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『世界に一人しかいない』

「何を悩んでいるのか言えない?」  知られたくない、どうか気付かないで欲しいと切に願っていた。  稚拙な意地を疑いもせず受け入れてくれと都合よく考えていたのに。  悩みなどないと突き放す事は出来なかった。  これ以上意地を張っても意味がないと分かり切っていた。  海輝は何に悩んでいるか、恐らく気がついて居る。  隠そうとするのが無意味だと思う程に、容易に彼は人の心を見透かす。  それこそ魔法の様に、鍵を使わずに次々と扉を開いて、錦ですら気が付けない心の奥底まで入り込んでくる。  何故そこまで人の心が分かるのかと不思議でたまらなかったが、何てことはない。  鋭い洞察力と優れた観察力を兼ね備えた彼だからこそ、手に取る様に人の心を予測できたのだ。  コールドリーディングを得意とする彼ならではの話術にすぎない。  当然、最初から錦の誤魔化しなど通用しない。  ゆさぶりをかけてこない所を見れば、錦の意思で閉ざした口を開かせようとしている。  その気になれば、錦が望むと望まざるとに関わらず、海輝の思う様に秘密を暴くことだって出来るのに。  錦から言葉を引き出そうとするのは、彼なりの優しさなのだ。  出逢って間もない頃は、弁の立つ彼に幾度となくやり込められた。  今でも事細かに覚えている。  自分自身の事ですら突き放した態度の錦を、じっと透き通る眼差しで見据えていた。  頑なに心を閉ざす錦を優しくあやしながら、麻痺した感情を引き戻す為に時には隠し持つ感情の芽を目ざとく見つけては掘り返し、摘まみあげる容赦の無さを見せた。  踏みつけられ潰され、体温を失った心に熱を灯し崩壊し続けた錦を何度も掬い上げた。  痛くて苦しいと思う事が増えたけれど、それは当たり前の感覚なのだと頬を包んだ手の温かさが蘇る。  失った自尊心をかき集め修復をし続けた時期を終え、やがて指を絡めて歩く季節を迎えた時には、強引に心をかき回した冷徹さはなりを潜めた。  今はただ錦が境界線を越えるのを待つ。  錦自身が距離を縮める事を、両手を広げ待つ優しさを無下にする事など出来ない。  錦の為に此処まで心を砕いた男は、世界に一人しかいない。  足を踏み出さなくては不誠実だろう。  それでも、やはり。  意気地なしなので曝け出すことが困難な部分があるのだ。

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