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『視線一つで動けなくなる』
目をそらす機会を失くした事か、言葉が途切れた事か。
細い針で突き刺しその場に押しとどめる様に、視線一つで動けなくなる。
標本の蝶になった気分だ。
互いに魅せられたように言葉なく見つめ合う。
伸びて来た手が頬を撫で髪をすいて後頭部を包む。
吸い寄せられ海輝との距離が縮まった。
ゆらゆらと揺蕩う水面を見つめるように、瞳を覗き込んでいると吐息が絡んだ。
睫が触れる距離になり――自然と瞳を閉じる。
閉ざした瞼に、ふわりと柔らかな感触がする。心地良さに、知らず詰めていた息がほどけた。
いま、錦の肌に触れているのは海輝の唇だ。
瞼に留まる温もりの正体を認めれば、声にならない程に小さく「あぁ」っと恍惚とした息が零れた。
大きな両手が頬を包み、そして耳を塞ぐ。
瞼に触れていた温もりが、頬へと移るのをうっとりとした表情で待った。
額に、頬に、鼻筋、頤へと緩やかに滑る唇が最後に一度も触れなかった場所に降りてくる。
淡く唇を開き、震えた吐息を温かな唇が優しく掬い上げる。
耳朶から髪を梳いて後頭部に置かれた海輝の手が、項を支え直し頤を上向けると触れる時間が少しずつ長くなった。
何度も角度を変えて、繰り返される口付にくらくらした。
緊張していた体の力が徐々に抜けてきた頃には、意識が収縮し部屋の様子や時間、水槽の魚の事などが全て零れ落ちていく。
最終的に海輝の体温と唇の柔らかさだけが、錦の中に留まり世界は閉ざされる。
鼓動は激しさを増して、頭は朦朧とし始める。
意識は保っているのに、宙を浮いている様な不思議な感覚に包まれて海輝の唇に全てを委ねた。
――海輝。
ほうっと溜めた息を吐き、名前を呼んだ。
驚くほどの甘い声に、海輝がかすれた声で名前を返す。
海輝、もっと。
囁きは吐息と共に奪われた。
抱きしめられた時、剥き出しの腕が触れ合う。
調節されたエアコンディションの中で心地良い冷気に晒されているのに、驚くほど肌は熱い。
錦が熱さを感じているならそれは恐らく海輝の熱量だ。
合せるだけの淡い物なのに、ドロドロに内から溶け出しそうになる。
彼の体温が錦に移ったのか錦の体温が上がったのかは分からない。
互いの体温が等しくなり、肌の熱さを感じなくなる頃には、このまま溶けあえるのではないかと言う錯覚に陥った。
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