12 / 42
第12話「舞踏会には淫靡な空気が漂いはじめました」
舞踏会がはじまったとき、王様はとても満足していました。
今日の魔法大会は王様にとって、ふとした思いつきで開催したものにすぎませんでした。上司は思いつきで物をいい、王様は思いつきで魔法大会をひらくものです。しかしこうして玉座に腰をすえ、楽の音をききながらきらびやかな大広間を見渡していると、今日の催しは自分が想像した通り、いやそれよりずっと素晴らしいものに感じられました。
王様は息子のようなゴーレムおたくではありませんでしたから、生徒たちのゴーレムにはたいして感銘を受けませんでした。でも若人がけんめいに戦う姿は感情をゆさぶるものですし、決勝戦で長耳狼が巨人と対戦したときには思わず手に汗をにぎりました。
そして王様にとっていちばん最高だったのは、やはり決勝戦の直後、リチャード王子自身がゴーレムを操って戦いにのぞんだときです。ゴーレムにも過去の魔王戦にも関心がなかった王様は、決勝戦で不正が行われたなどと考えもしませんでした。ですから最初こそ王子のスタンドプレーを不思議に思いましたが、虹色の巨鳥を操る息子の雄姿をみるとそんな気持ちはすぐに吹き飛びました。
王様は王子の趣味こそ理解していませんでしたが、それでもある種の親バカだったのです。もちろん親バカでなければ、こんなにお金をかけた魔法大会も舞踏会もひらかなかったでしょうけれど。
さらに王様は、玉座からみえる舞踏会の光景にも満足していました。
王子は優雅な足取りでダンスをしています。相手はどうやら、決勝戦で戦っていた若者のようです。なかなか眉目秀麗な者ではないか、と王様は思いました。王子は相手の手をしっかり握り、とても親密な雰囲気をかもしだしています。ふむふむ、あの様子なら今回の催しの目的は達成できるにちがいない、と王様は思いました。音楽が変わると王子は相手の腕をひき、踊りの輪から抜け出していきます。
うむ。あとは若い者だけでうまくやればいい。
王様は両腕を組み、ひとりでうなずくと、かたわらにいる王妃様に「我々はそろそろ下がろう」といいました。
「この大広間にいると、今が何時なのかわからなくなりますわ」
王妃様はそういって宣告の大時計を見上げました。針は四時をさしています。
「なあに、夜は始まったばかりだ」
「でも、あの子たちは今日のうちに魔法学園へ帰らなくてよいのですか?」
「大丈夫だよ。偉大なる魔法使いに命じて全員城の別館に泊まれるよう手配させた。今日はせっかくの催しなのだ。若者もたまには羽目を外したほうがいい。私がおまえと出会ったときのように」
「そうでしたわね」
王妃様は答えました。王妃様もかつては魔法学園の――女子部 の生徒でした。王様がまだ玉座につく前の、つまり王子だった頃のこと、当時の王様が魔法学園の生徒全員を招待し、この大広間で舞踏会をひらいたのです。王様はそのとき王妃様にひとめぼれしました。そしてリチャード王子がアッシュをバルコニーに誘ったように、彼女をとばりの影につれこんだのです。
若き日の王様がこんな風に王妃様とねんごろになったことを思えば、ラレデンシを生み出せる魔法使いが少ないのもうなずけます。それにもともと魔法使いに純潔など求められていませんでした。魔力は精力に似たものでしたから、魔法使いたちがどれだけお盛んでも、それは力の裏返しのようなもの、べつに咎められはしません。
魔法使いの中にはアンブローズ先生のように真面目な人もいますが、かなり例外的だといえましたし、お城の住人にも機会があれば魔法使いと一発やり――いや失礼、親密になりたいと思う者はいるのでした。王様もいまでこそ王妃様ひとすじですが、過去にはいろいろあったものです。
「あの時計が時を告げたのを覚えています。運命だと思いましたわ」
「そうだとも」
王様は玉座をおり、王妃様の腕をとりました。ふたりは仲睦まじい様子で奥の私室へ戻っていきました。
さて、王様と王妃様が姿を消すと、舞踏会はいよいよ盛り上がってきました。
王子のパートナー選びというこの会の目的は、その場にいるほとんどの者にとってはどうでもよくなっていました。いや、王様と同じく、目的は達成されたも同然だと誰もが思っていました。
なにせリチャード王子はトーナメントでめざましい活躍をしたどこかの貴公子(この場にいる誰もが、アッシュが燃え殻だといまだに気づいていませんでした)とどこぞへしけこんでしまったのですから。王様と王妃様のなれそめを考えても、今ごろふたりが何をしているかは推して知るべし。
もはや主役はいないのだから、残された者は夜を楽しむだけです。主役はいなくなったとしても、美味しい料理も飲み物もお菓子もまだたくさんありました。シャンデリアの明かりはすこし暗くなり、楽隊の奏でる音楽はゆっくりした、艶めいたものに変わっていきます。踊る人々はたがいにぴたりと体をよせあっていますし、カーテンや柱の影など、ひとめにつかない場所で腕を組んでささやきあう者もいます。
物陰ではさらに露骨な行為に及ぶ者たちもあらわれましたが、王国ではこのような舞踏会の慣習として、衆目に触れなければそんな行為も咎められないのです。だから生徒たちも、学園では得られない新しい出会いをもとめて、いまや舞踏会の冒険に繰り出していました。
つまりそんな生徒とその相手――魔法大学の学生か、魔法省の若い官僚かはわかりませんが――がバルコニーにいたわけです。すぐ隣のバルコニーでアッシュとリチャード王子が友愛を深めていたとも知らず。
「ここ、気持ちいい?」
「あっ……そんな意地悪なこと……やめてください」
「じゃあどうすればいいのかな?」
アッシュと王子が顔をみあわせているとき、隣のバルコニーはさらに盛り上がりつつありました。衣擦れの音や、水っぽい音に王子の耳は自然と惹きつけられました。何しろ王子も精力さかんな十八歳ですし、みなさんはがっかりするかもしれませんが、すでに純潔でもありませんでした(王子が純潔を失ったときの詳細は割愛します。どんなおとぎ話にも共通することですが、王子の初体験は面白みに欠けるものです)。
しかしアッシュの方は王子とちがい、目をまるくして、ひどく途惑った様子でした。
長い睫毛にかこまれた無垢な眸にみつめられ、王子はあわてて立ち上がりました。
「とばりを閉めよう」
じつは王子とアッシュがいるバルコニーも、隣のバルコニーも、ドームのようなとばり――魔法のかかった遮蔽幕ですっぽり覆われる仕掛けになっていました。とばりを閉めるとバルコニーは小さな部屋のように外界から隔絶されます。とはいえ隣のバルコニーのふたりは外界から隔絶されようなどと思っていませんでしたし、王子もここへアッシュを連れ込んだ時は、大広間の喧騒から逃れられただけで十分だと思っていたのです。
王子がとばりを引くと、バルコニーは暗くなりました。お城の庭園を照らす光も、空で輝く星もみえなくなり、今は壁に灯るランプだけがアッシュの顔を照らしています。静寂があたりを満たしました。
「そう、ゴーレムだが――」
王子はアッシュのそばに戻り、話を続けようとしました。しかしそのとき、立ったままアッシュの顔をみつめてしまったのです。
アッシュも上目遣いで王子をみつめていました。髪をあげてあらわになったひたい、涼やかな目もと、かたちのよい鼻に繊細なあご、みずみずしい唇が、王子の目――いや胸の奥あるいは腹の底へがつんと飛びこんできました。そのとたん、王子は今まで何を話していたのかわからなくなったのです。
急に王子の心臓はどくどくと脈打ちはじめました。
たった今まで、王子はゴーレムについて語り合える喜び、友を得た喜びに酔っていました。ところがいまこうしてアッシュの眸をみつめたとたん、べつの欲望がこみあげてきたのです。
それは力ある魔法使いにありがちな、魔力の(あるいは精力の)誘惑だったのでしょうか。昼間ラレデンシを生み出したアッシュからは、魔力が艶めいた精気となって滲みでていました。アッシュがバトラーの車から降りたときからそうだったのですが、王子は長耳狼のゴーレムに気をとられるあまり、今までほとんど意識しませんでした。
しかし――
「アッシュ」
「先輩?」
アッシュの唇からこぼれた「センパイ」という響きに王子は痺れました。そういえばこの催しは、自分のパートナーを選ぶためにひらかれたのだ。王子は今になってそのことを思い出しました。
さて、王子がアッシュの眸をみつめ、心臓をどきどきさせていた時のこと。大広間の片隅では王国の偉大なる魔法使いのふたりの息子が、玉座の騎士をひっかけようとしていました。
双子にとって、今日の展開は満足半分、不満半分というところでした。慎重に計画したトーナメント戦はうまくいき、そこは満足できたといっていいでしょう。ラスとダスがゴーレムごと入れ替わっても、たぶん誰も気づかなかった――はずですし、最後は思いがけない結末になったとはいえ、ラスは一応優勝しました。王様のわけのわからない冗談や長話がなく、王子が双子に興味をもってくれれば大成功だったのですが、この二点に関してはもちろん、ラスもダスも不満しかありませんでした。
「まったく、あいつは何者なのさ」
「西の国の留学生じゃないかって噂だ。王族だとか」
「ずるいよ。そんなのが参加するなら、最初から教えてくれないと」
双子にも他の生徒にも、王子が「異国の留学生」に夢中なのはあきらかで、双子にとっては面白くない話でした。しかしまあ、王子の姿もみえなくなった今は不平をこぼしていても仕方ありません。
せっかくお城にいるわけですし、双子はいつもの取り巻きとはちがう遊び相手を探すことにしました。ふたりが目をつけたのは、王様と王妃様がひっこんでしまったあとの玉座の横に、手持ち無沙汰に立っていた騎士でした。
「騎士様、王様はいなくなったのに、どうしてここを守っているんですか?」
「この玉座の下には王国の最も大切な宝があるのだよ。だからいつもわれわれ騎士が守っているのだ」
「大切な宝? でも王国の宝は王様の冠でしょう?」
ラスが無邪気な表情でたずねました。王様の冠は黄金でできていて、数え切れないほどの宝石で輝いているのです。
「宝とは、金銀や宝石だけではないのだ。この玉座の下には王国の富と平和の秘密があるのだよ。だからこそ騎士が守ることになっている」
「うわあ、名誉ある仕事なんですね」
少女のように可愛らしい顔をもつしなやかな少年ふたりに侍られて、騎士は鼻の下を長くのばしました。ラスとダスは騎士のたくましい体にしなだれかかり、腕や腰を柔らかく撫でました。
「騎士様、僕ら、騎士様みたいな人に会ったことありません」
「もう二度と会えないかもしれない」
「せっかくお城に来たから、思い出が欲しいんです」
「きみたち……やめなさい」
騎士はそういったものの、少年たちの誘惑にあらがうのは難しいことでした。何しろその時分には大広間はすっかり淫靡な空気に満たされていたからです。玉座の騎士はさきほど、同僚のひとりが嫋やかな女性の腰に手をまわし、柱の影へすべりこむのを目撃したばかりでした。王と王妃だって奥でよろしくやっているのだ、と騎士は思いました。誰も彼も、召使すら、物陰で快楽にふけっているように思えました。
「騎士様みたいにたくましい人、魔法学園にはいないよ……」
ラスがうるんだ眸でみつめました。
「すごく憧れるんです。腕も、胸もお腹も、すごい……」
ダスの手が騎士の下半身をするりと撫でました。少女のような美貌に浮かぶ淫蕩な表情に騎士の喉がひくりと動きました。
すこしだけならいいか――と騎士は思いました。
こんな舞踏会はめったにあるもんじゃないしな。
「ここじゃ人目につく」
騎士は双子の手をとり、玉座の裏側へ導きました。宣告の大時計がずっと上の壁面で時を刻んでいます。双子は即座に騎士の意図を理解しました。玉座を背後から守るように立った騎士の下半身は椅子の背に隠れてみえません。双子は騎士の左右にひざをつき、そのベルトをはずし、ズボンを下げて、あらわにした太腿に唇をよせて……えっと、このあたりの詳細についてはそれぞれ想像してくださいね。
とにかく露骨な行為が佳境にいたり、騎士も双子も恍惚とした表情になりかけた、まさにその時でした。
「ランサー、まだそんなところに突っ立ってるのか」
大広間をやってきた騎士の同僚が玉座の段の下から呼びました。
「あ、ああ」
玉座の騎士は不明瞭な答えを返しました。
「こっちへ来いよ。退屈だろ?」
「退屈……いや、その」
「いいから、早く来いって」
騎士は焦って股のあいだにいる双子を見下ろしましたが、同僚がもう一度手をあげると観念しました。双子を押しのけて、あわてて着衣を整えます。
無言で行ってしまった騎士を双子は残念な表情で見送りました。
「あーあ。なんだよ、これからだったのに。今日はついてない」
ダスはぶつぶつ文句をいい、唇をハンカチで拭きました。
「なんだか、つまんないな」とラスがいいました。「このへんに何か面白いもの、ないかな」
「そういえば宝がどうとかいってたね」とダス。「玉座の下に秘密があるって」
どうせ二人ともしゃがみこんでいます。双子は膝をついたまま、大きな玉座の下に首をつっこみました。玉座の背面は正面のように宝石で飾られてはいませんが、魔力紋のような紋様がびっしり彫りこまれています。おなじ模様が玉座の真下の床にも彫られ、さらにその真ん中には四角い布のようなものがぺたりと貼りつけてありました。
「あれ、何?」ラスが指さしました。
「おまじないみたいだ」ダスがいいました。「ほら、燃え殻が好きな糸魔法さ」
双子は学園にひとり残された燃え殻を想像し、忍び笑いをもらしました。
「どうしてこんなところに糸魔法なんか? 剥がしてみよう」とラスがいいました。
「そうだね」とダスは答えました。
先に手を伸ばしたのはダスでした。その布はとても古いものだったらしく、布の端から飛び出した糸は指先が触れただけで粉々になってしまいました。ダスは布のめくりあがった端をつまみ、一気に引きはがしました。
「その下に何がある?」
「何もないよ」
布は何かを隠しているようにみえましたが、そんなことはなかったようです。ダスは布を剥がしたあとの石の床に触れました。チクッと指を刺されたような痛みを感じましたが、一瞬のことでした。気のせいだったのでしょう。
「秘密なんてないんだ」ダスはそういって布をもとの場所に戻しました。
「そう?」
ラスは布をのぞきこもうとしましたが、ダスはさっさと玉座の下から抜け出してしまいます。
「ラス、お腹が空かない?」
「もう?」
ラスは怪訝な目つきになりました。玉座の騎士に狙いをつけるまえに双子はたらふくお菓子を食べたからです。
「疲れたのかな。なんだか急にお腹が空いたんだ。行こうよ」
ダスはラスにかまわず先に行こうとします。分身に置いて行かれたくなくて、ラスはあわてて後を追いました。
ともだちにシェアしよう!