (……え、何、今の……)  ぐらりとした。  いきなり降って湧いた言葉に動揺を隠せない。  不意に頭痛がしてきて、光は顔を歪める。けれど悠司は気づかない。  ぐるぐると眩暈がした。  悠司に抱えられて、よがり声が漏れるだけで思考がまとまらない。  しまいには頭痛よりも快楽が勝って、やがてそんなことを考えた事実も、不自然なほど綺麗に忘れた。 (実は結構、先生も、エッチ激しいよね)  昨夜のことを思い出して、光はちょっと体がちりっとした。以前、悠司の友達に「タラシだから気をつけて」と言われたのをふと思い出した。結構、押す時は押す男だ。 「光くん、夕食はどこかに寄っていこうか。何が食べたい? 希望があれば」  実家へ向けて車を走らせている為、今はもう女装はしていない。年相応の男の子の服装は涼しげで、ユイも引っ込んでいた。 「え? うーん……と」  昨日のベッドでのことを反芻していて、頭が上手く動かずにいたものだから、食べたい物が特に浮かばなかった。せっかく聞いてくれたのだから、何か意見を言わなくちゃ、と考え込んでしまった光に、悠司は運転席からちらりと視線をやり、笑んだ。 「じゃあ、適当に入っちゃっていいかな。高速下りた先に、なんかあるだろう」 「……優柔不断で、ごめんなさい」  食事のこと以外でも、決められないことがあった。  悠司のこと。尚志のこと。  他にも色々考えなければならないことがあったように思うが、何故か思い出せない。  考えていたら、スマートフォンがぽこんと鳴った。 「あ、……眞玄」 「ん? どうした?」 「最近友達になった人なんですけど、この前連絡先交換して」 「……ふうん?」  何か意味がありそうな悠司の返しに疑問を抱きながら、眞玄から受信したメッセージを開く。   macro「朔、難航中なり(ノ△・。)」   macro「そろそろ帰ってくるんだっけ? また遊ぼ」 「そっかあ……難航中ね」  光はなんだかおかしくなって少し笑みを漏らした。  別荘に来る前の晩、眞玄と少し話した。  光の高校時代からの友人である朔のことを、どうやら眞玄は好きなのらしい。けれどやることなすこと裏目に出て、誤解が生じているようだった。  少し、友人の視点からアドバイスをしてやった記憶がある。  回りくどいことしないで、ストレートに当たってみる、という結論に至ったはずだが、朔はなかなか手ごわいようだ。ただ、客観的に見て、朔もなんとなく眞玄を気にしていると思う。 「楽しそうだね」 「なんかこの人、残念イケメンで。なかなか好きな人と上手くいかないっぽくて」 「へえ」 「その様子がなんか小学生みたいで、可愛いなって。……って、ごめんなさい。僕あんまり人のこと、言えませんよね」  自分のことを棚上げにして、何を言っているんだろう。ふと光はそんなふうに思い直し、しょんぼりと反省する。 「急がないって言ったよ、俺は。……光くんの顔を、曇らせる為に言ったわけじゃない。それは覚えておいて」  ちょっときゅんとした。 「ところで光くん、来年の一月、成人式だろ? どこでやるの」 「え?? んと、地元に帰ってきてやるのかなー。まだ時間に余裕あるので、はっきりとは決めてません。……あ、菫子ちゃんも、成人式ですよね。女の子は振袖とか可愛くていいですよね」  急に振られた話題に、光は首をかしげる。  光は成人式のある一月生まれで、確か菫子も同じだったはすだ。前に本人から聞いた。  悠司に振袖を買ってもらったと言っていた。そういうのは通常親が用意するものだと思っていたので、なんとなく違和感を覚えた。 「振袖、着たい?」 「いえ、振袖は別に。でも僕スーツとかきっと似合わないだろうなあ……」 「そんなことはないよ。きっと似合う」  そこまで言って、悠司は何故か沈黙した。なんだろう?と思って待っていたら、しばらくしてちょっとトーンダウンした声が聞こえた。 「だいぶ迷ったけど、光くんにこのことをずっと黙ってるのは、心苦しいから。引かれてしまうかもしれないけど、聞いてくれるだろうか」  運転中ということもあって視線をまっすぐ前方へ向けたままだったが、その表情が固くなっているのに光は気づく。  なんだろう。  何か大事な話をしなければならなかったはず。 (なんだっけ)  わからない。  大切な何かを、忘れてしまっている気がする。  結局悠司とは、光の知らない誰かの存在について、話す機会を逸していた。アオイが不都合な記憶を改竄したのだと、今の光には気づく術がない。空白の三日間もそれほど気にならなくなり、眞玄のことも、辻褄が合うように上書きされている。そんな記憶なかったはずなのに、いつのまにか眞玄とのやり取りが追加されている。  悠司が静かに呟いた。 「董子なんだけど……、アレね、本当は妹じゃなくて、……俺の娘なんだ」 「――え? 菫子ちゃん?」  もうすぐ成人する光と同い年の、董子。単純に逆算して、当時悠司は15か16だ。子供を持つには、少し早すぎる。  いきなりのことに、ちょっと頭が真っ白になった。

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