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第15話 ②
しかし・・
それは二年生に進級する前の春休みのことだった。
その日は宝と午前中から遊ぶ約束をしていた。
待ち合わせは高校の最寄り駅だったが、時間になっても宝がやってこない。
四賀がスマートフォンで何回メッセージを送っても既読にならず、電話をかけても繋がらない。
四賀のスマートフォンに『ごめん、今電車に乗った』と短いメッセージが送られてきたのは、待ち合わせ時刻から一時間ほど経ってからだった。
それから四十分程して、宝が駅に現れた。遠目に見てもすぐわかるほど暗い顔をしている。
宝は四賀に気づくと急いで駆け寄って頭を下げた。
「・・遅れてごめん。電車、乗り過ごしちゃって・・」
四賀は怒りたい気持ちをグッと抑えて冷静な顔で聞いた。
「・・一体どうしたんだよ?なんかあったのか?」
「・・・・」
宝は下げた頭のまま自分の足元を見て黙りこむ。
「宝・・?」
四賀が怪訝そうな声を出すと、宝はポツリポツリと話し始めた。
「・・駅に、向かう途中・・おばさんに会ったんだ」
「・・おばさん?」
「・・完ちゃんのお母さん。大きなダンボールの荷物持ってて・・郵便局に行くって言うから、俺、持ちますよって言ったんだ」
「・・・それで遅れたのか?」
「いや・・郵便局は駅に行く途中にあるから・・時間的には大丈夫だったんだけど」
「・・・」
「おばさんが『この荷物は完路に送るんだ』って・・言って・・」
「え?・・」
四賀は思っていなかった方へ話が進んで眉を顰める。
「・・完ちゃん・・東京に行っちゃったんだって・・」
宝はそう言うと掌をギュッと握りしめて顔を上げた。
「・・行っちゃったって、旅行か何かか?」
四賀は混乱しないように冷静に聞き返すと、宝は頭を横に振った。
「・・俺も旅行ですか?って聞いたんだ。そしたらおばさん『完路は東京に戻った』って。向こうの高校に通うんだって・・」
「・・・」
四賀は言葉が出ず黙り込む。
そんな話、三学期の間に聞いた覚えはない。
もちろん宝もそうだろう。少し目を赤くして宝は続けて言った。
「完ちゃん、引っ越すまでは東京に戻ること秘密にして欲しいって言ってたんだって。学校にもそう伝えてたらしい・・別れの挨拶とか好きじゃないからだっておばさんは言ってたけど・・でも・俺にも、何にも言ってくれなかった・・」
「・・宝」
「俺達、喧嘩してたけど・・でも、親友だったのに!それなのに・・俺・・」
宝の握っている拳が声と共に震える。悔しさと悲しさとショックで感情がぐちゃぐちゃなのだろう。四賀は自分が取り乱してはいけないと思い、一呼吸置くと宝に向かって言った。
「・・瀬野に連絡してみたのか?」
「・・へ?」
「連絡。まず電話してみろよ。ここで落ち込んでても仕方ないだろ」
「で、でも・・」
「迷うなよ。親友なんだろ。親友なら堂々と一言も無しに東京行っちまったことを怒れよ」
「・・・」
宝は少しの間瞳に涙を溜めたまま黙っていたが、決心がついたのかジーンズのポケットに手を突っ込んでスマートフォンを取り出した。
「・・いきなり、電話でいいかな・・」
ジッと画面を見つめたまま宝は呟く。
「そっちの方が早いだろ」
「そうだよな・・」
四賀にそう言われ、宝はゴクリと唾を飲むと指でスマホを操作し始めた。
それから少しして宝がスマホを耳に当てると、四賀は少し離れてその様子を伺う。あまり近くで話を聞いてはいけないだろうとは思うが、やはり気にはなってしまうものだ。
呼び出し音が鳴っているのだろうと思って見ていると、急に宝の目が大きく見開かれ驚きの声が上がった。
「えっ?!」
「どうした?」
四賀も驚いて宝に近づく。
「・・電話、繋がらないって。この番号は使われてませんって・・」
「・・・」
「完ちゃん、スマホ変えちゃったのかな・・」
宝のスマホを持つ手が震えている。
四賀は先ほどよりも絶望したような表情の宝に詰め寄ると「メッセージやメールは?そっちの方は送れないのかよ?」と聞いた。
なんとかして連絡を取る方法はないかと頭を回転させる。
「SNSは?やってないのか?」
「・・完ちゃんSNSはやってない・・メールはアドレス知らないし・・あとはメッセージ・・」
宝がツイツイと画面を忙しなく操作する。
しかしすぐにまたその瞳は暗い色に沈んだ。
「ダメだ・・完ちゃんのアイコン、消えてる・・なくなってる・・」
「・・・」
打つ手のなさに四賀も言葉を失う。
徹底して完路はここから消えたようだ。
宝は項垂れたままスマホを見つめている。
宝にとって、完路がどれほど特別な存在だったか四賀はよくわかっているつもりだ。
それこそこちらが嫉妬するくらい、宝は完路に入れ込んでいた。
しかしそれもこの半年ほどは、二人が喧嘩したことにより薄らいでいた。自分の方が宝の特別な存在であると思えるほどに、二人の距離が開いたように見えていた。
でも・・
やはりそれは見かけだけだったのかもしれない。
『俺がいる』
この一言を言えず四賀は唾を飲み込んだ。
目の前で落ち込む宝に、もしこの言葉をかけても彼に響かなかったら・・
それが怖かった。
ーー
結局、完路とは連絡がとれないまま時間が過ぎていった。宝は直接完路の実家に聞きに行ったみたいだが、母親から「誰にも連絡先を教えないでほしいと完路に言われている」と言われ帰されてしまったらしい。
二年生になって最初の頃は、目に見えて宝は落ち込んでいた。
せっかく同じクラスになれたのにそんな喜びはまったく感じられなかった。
クラスメイト達は『クール』なイメージの助けもあってか、宝に元気がないことに気付いていない。
四賀だけが宝の変化に気づいている。しかしだからと言ってどうすることもできず、ただ気を紛らわす会話をするしか無い日々が続いた。
そんな四賀がイラつき始めたのはGWが明けた頃だった。宝は明らかに以前より部活へのモチベーションが下がっていて、練習にも身が入っていなかった。
「おい!!いい加減にしろよ!!」
他の部員が全員帰宅した後、四賀は宝を部室に呼び止め苛立ちをぶつけた。
「宝、お前甘えんなよ?!みんな真面目に練習してんだぞ?!一年だって3人入ったんだ!ちゃんとやれよ!」
「・・ごめん」
宝はそう呟いたが、その謝罪の言葉に気持ちは全くこもっていないのがわかる。
四賀は小さく舌打ちをすると、宝に背を向けた。そしてハァと長いため息をついてこう言った。
「もういい。俺は真剣に取り組まないやつとは部活やりたくないんだ。もうやる気ないなら辞めろよ」
「っ・・!」
宝はハッとして顔をあげる。
「幼馴染が・・急に居なくなってショックなのはわかるけどさ、それだけで何もかも嫌になるのか?やる気なくなるのか?!そんか中途半端な気持ちで部活やってんならもう辞めちまえ!」
四賀はそう言うと、外へ出て行こうと部室のドアノブに手をかけ回した。
「ま、待って!!!」
宝は急いで駆け寄ると四賀の腕にしがみつく。
「四賀、待って!ごめん!俺ちゃんとやるから!だから待って!」
必死に叫びながら宝は四賀を見つめた。
「お願い!俺やだよ!四賀とも離れるなんて!」
宝の瞳はじわりと潤んでいる。
「・・・はぁ」
四賀はそんな宝を見て軽くため息をついた。
「別に・離れるなんてそんな話はしてないだろ・・」
「・・あっ・・ごめん・・」
宝は慌てて掴んでいた四賀の腕を離す。
「その、俺焦っちゃって・・四賀にまで愛想尽かされたらもう終わりだって・・」
「・・別に、今はまだ愛想が尽きたわけじゃないけど・・でも、ずっと今のままの状態が続くなら、そうなるかもな」
四賀は掴まれていた腕をさすりながら言った。
「えっ!や、やだよ!ごめん!俺、本当にちゃんとやるから!頑張るから・・だから・・」
宝は掌をギュとキツく握りしめると顔を上げて四賀を見つめた。
「完ちゃんのことはもう気にしない・・俺、部活に全力注ぐから!だから、その・・そばにいてほしい・・」
キツく握られた拳が震えている。
四賀はそのことに気づくと宝を引き寄せキツく抱きしめた。
「えっ?わぁ!し、四賀?!」
宝はバタバタと四賀の腕の中でもがく。
四賀はそんな宝の頭をギュッと抱くと耳元に口を近づけて言った。
「俺が、瀬野のことは忘れさせてやる・・」
「・・っ!」
宝の小さく息を飲む気配を感じたが、四賀は気にせず続ける。
「だから、これからも一緒に楽しくやろうぜ」
「・・・」
「な?宝」
「・・うん・・」
宝は四賀の腕の中で小さく頷いた。
ずるいことはわかっていた。
今の状態の宝に、突き放すようなことを言えば縋り付いてくるのは分かりきっていた。
分かっていて、あえて縋り付いてもらう方法を取ったのだ。
『もう、宝には俺しかいない』それを宝本人に自覚させるために。
それから宝は完路の話を一切しなくなった。
『忘れさせてやる』
その言葉通り四賀も完路のことは全く話題に出さない。
最初からいなかったかのように、不自然なくらい完路の痕跡には触れなかった。
それでも宝は時々ふと、瞳の奥が曇ることがある。そんな時はだいたい完路のことを思い出しているのだろうと四賀は思った。
でももう自分ではその曇った瞳をどうすることもできない。宝が自らその曇りを振り払うことを期待するしかなかった。
この一年半、表向きは平和に穏やかに過ぎていったと思う。
部活動で切磋琢磨し、休みの日は二人で遊びに行き、時々身体を重ねる。
何の問題もなく、喧嘩をすることもない日々。
ただそれが、問題と向き合わないようにしていた結果であることも四賀はわかっていた。
一度だけ、宝にその問題の断片を思い出すような問いかけをしたことがある。
修学旅行の行き先が東京だとわかった時だ。
「自由行動の日さ、どこか行きたい場所とかやりたいことあるか?」
四賀は配られた修学旅行の日程表を見つめながら宝に聞いた。
「えっ・・」
それまでプリントの文字を読んでいた宝の瞳がピタリと止まる。
そして何かを考え込むようにじっと黙った。
『東京』でしたいことなんて、きっと一つしかない。
突然いなくなった親友が暮らしている場所なのだ。
宝が何か言うのを四賀も黙って待つ。
手にじわりと汗が滲むのを感じた。
それから少しして、宝は「あっ!」と大きな声を出してパッと目を輝かせた。
「俺!地下鉄に乗ってみたい!」
「・・はっ?」
想像もしていなかった返答に思わず低い声が出る。
「何だって?地下鉄?」
「そう!地下鉄!俺乗ったことないんだよ!東京の地下鉄って迷路みたいだって言うじゃん!色々乗り換えてどこ行くかやってみたかったんだよなぁ!!」
「・・・」
「・・ダメかな?」
四賀が何も言わないので、宝は眉を下げて覗き込むように聞く。
すると四賀はハァーと長いため息をついて言った。
「ガキかよお前・・」
「えっ!何だよ!じゃあ四賀は何かやりたいことあるのかよ?!」
「・・別に、何もないけど・・」
「じゃぁいいじゃん!!自由行動の日は地下鉄乗りまくろう!」
宝はそう言うと嬉しそうにスマホを操作し始めた。どうやらさっそく東京の地下鉄を調べ始めているようだ。
四賀はそんな宝の横顔を見つめて、ホッと息を吐いた。自分でも無意識に緊張していたようだ。
宝がもうこの先、あいつと向き合うつもりがないのならこのままでいい。
四賀はそう思うことにした。
けれど・・宝が向き合う事をやめたのは完路のことだけではないことに、この後四賀は気付かされる。
二年生の秋、そろそろ本格的に進路を考えなくてはならない時期になった。
しかし、進学か就職か、宝に聞いても返事は「わかんない」の一言だった。
その煮え切らない返答に四賀は苛立ちながら聞き返す。
「わからないって、じゃぁお前将来何になりたいんだ?」
「小さい頃は警察官になりたかったなぁ・・」
「・・今は?」
「今は別に何も・・何になりたいとか四賀はあるの?」
「俺は・・具体的には決まってないけど建築に興味があるから建築学部を受けたいと思ってる」
「えっ!そうなんだ?!かっこいいじゃん!いつか俺の家建ててよ!」
宝はパァと明るい顔で楽しそうに笑った。
「本当お前単純な思考してるな・・そんな簡単なもんじゃないと思うけど・・」
「でも、そっかぁ。四賀はもう色々考えてるんだなぁ・・行きたい大学も決まってんの?」
「・・・」
「・・四賀?」
四賀は言うべきか迷って少し黙った。しかし隠したところでいつかはバレると思い口を開いた。
「関西の大学。まだ具体的には決めてないけど。家は出たいと思ってる」
「えっ・・」
楽しそうにしていた宝の顔から笑みが消える。
「それって、一人暮らしするってこと?」
「そう。まだ母親からOKもらえてないけどな」
「・・そう、なんだ」
宝は下を向いて黙り込む。四賀はその様子を見て覗き込むようにして言った。
「あのな、言っとくけど関西って近いからな。飛行機でも新幹線でもすぐだろ。日帰りだってやろうと思えばできる」
「・・うん、まぁ、そうだよな・・」
宝は眉尻は下げながらもニコリと笑って言った。
これは四賀にとっても賭けだった。
自分が関西の大学に行くと言ったら、宝はどうするだろうか。
一番嬉しいのは宝も関西の大学を受けると言ってくれることだ。
同じ大学ではなくても、近くに住んでいれば離れなくて済む。
けれど大切な将来のこと。四賀がどうこう言って導くのは間違っていることもわかっている。宝が自分自身で決断することだ。
宝が自ら関西の大学を受けると言ってくれたら、心置きなくその手を引いていけるのに。
四賀はそう思いながら、宝が進路を決めるのを待つことにした。
しかし、もうすぐ二年生が終わると言うのに宝の進路はなかなかはっきりしなかった。
やりたいことがわからないと言って、すぐうずくまってしまう。
そのあまりにもはっきりとしない態度に四賀は思わずカッとなり言った。
「わかったよ!じゃぁもう勝手にしろ!俺は志望校決まったからな!京都の大学に行く。樹と同じ大学なら母親も一人暮らしOKだしてくれるって言ってるし」
「えっ・・」
今までほとんど名前を出すことを避けていた三角の名前を聞いて、宝は目を見開いた。
「四賀、志望校三角先輩と一緒なの・・?」
「あぁ、そうするつもりだよ。前からあいつの大学には興味あったんだ」
「・・そう、なんだ・・」
宝は見開いた目を下に向ける。
四賀はそんな宝をジッと見つめた。
言ってしまった・・樹と同じ大学にすると。
宝が樹の存在を気にしているのを知っていたのに。
でも・・だからこそ、宝に言ってほしい。
『だったら俺も一緒に関西の大学に行く』と・・
しかし、そんな四賀の思いは通じなかった。宝は顔を上げるとニコリと笑って言った。
「そっか!たしかに三角先輩がいれば安心だよな!三角先輩が京都の大学にいて良かったな!」
「・・・!」
その瞬間、何かが崩れたようなそんな気がした。
今まで恋人として、平和に大きな喧嘩もなくやってきた。
しかしそれは、宝がいつの間にか自分と本気で向き合わなくなってしまっていたからではないか。
怒ったり、嫉妬したり、そんな感情をぶつけるほどの存在ではもうなくなってしまってたのではないか。
きっとそれは・・宝の『特別』が変わってしまった証拠だ。
いや、変わってしまったというのとは少し違う。
今まで胸の奥にしまい込んでいた、もう一人の『特別』な存在の影を無意識に探し求めているのだ。
気持ちを、整理するのは難しい。
樹一人が『特別』だった時、どうすることもできない気持ちを持て余して、それを苛立ちに変えてしまっていた。
しかし、それはどんなに形を変えても中心にあるものは変わらない。
宝の『特別』が変わってしまっても、自分の中の宝への気持ちは変わらないのもまた一緒だ。
だから、いつかまた宝の『特別』が自分一人になることを信じて、一緒に過ごしていくしかない。
あいつが出てこなければ、またきっと戻ってくるはずだから・・
この時はまだ、なんとかそう思えていた。
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