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第34話 スイカとうさぎ

 宇佐見光はラタンで出来たキャリーとスイカを手に、柴田と表札のかかった家の呼び鈴を押した。手元のキャリーはずっしりと重く、中には光の愛すべき3キロ超えのたれ耳うさぎが入っている。彼女は白と茶のブロークンで、四季問わず常にもこもことしている。 「……重……いぃ」  うさぎとスイカ、計何キロあるのだろうか。  以前うさぎのユイは子宮の摘出手術を受けたのだが、それ以後太りやすくなった。チャームポイントである肉垂は元々たわわだったが、今はおなかもぷにぷにだ。懇意にしている獣医によれば、術後肉がつきやすくなるということで、欲しがるままにごはんをやるのは良くないとわかりつつも、おねだりされるとついあげてしまう。呼び鈴に家の人が出てくる短い間、光は普段の自分の行動を反省した。 「あらあらー光くん」  中から出てきた柴田尚志の母親は、可愛らしい光の姿を見て相好を崩した。尚志の家にはよく絵のモデルをしに来たり、単に遊びに来たりと、母親とも自然に顔見知りになっている。更に見た目がとても母親好みらしく、訪問するととても喜ぶ。 「こんにちは、おばさん。えーとこれ。冷やして食べてください」  右手に持っていたつやぴかのスイカを母親に差し出す。 「随分立派なスイカね。どうしたの? 重たいでしょ? あらそれうさちゃん? 耳がたれてるのねーうさちゃんてピンと立ってるもんだと思ってたけど。ああでも光くんと一緒で可愛いわー。ちょっと撫でてもいい?」  弾丸トークにどれから返事したら良いか若干迷ったが、光はキャリーの扉を開けて差し出して、「どうぞ」と笑った。ユイは見知らぬ人間に撫でられて、少し緊張している様子だ。悦に入っている母親に苦笑いしながら、早めに切り上げてやろうと光はまだ残っている質問事項に答えた。 「ちょっと実家に帰ってたんで、スイカおすそ分けです」  少しだけ歩く画廊の駐車場に停めた光の愛車には、もう一つ同じ物が転がっている。二つも丸のままのスイカを貰っても冷蔵庫に入りきらないし、しばらく会わないでいた尚志にでもやろうかと持ってきた。夜ならまだしも日中の暑い車内にユイを残すのも可哀想なので、ダブルに重たい試練を乗り越え連れてきたのだ。 「嬉しいわあー。尚志スイカ好きなのよ。……あ、部屋にいると思うから、どうぞ上がっていって?」 「お邪魔しまあす」  キャリーの扉を閉め、勝手知ったる感じで家に上がりこむと、二階に続く階段を上ってゆく。  一週間くらい留守にする、と出かける前に尚志に告げたのだが、色々と諸事情があって不在は十日になった。その間たまに短いメールを入れたりしてはいたのだが、あまり密には連絡を取っていなかった。果たして元気でやっているのだろうか。 (まあ柴田はいつも元気だけど)  廊下の一番端っこにある尚志の部屋の前で立ち止まり、扉を軽くノックする。  尚志はぱっと見体育会系の男だが、部屋に篭っていることも多い。確かに半分くらいは体育会系だが、それ以上に美術系の男だ。アポなしで来てしまったが、案の定部屋にいた。ノックの音に何故かがたごとと謎の反応を示し、数秒後「なにー?」と尚志の声で返答があった。  相手が扉を開けてくれるのがなんとなく理想的だが、忙しかったのかもしれない。光は自分でノブを回し、ちらりと顔を覗かせた。 「柴田ー?」  絵でも描いているのかと思ったら、尚志は床に仰向けに寝そべって顔を上下逆さにこちらを見ていた。光の姿を認識し、ちょっと目が大きくなる。  尚志の足元には、見知らぬ男が座っている。腹筋運動の足押さえ係的なポジション。 (誰だろ……?) 「おう。帰ってきたのか。ちょい雅宗、降りて」  尚志の声に、雅宗と呼ばれた男は残念そうに体勢をずらし、立ち上がると部屋主のベッドに腰を下ろした。光を少しの間眺めて、「ふうん」と呟くとライターをかちかちさせて煙草を咥えた。 「お客さんだった? じゃあ、僕帰るよ。スイカ持ってきただけだし」  尚志が何か言う前に、雅宗が素早く遮る。 「いや、お気になさらず。俺ちょっとの間ここんち間借りしてるだけの居候だからさ。……君、もしかして光くん?」 「えー……と、はい」  勝手に会話を始めている雅宗に、尚志が意味ありげな視線を送ったが、特に何も言わなかった。 「岸雅宗、よろしく」  にやっと笑みを作って握手するように光に差し出された右手。スイカを渡して空いた光の右手には現在ユイのキャリーが下がっていた。光はキャリーをそっと床に置き、雅宗と尚志を交互に見比べる。尚志は何かごそごそと床に放置されていた雑誌なんかの整理をしている。 (よくわかんないけど)  とりあえず差し出されるままにその右手を握り返し、「宇佐見です」と自己紹介した。その間に尚志はユイをキャリーから勝手に出して、部屋に放す。 「あっ柴田……何やって」 「ずっとこん中詰めてたんじゃ可哀想だろ?」  画材の臭いのする部屋をふんふん嗅ぎながら、ユイが恐る恐る探索している。部屋の主がいいというのなら、まあいいのだが、何か齧りでもしたらことだ。 「スイカ持ってきてくれたん? ありがとなー」 「うん……えーと柴田、ストレッチの最中だった?」  他人がいることに違和感を覚えながらも、無難なことを口にする。尚志は何かを考えるように一瞬目を彷徨わせたが、すぐに「ああ」と返す。  なんだか妙な「間」があった気がする。 「実家どうだった?」 「どうってまあ、別に普通」 「結構長く帰ってたんじゃん。のんびりしすぎて自炊とか面倒になってんじゃね」  尚志との会話に、雅宗は口を挟まず煙草をふかしながらぺらぺらと雑誌を見ている。なんとなく、自分たち以外の見知らぬ存在は緊張する。たまに注がれる光の視線に気づいているのかいないのか、雅宗は相変わらずベッドの上だ。  その足元に、ユイが鼻先を近づけた。ちょんと当たった感触に、雑誌を見ていた目がユイに向かう。 「何かな、うさぎさん」 「あ、ユイ駄目」 「ユイちゃんていうの。かーわいい」  雅宗は笑顔をユイに向け、もふっとその体を抱き上げた。自重でユイの体が長く伸びて、足の先がぴくぴくしている。 「あの、あの、服に毛がつきますから」 「ああごめん。飼い主さんの了承もなく抱っこしちゃ駄目だったねえ。はい、返す」  雅宗は立ち上がって光の前まで来ると、ユイをあっさり返してくれた。突然抱っこされたユイはきょとんとしていたが、光が抱き直そうとすると、するんと腕から逃れ、キャリーに自分から入った。 「ひでえ」  その様子に尚志が笑っている。ちょっとむかっと来ながらキャリーの扉を閉め、飼い主には抱っこさせてくれないうさぎに微妙に傷つく。どうして尚志や初めて会った雅宗には簡単に抱っこさせるくせに、自分はうまく出来ないのか光には謎だった。 「なー雅宗、ちょっと外してくんね」 「邪魔だった? 気づかなくてごめんな」  尚志がようやく光の居心地の悪さを取り除く科白を言うと、雅宗は扉からではなくベランダから部屋を出て行った。 「待ってな。今なんか飲み物持ってくるから」  雅宗の姿がなくなると、尚志もどこか安堵したように見えた。自分が席を外して光と雅宗を二人きりにするのを避けた感じがする。勿論初対面の男といきなり二人きりにされても、光は困るのだが。きっと気を遣われたのだろう。 (でも居候ってなんだろ)  どういう知り合いなのだろうか。尚志が戻ってきたら、何気なく聞いてみよう。

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