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第49話 オフェンス
前回帰国した時と同じく、とりあえず帰ってくる時は疲れているし空港傍のホテルに泊まると言った雅宗に、じゃあ手配は俺がしとくから、と尚志は返した。それくらい自分で出来る、と不思議そうな目を向けた彼を笑顔で送り出して早四日、荷物をまとめて雅宗が帰国した。
「少し、痩せたんじゃね」
今日は尚弥の出迎えはない。特に知らせていない。雅宗は兄の友人だが、今回は介入しないで欲しかったし、する必要もなかった。
雅宗が持っているのは以前見たことのあるスーツケースくらいのもので、比較的身軽だった。
送り出した時よりも若干やつれた印象の雅宗は、南の島で何を考えていたのだろうか。痩せたという言葉に、雅宗は自分の体をちらりと見降ろして、「かもね」と微笑混じりに呟く。
「荷物よこせよ。持つからさあ」
「持てるよこんなの」
「いんだよ、俺力有り余ってるから。ほら、早く行こうぜえ」
スーツケースを奪い、雅宗の骨張った手首を軽く握って尚志は歩き出す。
「尚志、持ってくれるのはいいけど、乱暴に扱うなよ。精密機械が入ってるんだから」
「大丈夫、俺昔より随分扱い優しくなったから」
「……でも、手は放してくれるか。恥ずかしいから」
何か意味ありげな尚志の態度に、戸惑いを浮かべているのが顔を見なくても声だけでわかる。尚志は苦笑いして、掴んでいる手を解放した。大の男二人が手を繋いでいる光景は、傍目に少しおかしい。むしろ少しどころではない。
この前と同じホテルのフロントでキーを貰い、エレベーターに乗り込んでいる間、尚志は先日雅宗の不在時に庵主が言ったことを、伝えるべきかどうか迷っていた。当の庵主は言わなくていいと否定したが、もし知ったらどう反応するだろうか。難しい選択ではあった。
(言わない方がいいんかな)
またおかしくなるかもしれない。
言わなくて良いことは、この世に存在する。
勿論言うべきことも、ある。これはどちらなのだろうか。わからなかった。
「なんでツイン?」
キーを差し込んだ先の部屋を見て、雅宗は不審そうに尚志の顔を見つめた。
「俺も泊まろうと思って」
「帰ればいいだろう、自分のうちがある」
「俺さあ、ラブホ以外のホテルってあんま泊まったことねえんだよ」
「金がもったいない」
「それ言ったら泊まること自体もったいないっつーか」
「尚志が予約してくれたからだよ」
「いやそれはあんたが、空港の傍泊まるって言うからだろ」
尚志は引きずってきた雅宗のスーツケースを部屋の隅に置いて、片方のベッドに腰を落とした。
「なあ尚志。ベッド二つあるけど、使うのも二つかな?」
「あんた次第だけど」
「ふうん? どうせならダブルで取れば良かったのに」
雅宗は小さく笑んで、置かれたスーツケースの蓋をばくんと開けた。ベッドに仰向けに転がりながら、荷ほどきでもするのかと見ていたら、ノートパソコンが出てきた。テーブルに広げ、電源を入れている。
「ああ、無事だ」
「何それ。俺の運び方が心配だったとか?」
不満げな問いには答えず、雅宗はメールチェックなんて始めてしまった。ほんの少し眉を寄せ、その姿を眺めていたが、やがて同じように雅宗の眉が寄った。スパムメールでも来ていたのだろうか。
「どうかしたん」
いつまでも無言でぐりぐりマウスをいじくっているので、何をしているのかと声をかけると、雅宗は奮わない顔でようやくこちらを見た。
「――来るはずのない人からのメールがね」
「迷惑メールだろ。削除すれば」
「最近ぽつぽつ来る。妹から」
妹がいることを、雅宗の口から聞いたのは初めてだった。
雅宗はちょいと手招きをして、転がっている尚志を傍に呼びつけた。
「見せてくれんの?」
「……いいよ? 別に」
メーラーを覗き込むと、フリーメールらしきアドレスと本文が表示されていた。サブジェクトはない。
insomnia@xxx.xx.xx <響歌>
ちゃんと眠れてる?
響歌は雅宗の手がなくても大丈夫。
手を放しても大丈夫?
たった三行の短いメールだった。
「どういう意味?」
雅宗が変な顔をしてもおかしくはない、よくわからない内容だ。雅宗は小首をかしげ、開いていたそのメールを閉じた。ざっと受信メール一覧を見ると、確かにぽつぽつと「響歌」からメールが入っているようだ。返信した痕跡はない。
「insomnia(インソムニア)っていうのは、不眠症って意味だよ」
「や、メアドじゃなくて」
けれどこの単語は、雅宗にぴったりな気がした。
こういうメールが入るということは、やはり良く眠れていないのだろうか。だとすれば相手は雅宗の現状を把握していることになる。そう考えたら、なんだか嫌味な単語をメールアドレスに選んだものだ。
「返事しねえの?」
「もういないから」
「――は?」
そう言えば、と尚志は止まる。
庵主が「娘を亡くした」と言っていたではないか。するとこの響歌は、死んでしまった人間その人なのだろうか。
(ええ……?)
そういうことを信じていない尚志は、しばし困って沈黙した。しかしすぐにそんなわけがないと、気を取り直して口を開く。
「誰かの悪戯とかさ。あんま気にしねえ方が」
「そうだな」
ぽつんと言うと、雅宗は傍に突っ立っている尚志を引き寄せて、軽く口づけた。珍しく目を瞑っていたので、どういう心境の変化かと思った。
「雅宗?」
「俺欲求不満なの。やろっか」
さかっているようには見えなかった。
気分転換したいだけなのかもしれなかった。ではそうしてやろう、と尚志は手を伸ばし、雅宗のベルトに触れた。やはり少し痩せたのだ、と指先で感じた。
陽が傾いていた。
薄くオレンジ色に染まった空が、窓から見えた。やはりダブルで取れば良かったと思いながらも、男二人ではどうにも狭いベッドに、雅宗のシャツのボタンを外しながら転がる。
「なんか今日、尚志のモードが違くないか」
「そう?」
「主導権握ろうとしてる」
そうかもな、と笑って、いつもなら尚志の上に乗っかってくるべき体を自分の下に引きずり込む。
「――ほら、オフェンスに回る気満々。どうした?」
「抱いてもいいって言ったの、そっちじゃん」
「許可が欲しかったのか?」
面白そうに笑った雅宗は、けれど若干どうしたものかと思案している顔をしている。予定外の展開に、余裕のあるふりをしてみせてもどこかに戸惑いが滲む。
まだ彼を、そうしたことがなかった。
許可が欲しいわけではなかった。
「昔、俺に優しさが足りないって言ったじゃん?」
「さっき優しくなったって申告したのは、これの前置きだったりするのか? なんか言葉の端々にそんな気配を感じてたのは、俺の勘違いじゃなかったんだなあ」
完全にマウントポジションを取られてしまった雅宗は、半ば諦めたようなため息を一度ついて、先ほどされたのと同じように、尚志のジーンズのジッパーに手を伸ばした。
「……元気だな」
「もし駄目だったら、延期しよっか? あんた実は、こっちは好きじゃないだろ」
「確かに長らくご無沙汰だね、そういうの。……って、延期なんだ」
「中止じゃねえよ」
「延期なんだったら、いいよ。今、してくれて。ただし、留意してくれ。ほんと、数えるほどしか」
「そうなんだ?」
「俺は基本的にタチ。知ってるだろ」
そう言ってもう一度ため息をついた。不本意そうに見えたが、抵抗はなかった。
微妙に嫌がっている体をゆっくり時間をかけて開く。体は開けても、雅宗の心は開いているのだろうかと、また庵主に言われたことを思い出した。
(でも妹のこと喋ってくれた)
少しは開いているのだろうか。
さっきのメールのことがなんとなく引っかかった。本当にただの悪戯なのだろうか。雅宗に心当たりはないのか。
「……尚志、」
「なんか言い残すことでも?」
「ショタコンの尚志としては、俺なんか抱いてもつまらんだろ。俺は、可愛くはなれない」
「――や、そういうことじゃなくて。ああもう」
可愛くないことを言う雅宗にじれて、両脚を抱え込む。強行突破に出た尚志に、脚を抱えられた男の動きが瞬間固まる。
「尚、」
「ゆっくりするから。平気」
「平気じゃな……っ、って、待、」
科白は最後まで言い切れず、びくん、と体が跳ねた。
確かにゆっくりではあったが、本当にご無沙汰らしい雅宗は中に押し入ってくる感覚に苦しそうな吐息を洩らす。
「痛くねえだろ? ……ちょっと、狭いけど。雅宗ちゃんと気持ち良く、してやるから。良く寝れるように」
「……まだ、動かな、いで……くれると非常に、嬉し、かったりする」
読点がおかしい声に、余裕が見当たらない。けれど尚志は努力を惜しまなかったらしく、あまり痛みに耐えているというふうではない。ただ不慣れな感覚に、小刻みに肌が震えている。
まったく余裕のない男の上で、尚志は関係のない話を振る。
「雅宗、なあ」
「…………なにか」
「ジャスミン茶の丸いの、知ってる?」
「………………はあ?」
自分の予定になかったことをされている雅宗は、唐突な質問に視線を向け、こんな時に何を言ってるんだこいつは、という表情をした。
「丸くまとめてあってさ、お湯注ぐと、茶葉とか花がぶわーって開くんだぜ」
「で? ……今のこの状況と、何か関係あるのか……」
「雅宗、全部……じゃなくてもいいけど、俺注いで開いたらいいなあって、思ったり」
「君の、何を。体液?」
途端に尚志が嫌そうに顔を歪める。
「俺の何を、開くって? 体? ……もう、開いて、……こんなこと、尚志にされると思わなかった」
「じゃなくて」
前にも似たようなことを言った覚えがあるなあ、ボキャブラリー少ないのかと自嘲しながらも、雅宗の体を抱き寄せる。
「俺の、愛情。と、あんたの心」
照れもせずに口にして、笑った。
奥まで入ってきて突き上げられた感覚にびっくりしたのか、尚志の科白にびっくりしたのか、あるいはその両方かはわからないが、雅宗が驚いているのだけはわかった。
目を逸らされて馬鹿じゃないのか、と返されたが、本気には聞こえなかった。
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