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第11話 とばりの影で
「長耳狼は人型以外のゴーレムのなかでは比較的ありふれている。でも過去の魔王戦ではすごく活躍したんだ。巨人型とちがい斥候もできるから、長耳狼がいたおかげで部隊全滅を免れた時もある」
プリンスが目をキラキラさせながら手をのばし、俺の膝に座るイヌ――俺のゴーレムを撫でた。イヌは嬉しそうに尻尾をふり、舌を出してハァハァいった。ラレデンシの魔力が減ったので、今は垂れ耳の仔犬の姿をしている。
俺が座っているのはお城のバルコニーのベンチだ。ベンチといってもクッションが効いてふかふかしている。プリンスは俺のすぐ隣に座っている。目の前の小さなテーブルに料理とお菓子と飲み物が置いてある。静かなところで話をしたいといってプリンスがここへ俺を誘い、そのあと召使が食べ物一式を運んできたのだ。バルコニーは大広間につながっていて、かすかに音楽がきこえてくる。
俺は夢心地で座っていた。首にかけた懐中時計が胸のあたりでカチコチ鳴っている。
*
実をいうと、舞踏会がはじまってしばらくのあいだ、俺はかなり途惑っていた。
お城に来るなんて生まれて初めてだったからだ。どこもかしこもキラキラしていた。俺は赤い絨毯の上でイヌを腕に抱いたまま、このままお城に入っていいのかすこし迷った。じっさい扉の横にいた召使のひとはイヌをみて何かいいかけたのだが、そのときどこからかプリンスが現れた。彼が耳打ちすると召使は何事もなかったように俺とイヌをお城の中に通した。
他の生徒のゴーレムはもう土人形に戻っていたが、イヌは仔犬の姿になってもラレデンシの魔力でまだ元気だったから、一緒に舞踏会に入れて、俺はとても嬉しかった。
他の生徒について大広間に入ると、隅で楽隊が音楽を演奏していた。吹き抜けの天井は高くて、上の方をぐるりと回廊が囲んでいる。いい匂いがした。隣の大きな部屋に料理の大皿がならんでいる。美味しそうな匂いを嗅いだとたん俺は空腹を思い出した。きっとそれは俺だけではなく、学園の生徒はまず、召使のあとについてぞろぞろと食べ物の方へ向かった。
「魔法大学の学生もいるね」
「魔法省の人もいるみたいだ」
生徒たちがささやいている。大広間にいたのは男子部 と女子部 の生徒だけではなかった。黒いガウンを着ているのは魔法大学の学生で、学園の先生方も何人かいる。年上の人たちは飲み物のグラスを片手に楽しそうに話をしている。
「あっちが玉座で、その上にあるのが大時計だ」
ラスの声がきこえたのでそっちをみると、いつもの取り巻きに囲まれて、お城に慣れた様子を披露している。良い血筋の生徒は親の魔法使いとお城の行事へ行くこともあるからだ。でもお城に来たのがはじめての俺はまごついていた。イヌを抱いていたし、どんなふうに料理をとりわけてもらうのかわからず、まごまごしているうちに「王様のおなり~」という声が聞こえて、また大広間の方へ戻される。
高い段の上の玉座に王様が座ったので、俺たちは名前を呼ばれると順に玉座の前でお辞儀をした。王様は「よし」「よし」というだけだ。
俺の番が来たときも王様は「よし」といった。ところが腕に抱いたイヌが王様の声を聞いたとたん尻尾をぱたぱた振った。王様はびっくりしたような表情で「おっ」といったが、それだけだった。俺は玉座の前を下がったが、王国でいちばん偉い人に直接挨拶できたと思うだけで興奮した。
大広間では音楽にあわせて人々が踊りはじめていた。腕をくんで、優雅にステップを踏んでいる。大きな人だかりがぞろぞろ移動しているのがみえた。中心にプリンスがいる。
そうだ、今日の催しはプリンスがパートナーを選ぶためのものだった。俺は賞品と賞金をもらえたので、すっかり忘れていたけれど。
彼はいったい誰を選ぶんだろう。俺は翼のあるゴーレムを駆るプリンスの姿を思い出した。王子様で生徒会長の彼がああやってゴーレムで戦うなんて、他の生徒は知っていたのだろうか?
お腹が小さく鳴った。それにずっとイヌを抱えていたから腕がだるくなってきた。
今度こそ料理を取り分けてもらおう。俺は料理を並べた部屋の方へ足をむけたが、そのとき、ずっとおとなしかったイヌが突然頭をあげて、鳴いたのだ。
「クゥンキューン……ワン!ワン!」
「あっ、シッ、シーッ」
俺はあわててイヌをなだめた。周囲がざわざわっとしたと思うと、音楽のむこうから誰かが俺を呼んだ。
「アッシュ!」
「は、はい」
「そこにいたのか」
人の群れがさっと割れる。プリンスが一直線に俺の方へやってきた。
「今日はおめでとう。見事だった、アッシュ」
プリンスはまっすぐ俺をみつめていった。俺の名前を発音する時、シュ……とかすかに伸ばすような響きになる。そういえば今日はアンブローズ先生やバトラーさんにも何度も名前を呼ばれた。こんなに何回も名前を呼ばれるなんて、なんだか変な感じだ。
「ありがとうございます」
「踊ろう」
「えっ……」
「その子はシルフが遊びたがってるから」
プリンスは指をパチンと鳴らした。小さな羽音が響いたと思うと虹色の小鳥がイヌと俺の頭のまわりをパタパタと飛び回る。
「あ、これは……」
ダスのゴーレムと戦った翼のゴーレムだ。俺の腕の中でイヌが嬉しそうに体を揺らし、床に飛び降りた。小鳥がパタパタ飛ぶのをイヌが追う。プリンスは俺の肩に手を置いた。音楽が急に大きくなったような気がする。
「俺、こんなふうに踊ったことない……」
「大丈夫、あわせればいい」
俺はどぎまぎしながらプリンスと向かい合って、両腕を広げ、誘導されるままに手を握った。体がくっついて、なんだか音楽にあわせてプリンスの足が動く。俺は夢中でついていった。くるっ、くるっと何度か回った気がするうち、いつのまにか音楽が変わった。
「ほら、踊れるじゃないか」顔のすぐ近くでささやかれて、心臓がどきどき鳴った。
「で…殿下が上手いんです」
「殿下はよしてくれ。リチャードでいい」
「でも……」
「アッシュは何年生?」
「二年です」
「それなら……」プリンスの唇がクスッとほころんだ。「先輩っていうのは? 一度そう呼ばれてみたかった」
「は、ハイ。センパイ」
また音楽が変わっている。足元で「クーン」と鳴く声がした。同時に俺のお腹もくうっと鳴った。俺はすこし恥ずかしくなってうつむいた。
「じゃあ、静かなところで話をしないか」とプリンスがいった。
それにしても、プリンスが――あ、先輩って呼ぶようにいわれたんだっけ――あんなにゴーレムに詳しいとは思わなかった。イヌと小鳥と一緒にバルコニーの椅子に座ってから、彼はまず長耳狼の話をして、今は他の生徒のゴーレムと繰り出された魔法技について話している。
「それでアッシュのゴーレムだけど……名前は?」
「イ、イヌです……」
「アッシュの試合、すごくよかったよ。息もぴったりだった。練習はどのくらいやった?」
「実はほとんど練習はしていなくて」俺は食べかけのサンドイッチを持ったまま答えた。
「ラレデンシを入れたのが直前だったので。それでもイヌは俺の指示をよくわかってくれたんです」
「練習していないのにあんなコンビネーションが? ゴーレムと魔法使いの相性がどんな風に決まるかというと――あ、ごめん、僕を気にせずに食べてくれ。いつもはゴーレムの話をできないから、つい夢中になって」
「せ…先輩がそんなにゴーレムが好きだなんて知りませんでした」
「他の生徒と一緒に授業を受けないからね」
プリンスはすこし残念そうな顔になった。
「だから今日のトーナメントを楽しみにしていたんだ。でもみんな巨人型のようだったから、もっと他のタイプのゴーレムは出ないのかと思ってたら、アッシュが来た」
「あ、あの時はどうもありがとうございます」
「まさか。あんなところで棄権なんて、もったいなさすぎるだろう? 決勝は残念だったな」
俺はイヌの頭を撫でながら首を振った。
「いえ。俺は決勝まで行くなんて思ってませんでした。それに最後に勝ったのは……先輩ですよね?」
プリンスはさっと首を横に振る。
「あれは父上の悪い冗談だよ。本当はあんな風にトーナメントにしゃしゃり出るつもりはなかったんだ。でも決勝戦の、ラスのゴーレムの様子が変だと思った。途中でぜんぜん違うタイプの魔法を使っただろう? それで、シルフを双子のゴーレムと戦わせてみたくなって、無茶なことをしてしまった。でも突然父上が出てきたものだから結局わけがわからないまま終わってしまって、申し訳ない。思いつきで動くものじゃないな」
「そんな、いいんです」俺はあわてていった。
「俺も賞品をもらいましたし、ラスとダス――あのふたりの父君には、とてもお世話になっているので」
「そうなのか? で、きみのイヌは……」
プリンスはシルフを肩にとまらせ、キラキラと輝く眸で俺のイヌをみた。
「もちろん自分で作ったゴーレムだろう? 土はどこのものだ?」
「寮の裏の森の泉の土と、教材のゴーレムの素で……」
「そのブレンドで長耳狼が生まれるのか? 今度試してみたい。学園に戻ったらぜひ、その場所を教えてくれ。どうしてその土で長耳狼ができるとわかった?」
「そんなつもりはなかったんです。先輩のシルフは最初からこんな鳥になる予定だったんですか?」
「シルフは僕の研究の成果なんだ。でも戦わせたことはなくて――」
プリンスは楽しそうに自分のゴーレムの話をはじめた。眸がきらきら輝くのをみていると俺も楽しい気分になる。だいたいこんなふうに誰かと話したことなんてなかった。学年はちがうけれど、もしプリンスとおなじ授業になって、席が隣同士だったらきっと楽しいにちがいない。授業の終わりの鐘が鳴ったらこうやって話をして、休み時間をすごすのだ。
あ、鐘。
俺は急に首にかけた懐中時計を思い出した。プリンスの話を聞きながら鎖をひっぱって、蓋をあける。時計の針は九時の位置で、十二時にはまだまだ余裕がある。
「そういえばイヌのラレデンシ、とても性能がよさそうだが、あれはどこで――」
プリンスがそうたずねたときだ。
「……こんなところで?」
「王は奥へ戻ったし、王子もどこかへ行ってしまったから、かまやしないさ」
バルコニーの右手――隣のバルコニー?――から、ふたりの人間のささやき声がきこえた。
「きみ、王子に選ばれたかった?」
「僕は二回戦で負けたから、そんなの無理だもの」
「それで大人をひっかけてるのかい? 良い血筋のくせに悪い子だ」
「僕だけじゃないよ。それにあなただって……あっ……ん……」
「こういうのは好きかな?」
「……ううん……あんっ」
いったいこれは――俺とプリンスは黙って顔をみあわせた。
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