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第2話 魔法学園の俺の日常

「う、う……ん……あ、ああんっ、そこ――そこ、あっ――」 「ああもう、ラスばっかり……」  やっぱり、今日もここか。  ドアにおしつけた耳に響く甘ったるいふたつの声。早く寮に戻らなくてはならないのに、双子はまだ錬金自習室でお楽しみ中だ。俺はため息をつきそうになるのをこらえる。  偉大なる魔法使いの息子たち――双子はどちらも金髪の巻き毛、長い睫毛に囲まれた青い眸をもち、少女のような風貌をしている。並んで立つとまるで絵のようで、この学園ではお楽しみの相手に事欠かない。 「あんっ……あっ、あっ、ああっ」 「んっ、キース、僕にも――」  今日の竿役はキース――あいつか。  俺はドアの前でノックをするかどうか迷った。  女子禁制の魔法学園男子部(リリー)では、男同士でつきあうのはよくあることだ。教師にみつかるとお説教をもらうとはいえ、広大な自然に囲まれた全寮制の学園なのだ。監視の目を逃れる場所は敷地内にたくさんあって、不純同性交遊はいたるところでなされている。双子のようなベテランともなれば、場所が錬金自習室みたいな校舎の中であってもかまわなくなるらしい。  有名な魔法使いの子息はただでさえこの学園ではモテモテだし、双子のような美形となれば好きな相手を選び放題。この学園に入学してすぐ、双子の爛れた生活を知った俺はもちろんびっくり仰天した。でも子供のころから続いているように、彼らに非公式の従者として仕えているうち、今ではどんな喘ぎ声もただのBGMにしか聞こえない体になってしまった。最近は双子の相手がどんな美形だったとしても、立っているとただの竿にしか見えない。  カチッ、カチッ――廊下の奥に置かれた大時計の針が進む音がきこえる。中断するともちろん双子の機嫌は悪くなるが、早く呼び戻さないともっとまずいことになる。俺は大声でいった。 「あ、ルイス先生? ええ、いま出るところでした!」  とたんにドアの向こうが静かになった。  ガサゴソと慌ただしい音が響き、バッとドアが開いた。肩をいからせてあらわれたのはキースひとりだけだ。制服はボタンこそ留めてあるもののネクタイは曲がっているし、ズボンには皺が寄っているが、長身でハンサムだから救われている。外見がいいのは双子の相手の絶対条件だ。それでも突っ立っている俺をみて一瞬うかべた表情はすこし間抜けだった。 「燃え殻、おまえかよ」いまいましそうに吐き捨てる。「ついでだ。あれをもってないか?」  急いでいるくせに、ここで出張購買扱いか。そう思いはしたものの、俺は小声で問い返す。 「回復薬? ランクは?」 「中でいい」 「それなら3ドラで」  キースは忌々しそうな表情で俺をみた。 「がめついぞ。燃え殻のくせに」 「だったら例のレポートとあわせて10ドラ。あれは前金をもらってない」 「なんだって? まさか手をつけていないのか? 提出日は明日だぞ」 「レポートはいつも前金だ。で、回復薬はいらない?」  キースが舌打ちをしたとたん空中に10ドラ札がぽっと浮く。指をすりぬけようとする紙幣を俺はすばやくひったくり、自分のポケットに納めて、かわりに茶色の小瓶を取り出した。キースも俺に負けず劣らずすばやく瓶をひったくり、栓を抜いてひと息で飲みこんだ。空の瓶を投げつけられて、俺はあわてて受けとめる。 「金は払ったぞ。レポートは」  そういって睨んでくる視線を俺は無視した。 「明日の朝、寮の郵便箱に」  答えたとたん、いきなり足払いをかけられた。よろめいた俺の右耳に爪が立てられ、涙が出そうなくらい強く引っ張られる。 「守銭奴が。調子に乗るなよ。そのマスク、ひっぺがしてやるからな」  キースが行くと同時に俺はポケットの10ドラ紙幣をたしかめた。中古で買った制服は二年たってもまだ大きくて、肩も丈もあっていないが、おかげであちこちに隠しポケットを作れるのだ。マスクの具合を直して――埃で喉を痛めないために俺はいつも黒いマスクをつけている――今度はドアをノックした。 「ラス様、ダス様?」  返事を待たずにドアをあけると、双子はまだ制服を直している最中だった。床にてらてらした液体が零れている。 「探しました。茶話会の時間です。いそいで寮に戻ってください」  ラスとダスは同時に顔をしかめた。 「茶話会? ああもう――燃え殻、どうしてもっと早く呼びにこないのさ。僕らがどこにいるかくらい知ってるだろう」 「ほんとに、おまえは昔から気が利かないんだからな」  もっと早く呼んだら別の文句をいったくせに。しかしこんな文句は年中浴びせられているので俺は気にしなかった。それより床を片づけなければならない。潤滑ジェルを拭きとらないと、もうすぐ点検に来る本物のルイス先生に何があったかばれてしまう。 「今日の茶話会では寮長から、魔法大会についてのくわしい説明があるそうです」  俺だって早く寮に戻りたいのだ。内心を押し隠してそういったとたん、双子は揃って目をみはった。 「あ、そうだ! そうだった!」 「急がなきゃ!」  押しのけるようにしてパタパタと出ていく二人を見送って、俺はいそいで掃除道具入れにむかう。モップで床を拭き、余計なものが残されていないか確認して、よしオッケー! 「アッシュ」  間一髪のタイミングだった。廊下に出たとたんにうしろから声をかけられた。 「ルイス先生」 「こんな時間まで何をしている。茶話会の時間だろう。寮の行事は全員参加が原則だ」 「すみません。床を汚したので掃除していました」 「床を汚した?」  ルイス先生は整理整頓に厳しいだけでなく、錬金材料をこぼすようなうっかりにも厳しい。 「二年になってもまだそんな調子なのか。まったく先が思いやられるぞ。これだから通常人(コモン)の子供は――アンブローズはあっさりおまえのようなのを合格にするが、私は簡単には認めないからな」 「はい、ルイス先生」  俺はおとなしく答えた。両親のどちらも魔法使いでない生徒は学園で俺だけだから、なかなか認めてもらえないのは仕方がない。魔力については問題なくても、他のいろいろなことで比べられてしまうし、ずるをしたと疑われることもある。  それでも一生懸命やって結果を出せば先生方は評価してくれる。厳しさは愛情の裏返し――かどうかは知らないが、俺にとって良い成績を出すことは絶対条件だ。俺の授業料と寮費は貸付金制度から支払われている。だから卒業後は魔法省の機関で働いて返済しなければならない。ひとくちに魔法省といってもいろいろな仕事があるから、できるだけ条件の良いところに入らなければ。それには学園でいい成績をおさめるしかない。  ルイス先生にもう一度頭をさげ、俺はいそいで校舎を出た。 「――というわけで、今年行われる魔法大会にはすべての学年が出場できる。詳細はその紙にあるが――」  息を切らしながら寮の談話室にすべりこむと、寮長はもう話をはじめていた。いつもの茶話会とちがって部屋は生徒でいっぱいだった。ルイス先生は「全員参加」といったが、代返する生徒も多いからいつもはもっと空いている。出席名簿に代わってサインしている俺がいうのだから間違いない。  でも今日の茶話会はただの親睦会ではない。王様から魔法省を通じて告知された魔法大会の説明があるのだ。  双子は窓ぎわのクッション付きの椅子に涼しい顔をして座っていた。俺は壁に背中をおしつけて立つ。前に座った生徒が紙きれをくれたのでいそいで読んだ。  ああ、噂通りだ。  *** 1.本大会は、魔法学園現三年生にして生徒会長である、リチャード王子のパートナーを選ぶために行われる。 2.リリー、カトレアに所属する生徒、全学年の希望者全員が出場可能である。希望者は配布されるエントリーシートに記入し、提出すること。 3.対戦は各自が所有する魔法機動兵士(ゴーレム)を使役する個人トーナメント戦とする。ゴーレムには所有者の魔力紋を登録した魔法演算硝子(ラレデンシ)を装着すること。 4.試合は城の特設会場で行われる。 5.ペアでの参加は認められない。 6.試合終了後、トーナメント戦の勝者には順位に応じて賞品と賞金があたえられる。 7.参加者全員に、試合終了後の夜、城の大広間で開かれる舞踏会に出席する権利があたえられる。この舞踏会で、リチャード王子みずからパートナーを選出する。  *** 「寮長、質問があるのですが」  双子の隣で誰かが手をあげた。取り巻きのひとりだ。 「プリンスのパートナーというのは、その、職務の話ですか? それとも?」  場がざわついた。寮長は冷静な声でこたえた。 「リチャード王子――現学園の生徒会長(プリンス)は次に王になられる方だ。そのパートナーというのは、つまりパートナーだ」  さらに取り巻きが手をあげてたずねた。 「ペアでの参加は認められない、とはどういうことでしょう」 「書かれている通りだ。王子はパートナーをひとりだけ選ぶ」  双子の周囲がますますざわついたが、寮長は表情をぴくりとも動かさなかった。  談話室の反対側で別の生徒が手をあげる。 「参加者全員が舞踏会に参加できるということですが、トーナメントの最終勝者でなくてもプリンスに選ばれる可能性があるということですか?」  談話室全体がさらに大きくざわついた。 「静かに! この大会は、プリンスが将来に渡って自分を支える者を選ぶために行われる。試合の結果は水ものだからな。舞踏会まで含めて総合的に判断する、ということだろう。――つまり、必ずしもトーナメントに勝たなくても、プリンスのパートナーに選ばれることも――ありうる」  寮長の答えをきいたとたん、あたりはしん、と静まりかえった。  俺は紙にかかれた要項を一度読み、二度読み、もう一度読んだ。  リチャード王子――生徒会長(プリンス)。  敬愛をこめてそう呼ばれる彼もまた、この学園の生徒だ。でも俺は入学式のときに一度顔をみたきりだ。すらりとした姿は遠目にも格好よかったし、プリンスが読んだ祝辞は心のこもったものだった。  プリンスは校舎につながる特別な塔で暮らしていて、授業も下々の者とは一緒に受けない。先生方が個人教授をするそうだ。グループで授業をする必要があるときだけ、良い血筋の生徒が交代でプリンスの塔に呼び出されるという。双子は入学したばかりのとき、一度だけプリンスの塔へ呼ばれたと聞いたことがある。  下々の者から離れているにもかかわらず、プリンスは毎年生徒会長として学園に提言を行っている。その結果自習室が増やされたり、寮の規則が変わったりといった改革が行われた、という。  魔法大会に出たらあの方のパートナーになれるかもしれない――なんて、それはすごい。  一瞬後、わーっと拍手が起きたのは俺と同じ結論にみんなが達したからにちがいない。寮長は笑顔になった。 「そういうわけだ。がんばれよ。私の話は終わりだ」  生徒たちが興奮してお喋りをはじめるなか、俺はあわてて談話室を出た。さっさと片づけなければならない仕事を思い出したので。

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