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第9話 もどかしい相手
湊はなんだか魂を抜かれたような顔で、乱れたベッドにぐったりと横たわっている。頑張ったので腹が減ったが、湊はそれどころではないようだ。
「先輩平気?」
「……平気じゃない」
性欲の赴くままとは言え、一応傷つけないように配慮はしたつもりだ。痛いだけの初めてなんて嫌だろうし、トラウマなんか作ってしまったら寝覚めが悪い。自分の体で試したことはないが、ちゃんと段階踏んでやれば抱くのは案外簡単だし、無理にしたわけではない。湊も結構、悦さそうにしていた気がする。けれど平気じゃないと言われて、尚志は不安になる。
「もしかして俺、下手だった?」
「……」
尚志の問いには答えずに、湊はだるそうに起き上がって脱がされた服を着始めた。
何故そこで無言なのだ。暗に下手だったと言われているのか、と尚志は少しばかり眉を寄せた。
「なんか言ってくれよ」
その腕を掴み、こちらを向かせる。湊はちらりと尚志を見て、すぐに目を逸らした。
「下手とか……上手とか、わかんないけど……」
「――嫌だったとか?」
「じゃ、ないけど……」
床に落とされた視線。なんだかもどかしい反応にちょっといらっと来て、掴まれた腕を解きベルトを締めていた湊を、また引き寄せる。その体はバランスを崩して、再び尚志によってベッドの上に押し倒された。
「柴田……もう、」
「なんもしねえから警戒すんなよ。ただ、はっきり言ってくんないと、気持ち悪くて。何? 思ってること言ってみろよ、先輩」
「……。もう遅いから、帰る。放せ」
手のひらを一杯に広げて尚志の顔をぎゅうと押しやって、湊は困ったようにベッドから逃れた。
確かに若干遅い時間ではある。湊の家では帰りの遅い息子を心配しているかもしれない。尚志は時計を見て仕方なく立ち上がった。
「送ってくよ」
「玄関まででいい。……歩いて帰る」
なんだかへこむ反応だ。なんだと言うのだ。
結局はっきりとした言葉は引き出せず、玄関先まで見送ってやるしか出来なかった。
もしかしたら、二度目はないかもしれない。よくわからない湊の態度に気持ち悪いものを抱きつつ、帰ってゆく後ろ姿を見つめていたら、尚志の背後で急に玄関の扉が開いた。
「……岸さん」
雅宗が背後に立っていた。
「や、今お帰り?」
「いや、とっくに帰ってたけど」
軽くモデルを頼んだら承諾してくれたので、何度か雅宗を描いたことがある。その時に色々会話もあったので、それなりに親しい間柄だ。
描くことは己の向上に繋がるし、雅宗は描き甲斐のあるモデルでもあった。尚志の好みとは路線が違うが、男前であるのは認める。少したれ目気味の顔は優しそうに見える。実際に優しいのかどうかは微妙だ。雅宗に対し、どことなく食えない印象を持っている。成長過程の尚志より少し背の高い雅宗は、にこやかに笑った。
「知ってるよ。隣であんなふうにぎしぎしやられちゃね、嫌でも気づく。そうじゃなくて、彼氏帰ったんだ? って」
「……彼氏」
不意に沸いた単語に、尚志は若干違和感を覚える。
さっきは湊に合わせて好きだなんて肯定してはみたものの、あまりその単語はしっくり来ない。呟いてから沈黙した尚志に、雅宗がぽんぽんと肩を叩いた。
「ま、とにかくあんま若さに任せて無茶するのは良くないよ」
「無茶って?」
怪訝な顔をした尚志は先ほどのことを反芻してみたが、そんなに無茶をしただろうか。よくわからない。
「自覚がないなら仕方ない。でもアレだ。君には多分、優しさが足りないんじゃないかな」
「……なんでそんなこと言われなきゃなんねえの。俺とヤったこともないのに、わかるわけないじゃん」
「わかるよ」
あっさり言われて尚志はむっとした。現場を見ていない雅宗に、何がわかるというのだろう。むっとした顔のまま、雅宗をスルーして家の中に入ろうとしたが、肩を掴まれ止められる。
「尚志くん、今度外で会おうか。二人で」
「……ええ?」
「俺のこと色男に描いてくれたお礼に、メシでも奢るよ。そういやさっき君の分の夕飯、食っちゃった」
「はっ!?」
「そのお詫びも兼ねて」
ショックを受けている尚志に小さく笑んで、雅宗はふと顔を近づけた。
ちゅ、と唇をついばまれた。
いきなりのことに、尚志はしばし呆然とする。至近距離で思いっきり目と目がぶつかって、戸惑いがあらわになる。唐突に何をするのか。
「――男の味がする」
雅宗の唇が離れた。
指摘されて、尚志は自分の唇を指でなぞる。
……なんとなく、居心地が悪くなった。
「今度と言わず、これからどっかで奢ろうか? しょうくんのパソコン指導も今日は終わりだから帰るけど、尚志くん腹減ったろ。育ち盛りだし」
ただでさえ湊のことがよくわからないでいた尚志は、更によくわからない雅宗の態度に、困惑していた。
これまでそんな素振りを見せたりしなかった雅宗が、どうしていきなり尚志を誘うような真似をするのか、わからなかった。
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