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第9話 ①
『完路』という名前をつけたのは父だと母が言っていた。
自分の路(みち)をちゃんとまっとうするような人間になれ。
そんな意味でつけたのだと・・
その言葉を、あの日まで俺はずっと信じてきた。
完路の物心がつく頃には、すでに父親はあまり家には居なかった。
しかし、完路はこの話を聞いていたのであまり寂しくは感じなかった。
父は父の道をまっとうするために頑張っているのだ。
だから家に居ないのは仕方がない。
そう思っていた。
完路の母と父が出会ったのはドラマの撮影現場。
父親は若手俳優として人気が出始めた頃でドラマへの出演が増えてきていた。
そんな撮影の現場で名のない通りすがりの通行人の役として立っていたのが母親だった。
彼女はモデルを夢見て高校卒業後上京し、小さな事務所に所属しながらアルバイトをかけ持ちしてなんとか暮らしていた。
彼が彼女に声をかけたのは偶然だった。
売り出し中の身としてあまり派手なことは出来ない立場だったが、それでも性欲の吐き出しとして女性と関係を持ちたかったのだろう。
芸能界でほとんど名の知られていない彼女は、スキャンダルとして取り上げられることのないちょうど良い相手だったのかもしれない。
付き合っているのかいないのか、曖昧な関係が数ヶ月続いたある日、彼女は完路を妊娠した。
その当時、このニュースは少しだが世間を賑わせた。
『若手俳優、槙野遼のおめでた婚』
まだまだ世間では若手という認識だった彼の、唐突な結婚発表。
その真相を暴こうと面白おかしく書かれる記事。
彼女は妊娠がわかってすぐ事務所をやめて『一般人』として生活し、その騒がしい噂話が止むのを静かに待った。
彼も結婚発表はしたものの、既婚である雰囲気は出さず役者の仕事に集中した。
彼も、彼の事務所も、俳優『槙野遼』のイメージを守るために必死だった。
完路が赤ん坊の頃は、彼も父親として仕事の合間をぬっては家に帰ってきていた。
しかし、それでも完路が覚えている一番古い記憶の父は、テレビ画面に写っている姿だ。
テレビに父が映るたびに、母が嬉しそうに「お父さんだよ」と言う。
完路もこの人がお父さんなのかと画面を真剣に見つめては「かっこいい!」と喜んだ。
そうすると母が笑ってくれるからだ。
父はその時すでに別のマンションの部屋を借りていて、仕事はそこから通っていた。
スケジュールが長く空いた時だけ完路達の家にやってくる。
父と外で遊ぶことはなかったが、家の中でゲームをしたりして過ごす。それが唯一の家族の時間だった。
しかし、そんな時間も完路が幼稚園を卒園する頃にはなくなり、父はまったく帰ってこなくなった。
『父と一緒に暮らせないのは世間の好奇の目から私達を守るため』母はそう言っていた。
しかし、完路がその言葉の意味を理解できるようになったのは小学生になってからだった。
「槙野君!」
「槙野!」
どちらかと言えば大人しく、引っ込み思案な性格の完路に、なぜだかクラスメイトがどんどんと寄ってくる。
そして決まって父親のことを聞かれた。
「槙野君のパパ今度どんなドラマ出るの?」
「お家ではどんな感じ?」
「あの女優さん会ったことある?」
完路はそうやって聞かれることに何も疑問に思わず、素直に答えていた。
みんな友達なのだから。
聞かれたら答えるのは当たり前だと思っていた。
「なぁ、槙野!一緒に遊ぼう」
そんな中で、父親のことは聞かずにいつも遊びに誘ってくれるクラスメイトがいた。
小学三年生の時、初めて同じクラスになった浅川という明るくハキハキとした少年。
浅川は何かと完路に声をかけては、いつも一緒に行動してくれた。
遠足の班決めも係りもなんでも一緒だった。
気がつくと家にもよく遊びに来るようになっていた。
「槙野!ゲームさせて」
浅川は小学校が終わるとランドセルを自分の家に置いてやってくる。
それから五時くらいまで完路の部屋で決まってゲームをして遊んだ。
そうやって家にくるようになって少し経った頃、浅川が言った。
「なぁなぁ槙野。槙野の小さい頃の写真とかないの?」
「あるよ。見る?」
「見せて見せて!」
浅川は特に仲の良い友達。
写真を見せてと言われたら断る理由はない。
その日は帰る時間になるまで、浅川はアルバムをマジマジと見つめていた。
「完路、写真いじった?」
母親からそう聞かれたのは浅川にアルバムを見せた数日後のことだった。
「・・アルバムはこの間見たけど・・」
「その時写真落とさなかった?何枚かなくなってるんだけど・・」
「え?」
「それも、お父さんが写ってる写真ばかり」
「・・・」
疑うつもりはなかった。
でも、一応確認だけしようと思った。
浅川を信じているから。だからこそ、確かめようと・・
ーー
「何?俺のこと泥棒だと思ってるの?」
浅川が不満気な顔で睨みつけてくる。
普段みせるニコニコとした表情との違いに怖くなり、完路は口籠もった。
「あ、あの・・盗んだとか・・じゃなくて・・」
「でも写真がなくなってるんだろ?それで俺に聞いてきたってことは疑ってるってことだろ?」
「それは・・その・・」
「・・・」
気まずい沈黙が流れる。
しかしその沈黙を破ったのは浅川の深いため息だった。
「ハァー・・なんか、もういいや」
「え・・?」
「槙野って、一緒にいてもつまんない」
浅川はそう言って気怠そうに自分の頭を掻く。
「芸能人の息子と友達だって自慢できるかなって思って仲良くしてたけど、お前とゲームやってもいまいち盛り上がらないし。お前の家遊びに行っても芸能人には会えないしさ」
「・・・」
「だからもういいや。じゃあな」
浅川はそう言って他のクラスメイトのところへ駆けて行った。
今まで、自分の父親が俳優であることを憎く思ったことはない。
もう何年もまともに顔を見ていないので、家族だと言う感覚すら薄らいでいる。
父はテレビの向こうの人間で同じ現実に生きているような気はしない。
しかしそれは彼の仕事であり、生き方だから。
俺の名前につけてくれたように、父は父の人生の道を歩んでいる。
自分と父は別の人間だ。
でも・・周りはそうは思ってくれない。
俺は『槙野完路』という人物である前に、『槙野遼の息子』なのだ。
浅川の一件があってから、完路はクラスメイトと話すのが怖くなった。
誰かに話しかけられても、彼らは自分を見てくれてはいない。
自分を通した先の父親を見ているのではと疑心暗鬼になってしまっていた。
そんな風にして学校の居心地が悪くなっていた頃。
完路の家族は突然終わった。
その日、完路がいつものように重たい気持ちで学校から家に帰ると、玄関に見慣れない靴があることに気が付いた。
大きな男性物の靴。
まさかと思い勢いよく玄関から居間へ入ると、そこには『槙野遼』が座っていた。
「あっ・・」
何と呼んでいいかわからなくて完路は言葉に詰まった。
もう長いこと、彼を『父さん』と呼んでいない。呼ぶ機会がなかったからだ。
完路が無言で立っていると、父は目を上から下へとやりながらマジマジと完路を見つめて言った。
「大きくなったな・・今何歳だ?」
「え・・あの、9歳」
「9歳。そうか、お前が生まれてそんなに経ったのか・・」
父は考えるようなそぶりでテーブルに出されたお茶を啜る。
ふと見ると母はテーブルの奥にあるキッチンでケーキを切っていた。
「完路、お父さんがケーキ買ってきてくれたから。手洗って食べなさい」
「・・うん」
そう答えると居間をでて洗面所へと向かった。
手を洗いながら、なぜ突然父が帰ってきたのか考える。
長い休みができたのか?
それとも俳優をやめる?
これからは家族みんなで暮らせるのかな・・
その時の完路は、悪い想像など何も思いつかなかった。
きっと嬉しい話が待っているはずだと思い、急ぎ足で居間へと戻った。
しかし、扉の前で聞こえてきた父の声により完路の手はドアノブを持つ前に固まった。
「離婚届、後はお前が書いてだしておいてくれよ」
その声は重く冷たく響いた。
「わかってるわ・・」
母の声も普段よりずっと低い。
「おい、そんな顔するなよ。約束だっただろ。ほとぼりが冷めたら離婚するって」
「わかってるってば・・」
「・・・子どもができたことは本当に悪かったと思ってるよ。だからちゃんと結婚はしたし公表もしただろ?」
「・・それは、後々バレて隠し子がいました、なんてなったらもっとイメージ悪くなるからでょ」
「ケジメをつける姿勢は大事だからだよ」
「どうだか。あなたの事務所は言ったのよ。産んで結婚する気なら、私はすぐ事務所をやめて静かに暮らせって。どうしてもあなたのイメージを崩したくなったのよね。私の母にまで電話をかけて、もし取材がきたら良く言うようにってお願いしたらしいじゃない」
「それは、お前だってこの世界に少しはいたからわかるだろ?事務所は俺のイメージを守らないとスポンサーからの契約違反になることだってある」
両親達の難しい話を、完路は静かにドアの向こう側で聞いていた。
内容はわかる部分とわからない部分あったが、二人が離婚すること、そして自分が望まれて産まれた子ではないことは理解できた。
無意識に足がガクガクと震えているのに気付いて、完路は壁にもたれかかった。
いつまでこの話を続けるのだろう。
もう、これ以上聞きたくない。
「しかし、完路大きくなったな」
ふと自分の名前が呼ばれ、完路は聞き耳を立てた。
「そうよ。私が育てたの!一人でね!あなたは父親らしいこと何一つしてない!」
母は興奮気味に話しているのか語尾が強くなる。
「名前をつけたのは俺だろ」
「ええ、そうね。『完路』はあなたがつけたのよね。なんて嫌味な名前をつけるんだろうと思ったわ・・」
「はは!気づいてたのか?」
「気づいてないと思ってたの?あなた、私が妊娠したって報告した時、何回も呟いたじゃない。『俺の俳優人生は終わった、俺の道は断たれた』って・・」
「そう。この子どもは俺の俳優としての道を終わらせる存在だって思ったんだよなぁ・・」
…!!
気がつくと、完路は家を飛び出していた。
自分でも驚くほど無意識だった。
あそこにいてはいけないと、気持ちより身体が先にそう感じたのかもしれない。
あのままあの人の話を聞いていたら、もう戻れなくなる。
そんな気がして、無意識に自分で自分の身を守ったのだ。
なんで、俺は生まれてきたのだろう。
父も、きっと母も俺を望んでなどいなかった。
俺だって、好きであの人の子どもに産まれたわけじゃないのに。
あいつの息子になんてなりたくなかった・・・
それから、あっという間に離婚が決まり完路達は母の実家に戻ることになった。
東京にいては何かと人の目がある。
マスコミだってどこにいるかわからない。
母親は完路がすんなり承諾したことに驚いていたが、深くは追求してこなかった。
『俳優、槙野遼の離婚』は小さくニュースになった。
しかし「仕事の多忙によるすれ違い」というごくありきたりな理由づけがされ、世間を賑わせることはなく『槙野遼』のイメージは守られた。
完路の苗字は『瀬野』という母親の旧名に変わった。
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