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第6章 郭公の夢路 3.思い出の棺
玄関から見えたのは応接間のようだった。
布をかけた応接セットの背後にガラス扉のついた古めかしい書棚があった。それに、きっちり蓋が閉まった桐箱も。
一有は建物の中をぐるりと回って雨戸と窓をあけ、ブレーカーを入れた。叶がどこかのスイッチを押すと、玄関で蛍光灯がブーンとかすかな音を立てた。
応接間の奥の部屋は居間兼食堂というところか。吹き抜けになっていて、中二階の窓から光が差しこんでいる。左手の壁に暖炉があり、その横に大きな振り子時計がおいてある。子供なら中に入れそうな大きさで、いわゆる「おじいさんの 時計 」だが、時刻は九時を差したまま止まっている。
奥側の出口は廊下に面しており、右手に縁側と障子で仕切られた畳の間があり、縁側の端に籐椅子が置かれていた。開け放した窓から森の匂いのする風が流れこむ。庭を囲む木々から鳥の声が響いてくる。
叶は「物置がわり」といったが、この建物に関しては、ふつうに別荘として使われていたにちがいないと一有は思った。床の間には掛け軸を外した跡があり、縁側には籐椅子が置いてある。きっとここにあった道具類は応接間に片付けてしまったのだろう。
応接間に戻ると、叶は書棚のガラス扉をあけ、さっそく中の確認をはじめていた。書棚の半分は箱入りの本、残りの半分は飾り物や陶器や、一有には正体のわからない骨董品らしきものだ。テーブルの上に書類が広げてある。
「十年前に管理を委託されたときの目録がそれだ。平良からコピーを預かってきた」
叶が一有をふりむいていった。
「といっても、本当に市場価値の高いものはないと聞いてる。由来のある贈答品や、あとは思い入れのあるものを保管しているようだ」
「……それで別荘三軒分か」
「元政治家だからな。生前に友好のあかしで贈られたものも、亡くなったら元の持ち主に返せといわれることも時々ある。遺族が相続できるとは限らないから、こうして分けておいたんだろう……」
「え? 贈ったのに返せっていわれるのか?」
一有はあっけにとられてたずねたが、叶は意外そうな表情もみせなかった。
「ああ、よく聞く話だ。政治家の厚誼は一代限り、生きているあいだしか続かないものだから、本当に欲しいと思ったものは買い取る」
「……シビアなもんだ。まさか今回の探し物もそういうケース?」
「いや、この件はちがう。目録にもはっきり、鷲尾崎の預かり物と書いてある」
叶はそういって書棚に向き直ると、手袋をはめた手で蔵書を抜き出して見返しを開いた。鷲尾崎家の本には蔵書印が押してあるから、見ればわかるらしい。
「未笹は1910年か20年か、そのあたりの生まれだ。十代のころから界隈では天才とか神童とか呼ばれていたらしいが、戦中の思想統制で官憲に睨まれた末に自殺している。先代が彼の草稿だの日記だのを持っている経緯は平良も知らなかった。ひょっとしたら、鷲尾崎家に置いておけない理由があって預けたということかもしれないが、よくわからん」
「ミステリーだな。未笹って名字なのか?」
「雅号――ペンネームだろう。俺はよく知らないんだ。興味もなかったし」
「おまえ、短歌っていうと顔をしかめるもんな。面白いよ」
「面白がるか?」
ふりむいた叶の顔に、一有はつい笑ってしまった。
「ほら、その顔だ」
「……」
「俺はそこの箱をあけてみよう。探しているのが本や紙類なら、骨董品は無視していいんだろ?」
「ああ。目録を全部チェックしろっていう話じゃない。ただ手箱に入っている場合もあるから、箱のたぐいは開けてみてくれ」
「もし目録にないお宝がここにあって、俺たちがちょろまかしたらどうなるんだ?」
叶は肩をすくめた。
「だから誰にでも頼めることじゃないんだ」
いくつもある桐箱の中身は掛け軸やお茶道具、さまざまな種類の骨董品が大半を占めていた。桐箱のひとつには本がぎっしり詰まっていたが、日本語の書籍は一冊もなかったし、書き物のたぐいもない。書棚とあわせて確認が終わったときには二時間は経過していたが、あいにくここに平良の求めるお宝はなかった。
もっとも一有は作業を楽しんでいた。これはいったい何に使うんだと叶に聞いたり、ときに無駄口を叩いたりしていると、聖騎士学園のころに戻ったような気がした。きっと叶とふたりで生徒会の古い記録を探したり、文化祭の準備をした放課後のことを思い出したせいだろう。
「……次に行く前に山荘で休憩するか」
叶はさして表情も変えなかったものの、口調はいささか不満そうだった。一有は時計をみた。
「三時すぎか。今日中にもう一軒おわるんじゃないか?」
「ああ……それでみつかればいいが」
「明日もある」
ここへ来たときとは逆に、開けたものを元の通りに戻して、戸締りをした。一有が畳の間から暖炉のある居間へ戻ってくると、叶は時計の前にたたずんでいる。
「どうした?」
「あ――いや。さっき思ったんだが……昔ここに来たことがあるかもしれない」
「子供のころの話か?」
「これを下から見上げたような気がする。振り子が動いていたのもぼんやり記憶がある。先代に連れてこられたのかも……」
叶は時計のてっぺんに触れた。教会の塔を思わせる飾りがついていて、中央に紋章が彫ってある。
「ってことは、ずいぶん小さいころだな」
一有は振り子の前に立っている叶を想像した。今の半分以下の身長だったのではないか?
「イチウ、なんで笑ってるんだ」
「おまえにも小さくて可愛いころがあったんだと思ってさ」
叶はばつの悪そうな表情になった。
「そんなことはない」
「何いってんだ」
「その……こういう家具のようなものに記憶が結びついている感じがするだけだ」
「ふうん」
一有にはあまりぴんとこない話だった。これも家族や親族と縁の薄い生活をしてきたせいか。それに家具といっても、通販カタログのユニット家具のようなものに囲まれていては、なかなかそんな風には思えないのではないか。
とはいえ、叶がそういったとたん一有の頭にもあるイメージが浮かんだのだ。聖騎士学園の二人部屋、ベッドと机は白い柱と青いパネルを組み合わせたもので、窓辺では濃い青色のカーテンがはためいている。
「……プロレスごっこをしたな」
「え?」
「あ……いや、なんでもない」
叶が怪訝な顔をしている。一有は笑ってごまかしたが、こうしてふと思い出したシーンにも叶が登場することに気づいて、内心やや狼狽していた。
キョウのやつ、俺の思い出の何パーセントを占めていやがるんだ。
一度山荘に戻って一服したあと、二軒目の宝探しに向かう。さっきの別荘からすこし奥に入ったところにあり、外観は小さなコテージというおもむきだった。壁は黒く塗られていて、蔵を思わせる小さな窓がついている。今度は玄関をあけるとすぐ、窓のある板張りの細長い部屋があった。電気をつけると天井から橙色の光があたりを照らした。小さな流しとカウンター、それに丸椅子が三つ散らばっておいてあるだけで、がらんとしている。
「キョウ、何もないぞ」
「こっちか」
叶が横の板戸を引くと、桟の上をがらがらと動いて、木の壁が動いたように大きく開いた。あらわれた光景をみて、一有は口笛を吹いた。
「おい、まさか……宝探し的にはこっちのほうが本丸だった?」
板戸の向こうは保管庫と呼ぶにふさわしい様子だった。頑丈な棚に箱がずらりと並んでいる。ラベルがついている箱もあるが、何も書かれていないものもある。
「平良のやつ……一軒目で油断させて、二軒目でこれか……」
叶が首を振ってぼやき、一有は思わず笑った。
「蓋を開けて中を見るだけだろ。さっさとすませよう」
「じゃ、関係ありそうなものをみつけたら教えてくれ」
叶はいいながら目の前の箱の蓋をあけ、一有は横から覗きこむ。
「なんだこれ?」
「写真アルバムだ。そういえばこういうの、昔よくあったな」
叶はそういったが、正方形のぶあついアルバムは一有にはなじみのないものだった。
「ちょっと見ても……いいか?」
好奇心にかられてそういうと、叶は黙って奥にずれ、べつの箱の蓋をあけた。一冊抜きとったアルバムの写真はどれも厚紙の台紙に張りつけられ、透明なフィルムで覆われている。どこか懐かしい気分になる色あいだ。
一有の両親の写真も同じような色をしていた、とふと思い出す。こんな大きなアルバムではなく、手のひらサイズのポケットアルバムに入った写真を何度もくりかえし見ていたのは、いくつのころだったろう。今もマンションの本棚の隅にあるはずだが、この数年はろくに見返すこともなくなっている。
おっと、よけいな感傷にひたっている場合ではない。
一有はアルバムを元に戻した。おなじような正方形のアルバムに挟まれて、厚紙の平たい箱があった。念のためひっぱり出すと、本の表紙のように蓋がぱかっと開いて、薄紙に追われた写真があらわれる。羽織袴と打掛の新郎新婦が微笑んでいた。婚礼写真だ。
一有は薄紙をまっすぐにのばし、写真を元のようにしまった。横目で叶をみると、箱に覆いかぶさるようにして中の紙類をにらんでいる。
いま聞いてみればいいんじゃないか。ふとそう思った。婚礼写真をみて、思い出したふりをして。
一有は箱の蓋を閉じた。
「キョウ、気になってたことがあるんだ」
「なんだ?」
「おまえ、俺と結婚したいと思ってる?」
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