9 / 42

第9話 俺の犬は無敵だった

 バトラーさんが運転する銀色の車は、俺がまばたきをするあいだに学園の上空へ舞い上がり、森と湖の眺めにうっとりした直後、ギュンっと揺れた。つぎに俺が窓の外をみたとき、手で触れそうなところに白く輝くお城の塔があった。 「えっ、もう着いたんですか!」 「瞬間移動いたしましたので」  バトラーさんは落ちついたものだ。車はぐるりとお城の塔を旋回し、おかげで正面に作られた魔法大会会場の様子がよくみえた。もう試合ははじまっていた。白く輝く四つのフィールドにゴーレムが立ち、取っ組み合ったり、魔法を打ちあったりしている。ゴーレムの背後や横にいる小さな人影が試合にのぞんでいる生徒だ。 「俺、間に合ったかな」 「エントリー証があれば大丈夫ですよ。降下します」  車はなめらかに会場の前に着地した。同時に幌がひらき、明るい日光に俺は目を細める。いつもは髪が半分目にかぶさっているし、マスクもしているから、こんな風に太陽と風にさらされると、ひどく落ちつかない。  バトラーさんが先に車を降りてドアをあけてくれた。時限式魔法で呼びされたと知っているけれど、うやうやしく頭を下げてくれるのがなんだか申し訳ない。車を降りるとあわてたような顔つきをした人が三人、わらわらとあらわれた。立派な制服を着ているから、お城の人だろうか。 「遅れて申し訳ありません」俺は手を前にかざし、大会エントリーの印である魔印を宙に浮かばせた。 「魔法大会出場者のアッシュです。まだ間に合いますか?」 「アッシュ――様。はいっ、はいっ、そのままお待ちいただけますかっ」  ひとりがバサバサと書類をめくって確認している。 「たしかに、はいっ、エントリーされておりますね。しかし……一回戦はちょうど終了したところで、棄権扱いに――」  ああ、間に合わなかった。せっかくアンブローズ先生が力になってくれたのに。  思わず肩を落としかけたとき、上の方から声がかかった。 「棄権? そんな、もったいない」  制服の三人がさっとふりむき、そろって「殿下!」といった。階段の上からすらりとした人影が降りてくる。ああ、プリンス――リチャード王子だ。こんなに近くで顔を見るのははじめてだ。  俺は思わず見とれてしまった。双子の近くにいるから美形は見慣れているつもりだったけれど、プリンスは別格だった。すこし巻いた蜂蜜色の髪に、眸は透きとおった緑色。背は高く、鼻筋はすっと通って、みるからにたくましいというわけではないけれど肩幅はひろく、立っているだけで神々しいくらいかっこいい。 「一回戦は終わったばかりだろう。二回戦の開始を遅らせて、すぐに対戦すればいい」 「は、殿下、でも……」 「だが、今日の大会は僕のためにひらかれているのだろう? 僕は大会のために準備されたすべてのゴーレムを観たい」  制服の三人は顔をみあわせた。プリンスは三人を押しのけるように前にでてくると、車の中をのぞいた。 「そこに待機しているのはきみのゴーレムか?」 「は、はい。そうです」 「長耳狼じゃないか。珍しい」  プリンスはふりむき、うしろに控える制服の三人に向かってまた何かいった。 「はい、わかりました。ではすぐに試合ということで……えーよろしいですか?」  制服のひとりがいった言葉の最後が俺に向けられたものだと気付くのに二秒くらいかかってしまった。不自然なくらい丁寧な感じだったからだ。俺はただの生徒なのに、どうしてお城の人がこんな態度をとるのだろう。不思議に思ったとはいえ、出場できるのなら文句はない。俺は大きくうなずいた。 「もちろんです! どうもありがとうございます」 「アッシュ様」  俺のうしろでバトラーがいった。 「私は車を置いてまいります。お時間の確認をお忘れなきよう」 「うん。どうもありがとう」  プリンスは制服の三人をひきつれてもう歩きだしていた。俺はイヌを横に従えて会場へ足を踏み入れた。臨時に作られた場所なのに、どこもかしこもキラキラ、ピカピカしている。遅れましたが出場者到着のため、一回戦最後の試合を行います、というアナウンスが流れると、観客席からまばらな拍手が起きた。  俺は審判が指さす方向へまっすぐ進んだ。イヌはまだ車に乗った時の大きさのままだ。 「遅刻? いったい誰だよ」 「え、あんな人……いた? 見たことある?」 「アッシュだって」 「アッシュ? 留学生かな?」 「おい、あれがゴーレムかよ」 「ちっさ。犬かよ」  笑い声が聞こえたような気がしたが、俺はまっすぐ前を見て歩いた。白い石に囲まれたフィールドは広々として、イヌが思う存分駆けまわれそうだ。ドシン、ドシン、と音が響く。対戦相手のゴーレムが登場したのだ。  俺はイヌのひたいのラレデンシをみつめた。俺のまなざしにこたえるように白い光がパーッと輝き、イヌを覆う。たちまちゴーレムは大きく成長をはじめた。手足、胴体が大きくのび、全身がふさふさに伸びた銀の毛皮に覆われる。今は巨狼となったイヌは前足の一蹴りで巨人の前に飛び出し、唸り声をあげた。 「おおおーー」  まばらな歓声が一度あがって、すぐに静かになる。審判が「礼」といったので、俺はゴーレムのうしろにいる生徒をみつめながらお辞儀をした。向こう側の生徒も頭を下げたが、なんだか妙にうろたえた顔つきだった。  いったいなんだろう。俺におかしなところでもあるのだろうか。たしかにこの服はアンブローズ先生が魔法で用意してくれたものだし、今日はマスクもしていない。そうか、みんなが俺に気づいていないのはマスクがないから? 「はじめ!」  掛け声と同時に相手のゴーレムの腕が伸びる。イヌは後ろ足で高く跳ねてゴーレムの一撃を避けると、そのまま腹のあたりへ突進していく。 「気をつけろ! 回転魔法、旋!」  俺も呪文を唱えながら前へ走った。イヌがくるくる旋回しながらゴーレムに突っこんでいく。俺の声がちゃんと届いているのだ。敵ゴーレムは片足をあげ、銀色の回転ドリルのように襲いかかるイヌを足蹴にしようとしたが、俺はすばやく援護の防御膜を張って防いだ。 「水魔法――」  ゴーレムの向こうから対戦相手の生徒の声がきこえる。飛沫がびしゃっと犬を濡らしたが、ひたいのラレデンシがきらめきはまったく衰えなかった。イヌの回転速度が速くなり、銀の毛の一本一本が刃のように尖って、巨大なゴーレムを切り裂く。  どうっと音を立ててゴーレムの体が倒れた。 「アッシュ――勝利!」  一瞬の静けさのあとで審判が告げる。え、もう終わり? あっという間だった気がするけど。  拍手がきこえて、やっと勝った、という実感がわいてきた。ああ、やったぞ!  俺は対戦相手と向き合って礼をした。向こうのゴーレムはもう小さな土人形に変わっていたけれど、俺のイヌはまだ巨狼のままだったから、首にすがりつくようにして毛皮の頭を撫でてやる。よしよし、いい子だ。  審判がフィールドを出ろと手を振ったので、俺はあわてて歩き出した。イヌは俺の歩みともにすうっと大きさを変え、姿も狼から耳を垂らしたふつうの犬の姿に変わる。俺に代わってフィールドにあがったのはこれから二回戦をはじめる生徒たちとゴーレムだ。  控えのテントを探してきょろきょろしていると「こちらです」と制服の人が案内してくれる。すこし高いところにある広々とした立派なテントで、フィールドの様子もよくみえるのに、他には誰もいない。 「俺一人で使っていいんですか?」 「もちろんです。おつきの方がすぐいらっしゃいます」  おつきの方って? と思った瞬間バトラーがあらわれた。 「良い試合でしたね。次の試合はいま対戦中の四組の次の次、だそうです。どうぞ、お飲み物を」 「あ、ありがとうございます」  こんな扱いを受けていいんだろうか。本当ならバトラーさんが今やっているようなことは俺の役目なのに。そう思ったとたん俺は双子のことを思い出した。いったいどこにいるんだろう?  四つのフィールドで行われる試合はすぐに終わるものも時間がかかるものもあった。まもなく俺は双子のゴーレムがフィールドにいるのをみつけた。ラスとダスは隣りあったフィールドで、ふたりのゴーレムの外見もそっくり同じだ。他のゴーレムとちがって、体は金色と銀色のコンビネーションになっている。双子のゴーレムはとても強かった。全身に色々な武器を装備していて、それが次から次に繰り出されるのだ。相手の生徒はあっというまになぎ倒されてしまう。 「アッシュ様。試合です」  バトラーがささやき、俺はテントの外に出た。イヌは尻尾を振りながら元気いっぱいで俺の隣を歩いていく。周囲でひそひそと囁き声がきこえるのも今は気にならなかった。イヌに全力を発揮させてやらなくては、そんな思いでいっぱいだったからだ。  二回戦で当たったのはさっきより大きく、鉛色の防具で全身を覆ったゴーレムだったが、巨狼に形を変えたイヌはまったくひるまなかった。ラレデンシに充填した魔力はまだほとんど減っていない。俺とイヌは目と目をあわせるだけで意思を通じさせ、重そうな防具をつけたゴーレムを翻弄し、勝利した。  三回戦で当たったゴーレムは剣を持っていたが、イヌは敏捷な動きで切っ先から飛び出す魔法攻撃をそらした。最後に俺は反転魔法の呪文をとなえ、剣がイヌを斬ったとみせかせて、敵のゴーレム自身にみずからの剣をうけとめさせた。  試合が進むにつれて、だんだんすごい歓声や黄色い悲鳴のようなものがきこえるようになってきた。控えのテントは静かだったので俺はほっとする。バトラーさんが「すこし騒がしいようですので、静寂幕を張っておきました」という。 「盛り上がってるね」 「ええ、そうでございましょう」 「イヌ、おいで」  イヌを膝にかかえ、フィールドをみおろす。ひたいのラレデンシにはまだ十分な魔力が残っている。購買で買ったラレデンシならこうはいかなかっただろう。今ごろは魔力充填に必死になっていたはずだ。  俺は思わずイヌの鼻面にチュっとキスをした。アンブローズ先生、ほんとうにありがとうございます。先生がいなかったら、ここまで来るのだって無理でした。先生もここで観てくれればよかったのに。 「次は準決勝だ」  いきなり声が――プリンスの声がきこえて、俺はぎょっとしてふりむいた。 「アッシュ。どれもいい試合ばかりだ。このあとも期待している」  プリンスはテントの入口で俺をみおろした。緑の眸にみつめられて俺はどぎまぎした。 「は、はい。ありがとうございます」 「まだ次があるのに突然すまない。すべての試合が終わったら、そのゴーレムをみせてくれないか。ゆっくり話がしたい」 「もちろん、光栄です!」  プリンスが行ってしまっても俺の心臓はドキドキしていた。イヌが俺の膝でクンクン、と鳴いた。  準決勝のフィールドは始まる前から歓声がすごかったが、プリンスに直接声をかけられた衝撃のせいだろうか、不思議と気圧されることはなかった。でも試合が進めば進むほど、対戦相手のゴーレムは立派な防具や武器を備えるようになっていて、俺はイヌに何の装備もないのが不安になりつつあった。それでも準決勝をイヌは見事に戦い抜いた。今回はけっこう時間がかかって、俺は相手をフィールドから外へ追い出す作戦を立て、勝利した。 「これは狼、フィールドぎわに追いつめる作戦か。銀色狼に追い立てられて、盾巨人、盾巨人がよろめいています、よろめいています、おおっとバランスを崩した、あ、観客のみなさまはフィールドにあまり近寄らないように、危険です、ゴーレムが、ゴーレムが倒れるぞ、おおおおおおおーーーーアッシュと銀色狼の勝利です! 謎の貴公子アッシュ、準決勝を制しました!」  実況のアナウンサーがわめいていたが、俺はほとんど聞いていなかった。次はいよいよ決勝である。俺は控えのテントから、フィールドにラスのゴーレムがあらわれるのをみつめた。ラレデンシにはまだ十分な余力がある。でも俺の犬はあのゴーレムの前では裸も同然だ。 「どういたしました?」バトラーがたずねた。 「イヌに何の装備も防具もないのが心配なんです。糸魔法の護符なら俺の部屋にいろいろあるんだけど。ひとつくらい持ってくればよかった……」 「なるほど。承知しました」  バトラーさんがぱっと消えた。え? 俺がきょろきょろしたとたん、また目の前にパッとあらわれる。 「こちらでございますね」 「ええ、はい、それです! ありがとうございます!」 「礼には及びません。お時間がくるまで私はアッシュ様の召使ですから」 「そんなの関係ないです。イヌ、おまえにこれをつけなくちゃ」  バトラーさんが持ってきた糸魔法の護符はハンカチやマフラーや革ベルトに刺繍したものだ。俺はイヌをなだめすかし、首や胴に護符をまきつけた。そしていよいよ、決勝のフィールドへ向かった。

ともだちにシェアしよう!