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第21話 別離
一月。
翌日の成人式に出る為に、光はまた実家へと向かっていた。生憎雪が降ってしまい、スタッドレスタイヤを用意していなかった光は電車で帰ることにした。今回うさぎのユイは、悠司に預かってもらっている。
駅に着くと愛莉がぽつんと改札口で待っていた。
「愛莉ちゃん……寒かったでしょ」
光に気づいた愛莉は、「寒かったよぅ」とにっこり笑った。前回帰った時ミルクティ色のショートボブだったのが、少し伸びてゆるく巻いていた。
もこもこのフェイクファーのコートを着て、ロングブーツを履いている。そこまでは暖かそうなのに、何故ミニスカートを履くのか。女子力は寒さに打ち勝つのだろうか。
迎えに来てくれたものの、愛莉も雪道での運転が怖かったようで、タクシーを拾って実家まで向かう。わざわざ出迎えに来なくても、一人で帰れたのにと思ったが、口には出さなかった。
「ねえ、光。去年の夏にカラオケ連れてってくれたじゃない?」
「え、うん。僕の友達と一緒の時でしょ?」
夏に来た時に、眞玄の相談がてらカラオケに行ったのだが、出かける前に言ったら愛莉がついてきた。単に歌いたかっただけのようだが、男ばかりのところに連れていって良いものか迷った。
朔はいなかった。
朔のことを相談するのに朔同行というのもおかしな話だ。あの時は眞玄ともう一人、プラグラインのドラムスを担当している、浄善寺という男が来ていた。光と愛莉を混ぜて四人で、しばらく遊んだ。
眞玄は誤解されやすいので愛莉との相性を危ぶんだが、あの軽薄さは却って愛莉には効果的だったようで、冗談交じりに結構楽しんでいたように思う。
「それでねぇ、光。愛莉ね、今……葵 くんと、お付き合いしてるの」
「――ん? 何?」
カラオケの話と繋がらなくて、聞き直す。
「まだ真弥ちゃんにもお母さんにも誰にも言ってないんだ。光が最初だよ」
「や、ていうか。アオイくんて誰」
どこかで聞いた名前だと思ったが、思い出せなかった。
「え? だから……浄善寺葵 くん。ドラムやってる子。葵くん眼鏡取るとねえ、光には負けちゃうけど、結構可愛いの。葵くんだったら愛莉、……怖くないんだ」
光の反応をじっと見るかのように、愛莉は言葉を切る。
「え、そうなの……良かったんじゃない?」
「ちゃんと、アオイの言うとおりに、幸せになりたいの」
「……? うん……そうだよね……上手く行くといいね。応援するから」
愛莉の言葉にどことなく違和感を覚えたものの、光は明確な答えを出せなかった。
浄善寺葵は、元々は眞玄と長い付き合いらしく、年も彼と同じはずだった。ということは、愛莉とも同い年になる。
皆が皆、彼のことを苗字でしか呼ばないものだから、下の名前は今日初めて知ったのだが、愛莉の口から零れ落ちるその名前の響きは、前から知っている気がした。
(なんだっけ……思い出せない)
まあいいか、と考え直し、光はそのことについて深追いするのをやめた。
「おかえり光ー」
実家に帰ると、お腹の大きな上の姉、真弥が出迎えてくれた。そういえば来月出産予定で、実家に戻ってきているという話を聞いていた。父はもう、怒っていないのだろうか。
「今にも産まれそうなお腹だね」
自分よりも小さい真弥の大きく膨らんだお腹を、光は恐る恐る触ってみる。
「わっなんか動いた!」
いきなり内側がうねった気がして、びっくりする。
「元気でしょう。ね、光。男の子と女の子、どっちだと思う?」
「男かな? お医者さんから聞いてるんでしょ?」
「実は聞いてないんだぁ。産まれてからのお楽しみ」
にこにこっと笑って、真弥は自分のお腹を撫でた。
「真弥ちゃん……お父さんとは、仲直りしたの?」
父は仕事でいなかったので、状況を把握出来なかった。真弥は少し考えるようにして、
「別に喧嘩なんてしてないもの。お父さんが勝手に拗ねてただけ。まあ、最近はわりと普通かな」
などと軽く言った。
「ああいうタイプって、孫が生まれたら爺馬鹿になるよ絶対」
「ねえ真弥ちゃん、光返してよお」
「えっやだよ」
明日成人式を迎えるのに、何を姉二人で弟の取り合いをしているのか不明だ。成人する、と言っても、誕生日までにはもう何日かあった。
誕生日。
一月二〇日。光は、二十歳になるこの日、ある約束をしている。
翌朝、雪で凍結している道路を転ばないように歩きながら、成人式の会場へ徒歩で向かう。朔と待ち合わせをしていたので、途中で合流した。
「朔ちゃん、似合うねえ袴」
光は結局親に新調してもらったスーツを着たのだが、自分ではあまり似合っているとは思えない。対して朔はシンプルな羽織袴スタイルがばっちり似合っていた。光もこういうのにすれば良かっただろうか。
「袴ってぇ、なんかヤンキーのイメージだったんだけど、俺平気かな?」
髪色やらピアスやらのせいか、朔の仕上がりも若干ヤンキーテイストが入っているように思えた。しかしそのことは指摘せずに、光は素直に褒めてやる。
「いや、かっこいいよ朔ちゃん」
「うさちゃんも可愛いよ、スーツ。七五三みたいで」
「――は?」
ちょっと怖い顔をした光に、朔はすぐに手をぱたぱた振って「冗談ですぅ」と笑った。
会場に向かう道すがら、なんとなく眞玄とのことを振ってみる。
「ね、朔ちゃん。眞玄とは最近どうなの」
「……あのね、うさちゃん。あの馬鹿に何余計なこと言ってくれてんの? 俺参ったわ」
朔の顔が若干引きつった。
「え? だって朔ちゃん、眞玄のこと好きかなーと思って。眞玄もなんか空回っててぐつぐつしてたから、ちょっと助言しただけ」
「好きってゆうか……まあ、それはいいけど」
朔はため息をついて、また雪が降り出しそうな暗い空を見上げた。
「だってあいつ、なんもかも端折って、いきなり『朔とエッチがしたい』とこうだよ。俺は面食らうわな」
「エッチ、したの?」
「…………うさちゃぁん」
その後どのように展開したのか、眞玄からはっきりとは聞いていなかった。最初に相談を受けてから五ヶ月ほど経過している。何か進展していてもおかしくはない。
そんなわけで朔に聞いてみたのだが、どっちなのかよくわからない答えが返ってきた。
式はつつがなく行われ、その後同じ学校だったクラスメイト達で集まって居酒屋などに連れて行かれたが、相変わらず成人していない光はソフトドリンクしか飲めなかった。
「ただいまぁ」
結構な時間になって実家に戻ってきた光は、リビングの明かりが点いていることを確認してそちらへ向かう。
愛莉がぼんやり座っていた。
「おかえり」
「起きてたんだ、愛莉ちゃん」
「うん。待ってた。どうせ光、明日にはまた帰っちゃうんでしょ」
「そうだけど」
「お着替えしたら、ちょっとでいいから、愛莉の部屋に来て? 少しお話したいから」
それだけ言うと、愛莉は椅子から立ち上がって背中を見せた。
なんだか良くわからなかったが、光は仕方なく不慣れなスーツを脱いで、部屋着に着替えると姉の部屋に向かった。
「愛莉ちゃん?」
一応こんこんとノックして部屋に入る。愛莉はベッドの上にうつ伏せに転がって、ファッション誌なんかを読んでいたが、光が入ってくるとすぐにそれから目を離した。
「うん……アオイ、出てこれる?」
「え? 何が?」
何を言われているのかわからなかった。首を傾げた光に、愛莉は少し寂しそうな顔をしてみせた。
「……なんでも、ないよ」
なんでもない、と言ったわりに、じわりと涙が浮かんできて、あっという間にその瞳からぼろぼろと零れ落ちた。
愛莉はすぐに泣く。泣くが、その理由がわからない。
「えっ、ちょっと愛莉ちゃん」
「なんでもない、ほんとに」
何か悲しいことでもあったのだろうか。
昨日、葵くんと付き合ってる、幸せになりたい、などと言っていた愛莉が、何故泣くのか。
光が成人式で留守にしている間に、何か変化でもあったのだろうか。
いつまでも泣き止む気配のない愛莉を、なす術もなく見守っていたが、やがて傍にしゃがみ込んで、そのミルクティ色の髪にそっと手を伸ばし、撫でる。
「愛莉ちゃん、泣かないで」
泣かないで欲しい。
愛莉には笑っていて欲しい。
自分の他に男なんて、いくらでもいるのだから。
アオイには愛莉しかいないけれど、そんなのは愛莉の幸せの前には無意味だから、気にしなくて良いのだ。
痛みを伴っても、もう会わない方がお互いの為だから。所詮は姉と弟で、道は交わらないはずだった。少しルートを間違えて迷子になっただけの、よくある話。
「愛莉ちゃん、大好き」
「……うん……」
小さな返事が聞こえた。自分の思考がまとまらなくなってきて、光は思わず瞼を閉ざした。
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