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第7話 時限式魔法の限界を記憶しろ

 肩におかれた先生の手が離れた。そのとたん茨のつるが俺の両手両足にからみつく。 「あっ、あっ――」  俺は思わず叫んだが、先生は静かに茨のしげみのあいだに立っている。俺の体は宙に浮き、背中が茂みのうえに倒れた。鋭い棘が目に入って俺は反射的に首を縮めたが、棘が触れた時に感じたのは痛みではなく、柔らかくしなるような、くすぐったい感覚だった。 「アッシュ。大丈夫だ。力を抜きなさい」 「は、はい……」  アンブローズ先生の声は落ちついている。先生は信じろといったのだから、信じなくては。  上にのびた茨はアーチのかたちになって、俺と先生を外界から切り離している。空の光が遮られても、茨のつるのいたるところで橙色のともしびが蛍のようにまたたいて、あたりをぼんやり照らしている。  俺の体に触れた茨のつるはどんどんのびて、ズボンや袖の中に入りこんできた。糸が切れる音と布が裂ける音が響いた。いつのまにか俺は全裸で茨のつるに捕らわれている。腕と足を広げたまま、肌をうごめく茨のつるに必死で耐える。  痛くはなかった。逆だ。茨の棘は見た目とちがう柔らかな尖端で俺の体のいたるところを優しくなぞった。爪先から腰、背中、指先まで、内側から弄られるような感覚に俺は身をよじる。 「あっ、はっ……ああ、せ、先生――これ……」 「アッシュ。茨にその身を任せるんだ。きみのすべてをさらけださなければ、ラレデンシは生み出せない。気持ちよくなってかまわない――自分の体に正直にならなければ、この魔法は成功しない」 「え……あ……――ああっ、あん、あああんっ」  茨が俺の下半身の……誰にも触られたことのない場所に触れ、俺はあられもない声をあげてしまう。腹から胸を這っていたつるが乳首の先端をちくっとさすと、頭の片隅が白くなるくらい、わけのわからない気持ちよさに襲われた。首をのけぞらせた拍子にアンブローズ先生と目が合った。  アンブローズ先生と初めて会ったのは王国の偉大なる魔法使いの応接室だ。先生は今とまったくおなじ恰好だった。魔法使いの長い衣を着て、厳しい顔つきで俺をみていたのだ。俺は合格するなんて思わなかった。学園へ入学したあとも、アンブローズ先生は生徒全般に厳しいと評判の先生だった。でも他の先生方のように良い血筋の生徒に特に目をかけたり、お気に入りの生徒を露骨にひいきしたりしなかった。先生に質問されるといつもかなり緊張した。でもアンブローズ先生はいい先生だから……  俺はひらかれた両足を閉じようと腰をよじったが、太腿にまきついた茨のつるに阻まれてできない。つるは上を向いた俺の中心をつんつんと突いた。先生は純潔でなければならないといったけれど、俺は茨につつかれただけでこんなことになっている。先生にこんな、恥ずかしい姿をみせているなんて……。 「茨魔法、魔穿刺」  低くささやかれる呪文とともに茨がきゅっと俺の中心にまとわりつき、先端をくすぐり、しごきはじめる。 「ああっ、あ、あん、先生、だめです、これじゃ俺――出る、出ちゃう――」 「かまわない。アッシュ、すべてをゆだねなさい。私はいない」 「せ、先生……そんな、ああ――ああああんっ」    茨が俺の大事なところをしめつけ、俺は自分から腰をゆすった。頭が真っ白になるような解放感に満たされて、茨の中で荒い息をつく。自分で触ってもこんなに気持ち良くなったことはなかった。俺をとりかこむ茨のつるのあいだで橙色の光が点滅する。茨は羽根布団のように俺の背中をうけとめ、優しく、ゆったりと揺さぶった。雲の上にいるような感覚に俺はうっとりと目を閉じた。 「茨魔法、魔探針」  腰の下で茨がうごめいた。  うしろから侵入する先端を感じて俺はハッと体をこわばらせる。異物の感触を追い出そうと腰をよじったとたん、茨は俺の手首と足首、太腿の周囲をきゅっとつかんだ。体のなかに入ってきたものはもっと先に……俺の中に進んで――  頭の奥で閃光が爆発した。気持ちいいい――なんてものじゃ―― 「ああっ、ん、はぁ、何、ああ、や、ああん、先生、アンブローズせんせい……」 「アッシュ、大丈夫だ。それでいい……それでいいんだ……ああ……」  アンブローズ先生の声がこころなしか苦しそうにきこえて、俺は快楽のはざまで目をあける。俺が縛りつけられた茨のベッドの前で、先生はすこし前かがみの姿勢で立っていた。いつも冷静な先生の頬がかすかに赤く染まっている。 「生成魔法――ラレデンシ」  俺の体の中に入りこんだ茨が、奥深くに隠されていた何かに触れた。これまで存在しているとも知らなかったものだ。どこかで鍵が回されて歯車が噛みあった――そんな気がした。秘密の箱の蓋がひらき、俺の体の内側から輝く星が飛び立った。 「はぁ、はぁ、ああ……」 「アッシュ。よくやった……」  ひたいを撫でる手を感じて目をあけるとアンブローズ先生が俺を抱きしめている。見慣れた魔法使いの衣ではなく、白いシャツに包まれた腕だ。先生の衣は俺の体を覆っていた。水の流れる音がきこえる。茨はどこにもみえなかったし、太陽はさっきの位置からすこしも動いていない。 「きみのラレデンシだ。……見事な品質だ」  先生は俺を泉の脇に座らせると、手のひらに輝く星を落とした。 「これを……俺が?」 「ああ。がんばったな」  高品質のラレデンシなんて俺はろくにみたことがない。でも俺の手の中のそれは、知識などなくても特級品とわかるものだった。 「さあ、魔力を充填するんだ。きみ自身が作り出したのだから、魔力紋は生成された瞬間に焼きつけられている。特級のラレデンシは魔力喰いだが、力を開放したきみにはたやすいはずだ」  俺は先生がうながすままにラレデンシに魔力を充填した。いくら魔力を注ぎ込んでもラレデンシは満タンにならない気がしたが、俺の体もかつてない力にあふれていた。やがて十分に魔力を充填して、ラレデンシは青白い光を放った。 「ゴーレムを呼びなさい。名をつけたか?」  アンブローズ先生がいった。 「いえ、まだ……」 「とにかく呼びなさい」 「あ、はい。犬! 来て!」  長耳狼なのに、とアンブローズ先生が呟いたが、俺は反応する暇がなかった。ゴーレム犬がものすごい速さで俺めがけて走ってきたからだ。前より大きくなっていないか、と俺は思った。これではもう普通サイズの犬とはいえない。 「待ってよ……そこにじっとして――」  俺の顔をぺろぺろ舐めようとするのをなだめて、ひたいの中央のスロットへラレデンシを嵌める。青白い光がパァッとゴーレム犬全体を覆い、俺の目を眩ませた。光が薄れるまで数秒かかった。 「あっ?」  毛皮の色が変わっていた。黒の根元に銀色の先端をもつ、長めの毛が全身を覆っている。耳はさっきより尖り気味で、鼻づらも長くなり、四肢はもっとたくましい。すこしひらいた口から赤い舌が垂れ、するどい牙がちらりとのぞく。 「犬……待って、これじゃまるで狼――」 「だから狼だといっただろう」  アンブローズ先生が呆れたようにいった。 「きみは狼にイヌと名付けたのだ」 「え? 俺は名付けなんてしてません」 「このゴーレムはきみがイヌと呼んだら来た。つまり自分の名前をイヌだと思っている。ゴーレムの命名は一度きりしかできない。彼の名はイヌだ」 「えええ? そんなこと授業でいってましたっけ?」 「ゴーレムの命名は魔法大学で教わるものだ。まあ、いい。名前は変えられないが、ゴーレムの外見は創造者の意思を受けて変化する。イヌはきみが犬を求めるときは犬になるだろうし、狼が必要な時は狼になるだろう」 「は、はい……」 「とにかくラレデンシは用意できた。城へ行くのだろう?」  俺はうなずいたが、いくつもの出来事が立て続けに起きたせいか、頭がよく働かなかった。 「先生、俺はどうやってお城に行くんですか?」 「これで行きなさい」  アンブローズ先生が杖をふった。  白いシャツに黒いズボンだけのアンブローズ先生は、いつもよりずっと若々しくみえた。杖は細く短く、持ち手に嵌めこまれたラレデンシがきらりと光った。先端が傾いた彫像に触れる。何の像ともわからないほど古ぼけていた石のかたまりはなめらかに横に倒れ、広がり始めた。  四つのホイールの上に銀の車体があらわれ、ピカピカのボンネットが長く伸びる。半分ひらいた幌から覗くシートは純白の革張りだ。運転席のドアがひらき、黒い上下を着た男の人が降り立った。先生のまえへ来て深々と礼をする。 「アンブローズ様。お待たせしました」 「バトラー、アッシュを城のトーナメント会場へ送ってくれ」 「はい。すぐに参りますか?」 「いや、アッシュを着替えさせなければ、立ちなさい」  俺は口をあけたまま車をみつめていたが、アンブローズ先生の声に我に返り、あわてて立ち上がった。杖が俺の頭の上でくるりと円を描いた。同時にシューっと靄のようなものが噴き出して、俺の体を覆っていく。霞の中に小さな文字がくるくる舞い、俺の目の前で横並びになる。魔法広告だ。『時限式魔法のご用命は松商店の魔法使いへ! 皺シラズ・防塵機能つき』  霞が消えるまではほんの一分たらずだった。 「これでいい。アッシュ、ゴーレムと共に車に乗りなさい」 「は、はい……?」  俺は両腕をあげ、頭をめぐらせ、自分が身に着けているものをまじまじとみつめた。しっとりした光沢のある布地、シャツの袖口には小さなフリルがつき、ボタンにはひとつひとつちがう模様が彫られていて、胸には魔法学園の紋章がある。双子のような良い血筋の生徒だけが持っている、正式行事用のオーダーメイド制服だ。肩も袖もズボンのすそも俺の体にぴったりあっている。俺は無意識に顔に手をやって、ハッと口を押えた。 「先生、マスクをしても……」 「今日はその服装でいくんだ。マスクはだめだ。ラレデンシなしではゴーレム操作術の練習はほとんどできなかったんじゃないか? だからその狼にきみの表情が伝わるようにしておくんだ。アッシュ、出場するからには全力を尽くしなさい。きみは私の生徒なのだから」 「は、はい」 「移動は執事(バトラー)に任せなさい。すぐに城まで運んでくれる。ひとつだけ注意がある。よく聞きなさい」  先生は頭をさげ、首から鎖をはずした。 「この車やバトラー、きみの服はすべて時限式魔法の産物だ。この時計の針が十二時をさしたとき、この魔法は解けて消えてしまう。だから時間をつねに確かめて、魔法が解ける前に学園に帰りなさい」  鎖の先には金色の懐中時計が下がっていた。先生は時計を俺の手のひらに落とした。 「わかったな」 「はい。わかりました」  俺は鎖を首にかけた。アンブローズ先生は口元をゆるめ、かすかに笑った。これまで一度もみたことのないくらい優しい表情で、なんだかどきどきした。 「アッシュ。舞踏会では時間を忘れがちになるものだ。できればトーナメントが終わったらすぐ……舞踏会の最初の方で帰るようにしなさい」 「先生は来ないんですか?」 「私は学園にいる。さあ、ゴーレムと一緒に早く行くんだ」  バトラーさんが車の前で深くお辞儀をした。俺が革張りのシートにすべりこむと、いまや巨大な銀色の狼になったゴーレムがおとなしく足もとに座った。車の大きさが変わったのかゴーレムが縮んだのか、とにかくサイズはぴったりだった。車のドアがぱたんと閉まる。 「瞬間移動しますので、幌をおろします」  バトラーさんの声を聞きながら俺はアンブローズ先生に手を振った。

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