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第16話 ②
ーー
東京に行きたい。
完路に会いたい。
そう思い始めた気持ちを抑えるのはもう難しかった。
自分のやりたいことを考えた時、明確に思えた事がそれだけだったからだ。
それを、正直に四賀に話すべきか。
宝は迷った。
完路がいなくなってからの一年半、四賀はずっと隣にいてくれた。
四賀が居てくれて救われたことがたくさんあった。
その四賀にこの気持ちを打ち明けることはとんでもない裏切り行為だと思えた。
しかし、この気持ちをひた隠しにして一緒に居ることは、宝にはどうしてもできなかった。
四賀に嘘をつくことになる。
それは四賀がもっとも嫌う行為だ。
宝は意を決して自分の気持ちを四賀に話すことにした。
宝は四賀を高校の近くの喫茶店に呼び出した。
四賀に連れてきてもらって知ったお店。そして、初めて訪れた日に付き合うことになった思い出深い場所。
どうしてここを選んだのか。無意識だったと言えばそうなのだが、四賀と過ごした日々を思うとここが一番最初に浮かんだのだ。
二人は向き合って座った。夏休み中なのでお互い私服だ。
私服でこの店を訪れることは珍しく店主の老人は「おやおや、誰だか一瞬わからなかったよ」とにこやかに笑いながら迎え入れてくれた。
四賀はいつもと変わらない雰囲気で座っている。
しかし、今日何を言われるのか。四賀はわかっているようだった。
その証拠に宝から話し始めるのを待っている。
宝は出されたコーラを一口飲むと、両手を膝の上において口を開いた。
「東京に行って、完ちゃんに会いたい」
宝は目の前の四賀を見つめる。
少しだけピクリと四賀の目元が揺れた。
「それが、今お前のやりたいことなのか?」
瞳を逸らすことなく四賀は聞き返す。
宝はその鋭い視線に少したじろぎ視線を下に向けた。
「うん・・」
「この受験の大切な時に?」
「うん・・・」
宝が手元を見ながら頷くと、ハァと四賀の溜息が聞こえた。
(呆れられてる・・でも・・)
宝は勢いよく顔を上げ、今度こそ視線を逸らさずに言った。
「四賀には忘れろって言われたけど、やっぱりこのままじゃ嫌なんだよ!」
膝の上の拳に自然と力が入る。
「このまま・・完ちゃんと離れたまま大人になったら、もう二度と元に戻れない気がするんだ。だから、卒業する前に会いに行きたい」
「・・・」
四賀は宝の意志の強さを見定めるように、黙ったままジッと宝の瞳を見つめる。それからフゥと息を吐くと腕を組んで言った。
「・・それで、会いに行った後はどうするんだ?」
「えっ?」
「会って、話して、その後は?お前の進路はどうするんだ?瀬野に会ったらお前の進路は決まるのか?」
「・・・それは・・」
「ずっと思ってたけど。お前は瀬野に依存しすぎなんだよ」
「・・っ」
自分でも自覚していることを突かれて、宝は唇を噛む。
「瀬野がお前の将来を決めてくれるのか?違うよな?お前今高校三年だぞ?自分の道は自分で決めろよ」
「それは!!・・わかってるよ!」
思わずカッとして大きな声がでる。
「それはわかってる!ただ、自分のわがままだってわかってるけど・・俺、俺は・・・・」
そこまで言って言葉が詰まった。
自分がこの先何を言おうとしているか気づいたからだ。
「・・『俺は、完ちゃんと一緒にいたいんだ』とでも言う気か?」
「・・っ!!」
思っていたことを四賀に言われ、宝はハッとして口元を押さえる。
「・・よく、わかったよ・・」
そう呟くと四賀はバンとテーブルを叩き席を立った。
そしてそのままレジへ行き、二人分の飲み物代を店主に渡す。
「ちょっ・・待ってよ四賀!」
宝はテーブルの上に出しっぱなしだったスマートフォンを手に取ると、急いで四賀の後を追った。
店から外に出るとムワッとする暑さが肌にまとわりつく。
午後三時を過ぎた時間だ。今が今日一番暑い時間帯かもしれない。
しかし四賀は顔色ひとつ変えず大股でスタスタと歩き出した。
宝はその横を必死について歩きながら四賀に話しかける。
「四賀!待ってよ!ちゃんと俺の話を聞いてよ!」
宝の声は聞こえているだろうが、四賀は何も言わずに歩き続ける。
宝は負けじと腕を伸ばし四賀の肩を掴んで言った。
「ねぇ!四賀勘違いしてるって!俺、たしかに完ちゃんには会いたいけど、でも別にそれは友達としてで・・」
「ふざけんな!!」
肩を掴まれ立ち止まった四賀が宝に向かって叫んだ。
その声にビクリと宝は肩を揺らす。
「お前、いい加減にしろよ。瀬野のことになるとなんでも友達って言葉で片付けようとしやがって。それが変だって思わないのかよ!?」
「・・変?」
「別にお前が瀬野のことを友達だと思ってるならいいさ。でも俺はもう無理だ。お前らの友情ごっこに付き合ってられない」
「友情ごっこってなんだよ?!」
「・・そのまんまの意味だよ・・」
そう言って四賀は黙り込む。
宝もどう言えば四賀に伝わるのか分からず下を向いた。
蝉の声が忙しなく響く。
首筋からも額からも汗がじわりと浮き出てきて暑い。
宝が手でその汗を拭おうとした、その時だった。
「俺達、別れよう」
一瞬、蝉が鳴き止んだのかと思った。
そのくらいその声は静かに、しかしハッキリと宝の耳に響いた。
「・・え」
宝は額に当てようとした手を止める。そして四賀を見つめた。
「もう俺達別れよう。そろそろ限界だっただろ」
四賀はまっすぐと宝の瞳を見て言った。
「えっ・・ちょっと待ってよ・・なんで急に」
「急じゃないだろ。宝だって本当はわかっていたはずだ」
「・・え・・・俺、別に何も・・」
宝は狼狽えるような表情で目を瞬く。
「俺が・・」
四賀は掌をグッと握ると下を向いて言った。
「ずっと、瀬野の名前を出さなかったのは・・俺達がうまくやっていくにはあいつの存在はないものにした方がいいと思ったからだ」
「・・・」
「でも、結局それくらい俺達の関係は脆いものだったんだよ」
「・・・何言って・・」
宝は四賀の腕を掴もうと手を伸ばす。
しかし四賀はそれを拒否するかのように払いのけた。
「お前が瀬野と一緒にいたいって言うなら・・俺達は終わりだ。俺とも、それから瀬野とも特別な関係でいたいって言うのか?そんなの、都合良すぎるだろ。そんなやつと付き合うのは無理だ」
そう言って四賀は鋭い視線を投げかけた。
「・・・」
宝は今まで考えないようにしていた、痛いところを突かれたような気がして下を向いて黙り込む。
四賀のことが好きだ。
好きだから付き合っていた。
でも・・
自分が完路を求める限り、自分の特別は四賀一人ではない。
それを四賀は見抜いていた。
そして、きっと・・今その気持ちが完路の方へ強く傾いていることも。
ジワジワと蝉の声が二人の頭上に響く。
その騒音を割るように四賀が静かに口を開いた。
「俺も・・一緒だよ」
「・・えっ?」
宝は伏せていた目を上げ四賀と視線を合わせる。
「俺にとっての樹が、お前にとっての瀬野ってことだろ」
「・・・っ!」
その言葉に宝はハッとした。
「結局、俺だっていつまでも樹から離れられないんだ。どこかであいつの影を追ってる。お前のこと言えた筋合いじゃないよな・・」
「・・・」
宝が黙っていると、四賀はフッと息を吐いて少し意地悪そうな顔で言う。
「まぁ、それでも俺はお前と付き合ってる間、あいつのことは忘れるってきっぱり決めていたけどな。あやふやなのは俺は嫌だから」
四賀が初めて三角についての話をしている。
聞きたくて、でも聞くのが怖かった。
四賀にとって、三角がどんな存在なのかを。
「・・・ずっと、聞きたかった」
宝は少し口を震わせて言った。
「四賀にとって、三角先輩って何なのか・・」
「・・なんだろうな。よくわかんないけど、もうずっと昔から特別な存在なんだよな・・」
「・・特別・・・」
「そう、他の誰も代わりがきかない。あいつだけのポジションみたいなものがさ、俺の中にある」
そう言って四賀は親指だけを立てた手を自身の胸に当てた。
「・・・」
「お前にもあるだろ?瀬野のポジションがさ」
「・・・うん」
宝もそっと胸に手を当てて頷いた。
確かにある。
完路にしか埋められない、心に空いた穴が。
「俺達、似たもの同士だったな・・」
そう言って四賀は少し口の端を上げて笑う。
「高校で新しくやり直したくて無理に自分を偽ってさ。そのくせ、本当の自分を知ってる相手には甘えて・・まぁ、そういう共通するところがあったから、お前といてすごい楽だったのかも・・」
「・・・うん・・」
宝は思わず言葉に詰まりながら頷く。
「俺も・・四賀といるの楽しかった。四賀といると、このままの自分でいていいんだって自信が持てた・・」
「そいつは良かったよ・・」
四賀はフッと笑って言う。
「俺も、お前といる時は偽らない自分も別に悪くないんじゃないかって思ってたよ。本当の自分を受け入れてくれる奴はちゃんといるんだって思えた」
「・・うん。俺、素の四賀が好きだったよ。口悪いし強気だしムカつくことも言われるけどさ、嘘がない四賀は信頼できた」
宝がそう言うと四賀は少し照れ臭そうに鼻を指で掻く。
それからスッと正面を向くと腰に手を当てて言った。
「まぁ、こんな感じでいいんじゃないか?俺達の終わりは」
「えっ・・」
「俺がお前を支えられるのはここまでが限界だ」
「・・・」
「お前が足りないと思っている部分は瀬野にどうにかしてもらえよ・・」
「・・四賀」
四賀は吹っ切れたような表情で宝を見つめる。
さっきまで隣にいたはずなのに、いつの間にか距離が空いて手を伸ばしてももう届かない、そんな気がした。
四賀との関係が終わった。
そう思うとどこか心細い気持ちが込み上げてくる。
今までどれほど四賀を頼りにしてきたのか。
終わって初めて気づく自分に不甲斐なさを感じる。
宝はぐっと込み上げてくる気持ちを飲み込むように下を向いた。
宝がジッと黙っていると、四賀はふと思い出したかのようにポッケからスマホを取り出す。
そして画面を操作しながら言った。
「お前、東京いつ行くんだ?早くしないと夏休み終わるぜ」
「えっ?あっ、まだあんまり考えてない・・」
「おい!受験もあるんだから行くって決めたら早くしろって!いつが空いてんだよ?」
そう言って四賀は忙しなく指で画面を動かす。
どうやら新幹線の予約状況を見ているらしい。
「えぇと・・来週の木曜日とかなら、確か予備校の講義が休校だったような・・」
「・・木曜日?なんだ、ちょうどいいじゃん。俺もその日から京都に行く予定だから途中まで一緒に行こうぜ」
「へっ?」
「樹の大学のオープンキャンパス。行くって言ってたろ?俺は二泊する予定だけどお前は日帰りか?」
「・・東京、日帰りできるかな・・」
「瀬野に会うだけなら出来るんだろ。俺も朝早い新幹線で行くつもりだし」
「・・うん。でも・・」
「おい!ハッキリしろよ!決めたなら行動しろ!俺がお前の手を引けるのはここまでだからな」
「・・っ!うん・・」
宝はハッとして頷いた。
そうだ。自分で東京に行きたいと決めたのだ。
完路に会いたいと。
四賀との関係を終わらせてでも、強く望むその気持ちに向き合わなくては。
ーーー
「だから、今日四賀と途中まで一緒に新幹線で来たけど、それはもう友達として。俺はどうしても完ちゃんに会いたかったんだ」
宝は再びしっかりと完路を見つめる。
完路は宝の上に覆い被さらないようにしながら黙って話を聞いていたが、宝の話が終わると身体を起こして床に座り直した。
宝もそんな完路の横にチョコンと座り直す。
(今の話で自分の気持ちは伝わっただろうか・・)
宝はチラリと横目で完路の様子を伺おうとした。
するとこちらを見つめる完路とパチリと視線が合った。
思わずドキリと胸が跳ねる。
「・・宝、ずっと言えなかったこと、もう一度言うから聞いてくれる?」
完路は真剣な眼差しで口を開く。
「・・・うん」
宝は瞳をそらさずに頷いた。
「俺は、宝のことが好き。小さい頃からずっと宝のことが大切だった」
「っ・・・」
「大切だったから、側にいたくて・・でも、いつか俺のカッコ悪い部分がバレて宝に幻滅されたらって思うとそれも怖くて・・宝と一緒にいるのは楽しかったけど苦しくもあったよ・・」
完路はそう言いながら少しだけ目共を緩める。
「宝が・・俺のことを『そういう風』に好きじゃなくても、俺のこと好きでいてくれるのは嬉しい。でも、俺はもう宝の親友ではいられない。宝をただの友達としては見られないんだ、きっとこの先もずっと。ごめんね」
「・・完ちゃん・・」
「だから・・ごめん、うまく言えないんだけど・・俺・・」
そこまで言って声が詰まった。
完路はパッと下を向いたが、肩が小刻みに震えている。
(・・・完ちゃん)
宝は大きく両手を広げると完路を両肩から包み込むように抱きしめた。
「・・・?!」
完路は驚いて目を見開く。
「た、宝?」
「完ちゃん、やっと俺の前で泣いてくれた・・」
宝はそう言うとさらにキツく完路を抱きしめた。
「宝・・はなし、て」
完路はギュッと潰されるように抱きしめられた宝の両腕の中でもがく。
「こんなことされたら・・俺、本当にますます諦めきれなくなる。こんな気持ちのまま・・宝と離れなくちゃいけないなんて、辛いよ」
「なんで?なんで離れなくちゃいけないの?」
宝は完路が離れないように両腕に力を込めたまま聞いた。
「なんでって・・だから俺は、宝のことを友達以上に好きなんだ。こんな気持ちのままずっと宝の隣にはいられない。この先、宝がまた誰かと恋人になるのを俺はもう見ていられない。耐えられない・・またきっと、いや、もしかしたら今度はもっと強引に宝を無理矢理抱いてしまうかもしれない。酷いことをするかもしれない。だから・・」
「・・・完ちゃん」
宝は抱きしめていた両腕をそっと離すと、今度は完路の両手を優しく握った。
「完ちゃん、俺と・・付き合ってください」
「・・え・・・」
「俺と、ずっと一緒にいて下さい」
宝はそう言うとグィッと顔を上げて勢いよく完路の唇に自身の唇を押し当てた。
そしてチュッと小さな音を立ててそっと離れる。
「・・・」
完路は口を少し開いた状態でポカンと宝を見つめる。
「言ったよね?俺、どんな完ちゃんでも大好きなんだよ。この先何があったって、誰と出会ったって・・完ちゃん以上に好きになれる人は現れないよ」
伝えたいことは全部伝えないと・・また完ちゃんに逃げられる前に・・
宝はゴクリと唾を飲み込んだ。
「完ちゃんのこと、友情とか愛情とかそういうの全部丸ごと含めて大好きなんだ。完ちゃんになら何されたっていい。ずっと一緒にいたい!側にいたい!だから・・お願い・・」
そこまで言いかけた言葉を、今度は完路の唇で包み込むように飲み込まれる。
「ぅん・・・」
「・・・っぅ」
開いた口の端でなんとか息をしようとするがそれもすぐに完路の唇で塞がれ、宝は縋るように完路の腕を掴んだ。
「・・はぁ・・かん・ちゃん・・」
「・・ふっ・・ぅ」
溢れそうになる唾液を舐め取られ、宝は完路からされるがままに唇を重ねる。
お互いに息が上がるまで続けた後、完路はそっと宝から唇を離した。
二人の息を整える小さな音だけが部屋に響く。
宝がぼうっとした瞳で見つめると、完路は自身の掌で宝の頬をそっと撫でた。
そして、柔らかく微笑んで呟いた。
「・・宝、ありがとう・・・」
「・・・うん」
宝は頬にあてられた完路の手を上から包み込むように握り返す。
「これから何があっても俺・・完ちゃんの手、絶対離さないからね」
そう言って宝はグッと握っていた手に力を込める。
もう二度といなくなってしまわないように、その掌に願いを込めて。
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