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『蜂の巣をつついたような騒ぎ』

「錦様っご無事ですか」  名前を呼ばれ、ゆるゆると顔をあげる。  シートベルトを外しヘルメットを取り、錦に痛むところがないか聞いてくる。 「首や背中に痛みは?お体に違和感は?」  平気だと返し、佐々木を押しのけて車から出ようとするが、生まれたての仔馬の様に上手く立つ事が出来ない。  腰を浮かしたのは良いが、結局は片足だけ床に降ろしたまま助手席に逆戻りする。  なんだか、吐気もする。  佐々木が運転席に向かい「若狭様、お怪我は?」と声を掛ける。 「運転するだけなのに怪我等するわけないでしょう」  役割を終えて、萎んだサイドエアバッグとカーテンエアバッグを広げていた若狭が呆れたように返す。  眼鏡がどこかに素っ飛んでいるが、本人に気にした様子はない。 「しかし、エアバッグとは直ぐに萎むのですね。つまらない」  何だか残念そうだ。 「開いたままだと二次災害を引き起こす可能性がありますからね」 「俺はエアバックの感触など一生経験したくなかった」  佐々木はぐったりとした錦を心配そうにのぞき込み、遠慮がちに背を擦る。  悲鳴や何かを叫ぶ声。  怒号。 遠巻きにこちらを見る女性客。 スーツ姿の外国人グループ、フロントデスクが随分と騒がしそうだ。  徐々に――夢から醒めたかのように――停止していた思考が再開する。  猛スピードで周囲の状況が視覚、聴覚から飛び込んできた。  蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。  ホテルマンがこちらに向かい走ってくる。 「錦様。無理に立たれぬ方が宜しいでしょう」 「三半規管が弱いんですかね」 「先生の運転が余りにも酷いからです。それより、誰も巻き込まれていないのか? 怪我人は」  未だ震えの止らぬ膝を叱咤し、開いた車のドアを支えに立ち上がる。  立ちくらみがして目がちかちかする。  顔を上げて、ロビーをざっと確認し再度眩暈に襲われる。  大理石の支柱にぶつかり、食い込んだようにして止った車。  手折られ千切れ潰されて無残な姿となった百合が、ボンネットにフロントガラスにルーフにと、瑞々しさを残したまま散らばっている。  残骸となり果てたインテリアやエントランスドアの破片。  目を覆うばかりの惨状だ。  そこに、巻き込まれた誰かが加わっていた可能性もあったのだ。  ――恐ろしさに身の毛がよだつ。

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