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『悪い事をしたくなる』

「肌が冷たいな。部屋に着いたらシャワー浴びようか」  錦の肩を抱き寄せて受付を通さずにそのままエレベーターホールまで移動する。  海輝の表情はいつも通り穏やかなものだが、肩を抱く手に力がこもる。 「すまなかった」 「君が謝る事じゃないよ。怪我人も幸いにしていない。ドアは契約している工務店に修繕依頼をしてる。 君が憂える事は何もない。だから、この話はもうおしまい」 「――手にこもる力加減が何時もと違う。怒りか恐れのどちらに分類する?」  肩から手を外される。  海輝は困ったように笑う。 「怒らないのか」 「怒る要素なんてない。――君が無事かどうかだけだ」  海輝が真っ先に錦の心配をするから余計に苦しくなる。 「真っ先に言うべきことだったのに、自分の事ばかりで、どうかしていた」  どうかしている。  海輝の怒りを買う不安が有ったから口を閉ざしたのではない。  誤魔化そうとする方がまともだろう。  気を失って眠ってその後、海輝会いに行くときには――我ながら驚くべきことに――既に事故の事など頭になかった。  目が覚めた時は、一時間程度前の出来事だった筈だ。海輝に会う事以外頭になかったのだ。  口では何といおうとも、罪悪感が無かったと言う証拠だ。  許される筈はない。 「頭が可笑しくなったのかも知れない。やはりお前は俺を怒っても良い筈だ。その権利がある」  君は相変わらず真面目過ぎる。そう海輝はおおらかに笑う。 「損壊に関しては本当に怒ってない。責任があるなら若狭さん達だろう? 謝罪なら彼がすべきことで、君がする事じゃない。何方かと言えば、今すぐ抱きしめたいくらいに安心してる」 「抱きしめないのか」 「人目があるから君が嫌がると思って」  エレベーターホールには時間が時間だからか移動客がいない。 「エレベーターの中なら良い?」 「……許可なんか得なくても良い」  すると彼は噴き出す。 「勝手に抱っこしたら怒るじゃん。本当、可愛いんだから」  恐る恐る海輝の方に手を伸ばし、小指を握る。  視線が絡み慌てて目をそらす。 「手なら繋いでも良いぞ。頭も撫でたければ撫でても良い。撫でたそうな顔をしてる、撫でろ今すぐ撫でろ」 「罪悪感で許容範囲が広がってるなら危険だな。付け込みたくなる」 「付け込まれているとは思わない。お前には俺に触れる権利がある」 「悪い事をしたくなるな」 「どんなことだ。してみてくれ」 「君ねぇ」 「俺が良いと言ってるんだから、すれば良い」  首を傾げ頭を差し出すと海輝は笑い、錦の髪を撫で頭を抱きしめた。 「困るな。何でも許したくなる」  許したくなる、つまりは許せない事があると言う事なのだ。  口では怒っていないと言いながらも、やはり怒ってるのだろう。 「悪かったとは思ってる」 「本当に怒ってない、って言っただろ? 僕が気にしてるのは、此処に来るまでの君の態度と言葉の意味だ」  乗り込んだエレベーターのドアが閉まると同時に、強く抱きしめられた。

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