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第4章 いつか帆を歌う日が 4.月の下を走る
セックスは順序を踏む方が好きだ。シャワーをあびて、準備をして、ベッドへ行って、裸になる。トイレで立ったままとか、いきなり床へ押し倒されるとか、そういうのは好みじゃない。
キスのあと叶 にそう話したら、なぜかふたりでシャワーを浴びることになってしまった。
「やめろって。先にベッドへ行ってろ」
「どうして」
リフォームされた風呂場は以前より広くなって、大の男でもふたり並んで立つ広さはある。少なくともトイレよりは広い。抱きすくめられなくても体は洗える。
「準備するところを見られたくないんだ」
真面目な声で説明すると一有 の前をさぐっていた手がやっと消えて、かわりに両方の太腿をつかみ、揉みはじめる。背中が叶の胸に押しつけられて、ボディソープがぬるぬるする。尻の上のあたりにもう堅くなったものがある。太腿のあいだに入った指が一有の陰嚢をもちあげ、揺すろうとする。ああ、もう……
「はやく行けって! できないだろ……」
首をうしろに曲げて訴えると叶の眸と正面からかちあう。ようやくシャワーのレバーを下げるのに成功した。上から湯が降ってくると叶はあわてたように一有の胸を抱きしめ、さする。たちまち乳首がぴくりと立つ。
ああ、まずい。
一有は体をよじるようにして叶を脱衣所へ押し出した。半透明のガラス越しにバスタオルがひらめいている。シャワーの音に負けないようにいった。
「キョウ、ほぐすやつあるか? ローションとか」
「ベッドのところにある」
これまで誰にそれを使ったのか。一瞬頭に浮かんだ思考を一有は締め出した。むしろ誰と何もやってない方が怖い。
バスタオルを巻いただけの格好でLDKを横切った。外はまだ明るい時間だ。パーティションの向こう側、でかいベッドの横の窓はスクリーンがおろしてあった。ベッドに座っていた叶が立ち上がり、抱きよせてくる。あいだにあったタオルが落ちて、おたがいの昂ぶりが腹と足のあいだで擦れる。叶の体はほどよく筋肉質だった。腹が割れすぎていないのも、肩のかたちも、太腿が強いのも好みだ。
困った。立ったまま抱きあいながらふとそう思った。どうしてこいつ、俺の好みど真ん中なんだ。これじゃだめだ。とめられなくなる。
ベッドに背中をつけて叶の唇を皮膚のあちこちでうけとめた。耳を舐められ、耳たぶを噛まれ、首筋を痛いほど強く吸われる。
「……キョウ、おまえ……」
「なんだ」
「口がエロすぎ――」
アッと小さく息を飲んだのは乳首を舐められたせいで、チロチロ動く舌が触られてもいない下半身を刺激した。叶は片手でローションの蓋を押し上げ、一有のへそのあたりにそっと垂らした。ぬるぬるした液体にまみれた指が一有の尖端を撫で、茎をしごいた。
「キョウ………ぁ」
「どういうのが好きなんだ?」
「……なか……ほぐして……」
一有は膝を立て、腰をもちあげた。叶の指はするすると入って、一有のなかを押し広げていく。
「あぅっ……ぁあ、そこ……あっううんっ……」
弱いポイントを弄られてうめくと、尻の中の指が抜け、叶の体重が上にのしかかる。舌がぴちゃぴちゃ自分の肌の上でいやらしい音を立てて鳴り、快感と安心で緊張が抜けていく。ローションと先走りで濡れた陰茎同士が擦れ、離れた。ひらいた股のあいだに叶が入ってくる。ゆっくり押し入り、一度止まって、動きはじめた。声をあげようとした瞬間に唇をふさがれ、乱暴な舌に口の中をまさぐられる。
「ぁあ、ああ――」
口を解放されたとたんに声が出る。がつんと奥を突かれて、一有はその瞬間イッてしまった。それでも震えるような快感はやまないし、叶はまだ一有を揺さぶっている。
「キョウ、出して……俺の中に出して……キョウ……」
たまらず一有は哀願する。上にいる男が揺さぶって、自分の中で果てるのを待つ。
終わったあとも抱きしめられ、撫でられるのは嫌いじゃない。背中に叶の体温を感じていると、ずっとこうしていたい気分になる。それでも腹は減っているし、喉は乾いている。いつかは起き上がって自分の家に帰らなくてはならない。叶と寝たところで世界は変わらないし、世界は終わらない。
それでもまだ――しばらくはこのままでいたい。叶の腕が一有の腹をぴったり抱きよせ、長い指が髪をかきまわす。とても気持ちいいのだが、ものすごく照れくさいので目はあけない。
これで叶とは三回セックスしたことになる。それなのに今がいちばん恥ずかしい。
「イチウ」
ひたいに直接息があたる。
「好きだ」
ますます恥ずかしくなって、一有は目をとじたままうなずく。
「俺も好きだよ」
叶がひたいにキスしてくる。一有はさらに恥ずかしくなる。この男に最初に会ったのは十六歳だ。あれから二十年。二十年経っていまさら告白しあうなんて、俺たちはいったい何なんだ。照れくさくて体が熱くなる。叶の腕に転がされて一有は厚い胸の方へ向きを変え、叶の肩のくぼみにひたいをおしつける。恥ずかしさも消えて、ただ眠くなった。
すこしうとうとして、やっと起きた。
またシャワーを浴びて服を着た。叶のキッチンの冷蔵庫には冷凍食品がぎっしり詰まっていて、温めるだけで完成するディナーセットが何種類もあった。
ひょっとしてこいつは家電マニアなのかもしれない。高性能炊飯器を眺めながら一有はそんなことを考えてしまったが、本人にはいわなかった。温めた料理をならべた食卓テーブルは小さくて、二人分の食器でいっぱいになる。
「二人だと狭いな」
叶がぼそっとつぶやいたので、一有はフォローのつもりで答えた。
「気にするな、プロの独身。食ったら俺は帰る」
叶がまじまじと一有を見たので、さらにフォローのつもりで一有は続けた。
「また来る。ベッドは狭くなかった」
叶は顔をしかめた。
「イチウ……ひとつ、いっておきたいんだが」
「なに」
「俺はすごく嫉妬深い」
「そうだろうな」
「だから……」
「キョウ、俺は誰ともつきあってないよ」
「木谷は?」
「もう寝ないから嫉妬するな」
答えたとたん、無言の圧力がかかった気がした。
「あのな、キョウ。俺だって――」
「わかった。わかってる」
冷凍ディナーは美味かった。ふたりで黙々と食べたあと、叶は皿を食洗機に入れた。
「じゃあ」」
あまり言葉がつづかないまま、一有は玄関へ行き、靴を履いた。外まで送るといって、叶がすぐうしろについてくる。
マンションを出ると夜空にぽかりと丸い月が浮かんでいた。駐車代金を精算するあいだ、叶はコインパーキングのへりに立っていた。運転席に座り、シートベルトを締め、車を出しているときも、叶はまだ立っている。
車内にはまだ昼の残り香が漂っていた。一有が片手をあげると叶も手をあげて応えた。月曜に出社すれば顔をみるとわかっているのに、ひどく名残惜しかった。数秒ためらって、一有は運転席のウインドウを下ろした。
「キョウ」
怪訝な目つきの叶が近づいて、ウインドウから一有をのぞきこんだ。
「どうした?」
一有は叶の喉のあたりに人差し指を突き出した。
「ドライブに行かないか」
「これから?」
「俺の家まで。月が明るいだろう?」
叶の口元に微笑みがうかんだ。一有は人差し指のピストルを助手席に向けた。ドアが開き、背の高いアルファが乗り込んでくる。シダーの香りがふわっと漂う。叶の匂いだ。
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