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第3話 自由になる時間とは

「燃え殻ぁ、頼んでいたあれだけどさ、明日までにできない?」  食堂を出たところでヘンリーが俺をつかまえてそういった。 「――え? 魔力紋ワッペンなら来週って」  急な話にこっちがいくらとまどっても、ヘンリーはどこ吹く風だ。 「それがさぁ、明後日女子部(カトレア)の子とデートの約束したんだけど。ていうか、前から口説いていた子とやっと約束できたんだけど、昨日遠見鏡で話をしてたら、あっちじゃ魔力紋ワッペンがめちゃくちゃ流行ってるらしくて。俺つい、自慢しちゃってさ。今ちょうど課題で作ったばかりだから、俺の魔力紋見せてやるって」  俺は顔をしかめた。 「無理だよ。いまさら納期前倒しなんて。しかも明日?」 「そこをなんとか。小遣いもらったばかりだし、追加料金払うから」 「じゃあ10ドラ」 「ええ? それはぼったくりだろ。ただの糸魔法で――」 「それなら自分でやればいい。10が無理なら5」  ヘンリーの眉が哀れっぽく下がったが、俺は反応しなかった。 「5ドラで明日までに?」  俺はうなずく。ヘンリーはちらっと周囲をみてからポケットに手をつっこんで札を取り出す。 「頼むよ」 「まいど」  俺は自分のポケットに札をしまった。ヘンリーのとりえは金払いがいいことだ。みんながみんなこんな風にさらっと払ってくれるわけじゃない。でも明日までに仕上げるとなると――ん?  俺は寮に戻ってから待ちかまえている仕事を思い浮かべてぞっとした。今夜は徹夜になりそうだ。  亡くなった俺の両親はどちらもただの人だった。それなのに自分が魔力に恵まれていると俺が知ったのは、十五歳になった双子が王国の偉大なる魔法使いの屋敷を出たあとのことだ。  もちろん、魔法がどんなものなのかはわかっていた。双子がときどき俺に仕掛けたいたずら――手も触れずに服を破るとか、庭を歩いているとき、突然俺の足もとに根っこを生やしてつまづかせるとか、ああいうのが魔法の一種だ。学園の教師は「訓練されていない魔法はだめだ」というけれど。  でも自分にそれができるなんて思ってもいなかった。双子にできるのはあたりまえだ。何しろ王国の偉大なる魔法使いの息子なのだから。  ただ、双子が学園に入る少し前から、俺のまわりで都合のいいことがよく起きるようになっていたのは事実だ。俺が必要としているときにタイミングよく道具が落ちてきたり、庭を荒らしていた動物が睨むだけでいなくなったり、そんなつまらないことだけど。  これが魔力の仕業だと気付いたのは王国の偉大なる魔法使いで、だからあの方は俺に学園の入学試験を受けさせて、おまけに入学金まで出してくれた。  だから俺はあの方に報いるためにも精一杯やらなくてはいけない。本当は学園のあと魔法大学へ行きたいけれど、そうすると貸付金がもっと増えてしまう。それよりは早く王国の認定魔法使いになって、魔法省の、できるだけいい条件の部署に入る方がいい。下っ端であっても、なんだかんだで魔法使いは王国で尊敬される立場にある。素質がなければなれないし、卒業して魔法省の機関に就職したら、とりあえず食うには困らないだろう。  というのが今の俺の人生設計だ。でも俺はまだ魔法学園のいち生徒にすぎなくて、とにかくいい成績をとるところからはじめなくてはならない。  ところが困ったことに、この学園でいい成績をとって卒業するには、単に勉強をがんばるだけではだめなのだった。  金がかかるのだ。  入学したときは思いもよらなかったが、魔法学園では貸付金でまかなえる授業料と寮費の他にも、あれこれと出費がある。教科書、制服は中古でどうにかなるとしても、魔素材、魔道具となるとそうはいかない。魔素材と魔道具は質が低いとなかなかいい結果が出ないのだ。だから最低でも先生が推薦する型番を学園購買で買わなくてはならないし、余裕のある生徒――俺以外のみんな――はもっと高いものを業者から買う。金が必要になる場面は他にもあって、内申点に響く寮の行事の費用とか寄附金とか。  ああ天国のお父さんお母さん。魔法を勉強するのにこんなにお金がかかるなんて、俺は知りませんでした。  というわけで学園に入学してからずっと俺はバイト三昧である。  いや、バイトは学則で禁止されているから、個人営業というのだろうか。そもそも魔法学園は湖を囲む広い森の中にあって、近くに生徒が働ける場所はない。だから入学してこのかた、俺は他の生徒に営業して仕事を請け負い、ひたすら稼いだ。寮の雑用当番を引き受けたり、面倒な課題を代行したり、レポートを書いたり、彼らが欲しいものを魔法で調合したり、自由になる時間はひたすら働いた。自由になる時間とはいったい何かという疑問を抱き、魔法哲学のレポートに書いたこともある。評価は優だった。  おかげでキースみたいな生徒には守銭奴と呼ばれるようになったが、金は入ったとたんに出ていくのだから、貯めることなんてできやしない。それに俺の自由時間は学業以外の時間すべて、というわけではないのだ。双子は俺が学園に入学したとたん、まるで俺が入学したのはこのためだったかのように、俺を彼らの従者にしたからだ。  まあでも、しかたない。たしかに双子が学園に入学する前まで俺は彼らに仕えていたし、王国の偉大なる魔法使いは俺のために受験料と入学金を払ってくれた。それに双子の近くにいると、いわゆる「良い血筋」の生徒に近づくことができる。高名な魔法使いの息子はみんな、小遣いをたんまりもっていて、遊び好きで、楽をするのが好きだから、いい客になる。なんといっても彼らのおかげで、俺は一年生のうちから潤滑ジェルや回復薬の調合ができるようになったのだ。  潤滑ジェル上級品のレシピは、三年で上級クラスを終了した生徒がやっと調合できるくらいのレベルとされている。でもこれがいい金になるとわかったから、俺は必死で練習して習得した。おかげで魔法調合薬の授業では俺はいつも学年トップだ。そのほか、魔法学園のカリキュラムにはせっせと手を動かすだけの忍耐が必要な課題もある。俺は生徒にいちばん評判の悪い糸魔法の課題代行もたくさんこなした。  たぶん糸魔法は学園で教わる魔法のなかでいちばん簡単な部類なのだが、評判が悪いのには理由がある。糸魔法で魔力が必要なのは自分の魔力紋を布に焼きつけるまで。布に紋様を刺繍する時はいっさい魔力を使ってはいけないのだ。魔法をつかって一瞬で片づけることに慣れた人間には拷問みたいな課題だが、ちゃんと最後まで仕上げると単純なのに強力な退魔のお守りになる。  双子がくれるおさがりがいつもボロボロだったおかげで俺は小さいころから針と糸に慣れていた。だからヘンリーのような生徒の注文にこたえて、こうして辛抱強くチクチクやっていられるのだった。  いろんなことがあるけれど、俺は元気です、天国のお父さんとお母さん。  ふたりも元気でいてください。俺は天国がほんとにあるのか知らないし、ふたりの顔も覚えていないけれど。  というわけで、今の俺は寮の一室で無心にチクチクやっている。  そろそろ消灯の時間だが、これを仕上げるまでは眠れない。狭くて窓もないが、俺の部屋は一応個室だ。ただし俺の部屋のすぐ上は双子の続き部屋になっている。そして今のように伝声管がひらいていると、彼らの声がきこえてすこしうるさい。 「ゴーレムの素、これはどうかな? ゴールドスプラッシュ効果つきってやつ。攻撃がプラス15、防御プラス3、それに特殊効果」 「プラチナエフェクトは?」 「とりあえず最高級素は全部注文しよう。パパに限度額増やしてもらわないと」 「プリンスはどんなのが好みかな? ねえダス、ペア出場はだめらしいけど、どうしようか」 「トーナメントでひとりになるのは仕方ないけど、いっそプリンスにはひとりしかいないと思わせちゃどうかな。ラスがプリンスの目を引いて、舞踏会では僕が目立つとか。ベッドでは日によって入れかわればいい」 「そうか。入れかわればいいんだ!」 「舞踏会用のタキシードも用意しないと。ああもう、忙しいな、大会までやることがいっぱいあるよ。――燃え殻? 聞いてる? これ注文しといて」  トン、と音がして、伝声管の隣のパイプから丸めた紙の束が落ちてきた。『お城の魔法使い御用達!最高級魔素材・魔道具カタログ最新版』だ。中にはたくさんの印がついていた。  俺が一度も使ったことのない高級品ばかりだ。  時間がないというのに、俺は息を止めてカタログを眺めてしまった。それから深く深呼吸して、部屋を出ると双子の部屋まで螺旋階段をのぼった。意を決してドアをノックする。 「いったい何」  出てきたのはラスで、もうパジャマ姿だった。 「あの、このカタログですが……」 「印がついてるのを注文するんだよ。早く準備しないと間に合わないから、さっさとやって」 「その、実は――」 「何?」 「俺も魔法大会に出ようと思っていて」  そこまで口に出したものの、何といおうとしていたのか俺自身にもよくわかっていなかった。頭の中に浮かんでいたのは、こんなにたくさんの魔素材があれば、立派なゴーレムを二体つくっても余りが出る、ということだ。だから少しくらい―― 「何なの、燃え殻、アハハハハ!」  ところが俺がためらった一瞬のあいだに、ラスは腹をかかえて爆笑していた。 「おまえも出るの? 魔法大会に? ああそうか、おまえも出られるんだ。だけど出てどうするの? 燃え殻が魔法学園に入れたのは僕らがいるからなのに」 「ちがいます」  俺はあわててラスの話をさえぎった。双子はどういうわけか、俺が学園に入学できたのは自分たちに従者をつけるため、父親が手を回したのだと思い込んでいる。 「俺がこの学園に入ったのは、ちゃんと試験を受けたからで――」 「何の話だよ、こんな時間に」うしろからダスが顔を出した。 「ダス、聞いてよ。燃え殻も大会に出たいって」  ラスはまだ笑っていた。そっくりなダスの青い目が俺をじろじろ眺める。整った唇が嘲笑のかたちに二ッとあがる。 「そんなことしたってどうせ初戦で敗退だろ? おまえにちゃんと戦えるゴーレムが作れんの? それよりそのカタログ、早く注文しとけよ。他にもいろいろあるんだから」  ダスの言葉が終わらないうちに消灯五分前の鐘が鳴った。 「ほら、こんな時間」  双子は俺を押しのけるようにしてドアをしめた。カタログを片手に握りしめ、俺は自分の部屋に帰った。

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