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第10話

「四賀君て、冷たいよね」 それは、一年ほど前に少しだけ付き合った彼女に言われた言葉だ。 部活をあんな形で辞めてから、受験に集中するために塾に入った。 そこで知り合った別の学校の女子生徒に告白されて付き合うことになったのは中学三年の秋。 好きだと言われたら悪い気はしないし、何より自分には彼女がいるのだと樹に知らしめたかった。 でも、そんな理由で付き合ったものだから彼女に対して特別な存在だという態度を示せなかった。 あっという間に彼女は別の男子生徒と仲良くしだした。彼女なりに気を引こうとしていたのだろう。 しかし、それを見ても嫉妬心などわかない。 彼女のことを『好き』ではなかったからだ。 その後、先程のセリフを言われて呆気なくフラれた。 自分が独占欲や嫉妬心をぶつける相手なんて、この先樹以外に現れるのだろうか・・ そんなことをあの時は思っていた。 ーーー 「大成、大成!!」 三角の珍しい大きな声で四賀はハッと我に帰った。 「・・え?」 気がつくと手に持っていたシャープペンシルの芯がポキポキと細かく折れている。 「大成ボーッとし過ぎ。勉強する気がないなら俺もう帰ろうか?」 三角は部屋の真ん中に置かれている大きな座卓の角をコンコンと指で叩いた。 三角との勉強会に選ばれたのは四賀の家の和室の部屋だった。 普段は来客用の部屋として使われているそこには大きな座卓があり、昔から親戚の子ども達の遊び部屋にもなっている。 四賀と三角の母親は近所でも評判の仲の良い姉妹だった。 四賀の母親が婿養子をとり四賀家を継ぐ形でそのまま実家に住むことになったが、三角の母親もこの土地から離れる気はなく、結婚後徒歩十五分ほどの距離に家を建てた。 歳の近い四賀と三角は兄弟同然のように育った。 小さい頃はほとんど毎日一緒に遊んでいたので、四賀は本当に三角のことを兄だと思っていた。 なぜ一緒に暮らさないのだろう? そんな疑問を持つほどだった。 その微妙な関係が、思春期を迎える頃に歪んだ感情を生む原因となったのだ。 四賀はチラリと三角を見つめた。 三角は本当に帰ろうとしているのか、筆箱にシャープペンシルや消しゴムをしまい始めている。 「ちょっと待てよ。勉強会しようって言ったのは樹だろ?」 四賀はそう言って三角の腕を掴んだ。 「なら集中したら?大成さっきからずっとボーッとしてるよ。何か気になることでもあるの?」 「・・・」 三角にそう聞かれ四賀は黙り込む。 『気になること』が何なのかはわかっている。 恋人がいるにも関わらず、一週間毎日他の男の家に行っているあいつのことだ。 「くそっ・・」 四賀は小さな声で呟いた。 「何?また何か嫌なことでもあったの?」 三角がずいっと四賀を覗き込んで聞いた。 「本当大成は短気っていうか・・自分の考えに合わない事があるとすぐイライラするよね」 「うるせぇな。わかった風な口きくなよ」 四賀は覗き込んでくる三角をキツく睨みつけた。 三角は睨まれることなど慣れっこといった様子で、小さくため息をつくと今度は微笑みながら言った。 「・・・で、聞いて欲しいことがあるなら聞くけど?」 「・・・っ!」 何もかも読まれているようで四賀は面白くない。 しかしこの悶々とした感情を一人では処理しきれないと感じ、四賀は意を決して話すことにした。 「・・普通、恋人がいたら他の男の家なんていかないよな・・?」 「・・・」 四賀からあまりにも予想していなかった質問を投げかけられ、三角は返事も忘れてキョトンとした顔で固まる。 四賀は三角のその鈍い反応に苛つきを感じて顔を赤くして睨んだ。 「おい、なんとか言えよ?!」 「あっ、ごめん。全然思ってもいなかったこと聞かれたからびっくりしちゃって・・」 三角はハハッと笑いながら答える。 そして改まってコホンと咳払いをすると柔らかく笑いながら聞いた。 「それで、大成いつの間に彼女できたの?」 「はっ!?」 「だって、この話って大成の話でしょ?大成の彼女さんに他に仲良しの男友達がいるってことなのかな?」 「そ、それは・・」 四賀は少しの間口籠もったが、開き直ったかのように続けた。 「ノーコメントだ!!樹は俺の質問にだけ答えればいいんだよ!!」 「何それ?そんなんじゃちゃんとしたアドバイスできないよ」 「別にアドバイスが欲しいわけじゃない!お前はどう思うか参考までに聞きたいだけだ!」 「えぇ〜・・」 三角は腑に落ちないと言った様子で少し頬をふくらませ机に頬杖をつく。 それは普段学校で見せる雰囲気よりも幾分か子どもっぽく見えた。 こんな樹を知っているのは自分だけかもしれないと思いながら四賀は机に置かれたお茶を飲む。 しばらく三角はつまらなそうな表情をしていたが、これ以上しつこく聞いても仕方がないと納得したのか明るい顔で話を続けた。 「まぁ、大成が言いたくないなら良いけどさ。で、なんだっけ?恋人が他の男の家に行くんだっけ?」 「・・・そう。しかも毎日・・」 「・・それは、その二人はそもそもどういう関係なのかな?仲のいい友達なの?」 「あぁ。幼馴染、みたいなやつ」 「・・うーん、なるほどねぇ。つまり昔っからお互い家に行き慣れてる関係ってことだよね」 三角はふむふむといった様子で首を縦に振る。それからずいっと一本指を立てて四賀に向かって言った。 「それなら言うことは一つじゃない?たとえ仲のいい幼馴染でも、恋人が他の男の家に行くのはおもしろくないからやめてくれって」 「はっ・・?」 四賀は怪訝そうな顔で三角を見つめる。 「何それ・・なんでそんなことこっちから言わなきゃいけないんだ?」 「だって面白くないんでしょ?」 「はっ?!別に、そうじゃねーよ!ただ恋人がいるのに他のやつの家に行くっていう行動がどうなんだって思ってるんだよ!」 「・・だから、それは、その子にとってはその幼馴染の子が恋愛対象じゃないから友達の家に遊びに行く感覚なんじゃない?でも大成はそれが面白くないんしょ?嫉妬してるんでしょ?」 「・・っ!!」 『嫉妬』という言葉を聞いて四賀は言葉に詰まった。 「彼女さんにとっては例え男の家でも問題ないと思ってるんだよ。でも大成は違う。そこの考え方の違いを話し合わないとずっと大成はモヤモヤしたままだよ?」 「・・・別に・・あいつが行きたいなら行けばいいんだ」 四賀はボソリと拗ねたような口調で呟く。 「なんで俺がわざわざ言わなきゃいけないんだよ?あいつが大丈夫だって思ってんなら大丈夫なんだろ。そこまで面倒みきれねーよ」 「・・・」 三角は呆れたような顔で眉をひそめる。 「何それ?大成は自分がヤキモチ妬いてるって思われたくないだけでしょ?自分の方が立場が上でいたいだけなんだね」 「っつ・・!」 図星をつかれ四賀は唇を噛んだ。 独占欲だとか嫉妬心なんてものは、手に入らないから感じるものだと思っていた。 だから恋人にそれを思うのはおかしい。 すでに自分のものなのに、なんでここまで必死になる必要があるんだ・・ 「・・・」 四賀は掌をぐっと握りしめて机を見つめた。 わかっている。 なんでこんなに気になるのか。 家に行っている相手が『瀬野 完路』だからだ。 あいつが誰よりも信頼し入れ込んでいる『親友』。 四賀は今日の帰りに下駄箱で会った完路の顔を思い出した。 ジッとこちらを見つめてきていた。 まるで自分が和泉の恋人に値する人物なのかを値踏みするかのように・・ きっと、あいつにとって和泉は『大切な存在』なのだろう。 それがどんな意味を持っているのかは計りかねるがそれだけはわかる。 四賀はハァと小さくため息をついた。 和泉が自分のことを好きなことはわかっている。 でもどこかで不安が拭えない。 和泉の中で、自分の存在はあいつに勝っているのだろうか・・ 四賀が暗い顔で考え込んでいると、三角がクスクスと笑いはじめた。 「・・何笑ってんだよ樹・・」 ジロリと四賀が三角を睨む。 「はは、ごめんごめん。そんなに悩むほど大成はその子のこと好きなんだなぁって思ってさ」 三角は口元に手を当てながら笑うのを抑えて言った。 「はっ?!別にそんなんじゃ・・!」 四賀は怒りと恥ずかしさで顔を赤くして返す。 「恥ずかしがらない、恥ずかしがらない。いいことじゃない。俺は安心したよ?」 「・・安心?なんだよそれ?」 「大成が誰かに振り回されてるってことに。大成がちゃんと誰かと向き合って過ごしてるんだなぁって俺は嬉しくなったよ」 「・・・」 そう言って微笑む三角を四賀は黙って見つめた。 今まで、自分はこの従兄弟のことばかり考えてきた。 クラスで悪口を言われても、チームメイトに煙たがられても、樹がいたから気にならなかった。 自分は一人でない。 樹は誰のものにもならない代わりに、誰にでも平等に接する。 嫌われて浮いている俺に対してもそれは変わらない。 だから、樹さえいればよかった。 今までは・・ 「・・どうしたの?大成」 じっと黙ったままの四賀を見て三角が首を傾げる。 「・・いや、なんでもない」 四賀は握っていた拳を開くとシャープペンシルを持ち直した。 「勉強、やろうぜ」 そう言って四賀は再び教科書に目を落とした。 気づいてしまった。 自分が今、必要としている存在に。 自分のものになったと思って安心していたが、それだけではダメだ。 ちゃんと繋ぎ止めておかないと。 グッとシャープペンシルを握る手に力が入る。 テストが終わったらあいつとどこかに出かけよう。 そして、自分の気持ちをちゃんと伝えるんだ。 四賀は教科書を見つめながらそう誓った。

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