29 / 32
第16話 ①
会えたらなんて言おう・・と、ずっと考えながら東京まで来たのに。
突然降られた大雨でせっかく考えた言葉は全部洗い流されてしまった。
「宝、タオル」
「あ、ありがとう・・」
完路から綺麗に畳まれたフェイスタオルを差し出されると、宝はそれを頭からかぶって濡れた髪の毛を勢いよく拭いた。
「ちょっとここで待ってて。中あんまり片付いてないんだ」
玄関で立ちながら髪の毛を拭いてる宝にそう言うと、完路は部屋の奥へ戻ろうとした。
「あっ、待って!いいよここで!!」
宝は慌てて完路を呼び止める。
「あの、突然押しかけちゃってごめん・・俺、その、完ちゃんにちょっとでも会えたらいいなって思って来ただけなんだ。だから、そんなにゆっくりするつもりはないから大丈夫だよ!」
宝はタオルで首元を拭きながら笑って言った。
玄関から少し入った先で立ち止まった完路はジッと宝を見ながらハァと小さくため息をつく。
「・・・そうは言っても、宝、服もすごい濡れてるよ。そんな状態で黙って帰せないよ」
「あっ・・」
宝は自分の身体に濡れてピタリとくっついてるシャツを掴む。
「上がって。もう晴れてきてるし、干しておけばすぐ乾くよ」
「・・う、うん。ごめん・・」
宝はシャツを掴んでいた手をさらにキュッとキツく握って答えた。
完路は五分ほどで部屋を整理すると、宝にソファに座るよう声をかけた。
宝はキョロキョロと部屋を見回しながら青色の二人掛けサイズのソファに腰掛ける。
リビングダイニングに置かれたソファの前には長方形のローテーブルが置いてある。
(きっとここで食事をしているんだろうな)
宝は綺麗に拭かれたテーブルの表面を見て思った。
「宝、これ」
隣の寝室から戻ってきた完路は白いTシャツを宝に差し出した。
「乾かしてる間これ着てなよ。ちょっと大きいかもしれないけど」
「あ、ありがとう・・」
宝はTシャツを受け取ると、今着ているベタベタのシャツをガバリと脱ぎ手に持った。
「貸して・・」
横から完路の手が出てくる。
その瞬間、ふと完路の顔を見ると、視線は宝とは関係のない方向を向いていた。
そして自分が上半身裸だという事に気がつく。
思わずバッと完路から借りたシャツで体を隠すと、濡れたシャツを急いで渡した。
子どもの頃から夏のプールなどでお互いに何度でも裸の姿は見てきた。本来なら別に今更恥ずかしがることではない。
しかし・・もうそうはいかない。完路の前で裸になったのは『あの日』以来だということを宝は思い出した。
完路は宝から受け取ったシャツをハンガーにかけるとベランダへと出て行く。
宝は完路から借りたTシャツに袖を通すと、完路の背中を見ながら変化した部分を探した。
最後に完路の姿を見たのは多分、一年生の三学期に学校の廊下で遠目に見た時だ。
(あの頃から比べると身長が伸びている・・
それに、一人暮らしだからかな。体付きも少しほっそりしたように感じる。ちゃんと食べてるのかな)
宝がジッと後ろ姿を見ていると、クルリと向きを変えた完路と目が合った。
ドキリと心臓が跳ねる。
宝はそれを悟られまいと、部屋を見回す仕草をした。
「あっ、完ちゃん部屋すごい綺麗だな!俺が一人暮らししたらゴミ屋敷になっちゃいそうだよ」
「そんなことないよ。きっと宝だって一人で暮らしたらちゃんとやれるよ」
完路はそう言いながら、今度は台所の方へと向かった。
ガチャリと冷蔵庫の開く音がする。
それから缶ジュースを二本手に持ち宝の前へ戻ってきた。
「宝、コーラでいい?」
「えっ、あっ、ありがとう」
宝は完路から渡された缶ジュースを手に取ると、プルタブを開けすぐに口をつけた。何かしていないと落ち着かない。
完路は缶ジュースを開けながら、宝の横ではなく正面の床に腰掛けた。
それからゴクリと一口飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。
「それで・・どうしてここへ?宝、東京に来たの初めてでしょ?」
「あっ、いや。去年の修学旅行東京だったんだ。だから2回目だよ」
「へぇ・・そうだったのか・・」
そう呟いた完路の瞳が少し曇る。前の学校の話はあまり聞きたくないのかなと思い、宝は慌てて話を続けた。
「あっ、それで、だから今回は一人で来てみようと思って!地下鉄の乗り方も覚えたし!」
「地下鉄?」
「そう!修学旅行の時地下鉄色々乗ったんだよ!最初はどうやって乗り換えるのかとか全然わかんなくて迷ったけどさ」
「たしかに向こうだと地下鉄は珍しいもんね」
そう言って完路の目元が緩む。その表情に宝は少しホッとした。
「でも今回は完璧に完ちゃんの駅まで来れたよ!何回も路線図見たり乗り換え案内見て予習してきたし!でも駅からここまでの道が難しくて、ウロウロ歩いてるうちに大雨が降ってきちゃって・・」
「・・そっか。それでびしょ濡れだったんだ」
「うん、やっとたどり着いたらそのタイミングで雨は止むしさ。東京は建物も道も多くてすごい複雑だね。完ちゃんここで生活してるなんてすごいなぁ」
「慣れちゃえば、向こうと何も変わらないよ」
「そっかなぁ・・」
「それで・・・俺の住んでる所は誰から聞いたの?」
完路の緩んだ目元が再び鋭く宝を見据える。
宝は「あっ・・」と小さく息を飲んだ。
楽しいおしゃべりをしにきたのではないことを思い出す。
「その、俺どうしても完ちゃんに会いたくて・・ちずちゃんにこっそり会いに行って聞いたんだ」
「こっそり?」
「うん、ちずちゃんが一人で家にいる時に。完ちゃんのお母さんには聞きに来たこと秘密にしてって頼んで」
「・・・」
完路は何か考えるような面持ちで一瞬黙りこんだが、ふっと息を吐いて宝を見つめた。
「俺が誰にも連絡先を言わないでくれって、母さんに頼んだからだよね。母さん、本当に守ってくれていたのか・・」
「ご、ごめん!それなのに俺、無理やり聞くようなことして!しかもちずちゃんを利用するようなこと」
「おばあちゃん、宝に弱いからなぁ」
完路はふふっと笑って言った。
「おばあちゃんにとっては宝は第二の孫だって昔から言ってるもんね」
「・・・ちずちゃん、完ちゃんのこと心配してたよ」
宝は手のひらを膝の上でキュッと握りしめて呟いた。
「・・えっ?」
「完ちゃんが東京で元気にやってるか見てきてほしいって。完ちゃんはなんでも我慢しちゃうところがあるから、東京で何かあってもきっと言わないだろうから心配だって」
「・・・」
「完ちゃんはちずちゃんの大事な孫だからね」
そう言って宝はへへっと笑う。
完路は手に持ったままの缶を指でなぞりながら口を開いた。
「・・それで、宝は俺のところに来たの?」
「えっ?」
「おばあちゃんに頼まれて、俺の様子を見に来たの?」
「ち、違うよ!俺は!もともとずっと完ちゃんに会いたかったんだよ!」
強く否定しなくてはという気持ちで宝は思わず大きな声で叫んだ。持っていた缶がベコっと小さな音を立てる。手にも力が入ってしまったようだ。
「完ちゃんが突然いなくなっちゃって、連絡もつかなくて。俺、完ちゃんに謝らなきゃいけないこと沢山あったのに・・」
「・・・」
完路は無言のまま机の上を見つめている。宝もどう続けて良いか迷い口をつぐんだ。
数秒ほどの沈黙が続いたが、その沈黙を破ったのは完路だった。
「もう・・向こうに戻る気はないから言うけど・・俺は、逃げたんだよ」
「・・え?」
宝は目を開いて完路を見つめる。
「逃げたって、何から?」
その問いに、一瞬スゥっと完路が息を飲む。
そして宝の瞳を捕らえるように見つめ返しながら言った。
「宝から・・」
「・・・」
ポカンと口を開けて宝は固まる。
しかしそれは驚いたからではない。
『やはり』と思ったからだ。
完路が居なくなったのは、やはり自分のせいだったのだ。
「ごめん・・俺が、あんなこと相談したから・・俺が完ちゃんを巻き込んじゃった・・」
宝は項垂れるようにしてボソリと言った。
「俺、ずっと後悔してた。あんなこと完ちゃんに相談しなきゃ良かったって・・自分でどうにかしていれば、完ちゃんとはずっと親友でいられたのにって・・ー」
「違う・・!」
完路らしくない大きな声が宝の言葉を遮る。
宝は驚いて顔を上げ完路の方を見つめた。
「へっ?」
「違うよ、宝のせいじゃない。俺が壊したんだ。俺がもう、宝とは友達じゃいられないって思ったから・・だから自分から壊そうと思ったんだよ」
「・・・それは、俺が、四賀を好きって言ったから?」
「・・・うん・・」
「・・同性を好きになるやつとは、友達じゃいられないって思ったの?」
「・・・違うよ」
そう言って完路はふぅと一呼吸置く。それからすっと真剣な眼差しを宝に向けて言った。
「宝のこと、昔から好きだよ」
「・・・え」
「ずっと、宝のことが好きだった。友達以上に・・」
「・・・」
突然の告白に宝は黙り込む。
その間にも完路の瞳はずっと宝に向けられている。覚悟を決めたようなその視線は宝を捕らえて離さない。
(完ちゃんはこういう冗談を言う人じゃない・・)
思いがけない言葉だったが、それが嘘や揶揄う言葉から出る物ではないことはわかる。
完路がどういう人間かは理解しているつもりだ。
「俺・・全然気が付かなかった・・」
宝は声を絞り出すようにして呟いた。
それを聞いて完路はくすりと笑う。
「・・そっか。それならよかった。俺、上手に隠せてたんだね」
「!良くないよ!言ってよ!」
思わずドンと握った拳をテーブルの上に叩きつける。
「なんで?俺、完ちゃんに好きって言われたらめちゃくちゃ嬉しいよ?!なんで言ってくれなかったの?!」
「そりゃぁ・・好きの種類が違うから。宝が期待する好きと、俺が宝へ思う好きは別物だよ」
「・・別物?」
「・・・そう。俺の好きは・・宝の全部を自分のものにしたいっていう好き・・」
「・・・」
「宝が期待するような優しくて暖かい感情じゃないんだよ。もっと・・醜くて重たくて、すごく・・カッコ悪いもの」
完路は自虐的な笑みを浮かべて下を向く。
その横顔は以前にも見た寂しそうなものだった。
(あぁ、そうか・・)
宝はグッと息を飲むと、両手を広げその掌を力一杯完路の両頬に叩きつけた。
バシッと大きな音が響く。
宝の掌に頬を挟まれた完路は目を丸くして顔を上げた。
いつの間にか正面に宝が座っている。
宝は鼻の頭を赤くしながら、キッと完路を睨みつけて叫んだ。
「俺は!!どんな完ちゃんでも一緒にいたかった!!!」
そう言ってさらに完路の頬を力強く両手で押し潰す。
「いっ・・」
完路は思わず顔をしかめたが、宝はお構いなしに続けた。
「俺は、かっこいい完ちゃんが大好きで憧れだった。でも、カッコ悪い完ちゃんも弱い完ちゃんも見てみたかった・・見せて欲しかったよ」
その言葉を聞いた完路はグッと口をつぐんで目を伏せた。
黙っているが、目頭が赤くなっている。
きっと、今までの俺の言葉が完ちゃんを追い詰めていた。
何も考えず口にしていた「かっこいい」だとか「憧れる」だとかが、いつの間にか完ちゃんを「そういう風」にさせる枷にしてしまっていたんだ。
だから完ちゃんの弱くて脆い部分に気がつかなかった。誰にだって当たり前にあるはずなのに・・
宝は完路の両頬を挟んでいた掌で、今度はムニっと完路のほっぺを摘んだ。
そしてグイッと左右に引っ張る。
「!?ひたっ・・ひたひよ、たから」
両頬が伸びた完路が驚いて目を丸くする。
痛さを訴えようとするが、口の両端が摘まれているのでうまく喋れない。
その様子を見て宝はクスっと笑った。
「・・どんな完ちゃんも、俺の大好きな完ちゃんだよ」
「・・っ!」
その瞬間、両頬を摘んでいた掌が完路の掌によって引き剥がされ、宝の視界はグルンと天井に向けられた。
頭も背中も床にくっつき、顔の横で宝の両手は完路の掌により縫いとめられている。
「・・へ・・」
一瞬の事過ぎて、完路に押し倒された事に気がつくのに数秒かかった。
「か、かんちゃ・・うっ」
名前を呼ぼうとしたが、馬乗りになった完路にその口を塞がれて言葉は遮られる。
「・・ふっ・・ぅ」
開いていた口内にスルリと完路の舌が入り込み、絡めとるように宝の中で動き回る。宝は目を瞑り細かく息をしながらその動きに合わせた。
クチュクチュと濡れた音が重なり合った後、糸を引きながら完路の唇が離れる。宝はぽやっとした表情で薄らと目を開けた。
「ハァ・・かんちゃん・・」
ぼんやりとした宝の瞳と目が合った瞬間、完路はバッと身体を起こした。そして顔を横に向けて言った。
「ごめん・・俺また・・宝には恋人がいるのに・・」
完路は目を伏せて俯く。
それから宝の上から退こうと腰を浮かそうとした。
しかしそれを寝そべったままの宝が腕を伸ばして引き留める。ガシッと腕を掴まれ完路は再び宝の上へ重なるように倒れこんだ。
「・・宝?」
なんとか両肘を床につけて宝の上に乗らないようにしながら、完路は宝の顔を覗きこむ。
宝は口を一文字に結んで完路を見つめた。
それからスゥと軽く深呼吸するとゆっくり口を開いた。
「俺、四賀とはこの間別れた」
「・・え?」
思いがけない言葉に完路の胸がドクンと震える。
「別れた?」
「うん・・東京来る前に、話し合って別れることになった」
「それは・・どういうこと?」
「・・・それは・・」
宝はここに来る前のことを完路にゆっくり話し始めた。
ともだちにシェアしよう!