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四話:『寂しくないなんて嘘だ』
海輝は大学生だったころ、掛け持ちで家庭教師と塾講師のアルバイトを一年ほど続けていた。
若狭によれば、大学二年の半ばで幹部候補としての推薦を受け、朝比奈グループ経営陣の元で仕事をしていたらしい。
本業は学生なのでアルバイトと言う立場だが、実際の仕事内容までがその範囲内だったとは甚だ疑わしい。
事実彼は経営の中枢に食い込む機密性の高い案件の数々を手掛けていた。
そして今年の春にまで続いた大型プロジェクトチームに参加したことは若狭を通し耳にした。
流石に詳細は伏せられたが、その内容を聞いた時は正直肝を潰つぶしたものだ。
社会人経験が未熟であり、学生から新卒と呼ばれる時期を跨った彼に委ねられた仕事が、五年程前から業績悪化が続き、利益どころか負債が増え続けた物件の再建だった。
ありえない。
正気とは思えなかった。
業績悪化の年月を考えれば、もっと早い段階で経営陣が手を打つのではないか。
それを、アルバイト時期を含めてたった二年程朝比奈グループに身を置いた彼にその運命を背負わせたのだ。
――社内には派閥もある。
年若い幹部候補生を目障りだと感じる人間だって多い。
それこそ生まれた瞬間から後継者争いの盤上に乗せられた連中からすれば、流星のごとく現れた彼は目の上の瘤なのだ。
元々閉設予定の物件だったのだ。
仮に失敗した場合でも、上層部からすれば痛くもかゆくもない。
何方に転がっても良いのは裏側の話であり、表向きはそうもいかない。
建前や大義名分はある。
責任は誰かが取らねば、示しがつかない。
話を聞いただけでも、相当のプレッシャーを感じた。
唇を震わせた錦に若狭はくつくつと笑いながら「ハウスメーカー、建設会社、不動産の三件。失敗しようと成功しようと何方でも良い。ただのいびりですよ」ととても楽しげに語った。
連絡が取れない事などより、体が心配だった。
海輝は自己管理は完璧だろうから大丈夫だと言い聞かせても、近況が不明なので若狭の情報だけが支えだった。
水面下で進めていた朝比奈グループのハウスメーカーが事業主となり手掛ける、ラグジュアリーランクの外資系ホテルの建設プロジェクトを卒業と同時に立ち上げて、同時に宿泊施設の設備が遅れている地方の開発に尽力し、ホテル業界のリーデイングカンパニーであるバイロン社と提携しお荷物扱いの物件の利益の獲得を確実な物へと導いた。
朝比奈の事業を手伝っていた学生時代からすでに頭角を現し、本来は新卒と言われる年齢には知能顧問と絶讃を博し、幹部候補入りラインを軽々と越して見せたと、若狭は我が子の成長を見る様に錦に聞かせた。
長年交渉難とされていた、インターナショナルブランドホテルを保有するまでの手腕は拍手喝采ものだ。
激務を耐え抜く肉体の強靭さ重圧をものともしない精神力ともさることながら、フットワークの軽さと交渉力は見事な物だと舌を巻いた。
彼の成長が楽しみだと微笑んだ。
この男のお墨付きならば海輝は本物なのだろう。
これからもっと飛躍して、朝比奈になくてはならない人物になるのだ。
祝福する気持ちが湧き、朝比奈の荒波を力強く泳ぐ姿に安堵した。
彼はきっと、何処にいても思う様に生きていける。
そして何だかおいて行かれたような気分になる。
彼は、天に向かい高く伸びていく竹の様だ。
その姿に寂寥を感じること自体が間違っている。
彼の行く先を阻んで良いはずがない。
海輝の邪魔をするのはいけない事だ。
だから、無理矢理時間を作らせるのがいやだった。
学生と社会人では生活リズムも時間の流れも違う。
今までの様に自由を満喫できる時間も減っていくのだ。
会いたくない何てそんなことある筈はない。
寂しくないなんて嘘だ。
しかし 離れていても恋人であることは変わりないのだから、不安に思う必要はない。
側に居なくても平気なはずなのだ。
海輝は恋人だからと言うが、だからこそそれを義務にしてほしくない。
恋人だからこそ、離れていても平気だと信頼があるのだから大丈夫なのだと――そう言いたかった。
幼かった時の様に、与えられるばかりの子供のままで居たくは無かった。
対等の立場で居たい。
だから、俺の判断は間違っていない。
錦の気持ちは変わらない。
海輝と会うつもりはないのだ。
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