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第8話「教師が慣れない感情に煩悶する時、お城では魔法機動兵士の戦いが行われていました」

 アッシュが乗った車はアンブローズの前で宙に浮かんだと思うと、銀色の矢のように青空に吸いこまれていきました。  アンブローズは魔法使いの衣を拾い、身につけました。ところがそのとたん、ついさっきまで裸のアッシュにこれを着せていたのを思い出したのです。  衣は乾いていましたが、汗にまみれたアッシュをこれで覆ったのだと思ったとたん、アンブローズの下半身に力がみなぎりました。  ところで、アンブローズは学園で、厳しいだけでなくお堅い教師として有名でした。試験期間の前に生徒や生徒の親からさまざまな形で――金銭や魔道具や時には肉体という形で――差し出される、どんな種類の賄賂もはねつけてきたからです。  これでおわかりのとおり、アンブローズが「お堅い」とみなされるのはもちろん、魔法学園の他の教師は必ずしも賄賂を拒否しなかったから。特に金銭や魔道具のように他人の目に触れない、その場に残らないものであればね。  まあそれはさておき、しかしアンブローズも生身の人間ですし、とっくに純潔でもなかったので(学園でいくらお堅いとみなされていようが、彼には彼の人生というものがあったのです)純潔のアッシュがラレデンシを生成するときのあられもない姿に欲情せずにはいられませんでした。だからラレデンシを作り出したアッシュが気を失っているとき、アンブローズは右手だけで欲求をせっせと始末し、生徒が意識を取り戻したときはいつもの厳しい顔の教師に戻っていました。  つまり、アッシュを城へ出発させるまでのあいだは何とかこの欲望をなかったことにできたのですが、自分の衣にアッシュのあれこれが、つまり匂いや汗やその他の体液が残っていると思ったとたん、またも耐え難いほどの欲求が襲ってきたのです。  なんということだ。たしかに私は入学以来、アッシュのことを気にかけてきた。だがこんな意味ではない――なかったはずだ。  みなさんだけに教えてあげましょう。  アンブローズはふたつ、重大な思いちがいをしていました。  ひとつめは、アッシュの潜在力が思っていたよりはるかに上だったことです。  もちろんアンブローズはアッシュの優れた素質をよく知っていました。アンブローズ自身が入学試験でそれをたしかめたのです。それにアッシュが魔法の勉強に励んでいるのも知っていました。まだ二年生にすぎないのに、潤滑ジェルを密造販売できるほどの技術を得るには才能だけでは到底足りない。辛抱と努力が必要です。  しかしアッシュがあんなに見事なラレデンシを作ってしまうとなると――話は別の次元へ行ってしまうのでした。  自分が生成魔法の呪文を導入しなければ、アッシュはラレデンシを作り出せなかった――それはその通りです。でも実はアンブローズは、成功してもできるのはせいぜい中級品だと思っていたのです。ところがアッシュのラレデンシは予想を大幅に上回り、うかつに売りに出せないヴィルトゥオーゾ級の性能になっていました。百歩譲ってビギナーズラックだったとしても、潜在力の大きさは疑いようがありません。  つまりアンブローズはアッシュの魔法の潜在力に魅了されたのでした。教師にとって、先が楽しみな生徒をみつける以上の喜びがあるでしょうか?  ふたつめの思いちがいは、アッシュの外見についてです。  彼がいつもつけている大きなマスクをはずし、髪をあげたとき、あらわれた端麗な顔立ちはアンブローズをあっけにとらせてしまうほどのものでした。そういえばアンブローズはアッシュの顔をはっきりみたことがなかったのです。  いや、魔法学園の誰ひとりとして、まともに見たことがなかったかもしれません。何しろ顔の半分はいつも黒いマスクに覆われていますし、髪はぼさぼさで、目の上にかぶさっています。顔はうつむきがちですし、肩は遠慮深く落ち、いつも腰がひけているせいか背も実際より低く見えます。  入学試験を受けた時から、アッシュはいつも黒マスクをつけていました。喉が悪いから、という話でした。掃除当番の代行で小銭を稼いでいるためか、箒やモップを手にしている様子も頻繁にみかけましたし、だとすれば四六時中マスク姿でいるのも合理的なのでしょう。食事のあいだはマスクを外しそうなものですが、いつも何かしらの用事に追われているアッシュは、他の生徒のように談笑しながらゆっくり食べる、ということもありません。  ですからどうして、アッシュの素顔があんなに整っていると想像できたでしょうか? おまけに茨魔法で暴かれたアッシュの肢体もまた、すらりとのびてそれはそれは美しく――  アンブローズの喉がごくりと鳴りました。ほのかに光を放つような綺麗な体が羞恥に紅く染まり、快楽にあえぐさまときたら――  うわあああああ! 駄目だ、まかりならん!  アンブローズはあわてて衣を脱いで丸めると校舎へ向かって歩きはじめました。歩きながらぶつぶつと、自分自身の感情を分析しました。  アッシュは私の生徒だ。私は二年以上アッシュを気に掛けてきたのだ。誰にも明かしたことはないが、彼のひたむきで真剣なところはとてもいいと思っていた。ずっと彼のそんなところが可愛かったのは、認めよう。これは教師として別におかしな話ではない。それに今日はアッシュが私を信じてくれたことが、とても嬉しかった。これも認めよう。だから今の私はたしかに、アッシュに対して以前よりすこし強い感情を抱いているかもしれない。しれないが――しかしこれはみだらな欲情をいだくようなものではない。たとえアッシュが私を慕ってくれたとしてもだ。アッシュは私の生徒なのだから。私は二年以上……。  アンブローズの思考は何度も何度もおなじところをくるくる回りました。お堅くて厳しいことで有名な教師は、自分が恋に落ちたことを認めたくなかったのです。  さて、アンブローズが心の迷宮をさまよっているあいだに、お城では何が起きていたでしょうか。  大きなお城は青空の下、きらきらと輝いていました。白亜の外壁と尖塔にはあちこちに真珠のような光沢を放つ石が埋めこまれ、昼の太陽や夜の月、星の光も反射します。  トーナメント会場はお城の正面に作られていました。四角い広場の中に円形の戦闘用フィールドが四つ作られています。フィールドも真珠色の石で縁取られ、麗しく輝いています。今回の試合は時間制で、勝敗は技のポイント点で決まります。ただし決められた時間が来る前に戦闘用フィールドから押し出されれば、その時点で終了します。  退屈なスピーチのつづく開会式が終わって、フィールドでは試合がはじまっていました。でもフィールドの様子を観察する前にすこしお城の内部を案内しましょう。白亜の外見を裏切ることのない、とても煌びやかな建物です。  ではお城拝見! まずは舞踏会のひらかれる大広間へ行きましょう。  大きな行事にしか使われないこの部屋はたいへんな豪華さです。壁がきらきら光っているのは金銀が象嵌されているためで、光っていない部分には名匠による彫刻がほどこされています。今はお城の召使が羊歯や薔薇の花を飾ったり、ドアノブを磨いたり、シャンデリアの埃を払っているところです。  大広間の隣にも広い部屋があり、ここには食事が用意されることになっています。テーブルにはクロスがかけられ、ここにも羊歯と薔薇が飾られます。厨房ではごちそうの準備が進められていました。供されるのは頬っぺたが落ちるほど美味しい食べ物や、宝石のように美しい菓子類です。  お城のあちこちでたくさんの人が働いています。試合はまだまだ続きますが、こっちだって戦場のように忙しいのです。また大広間に戻りましょう。正面の奥には王様の玉座があり、玉座の背後の壁をみあげると、螺鈿細工の巨大な時計がみえます。壁に埋めこまれているのです。  そうそう、今は何時でしょう? 時計をみて――あれ? おかしいですね。  おわかりになりましたか。  実は壁に埋めこまれた大時計の針は現在の時間を指していません。壊れている? いえいえ、この時計は王国の至宝のひとつ、「宣告の時計」と呼ばれています。起源は王国が魔王を倒したときまでさかのぼります。そのとき伝説の魔法使いがこの時計に魔法をかけたのです。  それからこの時計の針はいつも好き勝手な時間をさすようになりました。  玉座の真上には時を打ち鳴らす鐘が下がっています。そう、この時計は気まぐれに時を告げることがあるのです。伝説の魔法使いはこの時計に魔法をかけたあと、当時の王へこう告げたと伝えられています。 「鐘の音を聴く者は宣告を受けし者である。しかして宣告の内容はみずから見出すべし」  それからずっとたくさんの人々がこの言葉に首をひねってきましたが、幸いなことに、鐘はめったに鳴りませんでした。とりあえず今の王様になってからは一度も鳴っていません。  ではそろそろ試合へ戻りましょう。みなさんはアッシュを乗せた車がどこにいるのか気になっている頃合いだと思いますが、主人公はベストタイミングで登場するものです。  それよりも、ほら、あそこにリチャード王子がいます。  王子は観覧用の特等席に座って、対戦を真剣に見ていました。  彼には真剣になるべき理由がありました。なんといっても自分の未来のパートナーがこの中にいるかもしれないのです。気の合わない相手をうっかり選んで後悔するのは避けたいですよね。  みなさんは、王様の権力があれば気に入らないパートナーなど簡単に退けてしまえる、と思うかもしれません。しかし王子も試合に出ている生徒も、みんな魔法使いの卵です。いずれは一人前の魔法使いになるでしょう。この王国は魔法の力でいろいろな事柄が動いています。王なのに優秀な魔法使いと気が合わず、最悪の場合敵に回すようなことがあると、国はもちろん荒れるでしょう。  リチャード王子としてはそんなことにはなりたくありませんでした。王子は素直な性格でしたから、自分の力でいろいろな物事をうまく取り仕切り、この王子は素晴らしいと人々に褒めたたえられたかったのです。  みんなにすごいといわれるためには、あれこれがんばらなければなりません。王子はそれもわかっていました。学園の生徒会長という役職は王子に自動的に与えられるものにすぎないのに、学園本部にかけあって「改革」などやっているのは、王子なりの努力なのでした。  それに王子には、このトーナメントに対してもうひとつ、ひそかな期待がありました。  もっとも実際の試合は王子の期待よりもかなり退屈だったのですが、 「水魔法――飛沫!」ブシュー!!! 「風魔法――旋風!」ヒューン!!!  どーんとゴーレムがとっくみあう様子や魔法の呪文と掛け声は、これを見慣れない人間にはそこそこ面白いものです。  ところが王子はじつは、ゴーレムには一家言ある人間でした。  魔法学園の教師も王様、王妃様も理解していませんでしたが、実は王子はゴーレムおたくだったのです。  魔力が目覚める以前の幼いころから王子はゴーレムに夢中で、過去のゴーレム大戦(伝説の魔法使いが魔王と戦った有名な戦です)に登場するゴーレムをすべてそらんじられるくらいでした。今でこそ、ゴーレムといえば巨人タイプが思い浮かびますが、当時はさまざまなスタイルのゴーレムが活躍したのです。  王子のゴーレム好きは成長しても変わりませんでした。魔力に目覚めると、魔法学園に入学する前からゴーレム制作を独学し、ゴーレム単体の性能をいかにあげるか、操作する魔法使いはどんな能力に秀でるべきかなどなど、ひとりで考察を続けていました。  とはいえ王子本人は、自分のゴーレムに対するこだわりをすこし恥ずかしいものだと思っていました。国を治めるためにはゴーレムに関する魔法など無用だったからです。  伝説の魔法使いが最初のゴーレムを生み出した時代は、魔王との戦いのためにあまたのゴーレムが活躍しました。しかし魔王が倒され、封印されて王国が平和になったあとは、ゴーレムによる対戦は不要になりました。今ではゴーレムは魔法使い教育のために存在するようなもので、晴れ舞台は祭典の模擬試合くらいしかないのです。  ですから、王様が王子の趣味とは無関係に魔法大会を決定した時、王子はいささか複雑な気分になったのでした。  王子のゴーレム趣味を知っているのは乳母や家庭教師など、魔力が目覚める前から王子の世話をしていた人々だけでした。王子はゴーレムについてとことん語れる人間を自分のほかに知りませんでした。  でも、今日の試合でもしそんな生徒に出会えたら。その者こそは自分の真の友になれるかもしれない。そしてその者をパートナーに選ぶことができたなら……。  王子のひそかな期待とは、これでした。  ところが生徒のゴーレムはどれもぱっとしませんでした。  どのゴーレムも巨人タイプで、生徒はゴーレムの背後に立って格闘戦を行いましたが、ゴーレムだけでなく、生徒とゴーレムのコンビネーションも、王子には物足りないものでした。それぞれが使う戦法も似たり寄ったりで、フィールドは四つあるのに全部おなじ戦いのようにみえてしまいます。  まあ、しかたありません。魔法使い大会が行われるからといって、急速に能力が開花する生徒などいないでしょう。それこそ日頃の努力が実を結ぶのです。  とはいえ、だんだん傾向はみえてきました。良い血筋の生徒、つまり地位の高い魔法使いの息子たちは、ゴーレムも立派で、魔道具や装備がきちんとしているぶん有利でした。王子も彼らには見覚えがありました。ときたま王子の授業に同席することがありましたから。  しかし授業のときと同じく、彼らのゴーレムにも王子は気を惹かれませんでした。王子ほどのゴーレムおたくになると、単に魔素材に凝っているとか、高性能のラレデンシを使っているとか、それだけでは真のゴーレム魔法とはいえない、と語りたくなるものですからね。  そこはかとない失望に、フィールドをみつめる王子の肩が下がりはじめたときのこと。  ――ここでいよいよ、われらがアッシュが登場します。  アッシュが乗る銀色の車はお城の真上に出現しました。地上を走る普通のバスなら何時間もかかるところです。魔法ってほんとうに、便利なものですね。

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