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五話:『不安が膨らむ』

七月六日金曜日。  毎正時を知らせるオルゴール音に続く時打ち音を聞いてから、十分が経過した。  現在十九時十分。  苛立ちよりも心配と焦りが先立つ。  高さ二メートルを超す紫檀のホールクロックは、たわわに実る果実と蔦が繊細に彫り込まれている。  この邸宅に移り住む際、若狭の為に朝比奈家当主が家具全てを特別注文したとも聞く。  時計も例外なくドイツの老舗時計店で造らせたものだ。  数百年受け継がれてきた伝統香る造りとデザインは時計としての機能だけではなく、芸術品としてもまたとない逸品らしい。  毎正時を知らせるときはオルゴールのメロディに時打ち音を順に鳴らせ、三十分ごとに時刻を知らせるときは短く棒鈴を打つ仕組みだ。  次になるのは棒鈴の音だ。  ――十九時二十分を過ぎた。  文字盤を見上げて再度目の前の皿を見下ろし、箸を動かすが口に運ぶまでが酷く億劫に感じる。 「冬瓜は水晶煮が好みだと思いましたが吉野煮のほうが良かったですか?」  視線をあげれば「それとも、スープが良かった?」と向かいの席で食事をしていた若狭が優雅に微笑みかけてくる。  百緑色の着流し姿で今日は眼鏡をかけている。  端正な容姿は手元に箸がなければ、蝋人形かと勘違いしそうだ。  淡い照明の下で見ると無機質さが一層際立つ。 「食欲がない? それとも口に合いませんか?」 「いえ問題ありません。とても美味しいです」  食事はほとんど進んでいない。  少量ではあるが綺麗に盛り付けた料理は形を保ったまま皿の上に残されている。 「体調が優れませんか?」 「いえ問題ありません」  若狭の皿は使用人により次々とさげられていくが、錦の目の前には料理の乗る皿が増えるばかりだ。  義務的に箸をすすめながらも時計の針が進むたび不安が膨らむ。  食欲など出る筈もない。  ――弟の更紗が帰宅しないのだ。

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