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『形が無くなる程に溶けてしまえたら』

 (ほど)けて崩れて。  形が無くなる程に溶けてしまえたら彼と一つになれるのではないか。  そう出来たなら、どんなに幸せだろう。  喘ぎに似た吐息が漏れ、夢心地で海輝の名前を呼ぶ。  このまま溶けてしまいたい。 「錦」  壊れ物のようにそっと抱きしめられ、頬に頬を擦り付ける。  触れるだけの柔らかさに閉ざした視界の中、停滞した空気が動く。  胸元に抱いたボトルの水が、タプリと音を鳴らして揺れた。  表層を撫でる柔らかな体温がすっと錦から引く。  つい先ほどまで満ちていた温もりを感じる事が出来ず、不思議な気持ちで瞳を開けると照明を背後に海輝がじっと錦の顔を覗き込んでいた。  仰ぎ見た表情はぐっと何かを堪えていた。 「海輝?」  視線が交差したのは一瞬で海輝はすぐに腕を緩め錦を解放した。  どこか茫然とした面持ちで見上げれば、彼は何事も無かったかのように二本目に選んだスポーツドリンクを手に取る。 「錦君、水分補給したらもう休んだ方が良いね。疲れただろ」 「目は冴えている」 「体調崩したら大変だ。それ飲んで少し休んだらシャワー浴びておいで」  海輝はさっとソファから立ち上がり、錦の荷物を取り上げた。  向けられた背を見ながら、触れ合った腕に手を這わせる。  温ぬるい肌にはすでに彼の痕跡は消え失せている。  逆光の中で覗き込んだ彼の瞳を思い返す。  欲しがりながらも堪えたその表情。  自らを律し鞭うつ姿は、肉を前に歯を剥き涎を垂らしながら耐える虎を思わせた。  手を伸ばせば良いのに。  彼の脳裏に一瞬でも、繰り返した口付けの続きが浮かばなかったのだろうか。

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