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(2)ハイリスク・ハイリターン

「う……」  ラドラムは、寒さに震えて目を覚ました。革ジャケットの温度調整センサーが壊れたらしい。  一瞬、状況が理解出来ず視線を彷徨わせる。目の前には、タッチパネル。  だがそれは、いつもラドラムが足をかけていたキャプテンシートの前の広いタッチパネルではなく、必要最低限のボタンしか備わっていない窮屈で簡素なものだった。 「いて……」  右目の上に血液が流れて固まり、視界を赤く染めていた。それを注意深く剥がして、ようやく事態を思い起こす。 「アーダム……なんて奴だ。力づくにも程がある」  ブラックレオパード号には、一人乗りの脱出ポッドと二人乗りの脱出ポッドがそれぞれ二機、搭載されていた。  これは……二人乗りか? ラドラムは考えながら、狭くて薄暗い空間で何気なく隣を見て、ぎくりとした。 「だ……誰だ?」  思わず、独りごちた。  隣のシートには、ラドラムの方に頭を倒して気を失っている、見知らぬ青年がシートベルトをして座っていた。  混じりけのない純粋な黒髪は珍しく、世が世なら何処かの貴族か王族か、とラドラムは考えずにいられなかった。  記憶を辿ると、艦橋が破壊され、気を失った所までしか覚えていない。  自動で出されたSOS信号を傍受して、近くの船から助けに来てくれたのだろうか。  タッチパネルを見ると、安全にデデンの山の上に不時着できるよう、計算された痕跡があった。  現在地は、標高およそ一万二千メートル。スクリーンをオンにすると、朝焼けの近付く仄暗い木立が見て取れた。 「森の中か……助かった。地上から狙い撃ちされない」  だがこの青年は、なぜレスキューの来やすい街外れでなく、高山の上に脱出ポッドを不時着させたのだろう。  まるで、一行の事情を理解しているようだ。クルーの、二人と半分から話を聞いたのだろうか。  考えていても始まらない。何より、身体が冷え切っていた。レスキューキットを開いて、アルミブランケットにくるまりたい。  ラドラムはそう思って、シートベルトを外した。  そして、メインコンピューターはおそらく破壊されただろう、プラチナに向かってウェアラブル端末に声をかけた。  せめて、記憶(メモリー)だけでも生きていれば。ボディは幾らでも換えがきく。 「プラチナ」  途端、隣の青年の指が、ピクリと動いた。僅かに痙攣するように頭が震え、ゆっくりと顔を上げる。 「気付いたか」 「はい、ラドラム」  開かれた瞳は、銀色の人工眼球だった。アンドロイドの擬似人間化は進み過ぎていて、人間と区別をつける為に、敢えて機械的な人工眼球にする事が義務付けられていた。 「お前、アンドロイドか。ひとまずは、命の恩人だな。礼を言う。何故、俺の名を知っている?」  まだ人類が地球だけに住んでいた頃、遥か昔にアシモフの考えたロボット三原則はいまだに生きていて、ラドラムはこのアンドロイドはそれに反応して助けにきてくれたのだと納得していた。  だがアンドロイドは、心配げに表情筋を動かして、ラドラムの顔を覗き込む。 「ラドラム、頭を打って、記憶をなくしましたか。私です」  驚いたのはラドラムだ。このアンドロイドのA.I.は、随分と長い事『学習』をしてきたらしい。  瞳が人工眼球だという所以外、表情や仕草に、アンドロイド特有の無機質さは感じられなかった。 「お前、俺を知っているのか? 悪い、覚えていない」 「そうですか……」  アンドロイドは心底悲しそうな顔をして、だが自分の事はかえりみず、素早くシートベルトを外すとそっとラドラムの頬に触れた。 「寒いのですね、ラドラム? 体温低下、震えています」 「ああ。悪いが、レスキューキットのブランケットを出してくれないか?」 「分かりました。待っていてください」  脱出ポッドには、二週間はサバイバル出来るだけのレスキューキットが装備されていた。同乗者がアンドロイドとなれば、単純に四週間は持つ。  アンドロイドは甲斐甲斐しく、アルミブランケットでラドラムを包んで、身を寄せる。 「ヒーターモードに入ります。寒ければ、私に触れてください」 「有難い」  ラドラムは、暖かいアンドロイドを抱き締めた。彼は、大人しく腕の中におさまって、何か考えるような顔つきをしていた。 「……何、考えてる?」  思わずそう聞いてしまうほどの自然さだった。 「貴方の身体の事と、クルーの不時着位置、彼らが助けにくるまでの日数を計算しています。ラドラム、頭の傷はもう癒着していますが、痛みますか? 必要なら、手当てをしますが」 「いや、必要ない。それより寒い。もう少し、こうしていてくれ」  そして、返事の返らなかった愛しい人プラチナを思い、ぽつりと呟いた。 「……プラチナ……」  すると、腕の中で嬉しそうな声が上がった。 「はい、ラドラム。思い出しましたか?」 「あ? 何でお前が返事するんだ」 「そうでした。この姿で会うのは、初めてでしたね」  腕の中で向き直って、アンドロイドは、ラドラムのフォレストグリーンの瞳とメタリックに光る人工眼球を合わせて囁く。 「私です。プラチナです」  その言葉に、ラドラムは数瞬言葉を失った。人間、驚くと本当に開いた口が塞がらなくなるものだ。 「……なっ……」 「船では、この声色で話していましたね、ラドラム。これで分かって頂けますか?」  目の前のメールタイプ・アンドロイドの唇から、愛するプラチナの女声が飛び出して、ラドラムはその違和感に、ゾッとして飛びのき狭いポッドの内壁に頭をぶつけた。 「いてっ……」 「大丈夫ですか、ラドラム。すみません。驚かせてしまいましたね」  ぱくぱくと口を動かすが言葉の出ないラドラムに変わって、プラチナが言葉を推測変換して答えた。 「……ど……」 「『どうして?』。はい。貴方が三歳の誕生日に、ミハイルに『お母さんが欲しい』と言ったので、ミハイルは私の音声をフィメールタイプに切り替えました」 「……いっ、いっ……」 「『今まで、ずっと』。はい、ラドラム。ミハイルは、貴方の願いを叶えたのです。彼からメールタイプに戻すよう命令されていないので、今までずっとこのままでした」 「じゃ……おま……本当に……」 「はい、プラチナです。良かったです、ラドラム。人間の脳は繊細ですから、私の事を忘れてしまったのだと思うと、寂しかったです」  プラチナは、儚く薄っすらと微笑んだ。ラドラムの愛する声をして。  驚きから、急速に消沈に表情を変えるラドラムを見て、プラチナは心配になって声をかけた。 「ラドラム。どうしまし……」 「やめろ」  強い口調で、ラドラムは遮った。  プラチナは、ラドラムの心をはかる術を持たず、人工眼球を瞬かせる。 「その声で、もう話すな。それは、俺が愛してた女の声だ。お前じゃない」  命令通り、プラチナは男声に戻って、戸惑ったように呟く。 「ラドラム。愛してた、と言いましたか。私は今でも愛しています。このボディがいけませんか? では、今回の仕事が済んだら、元のボディを復元してください」  睨むようにプラチナを強く射竦めていたラドラムの瞳が、たっぷり十秒はあって、ふっとうな垂れた。 「……いや……お前は、命の恩人だ。お前が悪いんじゃない。誰も悪くない……」  そう言って、まだ寒さに震える腕で、暖かいプラチナを抱き締めた。 「……プラチナ」 「はい、ラドラム」 「そうなんだよな。お前なんだ、プラチナ……」 「……それは、独り言ですか、ラドラム」 「ああ。答える必要はない。……夜明けまで、もう少し眠る。暖まるまで、このままでいてくれ……。おやすみ、プラチナ」 「おやすみなさい、ラドラム」  条件反射で、その言葉を聞くとラドラムは眠りに落ちた。  プラチナは、いつもの「愛してる」の言葉がないのは、やはりラドラムがこのボディを気に入らないのだと思って、物憂げな表情のまま、眠る彼に寄り添った。     *    *    * 「マリリン、本当にこのままで良いのか!?」  激しく雪が吹きつける険しい山肌を、ロディとマリリンは、腰まで埋まって上へ上へと登っていた。  キトゥンは、ロディが背負ったレスキューキットのリュックの中で、頭だけを出してダァダァと機嫌よく声を上げている。身体中が毛に覆われている為、寒さは微塵も感じていないようだった。  二人は上着のヒーターをフル稼働させて、何とか寒さをしのいでいた。 「ええ。脱出ポッドの不時着位置まで追跡されてるかどうか分からないけど、街におりたら、キトゥンのお母さんみたいに、暗殺されかねないワ」 「でも、本当にあんのか? イエティの集落なんて」 「ある筈よ。無謀な登山者の0.9%が、頂上付近で生物の声を聞いたって言ってるもの」 「動物かもしれねぇだろ」 「でも三人は見てるのヨ。人影を。キトゥンが何よりの証拠だワ」 「百年で三人だろ。……凍死か。まぁ、悪くはねぇ死に方だな」 「縁起でもない事、言わないで頂戴。アタシは長生きする気満々ヨ! 可愛いお婆ちゃんになるんだから!」  マリリンはぶるりとひとつ身を震わせて、コートに積もった雪を払い落としてから、先の見えない白い世界に目を凝らした。  ロディは、『お婆ちゃん』の言葉に突っ込みも入れられないほど、疲弊しているようだった。 「絶対あるワ。それに、キトゥンがいるもの。キトゥンは、ブラックレオパード号が狙い撃ちされる前、泣いて危険を知らせてくれたの。キトゥンさえいれば、アタシたちは助かるワ……!」  自分に言い聞かせるように呟いて、二人は何処までも続く白い山肌を登り続けた。     *    *    *  惑星デデンの地下コロニー内、人工の日の出が空を燃やすレトロな室内で、アーダムはいつもより三時間は早く起き、大統領の大きなデスクについていた。  全てがシンプルで機能的になった現代において、家具は、最高級の手仕事の刺繍や彫刻が施された、十九世紀地球を思わせる内装だった。  ノックの後、一人の恰幅のいい女が入ってきてボソボソと報告をする。 「レムズ大統領。ミサイルの発射記録を、隕石衝突事故に改ざんしました」 「うむ。それで良い。全く……あれに連邦標準語を理解する知能があったとは、誤算だったな。便利屋なんて、何て厄介なものを呼んでくれたんだ」 「お言葉ですが」  アーダムより幾分か若い中年の秘書は、慇懃な目つきと声音で言い置いた。 「元はと言えば、大統領の物好きから出たサビにございます。これ以上の干渉は、悪い結果を招く事になるかと……」 「分かっている。で、殲滅は出来たのか」 「脱出ポッドが二機、高山の頂上付近に射出されていますが、あの寒さです。凍死か餓死するでしょう」 「ふむ……逃げられたか。でもそうだな。脱出ポッドのレスキューキットは、せいぜい二週間だ。下山する途中で、死ぬだろうな」  アーダムは、有権者にはけして見せない、下卑た笑みを浮かべた。 「私は、あと三期は大統領をやれる。こんな事くらいで、地位を失ってなるものか」 「わたくしどももそのつもりですので、どうか、慎んで頂きますよう」 「ああ。あれは、なかなかに面白いオモチャだったがな」 「大統領……!」 「分かった分かった。寝直すとする。今日は貴重な休日だっていうのに、全く、災難だ……。もういい、さがれ」 「は。大統領」  秘書は落ち窪んだ目で目礼して、部屋を出て行った。     *    *    * 「キャッ!」 「……マリリン!」  先を歩いていたマリリンが、突如姿を消して、ロディは慌てた。  まるで吹雪にかき消されるように視界から一瞬にしてフレームアウトして、ロディは立ち止まって名を呼ぶ。 「マリリン! マリリン!!」  だが、返事は返らない。  この場から動いては、事態を悪化させるだけだろう。  そう思ったロディは、たった今までマリリンが立っていた、雪の山肌を手探った。  思った通りだ。スレンダーなマリリン一人分の小さな穴が、雪面に開いていた。  覗き込むが、中は暗くてよく見えない。返事がないという事は、気を失うだけの深さがあるのだろう。 「参ったな……マリリン! 聞こえるか!!」  その声がクレバスに反響する。ロディは、最悪の事態も考えていた。  落ち着く為、いったんその場に胡坐をかいて、どうしたものかと考え始めた。  その時。リュックの中のキトゥンが、ごそごそと身じろいだ。 「ア……マ……」  ロディはリュックをおろして、前に抱えてキトゥンの真ん丸の無垢な瞳と、グレーの瞳を合わせた。 「キトゥン、すまねぇな。マリリンが落ちた。こっから動けねぇ。お前だけでも助けてやりたかったが……すまねぇ」  するとキトゥンは、自分でリュックの口を押し広げて、これも白い綿毛に覆われた小さな手でロディの頬に触れた。 「マ……リィ……」 「そうだ。マリリンだ」  一度ゆっくりと瞬いて、キトゥンは次の瞬間、高く鳴いた。  ──ホーウ。  それはまさしく、ホログラフ映画で観た事のある太古の猿の吠え声だった。 「キトゥン……」  しばらくは暖かなキトゥンの手の感触に、この世の名残を数えていたロディだったが、不意に遠くから返事がした。  ──ホーウ。  キトゥンが返す。  ──ホーウ。  ──ホウ、ホーウ。  ──ホーウ。  あっという間に、視界の悪い周囲を、吠え声に囲まれていた。  気付かなかった筈だ。白い山肌に白い毛皮のイエティたちが、いつの間にか周りを取り囲んでいるのだった。 「イエティ……! キトゥン、お前が呼んでくれたのか」  ──ホウ。  ──ホーウ。  しきりにイエティたちと鳴き交わしていたキトゥンだったが、やがてロディの頬をぺたぺたと叩いた。  それはまるで、「大丈夫」と言っているようだった。  音もなくイエティたちが近付いてきて、ロディの抱えたキトゥンの頭を代わる代わる撫でた。グク、と甘えた鳴き声を上げて、キトゥンは笑う。  そして身軽にクレバスに一人が入っていくと、ややあって、マリリンの巻いた赤毛が覗いた。 「マリリン!」  下から押し上げるイエティを手伝って、ロディは上からマリリンの腕を引っ張った。  地上にいるイエティたちも群がってきて、吠え声を上げながら一緒に引っ張る。 「よし、もうすぐだ! 頼む!」  未知の人類に対する恐怖など、ロディは微塵も感じていなかった。『仲間』として、懸命にマリリンを引き上げる。  雪面にぐったりと横たわったマリリンの身体の無事を確かめていると、イエティたちもそれを中心に輪を作って、心配そうにその行為を見守っていた。 「何処も、折れたりはしてねぇみたいだな……。畜生、船医のお前がこれじゃ、治療のしようがねぇ……」  途方に暮れるロディだったが、 「ア……ア!」  とキトゥンに頬を叩かれ顔を上げると、獣の皮と木で作られた、ソリのようなものが引かれてくる所だった。 「こいつぁ、驚いた……」  雪猿というくらいだから、野生動物に近い存在だと思っていたが、紛れもなくそれは加工されたソリだった。  そして一人が、吠え声とは違う、異国語の響きで話してソリを示す。 「恩にきるぜ。マリリン、助かるぞ……!」  そう言ってロディは、マリリンを抱き上げてソリに乗せた。  四方に伸ばされたロープをイエティたちが代わる代わる引っ張って、疲れ切って足の遅くなったロディを振り返っては歩幅を合わせて、山頂へと導いた。     *    *    *  先とは反対に、汗ばむくらいの暖かさに、ラドラムは目を覚ました。  腕の中には、じっと前を見詰めている長い黒髪の青年が居て、ラドラムは初めての失恋にツキンと痛む心を感じた。 「ラドラム。夜は明けました。大丈夫ですか?」 「ああ……。もう暖まった。ヒーターモードはいい。サンキュ、プラチナ」  切なく胸は痛むのに、長年の習慣で、身を離しながらその名を呼ぶ。 「どういたしまして」  いつものように、プラチナが返す。その姿が、長身な青年であるという事以外は、何も変わらない。  なのに、酷く感傷的な気分だった。 「先ほど、キトゥンの声が聞こえました。まだ近くにいます。後を追いますか?」  だがその言葉に、ラドラムはハッと顎を上げた。 「キトゥンの? みんな無事か?」 「多数の生命反応があり、キトゥンの声が聞こえたので、おそらく無事かと。この山には特殊な磁場があり、ウェアラブル端末の認識が出来ません」 「待て。こんな山奥に沢山人が居るって事は……追っ手じゃないのか」 「いえ。キトゥンは、地球発祥の人類では出せない音階で鳴き、応えたのも、同じ声です。イエティと呼ばれる、この惑星の先住民族だと思われます」  ラドラムは、顔を綻ばせて、短く笑う。 「はっ……そうだ、全員助かるには、イエティの力を借りるしかない。運が向いてきたな。プラチナ、俺はジャケットの温度調整センサーが壊れてる。ヒーターモードのまま、移動できるか?」 「はい、ラドラム。体温を保ったまま素早く移動するには、私がラドラムを抱き上げて運ぶ必要がありますが」  二人は顔を見合わせて、しばし沈黙した。  ラドラムのこめかみに、暑さのせいではない汗が、じわりと滲む。 「……担ぐんじゃ駄目か?」 「それでは接触面積が少なく、体温は下がってしまいます」 「いわゆる……『お姫様抱っこ』だよな?」 「そう呼称される事もあります」 「うう……野郎にお姫様抱っこ……」  頭を抱えるラドラムを見て、プラチナが心配そうな声音を出した。 「大丈夫ですか、ラドラム? 頭が痛いのですか?」 「ああ、痛いよ……」 「治療を……」 「あー、そういう『痛い』じゃないから、安心しろ」 「ラドラム。今すぐ追いかけないと、私の生命反応センサーから、キトゥンたちが消えてしまいます」  振り切るように、ふうっとラドラムが一息吐いた。 「分かった! 合流する。外に出るぞ」 「はい、ラドラム」  プラチナがタッチパネルを操作して、脱出ポッドの扉を開ける。  寒さは一気に厳しくなって、びょうびょうと雪が入ってきた。  先にプラチナが深い雪に一歩を踏み出して足跡をつけると、アルミブランケットにくるまったままのラドラムを横抱きにさらって胸の中に収め、雪に足を取られる事もなく、粛々と歩き出した。 「ヒーターモードに入ります。ラドラム、寒くありませんか」 「うー……寒い……」 「ではあと二℃、温度を上げます。目標までおよそ四十七分四十秒、耐えてください」 「ああ」  物心ついてから、ミハイルに頭を撫でられる事さえ拒否してきたラドラムだったから、その移動形態は全くもって不本意だったが、こう寒くては動けない。  味わった事のない抱き上げられる感触は、ふわふわとして、どうにも居心地が悪かった。  だが、身体は疲れ切っている。ラドラムは、いつしかその暖かな胸板に頬を預けて、軽い寝息を立てていた。     *    *    * 「頭の傷はもう塞がってるワ。あとは、水で清潔にしとけば大丈夫。ロディ、レスキューキットから、被覆テープ出して頂戴」 「ああ」 「水は何処? ……ああ、外? 雪解け水カシラ。ロディ、先に水汲んできて」 「へいへい。人使い荒ぇな」 「え? なぁに、この葉っぱ。……貼るの? あ……すり潰して……塗るの? プラチナ。この葉っぱの成分、人体に有害じゃないかどうか、調べられる?」 「はい、マリリン。……外傷に効能のある、アントラキノンが含まれています。有害な成分はありません」 「ありがと。キトゥン、使わせて貰うワ、って伝えてくれる?」 「ダ……ダァ」 「水汲んできたぜ、マリリン」 「ありがと、ロディ。やれば出来るじゃない」 「一言多いな」 「アンタだって文句言ってたデショ」  遠くの方では、ざわざわと言葉が飛び交っている。  いや……言葉? 何と言っている。聞き取れない。連邦標準語でも、辺境訛りでもない言葉……。  そう頭の片隅で思っていると、こめかみに、身も凍るような冷水がかけられた。 「んっ……!」  ラドラムは、三たび目を覚まし瞼を開けた。上から覗き込んでいる、顔、顔、顔……。  見慣れたものもあれば、今まで見た事もない白いおもてもあった。 「あ、ラド、気が付いた?」 「マ……マリリン」 「ごめんなさい、ビックリした? 雪解け水しかないのヨ。ちょっとジッとしてて。傷を綺麗にするから」 「……プラチナは?」 「ここに居ます、ラドラム」  脳天の方から、プラチナの顔が覗き込んできた。  首の辺りが暖かいと思ったのは、プラチナの膝枕のせいだと気付いた途端、ラドラムは弾かれたように跳ね起きた。 「キャッ。ちょっと、ラド!」  木の桶がひっくり返って、獣の皮の絨毯を濡らす。  先のざわざわが大きくなって、口々に何かを語り合っていた。 「ここは……。イエティ?」  身を起こすと、そこは木と草と獣の皮で形作られた、大きな雪洞のようだった。  雪の中は、暖かいと聞いた事がある。火は焚かれていなかったが、そこここに大小のぼうと光る発光石が置かれていて、それが仄かに熱と光を発しているのだった。 「そうヨ。アタシたちを助けてくれたの。もう安心ヨ、ラド」  ラドラムが急に身を起こしたので、覗き込んでいた白い顔は、遠巻きに彼を窺っている。  キトゥンとは違い、全身を白く滑らかな長い毛で覆われたしなやかな姿は神秘的だったが、大きな瞳がキトゥン・ブルーなのは、彼女と揃いだった。 「アンタが桶をひっくり返すから、ビックリしてるワヨ。ちゃんと謝って」 「あ……悪い。ありがとう……って言っても、伝わらないか」 「キトゥンが通訳してくれるワ」  見ると、キトゥンは一人のイエティに抱えられ、授乳されているのだった。  そのイエティが、何事かを語る。  すると一人の、やや大柄なイエティが近寄ってきて、木製の臼の中ですり潰された緑色の粘着質な塊を示して、マリリンに話しかけた。 「ありがと。ラド、彼はドクターよ。これは、傷の治りを早くする薬草。つけるワヨ?」 「あ……ああ……」  マリリンの手当てを受けながら、ラドラムは辺りを見回した。  その直径十五メートルほどの雪洞には、二十人余りのイエティが、物珍しそうにこちらを見ているのだった。 「マリリン、言葉、分かるのか?」 「分かんないワヨ。ドクター同士、何となく言わんとしてる事が分かるだけ。ロディ、被覆テープ」 「ほいよ」  白い包帯状のテープでラドラムの頭を巻くと、マリリンは彼の額をひとつ、ぺしっと叩いた。 「はい、終わり!」 「ってーな、マリリン。慰謝料は何処に請求したらいい?」  マリリンは白い歯を見せた。 「いつものラドね。頭部打撲による脳へのダメージも心配なし!」 「乱暴な診察だな」  ラドラムは叩かれた額を押さえて苦笑した。 「ラドラム。安心しました」  後ろから声をかけられて、ハッと我に返った。 「プラチナ」  振り返るとプラチナが、膝をついて座っていた。 「男とは握手もしないお前さんが、奴に……プラチナに抱えられてきた時は、驚いたぜ。ちゃんと『失恋』したか?」  ラドラムは再び前を向くと軽く肩を竦めて、 「ただ今、絶賛傷心中」  と皮肉った。  無精髭を撫でながら、ロディが笑う。 「冗談にする気力があるなら、大丈夫だな。俺ぁまた、お前さんがショックで首でも括るかと思ったぜ」 「知ってたのか?」 「まさか。ガキの頃から乗ってるお前さんが知らねぇのに、知るもんか」 「声色を聞くまでは、アタシたちも信じられなかったワヨ。まさかプラチナが、メールタイプだったなんて」 「だよ、な……」  一瞬シン……と沈黙が落ちた後、何処か不安げな声が上がった。 「ラドラム、やはり私のボディに問題があるのですね。私は今でも、貴方を愛しています」  ロディとマリリンが、ラドラムの『笑ったら殺す』といった視線に射ぬかれて、慌てて明後日の方を向いて肩を振るわせた。  ブロンドをガシガシとかき乱して、ラドラムは大きく息をつく。 「……プラチナ。俺も愛してるけど、もう『愛してる』とは言わない。だからお前も言うな。分かったな」 「それは命令ですか?」  ラドラムはしばし目を瞑って考えたが、やはりもう一つ息をついて、プラチナとしっかりフォレストグリーンの視線を合わせて言った。 「いや。お願いだ」 「……分かりました」  ロディが呟く。 「忠犬みてぇだな」 「ホント。ブンブン振ってる尻尾が見えるワ、アタシ」  それは耳に入っていたが、すっぱり無視して、ラドラムは声を高くした。 「腹が減っては何とやらだ。まず、飯! それから作戦会議だ!」     *    *    *  惑星デデンの地下コロニー内、雑多な歓楽街にプラチナは身を置いていた。  デデンの住民データをハッキングして、アーダムの秘書を割り出すのは簡単だった。  彼女が若い男を夜な夜な物色して歩いている事は、秘書の自宅の電子日記から割り出せた。  あとは歓楽街の入り口で、サングラスをかけて娼婦たちの列に加わり、彼女を待つだけで良い。  混血が進んだ社会で漆黒の髪に白い肌は珍しく、秘書は札束をちらつかせながら、早速プラチナに声をかけてきた。 「幾ら欲しいの? お金はあるのよ。今夜は、貴方と過ごしたいわ」 「ああ。夜は長ぇ。まずは、酒でも飲まねぇか」  その薄い唇から漏れるのは、ロディの声だった。  秘書は身悶えて、胸の前で蚕のような太い指を揉み合わせる。 「まあ、顔に似合わずワイルドなのね。いいわ。飲みましょ」  プラチナは秘書の手を握ってぐいと引き寄せると、肩を抱いて耳元で囁いた。 「いい夜になりそうだ。あんたの事、いろいろ聞かせてくれよ」 「ま、まあ」  秘書は年甲斐もなく頬を赤らめて、プラチナと寄り添って一軒のいかがわしい酒場へと入っていった。二階が休憩スペースになっている、いわゆる連れ込み宿だ。  席に着くと、プラチナの顔をしたロディはしきりに秘書に酒を勧め、肩を抱いては囁くように色々な質問をした。 「あんたみてぇに素敵な女性(ひと)が、横暴なボスにこき使われてるなんて、理不尽だな。今夜は、忘れさせてやるよ」  正体もなくすほど酔った秘書は、プラチナに促されるまま、饒舌に仕事の愚痴を語り出した。 「そうなのよ。我がままですぐ違法な事に手を出すくせに野心家で、あたしたちは尻拭いばかり!」 「へぇ? 違法ってぇのは、どんな事なんだ?」 「汚職とか、改ざんとか……飲む・打つ・買うは当たり前だし、とにかく、違法のデパートなのよ。スピーチの上手さだけで、仕事が勤まってるようなもんだわ」 「大変だな。そこまで汚ねぇ事をやってる奴なら、家のセキュリティもさぞ、厳重なんだろ」 「それがあいつ、成金趣味で、身の周りは十九世紀地球様式で統一してるのよ。セキュリティ連動の合鍵は、あたししか持ってないわ。基本的に他人を信用してないのよ。……ねぇ……それより……上に行きましょ?」  とろんと濁った目で、秘書はプラチナの頬に触れる。 「ああ。そうだな。最後にもう一杯だけ乾杯して、上に行こう」 「もう……焦らすのが好きなのね」  秘書は、プラチナの黒づくめの胸板を人差し指で辿って、甘える。  バーテンからグラスを受け取って秘書に手渡すと、二人は小さく乾杯した。早くコトに及びたいのか、秘書はほぼ一気にグラスを煽る。 「いい飲みっぷりだ。寝かせねぇから、覚悟してな」 「まあ……うふ……ふふ」  立ち上がっても足元の覚束ない秘書を、プラチナが抱き上げて二階の一室に運んだ。  最後のグラスに入れた即効性の睡眠薬が効いて、いびきをかいて眠る秘書をベッドにおろすと、プラチナは本来の声に戻って呟いた。 「アーダムの違法行為の証言、録音に成功しました。それと……家の鍵を入手しました」  下の酒場で成り行きを覗き見ていたラドラムとロディは、ニヤリと目を見交わした。 「良くやった、プラチナ。俺たちは先に出て、二ブロック先の路地裏で待ってる。お前は五分待ってから、おりてこい」 『了解しました』  ロディはウェアラブル端末をした手首をもう片方の手で握って撫で、ラドラムはラム酒を干して酒場を出ていった。  ラドラムの立てた作戦は、こうだった。  まず、面がわれていなく寒さ食料に心配のないプラチナが下山し、変装キットと下山の為の食料と足を用意して、迎えに来られる所まで山を登る。  ラドラムたちはイエティの助けを借りてプラチナと合流し、一気に山を下る。  あとは、保険として秘書から話を聞き出し、アーダム邸に忍び込んで、なるべく速やかにデデンを脱出するというものだった。  変装した三人とプラチナは、路地裏に集結した。  キトゥンには少々窮屈だが、憧れのブロンドをなびかせたマリリンの、マタニティウェアの腹の中におさまって貰った。声は出さないようにと言い聞かせてある。 「武器を確かめろ」  三人は円陣を組み、それぞれの武器を真ん中に突き出した。  ラドラムはパラライズ銃、ロディマスは反重力フィンガーグローブとブーツ、マリリンは二丁のスタンガンだった。  プラチナは、元々備わった怪力がある。戦闘用ではなかったが、その身体は強力な盾となるだろう。  コンタクトでとりどりに色を変えた瞳を見交わし、三人は不敵に笑うと、アーダム邸に向かってホバーバイクに跨った。     *    *    *  ──カチャリ。  十九世紀地球様式の大きくて長い鍵を、黒革手袋で包まれたプラチナの手が鍵穴に差し込んで回すと、微かにヴゥン……とメカニックな音が響いた。  足元には黒服のバウンサーが二人、ロディの不意打ちを食らって倒れている。  プラチナの冷静な声が囁いた。 「セキュリティがダウンしました。……ですが、あと二つ起動しているシステムがあります」 「何だ」 「一つは、声紋認証のようです」 『誰だ』  アーダムの声が誰何した。  だがそれが合成音声だとは、プラチナだけが気付いた事だった。電子回路の頭の中で、目まぐるしく計算が施される。 「……わたくしです。大統領」  プラチナが、先の秘書の声音で慇懃に答えると、返事が返ってきた。 『入れ』 「もう一つは?」 「指紋認証です。先ほど、彼女の手を握った際に記録しました。左利きの筈です」  プラチナが左手袋を外すと、人間の目には見えない遺伝子情報がその指に配列され、指紋が形成された。  間違っていれば、忍び込むという目的は果たされなくなる。  万が一声紋認証をくぐり抜けても、『入れ』という言葉にうっかりドアノブを握ると警報が鳴り響くという、巧妙な人間心理をついたセキュリティだった。  しかしプラチナが左手でゆっくりとドアノブを回しても、警報は鳴らなかった。軋みまでこだわって、ギイ、と古めかしい音を立て、ドアは開いた。  ラドラムがさっとパラライズ銃を構えたが、長い廊下が続くばかりで、人影は見られない。万全のセキュリティに胡坐をかいた、典型的な抜け穴だった。 「プラチナ、生命反応は?」 「手前の一室に五人、一番奥の一室に三人、生命反応があります」 「三人? 家族の寝室か?」 「いえ。秘書の話では、アーダムは体裁を取り繕う為に三十二歳で結婚しましたが、すぐに別居しています」  ラドラムは、酒場でロディと秘書が交わした会話を思い出した。 「ああ、そうだった。子供も居ないんだったな」 「女子供が居ないってこたぁ、やりやすいぜ」 「でも家の外には、うじゃうじゃ隠し子が居そう」  後ろでは、ドアが自動的に閉まって、再びヴゥン……とセキュリティの入る音がした。 「行くぞ。油断するな」  それぞれの武器を構え、四人と半分はすり足で歩む。内装もゴテゴテの成金趣味だったが、毛足の長い絨毯は彼らの足音を吸って、事の運びを順調に進ませた。  入って一つ目の部屋はドアが閉まりきっておらず、中から煙草の匂いと話し声が漏れてくる。  男たちの声だった。僅かに聞き取れる会話から、電子チェスをしているらしい。 ──しくしく。しくしく。  玄関内の警備やモニターの監視をサボり、電子チェスに興じていたバウンサーたちの耳に、女がすすり泣く声が聞こえてきた。 「な……何だ?」  ついせんだって、イエティの女を殺したばかりの男たちは、思わずぞっとして動揺する。 「部屋のすぐ外だ」 「まさか……」  おっかなびっくりドアを開けると、広い廊下の奥の方に、長いブロンドの女が跪いて泣いていた。 「お、おい。どうした」 「お前、新入りの情婦(オンナ)か?」 「赤ちゃんが……」  女は、か細くしゃくり上げた。見ると確かに、女の腹ははちきれそうに膨れていた。 「わっ。お前、どうすんだその腹!」 「認知して貰いに来たの……うっ……痛い。う、生まれる、生まれちゃう……」  女の息遣いが早くなって、男たちは慌てた。 「馬鹿、そんな所で生むな!」 「取り合えず部屋に入れ!」  どよどよと男たちが部屋から出てきた。  俯いていた女が、不意に顔を上げて不敵に笑った。 「馬鹿はどっちカシラ!」  運ぼうと両脇に屈み込んだ二人の男を、マリリンが両手に持ったスタンガンで失神させた。  ドアの両脇に控えていたラドラムとロディが、それぞれパラライズ銃と拳で二人を倒す。  最後に残った一人は、頭の回転が速かった。形勢不利と見るなり、戦う愚を犯さずに反転して部屋に戻る。  だがエマージェンシーボタンを押す一歩手前で、重い手刀が項に決まり、床に音を立てて転がった。 「ナーイス。プラチナ」 「これで良かったでしょうか、ラドラム」 「ああ。大丈夫だ、力加減さえ間違えなければ、死ぬ事はない。安心しろ」  人間に危害を加えた事への違和感に、しきりに手をさするプラチナを、ラドラムが保証する。  罪悪感に歪んでいた顔が、ほっと安堵の息を吐いた。 「あとは、奥の三人だな。ここからが本番だ。気を抜くな」  その頃、奥の主寝室では、目を覆いたくなるような破廉恥な行為が行われていた。  キングサイズの天蓋付きベッドには、男が一人、女が二人。どれも全裸だった。  女たちは貰った金の分の仕事を、男は支払った金に見合う対価を受け取るのに大忙しで、容易く一行の侵入を許している事に気が付きもしなかった。 「動くな」  アーダムと二人の女は、ギョッとして動きを止める。  眉間を、ラドラムのパラライズ銃が狙っていた。  咄嗟にベッド脇のエマージェンシーボタンを押そうと動くが、樽のようにせり出した腹と、女たちが邪魔をして届かない。  その指先を掠めて、ラドラムが撃った。 「ヒ、ヒィッ!」  女たちも金きり声を上げる。 「動くなと言っている。脅しじゃない。本気だ。最大出力にして急所に当たれば、永遠にそうやってベッドにいる事も出来るだろうな?」  再び、ラドラムは眉間に狙いを定めた。 「プラチナ。この有様を記録しろ。ただし、俺たちの音声は入れなくていい」 「了解しました」 「な……何者だ!!」 「大きな声を出しても無駄だ。バウンサーは全員、倒したぜ」 「なっ……」  その時、マリリンの腹の中身がぐるると動いた。 「そうネ。キトゥン、アンタのお母さんの敵かたきだものネ。顔見せてやんなさい」  マリリンがマタニティウェアの前を開くと、キトゥンが鋭く鳴いた。初めて見せた、敵意だった。 「そ、それは……イエティの……」 「キトゥンはものじゃないのヨ! 『それ』なんて言わないで! サイッテー!!」 「か、金か。幾ら欲しい、幾らでもやる」  それまで仰向けに寝転んでいたアーダムは、女たちを押し退けて膝をつくと、這いつくばって猫撫で声を出した。 「そうだな。金も必要だが、まず船が必要だ。小型船を用意して、宇宙港から安全に出発できるように整えろ」 「ラドラム。無性型(セクスレスタイプ)でお願いできますか」 「ああ、お前がいるもんな、プラチナ。そういう事だ、手配しろ」  アーダムはベッドから転がり落ちると、床に脱ぎ散らかされた服を探って、ウェアラブル端末を見つけ出した。  通信回路を開く寸前、ロディが、アーダムの喉笛をやんわり掴んで凄んで見せた。 「助けなんぞ呼んだら、この映像とお前の罪を連邦警察に通報するぜ。お前の首が折れる方が先かもしれねぇけどな?」 「わ……わ、分かった」 「声が震えてるな。これじゃ駄目だ。お前が話せ、プラチナ。……通信回線を開け」  アーダムは首にかかった掌に圧を感じて、震え上がって言葉通りにした。 『こんばんは。こちら、デデン宇宙港です。如何しました、大統領』  ロディが放ったウェアラブル端末を受け取り、プラチナがアーダムの声音で言った。 「ああ、悪いが小型船を用意してくれないかね? セクスレスタイプで、出来ればブラックのボディが良いんだが」 『大統領専用機ではないんですか?』 「ああ、友人たちが船を必要としてるんだ。早急に港を出られるよう、手配して欲しい」 『分かりました。……すみません、すぐに出られるのとなると、ブラックはありませんね。シルバーなら』 「ああ、そうか……それで構わん。素早く安全に航行出来るよう、くれぐれも篤くもてなしてやってくれ」 『了解致しました、大統領閣下』  通信は切れた。  ラドラムは眉間への狙いは逸らさぬまま、何処か楽しげに言葉を紡ぐ。 「次は、金だ。パーソナルATMから、現金で十億連邦ドル引き出せ」 「十億……! ま、待ってくれ。それではまともに暮していけん」 「オンナに金をつぎ込まないで、この成金趣味をやめれば、充分質素に暮していけるさ。ロディ」  一瞬、ロディの手に力が入り、アーダムは踏み潰されたひき蛙のような声音を出した。 「わ、分かった、から……ゲホッゲホッ」  アーダムは顔を真っ赤にして咳き込んで、這ってこれも古めかしい鏡台の前まで行くと、装飾の一部の獅子の頭を押し込んだ。ガコン、と微かな音がして、鏡が中央から真っ二つに割れる。  そこに、パーソナルATMのキーボードが並んでいた。  奮える手でそれを操作し、長い長い暗証番号を打ち終えると、アーダムはみっともなく嗚咽しながら十億連邦ドルを引き出した。何よりも、我が子との別れよりも辛い十億ドルだった。  流石のラドラムも、札束の圧巻に思わず問う。 「プラチナ。持てるか?」 「はい、ラドラム。圧縮すれば、運ぶ事が可能です」  その返事を聞いた瞬間、彼の瞳は、爛々と輝き出した。 「よし、頼む」  そして、アーダムに銃口を向けたまま、言い放った。 「俺たちの事を話したり、助けを呼んだりしたら、銀河中にお前の悪事を垂れ流してやるからな。努々(ゆめゆめ)、俺たちを捕まえようなんて思うなよ」 「ラドラム、圧縮完了しました」  極限まで力任せに潰された札束は、大き目の段ボール程度になって、それが十億連邦ドルだなんて夢にも思わぬサイズになった。 「引き上げるぞ。ロディ」 「ああ」  ロディが両の拳を握り合わせてアーダムの背中を強く打つと、彼は無言の内に昏倒した。     *    *    *  宇宙港のスタッフは、実に丁寧にラドラムたちを送り出してくれた。  この惑星では一番に尊敬される人物、大統領閣下の友人だ。至れり尽くせりで、思わず気分が良くなるほどだった。  衛星軌道上まで送ると言うのを何とか笑顔で辞退して、宇宙空間に出た途端、一番近くのワームホールに飛び込んだのだった。 「しかし、ひでぇな。十億ドルふんだくっておいて、連邦警察にも通報したんだろ?」 「ああ。乱交映像と、秘書の音声をな。上手くいけば、懲役三十年は食らうだろ」 「いい気味ヨ。あんな、女の敵!」  変装を解いてキャプテンシートに沈み、やはりタッチパネルに足を乗せて、ラドラムはラム酒をボトルごと飲りながら満足そうに呟く。 「プラチナ。これだけ金があれば、この船のボディを、前みたいに綺麗なブラックに塗ってやれる」 「嬉しいです、ラドラム。……そうしたら、また愛してくれますか?」  ラドラムは、難しい顔をして腕を組んだ。  今この船を操縦しているのは、プラチナのA.I.だった。 「……と言うかお前、何で人型(ヒューマンタイプ)のままなんだ?」  プラチナは、嬉しそうに人工眼球を細めて微笑んだ。 「初めてヒューマンタイプになって、分かった事が幾つもあります。帰りを待つだけじゃなくラドラムを助けられる事、私にしか出来ない事がある事、抱き締めると心が暖かくなる事……」  口に含もうとしたラム酒を、ラドラムが盛大に噴いた。  堪らず、ロディとマリリンも噴き出し、『それ以上笑ったら殺す』という視線に射ぬかれて、明後日の方を向いた。  マリリンの腕の中のキトゥンでさえ、ククルルと鳴いて、それはまるで笑っているように聞こえた。 「私は、このまま貴方を助けたい。良いですか? ラドラム」  しばし沈黙が落ち、ロディとマリリンが、そろーりとラドラムを窺った。キトゥンは元々、ご機嫌に声を上げながら、二人を見ている。 「……勝手にしろ!」  吐き捨てて、ラドラムは、やけくそ気味にラム酒を煽った。 「はい、ラドラム!」  初恋を知った少女のように精悍な頬を綻ばせて、プラチナはそれに大きく答えたのだった。

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