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第22話 結界

 どうせなら行ってみる? と言われたので、助手席に乗せられて陽の落ちた公道を走っていた。突然押しかけたりするのは好みではなかったが、会わなくても場所だけ知っておいて損はない気がしたし、どうして雅宗がそんなふうに言うのか興味があった。 (昨日俺のことヤったくせに)  なんとなく変な感じがした。  そもそも雅宗は、どうして昨日自分にあんなことをしたのだろう。単にしたかっただけかもしれないが、あれっきりにするつもりもないような気配を感じるわりに、湊の居場所など尚志に教えてどうするつもりか。やっぱり湊とする方がいい、ということになって今後機会を逃すという可能性は充分に考えられる。元々尚志は受身に回るタイプではないのだ。 (確かに、気持ち良かったけど……)  普段と違うシチュエーションがそれなりに楽しかったのは事実だ。勉強とは言われたものの、ついうっかり体勢を入れ替えてしまいたい衝動にも駆られたが、昨日はあえてそうしなかった。自分以外の男がどんなふうにするのか気になったのもある。  やっぱり自分はタチだろうがなんだろうが、ゲイでしかない。生憎そんな自分を嫌になったことはない。ただ、欲しいと思っていた男が尚志を普通に友人として見、気になっている女のことを話し出す時にはさすがにブルーになったりもする。女のことで相談を持ちかけられても、返す言葉が見当たらない。  そういう相手には、友人としての関係を貫き通す。困らせるのが常だからだ。気持ち悪がられるのは悲しいし、縁がなかったのだ仕方ない、と諦めることにしている。そうするのが一番良いからだ。  普通に女を好きになれる男だったら、もっと楽だったのだろうか。 (別にそんなんどうでも)  なんでこんなこと考えてしまったのか。最近色々考えることが多い気がするのは何故だ。湊のはっきりしない態度が原因か、それとも、雅宗と妙な関係になったのが原因か。 (雅宗はどっちもいけるっぽいしな……そういう悩みとかないんかな)  少し羨ましい気もした。  キャパが狭いのは、本当のことだ。 「どうしたあ」  ぱちん、と顔に手を当てた尚志に、雅宗が不思議そうに呟いた。 「いや……雅宗って、どういうのが好み?」 「聞いてどうする」 「意味はねえけど」 「締まりのいいのが好きだね。尚志みたく」 「……そうじゃなくて」  はっきり言われて、急に体が疼いた。そりゃ初めてだったのだし、きつかっただろうけどそういうことじゃなくて。外見の好みを聞きたかっただけなのに。  気まずそうに言い淀んだ尚志に、運転席の男は唇の端を歪めた。 「ヤりたくなってきた? 俺はいいよ、いくらでも」 「ちっげえよ。今はそういう話じゃねえだろ」 「そう? じゃあ、話題を変えようか。――今向かってるところは、うちのわりと近所でさあ。小さい頃よく境内で遊んだ。……ほら、あの子可愛いから、目立つじゃん? 近所の人たちは、あの子のこと『お社の坊ちゃん』て呼んで、猫可愛がりってゆうか過保護~な感じに、周囲に見守られて育ってきたわけよ。神社の跡取り候補だしね」  前方を見つめながら、雅宗は唐突に切り出した。  そうだ。湊のこと。  それで雅宗は「お社の坊ちゃん」などと言ったのか。 「ふうん……そんなの、聞いたことなかったけど」 「その猫可愛がりされてた子を、君がやらかしちゃった」 「強姦したわけじゃねえし」  ほんのり眉を寄せた尚志の頭に手が伸ばされた。ぽんぽんと軽く叩かれ、髪を撫でられる。  その手を払うことはしなかった。  雅宗は尚志の頭をよく触ってくる。きっと撫でたいのだ。頭を撫でられるのは特に好きではないが、いちいち拒絶するのもどうかと思った。 「そりゃあ。そういうのは男として最低だよな。今後もそういうことはしちゃ駄目だよ、尚志」 「しねえって」 「だけど合意の上にしたってやんちゃだね。昨日のアレで、少しは理解してくれたかなって思ってたけど、どうなのその辺」 「……理解、したけど。しばらくは、手ぇ出すつもりない」 「それは賢明」  雅宗は小さく笑って、ダッシュボードに放られていたキャメルを手に取った。  闇に浮かぶ赤い鳥居をくぐり、敷き詰められた玉砂利を踏み締める。境内をざりざりと歩く足音は二人分しかなく、他に人の気配がしない。  静かだ。  鳥居の外から聞こえる車の音は、何故か遠く思える。 「結構落ち着くよな、夜の神社」  携帯灰皿に灰を落としながら、尚志の後ろをのんびりと歩く雅宗が呟いた。闇に混じる紫煙。周囲の静けさに似た笑顔。 「静かすぎねえ?」 「鳥居は単なるゲートじゃないからね。あれは、結界なんだよ。俗世間と神様の領域をね、分けてんの」 「そうなん?」 「まあでも、鳥居のない神社もあるけど。確か埼玉辺りにもあったねえ。今度一緒に行ってみる?」 「……いや特には」 「うさぎさんが出迎えてくれるよ」  言っている意味がよくわからないが、変なことを知っているものだ。尚志は微妙な顔をしながら、気になっていたことを口にした。 「先輩は、雅宗のこと知ってんの?」 「さあ。知らないと思うけど。この前駅で会ったのを除けば、意識なんてしてないんじゃないかな」 「でも雅宗は知ってんだ」 「可愛い子は覚えてるよ」  にっと唇を思い切り上げて、短くなったキャメルを揉み消した。  涼しい風が木々を揺らしていた。中空に見える欠けた月がどことなく寂しく見えた。風が吹いた方向になんとなく顔を向けて、 「――あ」  闇に白く佇む湊と、目が合った。  いつからそこにいたのだろうか。尚志が普段目にしない、見慣れない恰好をした湊は、困惑したようにこちらを見つめている。  ざり、  遠ざかる足音が背後でした。  別れの挨拶もせず、雅宗が鳥居の外へと向かっていた。どういうつもりか尚志を呼ぶこともせず、とっとと一人で帰ろうとしている。しかし湊と目が合っている尚志は後に続くことが出来ず、その場に取り残されてしまった。  黙り込んだまま尚志を見つめている湊は、どうしようか逡巡したように見えたが、やがて一歩こちらへ踏み出した。

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