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第6話 ②
「和泉、今日どうする?」
廊下で偶然会った四賀が笑って聞いてきた。今は爽やかモードの四賀だ。
「どうするって・・部活の後の話か?」
こちらもクールモードの宝で返す。
「そう!来週からテスト期間に入るだろ?だから今日は部活延長申請して少し遅くまでやっていきたいなと思って」
「あぁ、そうか、もうすぐ期末か・・」
忘れてた!!!
雨ばかり降るなーなんて呑気に思っていたが梅雨の季節だったのだ。
そしてそれはもうすぐ期末テストの時期であることも意味している。
「じゃぁ、俺も延長申請する」
「おっ!やった!じゃぁ俺から部長に言っておくよ!」
四賀はそう言うと、ヒラリと手を振って爽やかに去って行った。
付き合う事になったのが先週の話。
あの日から四賀の態度はたいして変わっていない。
違う事と言えば、何かをする時に必ず宝はどうするか聞いてくるようになった。
そのため一緒にいる機会は格段に多くなったが、しかし手を繋ぐわけでもキスをするわけでもない。
これは、友達と何が違うのだろうか?
そんな事を宝は悶々と考えていた。
「じゃぁ鍵当番よろしくな」
部長の福永はそう言うと、部室の鍵を四賀に預け飛び出すように部室を後にした。
今日は結局、宝と四賀そして福永が延長届けを提出し、普段より一時間長く部活動を行った。
来週からはテスト期間に入るため二週間部活動は禁止される。
福永は帰りのバスの時間がギリギリらしく、急いで帰って行った。
宝はまだ部活着の上を着たままの状態だ。
「和泉、おっそいなー。早く着替えろよ!」
四賀はすでに制服のシャツに袖を通しボタンを留めているところだった。
「あっ、ごめん!」
宝は慌ててバサッと汗で湿った部活着を脱いだ。
「・・・お前、背中に沢山ほくろあるんだな?」
宝の背中を見つめて四賀がボソッと呟く。
「へ??」
宝はなんの事だか分からず呆けた声を出した。
「ここと、ここ。あとほら、脇の少し下にも」
そう言って四賀がツツッと宝の背中を指で押してつついた。
「うっ・・!ひゃぁ?!」
突然の刺激に宝は甲高い声をあげる。
「?!ちょ、お前変な声出すなよ?!」
「べ、別に出したくて出したわけじゃ!四賀が急に触るからいけないんだろ?!」
宝は顔を真っ赤にしながら四賀へ抗議した。
「・・悪かったよ・・ほら、早く服着て帰ろうぜ」
「・・あぁ」
四賀はバツが悪そうに視線を宝から外した。
宝も急いでシャツに袖を通す。
「・・・」
静かな沈黙がしばし部室に流れた。
(今のこの状況、普通の男女のカップルだったらヤバいやつでは?!!)
宝は急いでボタンを留めながらも、混乱する頭で考えた。
(だってそうだよな?!俺今半裸だったじゃん?!半裸の恋人と二人きりって!?)
宝はチラリと四賀の方を見た。
四賀はスマホを操作しながら画面をじっと見つめている。
それは普段のツンと澄ました四賀の横顔だった。
何かを意識しているような様子はない。
はぁ・・
宝は四賀に気づかれないくらいの小さなため息をついた。
(結局、俺達は普通の友達と何が違うのだろう。四賀は友達じゃ足りないから、恋人になろうと言ったけど、これならただの仲の良い『友達』と変わらないじゃないか。それとも、俺にはそういう魅力が足りないから、恋人らしい雰囲気になれないだけなのだろうか・・)
宝は無意識に自身の拳を握りしめた。
そしてロッカーを勢いよくバンと閉めると、意を決して口を開いた。
「あ、あのさ、四賀・・キス、する?」
「・・え?」
四賀は一瞬何を言われたの分からなかったような様子で、スマホから目を上げる。
「・・あっ、だから、その、俺達あの日からキスとかしてないし!恋人になったのに、全然恋人らしいことしてないじゃん!?!だからさ!やっぱり恋人って言ったらキスかなって?!」
宝は恥ずかしさのあまり早口で一気にまくしたてた。
「・・・」
四賀は口をぽかんと開けたまま宝を見つめている。
(はっ、外したー!!!)
宝は顔を真っ赤にすると下を向いて唇を噛んだ。
(俺バカなこと言った!!キスってしようかって言ってするもんじゃないよな?!多分そういう雰囲気になったら自然とするもんだよな?!あぁ〜俺のバカー!!)
宝が肩を震えさせながら後悔していると、ふいにクイっと優しく腕を引かれた。
ハッとして顔を上げると、四賀の真剣な表情が目に入ってくる。
一瞬、宝が息を呑んだのと同時にソッと軽く触れるくらいに四賀の唇が宝の唇をなぞった。
「・・・!!」
宝は口を固く閉じたまま目を大きく見開く。
「・・お前、自分からキスする?って聞いておきながら固まってどうするんだよ」
四賀はギリギリ触れるか触れないかの距離で、両手で宝の顔を覆いながら見つめて言った。
「ほら、口開けろよ」
「へ・・?」
そう言って宝が情けない声をあげたのと同時に、ぬるりと口内に生暖かな刺激が広がる。
「ふ・・?!う・・ぅん・・」
(な、何これ・・?!キスってこういうものだっけ?!)
宝はどうしていいか分からず、口の中に入ってきた四賀の舌の動きをなぞるように自らの舌を動かしていく。
しかしそれが合っているのかはよくわからない。
ただ何もしないのは負けたような気がして悔しかった。
閉じることのできない唇の端で小さく息を吐く。
宝は縋るように四賀の腕を強く握りしめ、初めての感触に身を任せるしかなかった。
時間にしたら30秒くらいだっただろうか。
四賀は自由に宝の口内を犯した後、ゆっくりと唇を離して口の端を上げて笑った。
「和泉、お前こういうキスも初めて?」
宝は肩で息をしながら口を手でキュッと拭う。
「当たり前だろ!!!キス自体お前が初めてだよ!」
宝は顔を真っ赤にして答えた。
「あっ、そうだったんだ。そりゃ思い出になるな」
四賀はケラケラと機嫌よく笑い、帰り支度を始める。
宝もそんな四賀の様子を見ならって、ぎこちなくも帰る準備を始めた。
「お前、こんなことで固まってたらその先どうするんだよ?」
四賀はスマホをスラックスのポケットにしまいながら聞いた。
「・・その先って?」
宝は鞄を肩にかけながらキョトンとした顔で四賀の顔を見る。なんの話だか皆目検討もついていない顔だ。
「そりゃ、その先って言ったらセックスしかないだろ?」
「せっ!!!!?」
「だって、俺達恋人同士だろ?するよな、普通?」
「・・っ〜・・」
宝は今まで自分の世界とは全く無関係だった単語が出てきて、なんと言って良いのか分からず口をパクパクさせた。
(せっ・・えっ、エッチってことだよな?!えっ、そうか。えっ?!俺と四賀が?!するの?!エッチ?!)
「あははっ!なんて顔してんだよ和泉!」
四賀は大声で笑いながら宝の肩をポンと叩いた。
「心配するなよ!お前の準備が出来るまで急がないからさ」
「えっ・・」
「和泉、経験なさそうだもんなぁ。俺だってそんな風に固まられたらどうやって進んだらいいのかわからないし、やりたいっていう気持ちにはならねーよ」
「お、俺!別に・・大丈夫・・」
「いやいや、大丈夫じゃないだろ?別に焦ることじゃないし。ほら、それよりもう帰ろうぜ。このままだと電車乗り遅れるぞ」
四賀はそう言うと部室の鍵を宝に見せてドアへ向かった。
宝も慌てて四賀の後ろについて行く。
「鍵、職員室に持っていくからお前はここで待ってろよ」
「あぁ、ありがと・・」
宝は校門の横でじっと下を見つめながら先程の四賀の言葉を思い出した。
(『やりたいっていう気持ちにはならねーよ』か・・
確かに・・全く予想していなかったことだから、心の準備とかは出来てないけど・・じゃぁ、どうすれば四賀はそういう気持ちになるんだ?俺がもっと積極的になればいいのか?)
宝は改めて付き合うとはどういうことかを考えた。
一緒に帰ったり遊んだりご飯を食べたりと言うのは友達でも出来る。
だからつまり、恋人でいるためにはそれ以上のことをするのだろう。
逆を言えば、それ以上のことができなかったら恋人ではいられないかもしれない。
このまま、四賀がやりたいと思えなかったから、元に戻ろうと言われるのではないだろうか・・
その考えが脳裏をよぎった瞬間、宝は無意識に頭をぶんぶんと横に振り回した。
「いやだ・・四賀の特別でいたい・・」
呟くように独り言をこぼしたその時、遠くから四賀の声が聞こえてきた。
自分の名前を呼ばれたのかと思い宝は笑顔で上を向く。
しかし目の前に飛び込んできたのは四賀一人の姿ではなかった。
真っ直ぐ綺麗な姿勢で歩く三角とその隣を不貞腐れたような顔でついてくる四賀。
三角が何かを微笑みながら言っている。
それに対して四賀は子どもっぽい表情を見せながら反論しているようだった。
あんな四賀の顔、見たことないな・・
一雫の墨がポトリと落とされたように、胸に薄暗い物が広がるのを宝は感じた。
「あれ?こんにちわ!」
そんな宝の様子には何も気付かず、三角が爽やかな笑顔を向けて挨拶してくる。
「・・こんにちわ」
「こんな遅くまで部活お疲れ様!和泉君は家どこなの?電車通学?」
「H市の方です。電車で通ってます」
「H市か!俺達と同じくらい遠くから通ってるんだね」
三角はそう言うと同意を求めるように四賀の方へ視線を向ける。
「・・・」
(四賀と三角先輩は家近いのかな。従兄弟同士だからそりゃそうかもな・・)
「部活はどう?大成が何かわがまま言って迷惑かけてない?」
三角は肘でコツンと隣いる四賀の腕をこづいた。
「は?!何言ってるんだよお前!」
四賀は眉間に皺を寄せて三角を見つめる。
「何って本当のことでしょ?大成はすぐ自分の主張を押し付けてくるから。それが正しくても相手の主張もちゃんと聞くようにしないと」
「あ、あのなぁ!」
四賀が顔を赤くして三角の肩を掴もうとした時だった。
「あの・・!四賀にはすごく助けられています。迷惑なんてしてません」
宝は二人のやりとりを見ていたくなくて、割って入るように言った。
そして無意識に鋭い視線を三角に送る。
三角は長めの睫毛に隠された綺麗な瞳を丸くさせると、フッと柔らかく笑った。
「そうなんだ、大成がうまくやってるならよかった。和泉君、これからも大成をよろしくね。わがままなところもあるけど曲がったことは嫌いな真っ直ぐな子だから」
「おい!子ってなんだよ!俺はお前の子どもかよ!」
四賀がグイッと三角の腕を引く。
「そんなもんでしょ?」
三角は悪戯そうな視線で四賀を覗き込んだ。
四賀は顔を赤らめながらバツが悪そうにチッと舌打ちをする。
「・・・」
その様子を宝はただ黙って見ているだけしか出来なかった。
(あんな四賀、見たことない。子どもっぽくて余裕がなくて。でも決して嫌そうではない。俺といる時よりずっと自然に感情を出してる。多分きっと、お互いをよく理解しあってるから思ってることを言い合えるんだ)
「とにかく、樹はあんまり俺を馬鹿にしたようなこと言うなよな!」
四賀がゴホンと咳払いをして言う。
「それより和泉、待たせて悪かったな、帰ろうぜ。こいつも一緒だけどいいか?俺と同じ電車なんだ」
そう言って親指で三角を指さす。
「ご一緒していいかな?和泉君」
三角はニコリと首を傾げた。
「あ・・・はい」
宝は喉に詰まった声を絞り出すようにして答えた。
本音は決して出せない。
断る理由などないのだから。
それから三人は何気ない会話をしながら駅へと向かった。
これからの高校での行事について三角が色々説明してくれる。
一番道路沿いを四賀が歩き、その隣に三角、そして歩道側を宝が歩いた。
三角の細い肩が時々四賀にぶつかる。
三人で歩くにはこの道は狭い気がして宝は少し後ろに下がった。
しかし、三角の肩はやはり四賀の腕にたびたびぶつかり続ける。
四賀も特に気にする様子はない。
(この距離が、四賀と三角先輩の普通なのかもしれない・・)
宝は先程胸に広がった薄墨の色が、さらに色濃くなっていくのを感じた。
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