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第15話「王子は運命の手引きを感じていました」
大広間に宣告の大時計が鳴り響きます。
最後の鐘が鳴り終わった時、リチャード王子はお城の正面に立ちつくしていました。アッシュが乗った銀色の車はもう影も形もありません。
なぜアッシュが自分を押しのけて行ってしまったのか、王子はまったく理解していません。時計をみるその瞬間まで、アッシュは自分の腕に抱かれていたのです。
奇妙だ、と王子は思いました。魔法学園の生徒はお城が用意した部屋に泊まることになっていましたから、あわてる必要などまったくないのです。ということは、アッシュは魔法学園の生徒ではないのでしょか。いや、そんなはずはありません。大会に出場できるのは魔法学園の生徒だけです。
王子はアッシュとの会話を思い起こしました。今夜は実にたくさんのことを話しましたが(その多くは王子のゴーレムおたく語りでしたが)アッシュも学園の授業や教師を話題に出していました。彼が男子部 の生徒であるのは間違いありません。
しかしアッシュは魔法大会に遅れました。やはり何か事情があるのだろう、と王子は思いました。自分には両親がいないともいっていました。そうか、アッシュはきっと特別な境遇にあるのだ、と王子は思いました。もしかしたら自分と同じように、他の生徒とはちがう場所で特別授業を受けているのかもしれない。留学中の王族ならそれもありうる。
そうだ、アッシュには今夜ここに留まれない理由があったのだ。決して自分を拒絶したわけではない。
王子は前向きに考えようとしました。というのも、彼は心を決めていたからです。つまり、アッシュをパートナーに選ぶことをです。
王子は城の中へ戻ろうときびすを返しました。爪先がなにかに触れたのはその時です。足元に粘土の人形が落ちています。四つ足の獣をかたどった、魔法を使えない者なら子供のオモチャだと思いそうな人形です。でも王子にはすぐにわかりました。
――これはアッシュのゴーレムだ。
ゴーレムのひたいのところでチカッと光るものがあります。ラレデンシです。
ああ、おまえが僕のもとに残ってくれたのか。でもおまえを蘇らせることができるのはアッシュだけだ。このラレデンシにはアッシュの魔力紋が刻まれているのだから。
いったいどんな事情があるのかはわからない。でも絶対にきみを探し出してみせる、アッシュ。
王子は土人形をふところへしまいこみました。
大広間に戻るとあたりは騒然としていました。ささやきあっている者もいれば、あれこれ腕を組んで考えこんでいる者もいます。みな大時計に目をやっては、自分は何を宣告されたのかと考えこんでいます。
しかし実は、ここには宣告の意味について思い悩まない者がふたりいたのです。
ひとりはリチャード王子です。王子には自分が何を宣告されたのか、晴れやかな確信がありました。
アッシュをパートナーにせよ――時計はそう告げたのだ、と。
まさに時計が鳴っているとき、アッシュが自分を突き飛ばす勢いで走り去ってしまったことなど、王子の確信の障害にはなりませんでした。むしろ逆で、王子はアッシュと自分は時計が告げた運命で結ばれているのだと思いこんだのです。
そしてもうひとりの、時計の宣告が屁でもない者はというと――
……あれ? 誰でしたっけ?
おかしいな、急にわからなくなってしまいました。たしかに王子のほかにもうひとり、いたはずなんですが……?
まあいいでしょう。とにかく、お城にいた人のほとんどはこの夜、時計が何を告げたのか考えこんだわけです。いつも例外はいるとはいえ、世の中で重要なのはいつだって、大多数の方ですからね。
さて翌日の午前中、生徒たちは全員魔法学園に戻りました。
今日は学園は休日です。大会と舞踏会の興奮から一夜明けてくたびれた生徒たちにとってはありがたい日です。
リチャード王子は特別車で帰ったので、他の生徒よりも早く学園につきました。王子の次に学園についたのは専用車に乗った良い血筋の生徒たちでした。王子は彼らの到着を知ると、ただちに塔の生徒会室へ役員を召集しました。休日だろうがなんだろうがおかまいなしです。王子は生徒会長ですからね。
そうだ、うっかりしていました。リチャード王子以外の生徒会役員のことはこれまで説明していませんでしたね。
森と湖に囲まれた全寮制学園の生徒会は、会長のリチャード王子と幽霊役員で構成されています。
もちろん幽霊というのは言葉のあや――いやいや、比喩というものです。生徒会役員は全員リチャード王子と面識のある良い血筋の生徒たちで、全員三年生ですが、リチャード王子以外は何ひとつ生徒会の活動などしていません。それでも彼らは卒業アルバムに生徒会役員と書かれるでしょう。魔法学園の生徒会はリチャード王子のような高貴な身分の生徒に箔をつけるために存在している組織なので、これでも問題はないのです。
何しろここは魔法学園ですからね。普通の学校なら学園祭だの体育祭だので生徒があれこれ手配したり働かなくてはならないこともあるでしょうが、ここの教師や生徒は魔法を使って片付けてしまいます。生徒がうまくやれないときはアンブローズのような器用貧乏――おっと、マルチに働ける優秀な教師がその役目を担います。
……こんな調子だったので、今日まで役員が召集されたことはありませんでした。
役員たちは不審な表情をうかべて生徒会室に集まりました。王国の偉大なる魔法使いの二人の息子、ラスとダスも生徒会役員でしたから、この中に加わっています。
王子は大きなデスクの前に立っていました。その上には大きな本が広げられています。魔法学園の生徒名簿です。
「たずねたいことがあって来てもらった」
王子は挨拶も前置きもなく、単刀直入にいいました。
「昨日の大会の入賞者に会いたいのだが」
ラスが嬉しそうに顔をあげました。
「殿下、入賞なら僕ら――いえ、僕です」
しかし王子は双子の方を見もしませんでした。デスクの上の名簿をめくりながら飛び出したのは、こんな爆弾発言でした。
「いや、会いたいのは二年生のアッシュだ。僕は彼をパートナーに選ぶことにきめた」
ざわざわ。
生徒会役員たちは顔をみあわせました。
「でも俺は学園であの顔をみたことはありません」
「あの……大会の彼は飛び入り参加の留学生じゃなかったんですか?」
「アッシュなんて知りません」
異議が唱えられましたが、王子は相手にしませんでした。
「いや、彼はこの学園の生徒だ。本人からきいた。これが二年生の名簿だ。彼はこの中に必ずいる。きみたちに直接知っている者がいないかと思ったんだ」
役員たちはまた顔をみあわせましたが、王子が指示するままにデスクのまわりに集まって、名簿を囲みました。幾組かの目で探すと「アッシュ」をみつけるのに時間はかかりませんでした――が。
「このアッシュって――あ、燃え殻のことじゃないか。忘れてたよ」
ひとりがいいました。
「燃え殻?」王子は問い返します。
「あ、」ラスがあわてて口を挟みました。
「そのアッシュなら、子供のころから僕らに仕えている従者です。燃え殻というのは愛称です」
「変わった愛称だな」
王子は眉をよせましたが、双子はけろりとした表情です。
「でも殿下がお探しのアッシュは彼じゃありません」
「なぜだ」
「彼は大会に出場していません」
「そうなのか?」
ざわざわ。他の役員たちがささやきかわします。
「だってあいつ、ラレデンシ持ってないから」
「前の日になっても何の準備もしてなかったし」
「往復のバスにも乗ってないだろう」
周囲の声を聞いて双子は含み笑いを交わしました。そして二人のあいだだけに届く声で(双子なのでそんな特別なことができるのです)言葉を交わしました。
(燃え殻のやつ、まだラレデンシ探してるかな。そろそろ返してやろうか)
こういったのはラスです。
(そんなことしなくていいよ)
と返したのはダス。
(大会も終わったし、さすがに可哀想じゃない? ほどほどにしておこう)
これはラス。
(どこが可哀想なんだ? ほどほどなんてつまらない)
ダスの答えにラスは違和感を感じました。ダスと目をあわせましたが、眸の奥にこれまでみたことのないような冷酷な色をみつけ、ひるんでしまいます。
どうも変だ。とラスは思いました。僕らは双子だ。こんな風に意見が割れるなんて、これまではなかったのに。僕らはいつも同じように考えて、同じことをやってきた。
「そのアッシュは――ちがうのか」
王子が無念そうな声をあげたので、他人には聞こえない双子の会話は打ち切りになりました。役員たちは黙って顔をみあわせました。彼らにしたって、突然大会に舞い降りて狼のゴーレムを操った貴公子に興味がありました。あんな涼やかな美貌の持ち主、会えば忘れるはずがありません。
王子は役員たちの困惑をよそに、魔法大会のエントリー表を城から持ち帰らなかったのを悔やんでいました。魔法大会はお城の企画でしたから、魔法学園にはデータが残されていませんでした。これこそが縦割り組織の弊害だと王子は考えましたが、個人情報保護という観点からするといささか的外れのような気もいたしますね。
とにかく王子は、この程度のことであきらめる気など、まったくありませんでした。だから他の役員を見まわして、宣言したのです。
「いずれにせよ、僕のパートナーはかならずこの学園にいる」
「どうして?」
いささか不遜な調子でダスがたずねました。ラスはこれまでと雰囲気のちがう片割れの口調にまた途惑いを感じました。王子は気にしませんでした。アッシュをみつけることだけで頭がいっぱいだったからです。
王子はふところから土人形を取り出しました。
「このゴーレムには彼の魔力紋が刻まれている。学園に戻った瞬間から、ラレデンシがかすかに反応を返すようになった。ラレデンシと魔力紋が一致する者こそが僕の求めるアッシュだ。彼は絶対に学園のどこかにいる。名簿にみつからないのなら足で稼ぐまでだ。まずは学園寮を案内してくれ」
「わかりました!」
役員たちはいっせいにこたえました。王子は鷹揚にうなずきましたが、その手にはアッシュのゴーレムがきつく握られていました。
さて、王子と生徒会役員の一行が塔を出て、寮へ行進していったころ。われらがアッシュは何をしていたでしょうか。
王子が自分を探しているなど、アッシュは思いもしませんでした。実はその時、アッシュは教師のアンブローズを探していたのです。昨夜学園に帰ってからというもの、アッシュの体は変調をきたしていました。
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