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二十六話:『正真正銘のポンコツ』

一瞬、息が止った。  抱き寄せられて腕に閉じ込められる。  久々の温もりと香りに胸の内側が徐々に大きく波打つ。  触れ合う肌と香りに体はとっさに恍惚を拾い上げながらも、理性は警告音を確かに聞いた。  少しずつ大きくなる不穏な音に、胸がざわついた。  親愛の延長上であれば無邪気に喜んだが、残念な事に愛情故の抱擁とは違う。  緊張と不安の綯い交ぜになった海輝の腕を辿り慎重に背に手を回す。  首を仰け反る様にし、表情を垣間見る。  猫毛に隠れた瞳を見て、いやでも気付いてしまった。  ――最悪だ。  失敗した。  よりによって海輝相手に失敗した。  どうしよう、どうすれば良い。  海輝の表情を曇らせた。  彼を笑わすには、どうしたら良い。  時間は巻き戻せない。  失敗を無かったことには出来ない。  ならば挽回をせねば。  何とかして埋め合わせなくてはならない。  平常心を保つように瞼を閉ざし十秒数え開く。 「――何がいけなかった」 「何がいけないだって?」  何てことだ。  決意をして一分も経たぬ内に失敗を重ねたことを悟る。  我ながら有り得ない。  失望以外の何物でもない。 「すまない。こういう物言いしかできなくて悪かった。教えてくれ。何が気に障った? 異論があるんだろう? 不快にした理由が知りたい」  お前の気持ちが知りたい。  願う様に言葉を続ける。  海輝の手が緩むのを感じて、引き戻すように額を肩に押し付ける。  手放されると不安になった。  海輝の言葉を待ちながら、その肩越しに視線は宙を彷徨う。  エレベーターは静かに上昇し続け気付けば操作盤の数字は三十階を示している。  二人きりの空間に重い空気が漂う。  原因は如何考えても錦だという自覚はある。  自覚はあるが、選び抜いた言葉に問題は無かったと信じたい。  しかし望まぬ方向へ事態が向かっているならば、確実に問題が有った筈だ。  つまり結論から言えば、問題に気付けない事が問題なのだ。  その瞬間自己評価として、馬鹿阿呆間抜けカスクズボケ低能愚図愚鈍愚者等の罵詈があっという間に並んだ。  そして顔には出さないが少し落ち込む。  ――思う様に行かない。  なぜ好きだと言う感情だけでは、こうも上手くいかないのだろうか。  恋愛が絡めば、正真正銘のポンコツになる。    

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