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第14話 時間切れの鐘が鳴り響く

 俺が急に動いたのでプリンスはベンチの上で一瞬バランスを崩したが、すぐに優雅さを取り戻した。俺は懐中時計の文字盤をみつめる。時計の針は十二時の位置よりほんのわずか手前にある。  もうこんな時間だなんて。いったいいつの間に? 「先輩、俺、行かないと」 「アッシュ?」 「今日は先輩と話ができて、すごく嬉しかったです。ほんと、夢みたいでした。俺、一生の思い出にします!」  プリンスはぽかんとした顔つきだったが、俺は彼をおしのけるようにして立ち上がり、バルコニーを囲む幕を引き開けた。ベンチの下にうずくまっているイヌを抱き上げて外の回廊を走る。大広間はさっきより薄暗かったが、中央にはまるくスポットが灯っている。ゆるやかな音楽にあわせて真ん中で踊っている人たちもいる。でもゆっくり眺めている時間はない。下へ降りる階段を探して俺は回廊をぐるりと駆けた。 「アッシュ! 待て!」  うしろからプリンスの声が聞こえたけれど、待つわけにはいかなかった。時限式魔法が解けたらバトラーさんは消えてしまうし、今着ている服だってきっとぼろぼろになってしまう。イヌを抱きかかえているせいか走りにくかった。やっと階段をみつけて、転がるように数段降りたときだ。 「ワンワン! ワン!」  突然腕のなかでイヌがもがき、暴れ出した。 「こら、時間がないんだよ」  俺はイヌを床におろした。ゴーレムはつぶらな目で俺をみつめて尻尾を振る。ひたいでラレデンシがチカッと光った。 「ついてきて!」  長い階段は玉座を正面に眺められる位置だった。その上の大時計の針も、もうすぐ十二時を差そうとしている。 「アッシュ、アーッシュ!」  まだプリンスの声が聞こえている。それでも俺はふりむかずに走った。踊る人々の横をすりぬけ、大広間の出口めがけて。  ボーン……ボーン……  時計の鐘が鳴った。  周囲の人が驚いた顔つきで壁の大時計をみつめ、動きをとめた。俺はかまわず走り続けた。  ボーン……ボーン……ボーン……  もう十二時だ。この鐘が鳴り終わる前に外に出なければ。大広間から赤い絨毯を走って、お城の外へ。やっと星空の下へ飛び出し、正面に停まった銀色の車へ全速力で駆けていく。  ボーン……ボーン……ボーン……ボーン……ボーン……ボーン……  大時計の鐘はお城の外にも響いていた。銀色の車のドアはひらいている。俺は息を切らし、転がるように革張りのシートにおさまった。  ボーン…… 「アッシュ様。間に合ってようございました。出発します」  運転席でバトラーさんが落ちついた声でいった。 「はい、すみません、ぎりぎりで……」  俺はまだ息を切らしていた。銀色の車はお城に来たときと同じように空中へ舞い上がった。窓の外にお城の尖塔が一瞬だけちらりとみえたが、すぐに星空のきらめきに変わった。やっと呼吸が落ちついてきて、俺はクッションの効いたシートにもたれかかった。 「舞踏会はいかがでしたか」  バトラーさんが穏やかに訊ねた。 「すごく素敵でした! とても楽しかった」 「それは何よりでした。お帰りは星空クルーズをかねて、ゆったりと参りましょう。幌を下げますね」  音もなく車の屋根が畳まれた。銀色の車は星の海をすべるように飛んでいく。  バトラーさんはとても洒落たことをする人だ。俺は感心し、満足のため息をついた。  今日はほんとうにすごかったな。夢みたいな一日だった。プリンスに抱きしめられて、キスされて、ふたりだけで色々な話をして……。  プリンスが教えてくれた、魔法のみえない指で触れられた感覚はまだ体に残っているみたいだ。それだけじゃない、耳元でささやかれたときの甘いぞくっとする感じも、匂いも。  もしも時間があったなら、もっと何か……何かが起きたかもしれない。服を脱いで上半身をさらしたプリンスのイメージが勝手に頭に浮かび、俺はひとりで顔を赤くした。股間がまたきつくなってくる。  ああもう、こんなこと考えちゃだめだ。今日の出来事はあのバルコニーの中で起きたことだけじゃない。ゴーレムのトーナメントを勝ちぬいて、双子のゴーレムと戦って、負けたけど、そのあともイヌと一緒に舞踏会に――  イヌ?  俺はハッとして足もとをみおろした。銀色の車は星空を優雅に飛んでいて、ほとんど揺れも感じない。 「バトラーさん、あの、俺のゴーレムは……行きは乗ったでしょう、ほら、犬――狼の姿の」 「ああ、来るときはそうでしたね。でもさきほどはアッシュ様おひとりしかいらっしゃいませんでした」 「そんな! イヌは俺について走っていたはず……」  俺は必死で思い出そうとした。大広間の階段を降りて走り抜けたとき、イヌはどこにいただろう? いつまで俺の足もとにいただろう?  まったく思い出せなかった。時間に遅れまいとするのに一生懸命で、俺はイヌに注意を払っていなったのだ。 「ついてきてっていったのに……あの、バトラーさん」 「なんでしょう」 「戻ることはできませんか? イヌは……俺のゴーレムはまだお城にいるはずなんです」 「申し訳ございませんが、それはいたしかねます」  バトラーさんの口調は有無をいわせないものだった。当たり前だった。彼はアンブローズ先生が魔法で呼びだした召使なのだから、できることとできないことが厳密に決まっているのだ。  ああ、イヌを置きざりにするなんて。俺はなんてことをしてしまったんだろう。  さっきまでの嬉しさがあっという間にかき消えて、俺はシートの上で膝を抱え、うなだれた。きっと、途中でラレデンシの魔力が切れたのだ。だから俺を追ってくることができなかったにちがいない。イヌは今ごろ小さな土人形に戻って、お城の床に落ちているのだ。絶対にそうだ。  大広間を片づけるとき、召使の誰かが拾うだろうか? 拾われたとして、魔法使いでない人々にあれがゴーレムだとわかるだろうか。イヌのラレデンシには俺の魔力紋が刻まれているから、俺が魔力を充填しないかぎりイヌはただの土人形だ。魔法を使えない者の目にはよくて単なるオモチャか、最悪ガラクタだと思われて、どこかに捨てられるかも。  ああ――ごめん。ほんとうに、ごめんなさい。俺は心の底から悔やんだ。  もう一度お城に行ってイヌを探すことができればいいのに。でも、俺がお城に行ける機会がこの先あるとは思えない。 「アッシュ様」  バトラーさんが俺を呼んだ。心なしか優しい調子の声だった。 「そんなにがっかりされませんよう。ゴーレムは私と同じく魔法の道具です。作り手を満足させることが私たちの幸福なのです。今ここにいなくても、アッシュ様のゴーレムはとても幸せにちがいありません」 「バトラーさん……」 「もうすぐ泉に到着します」  銀色の車はゆっくり下降をはじめていた。窓からは夜空を映す湖と黒々と広がる森がみえ、その先に魔法学園の建物があらわれる。来たときと同じ、寮の裏手の森の空き地に車は音もなく着地した。バトラーさんが先に降りて、ドアを開けてくれる。 「本日はご利用ありがとうございました」 「いえ、こちらこそ。ありがとうございました」 「またのご用命をお待ちしております」  外に出たとたん、ポンッと乾いた音がして銀色の車は消えうせた。森の泉の脇には傾いた像が立っている。冷たい空気に全身がふるえ、続けて三回くしゃみが出た。俺は真夜中の森に下着と靴下を履いただけの格好で突っ立っていた。  魔法の時間はおわったのだ。俺はただの燃え殻に戻った。

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