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第40話 袋小路

 酔い覚ましがてら徒歩で光のアパートへ向かいながら、尚志は中空のぼんやりとした月を見上げた。体がぽわぽわして気持ちが良い。  尚志よりずっと小さい光のふんわりとしたワンピースが先ほどからちらちら視界に入る。ロリータというジャンルのファッションは光にとても似合い、そしてそれは何故か尚志の趣味でもあった。不本意ながらたまにロリコン疑惑をかけられるのだが、その原因の大部分は恐らくこれだ。しかし尚志はロリコンではなかった。ただ可愛らしい物が好きなだけという、簡単な話だった。  多分周囲の人間は、単なる男女のカップルが歩いていると認識するのだろう。光の女装には違和感がない。だがしかし、今の尚志にとってはその服は脱がす為の対象でしかなかった。勿論、やり目的、というわけではない。好きで愛しくて仕方なくて、性欲が暴走しそうになるのだ。 (ああもう、早く剥きてえ。我慢出来ねえ)  ことこと小気味良い音を立てる光の靴に導かれるように、邪なことを考えながらも口には出さずに、尚志は大人しく後をついてゆく。 「はい到着ー」  至って普通の小ぢんまりとしたアパートの鍵を開け中に入ると、光はくっついてきた尚志の手をくんと引っ張った。 「ほらぁ酔っ払い」 「平気だって……」  今日飲んだピニャコラーダは尚志の口にとても合った。甘めのカクテルが好きだ。自分があまり酒に強くないことを知ってはいるが、嫌いでないのでつい飲んでしまう。なんだか普段特に面白いと思わないことでも面白く感じたりするし、それに、 「なあ光~、甘えさせろぉ」  こんなふうにぐだぐだとしなだれかかっても、しらふの時より光は優しくしてくれるから。  玄関先できゅうっと光を抱えるように纏わり付き、スニーカーを適当に脱いで尚志は部屋に上がり込んだ。対処に困ったように身じろぎをする相手のワンピースのファスナーを勝手に下ろして、一方的に脱がせながらキスで動きを封じる。 「柴……柴田、服がシワになるから、待……」 「アイロンがあんだろお。俺があとで、かけてやるよ」 「そういう問題じゃ」 「……ちょっと、黙れって」  喋れないように口の中を優しく掻き回して、温かい舌を吸うように愛撫する。 (あ、目ぇ、閉じてる……)  いつもそうだが、やはり光はキスすると自然に目を伏せるようだ。睫毛が少し震えている。お互い目が合いまくりの雅宗とは違う。どちらがどうと言うわけではないが、さっきから頭の隅に雅宗が存在しているのに、尚志は気づいていた。 (俺は……どうしたいんだろ)  服の下から現れた肌に、触れるか触れないかの微妙な加減でそっと手を滑らせる。わざと敏感な乳首を避けて薄い胸に触れて、じりじり侵攻してゆくと、光はじれったそうに尚志の服をぎゅっと掴んだ。  実家に帰ると言った最後の夜と、少しも変わりない華奢な手触り。一週間以上も尚志を放って帰ってしまった光は、その間寂しくはなかったろうか? 「十日分、目一杯していいか?」 「――冗談でしょ。あ、そうだ柴田、ちょっと待て」 「冗談じゃないし、待たない」 「人の言うことを聞けよっ、馬鹿柴田」 「待ーたーなーいー。触りてえの。……光に、触りてえんだよ」  唇で触れた肌を強く吸い上げて、どちらかと言えば色白である光に痕跡を残す。キスマークを残すと抗議されるのは学習していたが、酔っているのもあってわりと容赦ない痕が残った。 「ああもう~っ、駄目だって言ってんのにどうして」 「いいじゃんか。先生もこんなん今更だろ」  口にした途端、光の表情が若干曇った。言わない方が良かったか、と言った尚志も微妙な顔をする。  自分以外に、光を抱く存在。  最初はそれを牽制する為に、痕を残した。けれどそんなのは一時しのぎの弱弱しいストッパーでしかなくて、光……ユイは結局「先生」の物になったのだ。  尚志が残すキスマークなんて、なんの役にも立たない。 (くだらねえ)  あまりにもくだらない、と思いながらも、もう一度唇にキスしてから体を離した。 「化粧、落としてこいよ。俺はすっぴんの光が可愛くて好きだ」  変なところで解放されてしまった光は少しの間、愛撫で潤んでしまった目を尚志に向けていたが、やがて脱がされた服を拾い集めながら洗面所に歩いていった。しかし顔を洗うだけかと思いきや、耳を澄ませばなんだかシャワーを使っている音が聞こえてくる。 (さっきの「待て」は、これか?)  まあ、シャワーでさっぱりして何の気兼ねもなく尚志に体を開いてくれるというなら、少しくらい待つ。気にしなくても良いのに汗がどうとか、光は色々気にする。実に可愛らしい。 「おい光、俺も入る」  数分大人しく待っていたが、やがて手持ち無沙汰になって尚志は浴室のドアを開けた。湯気がむわむわと狭い脱衣所に流れてくる。 「い、いきなり開けないでくれると嬉しいんだけどなー、柴田くん」 「なんでよ」  着ている物をさくさく脱ぎ散らかしながら、何故だか嫌そうにした光に構わずに湯気のこもった浴室に入ってゆく。  胸元に一つ輝いているサージカルステンレスのピアスがそこはかとなくセクシーだ。誰の目から見ても素晴らしい、計算された筋肉を纏う肉体美。それに光の視線が注がれる。 「……ねえ柴田は、」 「んー?」  尚志はシャワーを背中に浴びながら、泡立てたスポンジで光の体を遠慮なく洗っていった。洗われている方は、くすぐったそうにしながらもなすがままだ。細い体の上を、泡が流れ落ちてゆく。  ちゅぷん、と指が脚の間に割って入ってきたので、その瞬間光の体がびくりと波打った。  けれど尚志の指が自分の中でぬるぬると動いていることにはあえて触れず、耐えるような微かに震える声で続ける。 「……きれーだよね、凄く……っ」 「あ? 急に何言ってんだ? 声うわずってんぜ?」 「それは柴田が……やっ、め」 「やめていいって? すっかり気持ち良くなってるじゃんよ。可哀想でやめらんねえし……んで?」  反応してしまった光の根元から先の方をゆっくりなぞって、優しく丁寧に指先と手のひらで擦り上げる。けれどあまりに優しいその触り方が逆にもどかしくて、焦れているのがわかった。 「ぅ……だからあっ、この辺とか、あとこの辺とか……、全部、綺麗だなあって……」  目に涙をいっぱい溜めながら、鍛え抜かれた体のあちこちに光の指が触れる。改めて言われたことがなかったので、尚志は予想外にちょっと照れて指の動きが少し乱れた。いきなりなんだろうか。 「……そりゃ。俺は自分の体も、デザインの対象だから」  見た目良く仕上げようと考慮した上でトレーニングを重ねている。ただの筋肉馬鹿ではない。だからいくら体力的に問題がなかったとしても、過剰に筋肉をつけることはしないのだ。どの程度が一番魅力的に見えるか、全部計算して体作りをしている。絵を描くのと同じように。 「あ、ちょ、駄目、駄目ストッ……」  いきなり乱れたリズムに、びくびくと体が震えた。尚志の腕をぎゅうっと掴んでいる光に、余裕はまるでない。 「遠慮なくイッとけって。ほら、俺に向かって出していいよ。……それともアレか? 俺ン中来る?」  いきなり妙な提案をされた光は、余裕がないながらも戸惑いを顕にしたが、答える間もなく尚志の腹筋の辺りに熱を吐き出してしまった。 「――馬鹿ぁ、柴田、突然変なこと言うな!」 「想像して我慢出来なくなったんかな?」  尚志は不敵な笑みを浮かべ、自分の腹の辺りに放たれた体液を指ですくう。 「……あれ、結構薄いな。もっと濃いの出るかなって思ったのに。抜いてた?」 「うるさいぃ……!」  光の顔が真っ赤になった。証拠隠滅とばかりに尚志と自分に向けてシャワーのお湯を容赦なくかけている。そしてそのことから話を逸らすように、少し前の話題に戻してきた。 「柴田は簡単に言うけどさ……体なんかデザインしようと思ったって、なかなか出来ないんだよ。柴田と比べたら僕なんて全然貧相だしさ。――見てるとたまに、悔しくなんの」 「ふーん、だから一緒に風呂入りたくねえっての? さっき、なんかあからさまに嫌そうだったよな」  突然浴室に入った時の光の顔を思い出した。 「う……まあ、つまりはそんなとこ。あとは、今みたいにさ……悪戯するじゃん」 「悪戯じゃねえよ。配慮」 「でもお風呂って声が響くから……やだ」  ちょっと俯いた。 (やっぱこいつ可愛い……)  声が響くとか、体の作りが違うとか、そんなことを気にしても仕方ないのに。全部尚志に見られているのに。  それに、華奢な体の方が抱き心地が良い。気にする必要などない。 (雅宗は、)  華奢じゃないなあ、と思ってから、どうして雅宗を思い出しているのだ、と尚志は軽く首を振った。  とりあえず今は考えないで良いのに。  兄には話を逸らしていると言われた。自分でもどうしたいのかわからない。わからないが、ただ単に本能の赴くままに動いていても、やがて袋小路に追い込まれそうな気がした。 (そもそも俺は雅宗をどう思ってるんだろう)  考え事をしていたら、光を洗い終えて今度は自分を洗っていた手が止まった。不思議そうにそれを見つめる光が、そうだ、と切り出したので我に返る。 「さっき風呂の前に待てって言ったのは、さあ」 「ん? うん」  風呂に入りたかったからだろ、と言おうとしたら、光が想定外のことを繰り出してきたので再び停止する羽目になった。 「柴田がさっき繭姉と喋ってた内容、筒抜けなんだけど。聞こえないと思った? 僕、結構地獄耳なんだよね。聞かないふりするのもアリかと思ったけど、やっぱ気持ち悪いから」 「――ん、あ、うー、……と」  尚志はわけのわからない言葉を何個か発したが、やがて無言で宙を仰いだ。  黙り込んだら、今まで気にもならなかったシャワーの音が突然うるさく感じられた。

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