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第12話 進路
先ほど返却されたレンタルDVDを棚に戻していたら、ふと背後にただならぬ気配を感じて湊は振り返った。探し物がどこにあるのか尋ねてくる客もいるが、振り向く前からなんとなくそういうのとは違う気がした。
視線をやった先には、制服の尚志が突っ立っていた。湊はゆっくりと瞬きしてから、静かに呟く。
「……何借りるの? 探そうか?」
どうして尚志はここにいることを知っているのだろうか。あるいは単なる偶然で、何かを借りに来ただけかもしれない、と湊は考えたが、相手の表情からそれが間違いであるとすぐに気づく。
「バイトしてんだ?」
「うん。本当は土日だけだったんだけど、今日はちょっと代打。えーと、……誰かに聞いたりした?」
「先輩のダチから」
「ふうん、そう。まあ、せっかくだからなんか借りてけば? 会員証作る?」
尚志はどこか不機嫌そうに、淡々と喋る湊を見つめている。今いる棚はホラー映画のコーナーで、殺伐としたパッケージがずらりと並んでいる。それを背にした湊の顔は不必要に可憐に見えて、店名の入ったブルーのエプロンがとても似合っていた。
尚志達が通っているのは、バイクもピアスもそれなりに許容してくれる、比較的締め付けの緩い学校だ。勿論バイトも禁止というわけではない。それでも尚志はバイトをしたことがなかったので、三年とは言え部活に来ないでバイトしている湊の存在が幾分不思議に思えた。親のすねをかじっている、というよりもむしろ、バイトする時間があるくらいなら絵を描くというそれだけの理由だ。色々価値観の違いはあるだろうが、湊にはそういうのはないのだろうか。
それに加えて、進学しないと言う。栞からのまた聞きなので、実際のところはどうなのか知らないが、本当だとしたらそれもまたしっくり来ない選択だった。
去年の時点で湊は、美大を受けるつもりだと尚志に話してくれた。それなのに、どうしてそれが変わったのだろう。進路相談で駄目出しされたのだろうか。それとも家庭の事情か。
それが聞きたくてここに来た。昨日のことよりもずっと、それが気になってしまった。バイト先まで押しかけるなんて嫌がられるかもしれない。けれど湊の自宅も連絡先も知らなかったし、別の部活でまだ校内にいた湊の級友をとっ捕まえてここの場所を教えて貰ったのだ。
「仲原先輩借りたいんだけど」
レンタル番号のついていない湊を指名した尚志に、店員の顔を作ろうとしていた湊はちょっと動揺したように下を向いたが、やがてゆるゆると腕時計を見た。
「……七時半まで待つなら、貸してあげてもいい」
提示された時間までは、三十分もなかった。
ただ待つのも手持ち無沙汰だったので、結局店内を物色して一本だけ邦画を借りた。会員証を作る際に見せた尚志の二輪の免許証に、湊は「柴田って写真映り悪いね」などと失礼なことを言ったが、実物の方が良いという意味かもしれないとポジティブな方に取っておくことにした。
近くのファストフード店に入って適当に注文し、奥の方の席に座る。エプロンを外した湊は既に学校の制服ではなく、初めて見る私服に尚志はなんとなくときめく。何の変哲もないTシャツにジーンズという姿だが、見慣れないからだろうか。しかし見慣れないと言えば湊の裸だって昨日見たではないか。
普段見せることのないような表情だって、見せてくれた。
柴田、と切れ切れに呼ぶ声。
どっちのだかわからない体温。
苦しくて涙を浮かべた瞳。
すべてが可愛かった。
(やべえ……勃ちそう)
ぶるぶると頭を振って、落ち着きのない下半身から意識を背ける。そうだ、湊に聞かなければ。昨日のことと、別のこと。
「……なあ先輩、どっか痛いとかあるかな。俺って乱暴?」
「えっ」
尚志の質問に昨日のことを思い出したのか、徐々に湊の顔に血が昇った。いちいちこんな顔を見せられると、また抱きたくなってしまう。尚志と違ってとても純情だ。年上なのにな、と考えながらがらがらと氷の音を立てコーラをストローでかき混ぜた。
(俺は初々しさがねえな)
友達とこんな話をしたことはあまりないので、同年代がどのような性事情なのか知りようがないが、もしかしたら湊のような反応は別段珍しいものでもないのかもしれない。初めて男を抱いた時はどうだったっけ、と頭を巡らせたが、自分と湊を比べても比較のしようがないことにすぐに気づく。
(やっぱ攻 と受 じゃ心の動きとか違うかもしんねえし)
「……そのこと聞きに来たわけ?」
「違うけど、今思い出したから。いやほら、帰り際変だったし、歩きで帰ったのは、バイクの振動がやだったのかなーとか、色々考えたり」
「だ……だって、ああいうのほんと僕、経験なくて。どんなリアクション取ったらいいか、わかんなくて。……怒ってる?」
気まずそうな湊に、尚志は意識して表情を和らげた。別に怒っているわけではない。気を使われる謂れなどない。
「んなことで怒ったりしねえよ。ただ、先輩の反応わかりづらくて、やっぱ気になるじゃん?」
「大丈夫だよ。……しばらく、ああいうのは遠慮したいけど」
「じゃあもう一個質問。進学しないってマジ?」
遠慮したい、という言葉にがっくり来ながらも、本来の質問を投げかける。すると湊は一瞬目を見開いてから、尚志から視線を外した。
何十秒かの沈黙。尚志が沈黙に耐えかねて何かを言おうと口を開きかけた時、やっと返事が返ってきた。
「――大学行くだけがすべてじゃないってゆうか。まあ僕にも色々事情があってさ」
「じゃあ、絵は描くんだ?」
「描く……かもしれないし、描かないかもしれない」
「なんだそれ。……就職すんの?」
「答えにくい質問だから、パス」
なんだそれ、とまた呟いて、湊の顔色を伺う。どうしてこんなことを言うのだろう。昨日の反応と同じくらい、気持ち悪い。進学しないなら就職するのが残された選択肢だと思ったのに、それすらも答えられないというのはまさか何も決まっていないのだろうか。
「……もしかして浪人する?」
「しないよ。そもそも受験する気がないし。もういいだろ、僕には僕の事情があるって言った」
「事情ってなんだよ!」
思わず声が大きくなった尚志に、湊がびくりと肩をすくめる。怯えたわけではなく、単に耳に痛かったようだ。尚志の大声に他の客がじろりとこちらを見たが、そんな視線には構わない。
「柴田……今度、一緒にどっか行こうよ。今日の代打の埋め合わせで、土日のどっちか、空けてくれるって言うから」
ちょっと怖い顔になっている尚志に、湊は柔らかく笑いかけた。
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