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三話:『義兄が暴走する前兆らしい』

「何なんだあの男は。子供か」  受話器を置き、溜息を吐く。  あの調子だとまた彼は電話をかけて来て駄々を捏ねるのだろう。  彼からすれば錦が駄々を捏ねてると感じてるのだろうが、如何考えても強行軍だ。   錦と海輝の生活圏はこれっぽちも被らない。  会いに来たとすれば移動だけでも四時間は要する。  ならば会いに行けば良いのだろう。  しかし仮に錦から海輝に会いに出かけても、移動時間が省けるだけで休日を錦の為に割く事にはかわりない。  結局の所、彼が体を休める時間が削られるのだから矢張り断って正解なのだ。  背後から襖のひく音がし振り向けば、着流し姿の男が隣室から顔をのぞかせる。 「何やら揉めていたようですが電話は終わりましたか?」 「――若狭先生すみません。煩かったですか?」 「いいえ、どうせ海輝さんからの電話でしょう? 駄々でも捏ねられましたか? 彼は錦にだけは子供の様に振る舞いますねぇ」  受話器を置いて、男の居る部屋に入ると甘い香りがした。  普段は襖で仕切られた三間続きの和室が今は全てあけ放たれて、内障子も同様に開かれている。  十九時とはいえ、七月の空はまだ明るい。  廊下に添う様に設置された大きなはめ込み式の窓からは、色彩豊かな庭園が一望できた。  なだらかな小山に部分的な石組をし苔、灯籠に池と言った日本庭園の要素は取り入れているが、自然美を表す古き良き日本庭園では有りえないだろう色彩の数。  日本風庭園と称するのが正しいだろう。  剪定を終え丸く整えられた綴路の木々に、勾配の緩やかな築山に添い咲き乱れた紫陽花。  花の時期を終え色褪せていく藍色の下で豊かに色を変えていくランタナ。  水分を失い萎みかけても尚、鮮やかに咲きこぼれた凌霄花が灯籠の側にかかる様にして風に揺れる。  伝統美に固執しているわけではない。  変わりゆく四季に緩やかに染まる日本庭園と違い、季節ごとに競う様に花が咲くこの庭園も美しいことには違いない。  しかし長年暮らしていた自宅の庭園を思い出せば若干華美である気もする。  庭園の鮮やかさに、若狭の纏う白藍色の上布が淡く浮き出て見える。  薄物特有の透け感が、涼し気だ。  端正な姿と背負う草花が絵葉書の様に視界に収まる。 「きっと甘えているのでしょう」  静かに微笑んだまま、広縁に置かれたダークブラウンの藤製のダイニングセットに茶を置き、錦に座る様に促した。  硝子天板の上に置かれた陶器の一輪挿しに梔子が生けてある。  これが先程錦の鼻を掠めた芳香の正体だ。  柔らかな風は入り、花の香りとそして澄んだ水の音に錦はほうっと息を吐いた。  この場所だけは窓の開閉が出来る。  庭園に作られた築山の端、この広縁に寄せて造られた蹲を楽しむためだ。  竹の筧から水が滴り、石を打つ音が響く。  鹿威しの音と、手水鉢に溜まる水滴の残響――そして地中に埋められた甕に反響する水音――耳を澄まさねば、聞き逃してしまいそうな微かに聞こえる水琴窟の音。  邸宅は本家側が用意したものだが、この蹲は若狭が後程付け加えて設置したものだ。 「久しぶりに七日が休日なので一緒にどこかへ出かけようと思っていたのですが、予定でも入りましたか」 「海輝義兄様に誘われました」  

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