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第6話 みんなお城に行ってしまった

 ラレデンシはみつからなかった。  俺は寮長に報告したが、魔法で盗まれたといっても彼はとりあってくれなかった。俺が買える値段のラレデンシなんて、もちろん爪の先くらいのものだ。知らないうちにどこかに落としたんだろう、というのだ。  あんな高価なものを俺が落とす? そんな馬鹿なこと、するはずがない。  でも寮長の顔にはこれ以上何をいっても無駄だと書いてあったので、俺は説得するのをあきらめた。彼は寮の中に泥棒がいると認めたくないのだ。ひょっとしたら犯人には盗みをしたつもりはなくて、魔法を使って悪戯をしただけかもしれないけれど、俺にとってはおなじことだ。  こんなことになるのなら、ゴーレム犬が生まれた直後に俺の魔力紋を登録しておけばよかった――そんなことを思ってもあとのまつりだった。寮長は落とし物としてラレデンシが届けられたら真っ先に俺に知らせるといったものの、魔力紋のない新品のラレデンシを寮長に届ける生徒がいるだろうか? 実際、何日待っても届け出はなかった。  しかたなく俺は双子のいいつけのあいまに他の生徒の内職と課題代行に励んだ。魔法大会の開催日は情け容赦なく近づいてくる。学園全体は異様な雰囲気に包まれていた。ほとんどの生徒はゴーレムの準備を終えていて、今は操作術を練習するのに忙しそうだ。でも双子はまだゴーレムをいじっていた。彼らは俺が聞いたこともない魔素材キットを取り寄せ、ここ何日かは取り巻きも近づけずに顔をよせあってヒソヒソ話をしていた。  学園の先生方も魔法大会に情熱を注いでいる。ゴーレム戦闘と関係ない専門授業がゴーレム操作術の話で終わったり、お城のマナーや舞踏会の話に変わったりするのだ。知らない知識を教えられるのはありがたいことだが、ラレデンシをなくした俺には無念がつのるだけだった。いつも通りの授業を続けたのはアンブローズ先生だけで、俺以外の生徒にはすこぶる不評だった。  魔法大会の三日前。俺は出場をあきらめた。  財布の中身を全部ひっくりかえしても、せいぜい新しいゴーレムの素を買うくらいしかできなかった。たとえゴーレムを作り直したとしても、ラレデンシがなければ無意味だ。  ずっと前にエントリーはしたものの、会場に行かなければ当日棄権になる。  魔法大会の当日、みんなは朝早く出発するだろう。ほとんどの生徒は貸切バスに乗る。双子のように良い血筋の生徒たちは特別仕立ての車で行くらしい。先生方も観戦に行くから学園には俺しか残らない。  いっそすがすがしいじゃないか、と俺は自分にいいきかせた。誰もいない学園に残って、何をしよう?  ついに魔法大会の当日になった。  寮は早朝から生徒の声で騒がしかった。今日は授業もないので、俺は朝寝坊をきめこむことにした。他の生徒の顔をみたくなかったのだ。双子の呼び出しもなかったから、ベッドの中でまるくなったまま、壁の向こうから車の音が響くのを聞いていた。  誰もいないと確信してから、やっと起きて顔を洗った。授業もないのに制服に着替え、マスクをつけたのは単なる習慣だ。マスクで顔が隠れるとなんだかほっとする。  食堂には俺の弁当がぽつんと置かれていた。誰もいない寮は静かすぎてどこか不気味で、俺は外へ出ることにした。空は青く、綿のような雲がぽつんぽつんと浮かんでいる。お城も晴れているだろうか。青空の下でゴーレムが戦う様子を想像して、俺はさびしい気持ちになった。  出場できなくても、みんなと一緒に行けばよかったのかな。  俺は学園の敷地をあちこちさまよった。広い学園には人っ子ひとりみえない。のびのび歩き回ればいいのに、俺の気分は下を向いていた。弁当をどこで食べるか迷いながら歩くうちに森へ入りこみ、いつのまにか泉のそばに立っていた。  俺は傾いた彫像の肩に弁当をのせ、泉を囲む石に腰をおろした。朝から水を飲んだだけで、空腹なのに食べる気になれなかった。ポケットをさぐると指がゴーレム犬の乾いた鼻づらを撫でた。  俺はちいさな犬を手のひらにのせた。マスクをはずして犬の口に唇をつけ、そっと息を――魔力をふきこむ。  驚くほど急速に犬は命を得て蘇った。俺の手のひらの上で尻尾をふったかと思うと方向をかえ、宙に身を躍らせる。地面に降り立つまでの一瞬のあいだにオモチャサイズから普通の犬なみの大きさになった。体はなめらかな茶色の毛皮に覆われ、ハァハァと舌を出して、つぶらなひとみで俺をみつめた。 「ふふ。おいで」  俺は手をのばし、犬は俺の膝に前足をのせたので、そのまま頭を撫でてやる。ゴーレムといっても、毛皮の感触やひとみの輝きは本物の犬みたいだった。ひたいにはラレデンシのスロットが空っぽの口をあけている。みんなのゴーレムのように大きな兵士でなくても、ラレデンシさえあればこいつだって、もっといろいろなことができただろう。  グルルルル……と腹が鳴った。  俺は彫像の肩から弁当をおろして食べはじめた。犬が物欲しげに食べ終わったチキンの骨をみつめるので、投げてやると嬉しそうに駆けていき、くわえてもどってくる。ゴーレムは魔力以外食べないものだ。でもこいつは犬の形に生まれたから、本物の犬とおなじように骨が好きなのかもしれない。  ラレデンシがあったら……。  遊んでいる犬をぼうっと眺めながら、俺はまたさっきとおなじことを考えていた。名前を呼ばれたのはその時だ。 「アッシュ?」  俺はぎょっとして立ち上がった。膝から弁当の箱が転がり落ちた。泉の横に魔法使いの長い衣をまとった姿がある。アンブローズ先生だ。いつの間にここへ? 「アンブローズ先生――お城へ行ったんじゃないんですか」  先生はすぐそこにいるのに、われながら間抜けな質問だった。 「城へ? なぜだ」 「今日は魔法大会だし、学園のみんなが行ったでしょう」 「きみこそどうしてこんなところにいる、アッシュ。大会に出場しないのか? あのゴーレムはきみのものか?」  俺はまばたきした。アンブローズ先生のまなざしは鋭すぎて、正面からみるのがすこし怖かった。 「俺は大会には出場できません。俺のゴーレムはみんなとちがってあんな犬になってしまったし、それに俺にはラレデンシがないんです」  先生は訝しげに眉をひそめた。 「あんな犬? 犬型ゴーレムの生成はただの人形よりずっと高度なのに? だいたいあれは犬じゃない――長耳狼だ」 「え?」 「犬を作る方が簡単なら一年にはそっちを教えている。ゴーレムは人の似姿以外の生物を作るほうがずっと難しいんだ。あれは本当に生きているみたいじゃないか」  アンブローズ先生はまだ厳しい表情のままだ。でも俺の心は急に軽くなった。 「そうなんですか?」 「私の言葉を疑うのか」 「まさか! いえ、嬉しいです。俺はてっきり、失敗したのかと思って……」 「逆だ。教えもしないのに狼を作るなど、アッシュ、きみはいったい――いや待て。さっき何といった。ラレデンシがない? 私はきみがラレデンシを買ったのをみたぞ」 「先生が?」  思わず聞き返すとアンブローズ先生は一瞬ひるんだような表情を浮かべた。 「それはその、たまたま購買部にいたんだ。だから……どうしてラレデンシがないと?」 「なくしたんです」 「なくした?」 「はい……たぶん」 「きみともあろう者がラレデンシをなくすなんてヘマをするのか?」 「その……たぶん盗まれたんだと思います。魔法で。寮長に話したんですが、信じてもらえませんでした」 「なんだと? もっと詳しく話しなさい」  アンブローズ先生がうながすので、俺は突っ立ったまま手短にラレデンシがなくなった日のことを話した。先生はそのあいだずっと難しい顔をしていた。眉間に二本しわが寄り、だんだん深くなってくる。 「わかった。その件は私が調べるし、寮長にも話をきく。では今日きみが城へ行かなかったのはラレデンシがないから――それだけか、アッシュ」 「はい……そうです」 「ラレデンシさえ手に入ったら、あの狼と共に城へ行くか?」 「今からじゃどうせ間に合いません」 「それは何とかなる」 「でもどこに新品のラレデンシが? ひょっとして先生が持っているんですか?」  俺はすこしだけ希望をこめてたずねた。でもアンブローズ先生は首をふった。 「私が? いいや」  ――もちろんそうにきまってる。俺は後悔した。愚かな期待をしてしまった。 「そう――ですか。じゃあ――」 「アッシュ。きみは純潔なのか」  いきなり思いもよらない質問がきて、俺はまじまじと先生を見返した。 「は? じゅんけつ?」 「処女で童貞かときいている。前も後ろも誰とも交わっていないのかと」  先生、何をいっているんですか?  教師の口から出るとは信じられない言葉に俺はぽかんと口をあけたが、アンブローズ先生は真面目な顔で、どうみても答えを待っているようだった。 「しょじょでどうてい? それはその――そうです。誰ともそんな……」  キスだってしたことがないのに。顔がかっと熱くなったが、アンブローズ先生は俺から視線をそらさない。 「本当に? この学園の寮に二年以上暮らして、しかもあの双子のそばにいるのに?」 「当たり前です! だって俺は……燃え殻だから。誰も俺のことなんて気にしません」 「しかしきみは最高級の潤滑ジェルを売りさばいている」  今度は耳まで熱くなった。ひょっとしてアンブローズ先生は全部知っているのだろうか。 「お金が必要だったんです。自分で使ったことなんて、一度もなくて……」  俺はうつむき、足もとをみつめた。理由もなく、ひどく恥ずかしかった。泉の水音が急にはっきり聴こえてくる。  風に優しく頬を撫でられたような感覚に、俺はまた顔をあげた。すぐそこにアンブローズ先生の顔があった。いつのまにこんなに近くに? 「たしかにきみは純潔らしい」 「……だったらなんですか」 「きみはラレデンシを生み出すことができる。きみの魔力と、私の魔法を使って」  俺は目をみひらいた。 「本当に?」 「ああ。しかしこれは本来……」アンブローズ先生はためらった。「本来は生徒のレベルで行う術ではない。きみが魔法大会に行かないのならわざわざ行う必要はないんだ。きみのなくしたラレデンシは私が必ず取り戻すから、それでいいのなら」 「嫌です!」俺は叫んでいた。 「アンブローズ先生、その術を教えてください。ほんとは俺も……俺も城に行きたいんです」  声に出したとたん鼻の奥がつんと痛くなった。 「俺には犬しかいないけど……でも、こいつにラレデンシを入れてやりたいんです……」  こんなつもりじゃなかったのに。勝手に涙がこぼれはじめ、言葉がうまく出なくなった。俺は鼻をすすり、制服のポケットからあわててハンカチをとりだした。鼻をかんで、いつも目にかぶさっているぼさぼさの髪をかきあげたとたん、アンブローズ先生がヒュッとおかしな声を出した。 「……先生?」 「アッシュ――きみは……いや、なんでもない」  先生の視線がなぜかぎこちなくそれる。 「それなら、もう一度きく。ラレデンシを生む術式を行うか?」 「はい。お願いします」 「わかった」  先生の両手が俺の肩に乗った。魔法使いの衣が俺の靴の先を撫でる。 「それでは用意をしよう。ひとついっておくが、何が起きても驚かないように。きみは私を信じなければならない。そうでなければラレデンシを生み出すことはできない」 「はい。わかりました」  俺はうなずいた。アンブローズ先生は俺をこの学園へ導いてくれた人でもあるのだ。信じるしかない。  先生は重々しい表情で告げた。 「では最初に茨魔法を使う」  ヒュっと鞭を鳴らすような音が響いた。そのとたん地面から茨のしげみが盛りあがり、輪を描くようにして俺と先生を取り囲んだ。

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