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第19話「いまやふたりはライバルです」

 ふたりはライバル。  念のため説明しておくと、「ふたり」はリチャード王子と教師のアンブローズ、「ライバル」は恋敵を意味します。  王子と教師はこの時点で、自分たちがアッシュをめぐる対抗関係にあることをはっきり自覚していました。リチャード王子はアッシュを伴侶にするべく心を決めていましたし、アンブローズはリチャード王子が出現したことによって、アッシュに対する自分の独占欲を師弟愛の名のもとに正当化したのです。  とはいえ、アッシュをMTAに雇うというアンブローズの提案に余計な下心はありませんでした。アッシュがあさはかにも「貸付金を増額」などといいだしたので、あわてて考えついたものにすぎません。魔法大学の貸付金制度を利用して勉学を続けた結果、アンブローズはいまだに毎月の給料から返済を続けていました。借金をうかつに増やしてはいけない。これはアンブローズがわが身をもって学んだことだったのです。  それではアンブローズはアッシュの賃金をどこから支払うのでしょうか? 何しろこの教師も、生活に余裕があるとはとてもいえませんでした。しかしお金を魔法で作り出すわけにはいきません。魔法学園の教師は魔法で副業をすることも禁じられていました。それでもアンブローズには目算がありました。自分の魔研費から支払うつもりでした。  そうそう、アンブローズは魔法大学にポストを持てるほどの実力があったのですが、大学はつねにポスト不足でした。魔法大学の教授には定年がなく、若手が職位を得るには巧妙な立ち回りが必要でしたが、ご想像の通りアンブローズにそんなことはできなかったのです。それでも彼は魔法学術推進会に毎年研究計画書を提出し、小規模の魔研費を獲得していました。  というわけで、アッシュが教室を出ていくとすぐ、アンブローズは教員控室に向かい、経費申請書を作成しました。提出には学園長の承認が必要とされています。しかしよほどの高額ならともかく、この程度ならふつうは問題にされません。  あいにく事務員は休暇中で、事務窓口の受付箱にはたまった書類が層をなしていました。よくあることなのでアンブローズは気にもせず、申請書を箱に入れるとすぐに立ち去りました。明日の朝アッシュが薬草園に来たら、一週間分を立て替え払いしなければなりません。  アンブローズが事務室を出たとき、廊下の端で学園資料室の扉が開きました。  おや? あらわれたのはリチャード王子です。  王子は廊下を歩き去るアンブローズのうしろ姿をみつめ、眉をひそめました。  さてさてそのころ、王子は誤解と混乱のただなかにありました。  何について? もちろん「アッシュ」の正体についてです。  魔法大会に出場し、舞踏会で王子を魅了し、宣告の大時計とともに消え失せた「アッシュ」は魔法学園にいる――王子は実際にそれを彼自身で確認しました。アンブローズの膝の上という、王子にとっては本意でない状況でしたし、ついでにいえば、他人の膝の上で喘いでいるアッシュにムラムラしたことも王子はひとまず忘れようとしていましたが、とにかくアッシュはそこにいた。ゴーレムが蘇ったのだから、間違いありません。  それにもかかわらず、リチャード王子は学園寮や教室で、アッシュをみつけることができませんでした。  原因はいくつかあります。  ひとつめは、王子が思い浮かべる「アッシュ」のイメージと、学園にいるいつものアッシュの姿がすこし……いや、かなり違っていたからです。  王子が出会ったアッシュはマスクで顔を半分隠したりしていませんでしたし、髪はきれいに撫でつけられて、綺麗な装いをしていました。温室で再会したときもマスクは外していましたし、髪は乱れていて、しかもあのときはアレです、制服で覆われて部分へ王子の目が吸い寄せられるような状態でした。  でもふだんのアッシュは、みなさんご存知のように、マスクとサイズの合わない制服にその真の姿が隠れている状態なのです。  ここ何日か、王子は昼休みや放課後になると寮や校舎のあちこちを歩き回っていました。もちろん「アッシュ」を探して。王子が一般生徒のいる場所にあらわれるのは珍しいことでしたから、彼が食堂や寮に登場すると生徒はみな熱狂し、あとをついてきました。しかし王子が探している「アッシュ」の姿はどこにもみあたりませんでした。  王子がアッシュの正体について混乱しているもうひとつの原因は、王国の偉大なる魔法使いの息子たち――双子のラスとダスにありました。  学園名簿に載っている二年生のアッシュは自分たちの従者で、魔法大会には出場していない。だから王子が探している「アッシュ」ではない――と聞いたおかげで、王子は双子のうしろで両手にお菓子の袋を下げているアッシュに気づかなかったのです。  伴侶にしたいとまで思っている相手に気づかないなんて、王子はその程度の気持ちでどうしようというのか?  ――と、思う人もいるかもしれませんね。でも人間の目は騙されやすいものですし、王子は十代の少年です。  おまけに双子とその取り巻きは、アッシュが王子に何か失礼なことをやらかしたと思い込んでいましたから、王子が一般生徒のあいだにあらわれたときは、素早くアッシュに雑用をいいつけて、王子の視界から消えるようにしていました。  リチャード王子には自分がいつか王国を継ぐ人間だという自負がありましたから、おそらく魔法学園のたいていの生徒よりは、さまざまな物事について思いめぐらす習慣がありました。しかし生まれた時から恵まれた立場にいたおかげで、親が魔法使いではない生徒は奨学金をもらえないといったことも知りませんでしたし、それぞれの生徒の出自に多少の違いはあっても(そう、良い血筋の生徒とそれ以外の生徒がいるように)アッシュのように教材費に悩む生徒がいるとは思ってもみませんでした。自分の周囲の生徒が余計な忖度をして、アッシュの悩みが深くなったこともです。  とまあ、あれこれあって、王子はアッシュに三度目の出会いをはたせずがっかりしていました。温室でアッシュに再会したときの手がかりはゴーレムでしたが、もう返してしまいましたし、放課後や昼休みに二年生のクラスの前を何度歩いてもアッシュの姿はありません。  結果として王子は疑心暗鬼にとらわれつつありました。  いったいどういうことだ? アッシュは僕から隠れているのか?  それとも誰かが隠しているのか?  悩んだあげく、王子ははたと気づきました。  魔法学園の行事記録にアッシュが映っているのではないか?  そういった記録はクラスごとに分類されます。学園資料室は一般生徒は教師の許可がないと入れませんが、王子は学園長の許可を入学時にもらっていました。  ほこりっぽい部屋の中で、放課後ひとりで行事アルバムをめくっていきます。あの涼やかな目鼻立ちをさがして……ありません。あれにも、これにもない。 「はっくしょい!」  アルバムを閉じた時に舞い上がったほこりで、王子の口からは大きなくしゃみが飛び出しました。そういえば黒いマスクをした生徒がアルバムにいた、と王子は思い出しました。この部屋で調べ物をするときはマスクをしたほうがよさそうだ。  王子はあきらめて資料室を出ました。ちょうどそのとき、アンブローズのうしろ姿に出くわしたのです。アンブローズがみえなくなると、王子は事務室の扉をノックしました。中には誰もいませんでした。受付箱には書類が裏返しに積み上がっています。王子は何気なく書類をめくりました。  翌朝のことです。リチャード王子はひとりで薬草園を歩いていました。  あれこれ考えた結果、アッシュに再会した温室をもう一度訪れてみることにしたのです。  温室の扉はひらいていました。王子は中に入ろうとせず、ただ人の気配をさぐりました。かすかな物音や話し声が聞こえます。王子は温室に入らず、ガラスの壁ぞいに歩きはじめました。あの日アンブローズがいたのはどのあたりだったでしょう?  ガラスの向こうで人影が動きました。  王子は温室の内側に生えた植物に隠れるようにして、ガラス越しに中を覗きました。  ――アッシュ! アッシュがいるではありませんか。それにアンブローズも!  声は聞こえませんでしたが、アッシュがアンブローズに笑いかけるのがみえました。王子の胸は嫉妬できりきりと痛みました。それにしてもこんな時間に、いったい何をしているのか?  木の葉の影から見守る王子の前で、アンブローズが封筒をアッシュに渡しました。アッシュが中身を取り出し、あらためています。  あれは……ドラ紙幣では?  まさかアンブローズはアッシュを金で買っている……?  王子は深く呼吸しました。落ちついて考えるんだ。事務室の書類が頭をよぎりました。アッシュはアンブローズに騙されているのではないのか? 金と引き換えにアンブローズに奉仕させられているのでは?  誤解の種が芽吹きました。嫉妬の肥料が加わってみるまに育っていきます。温室の熱帯植物にも負けない勢いです。  いったいどうしたらアッシュを教師の魔の手から救えるだろう?  王子はさらに考えました。そして今回は温室に足音荒く踏み込んだりせず、学園長のもとへ出向いたのです。 「学園長先生。僕はいずれ国を導く者として、お伺いしたいことがあるんです」  王子は誰の名誉もうかつに傷つけないよう、特定の名前を出さずに回りくどく話を進めました。この手のテクニックはお城で王に謁見する人々に学んでいたのです。王子の話はしだいに教師たちの個別研究にうつりました。学園長は正直「面倒くせえな」と思いましたが、もちろんおくびにも出しませんでした。  とはいえ魔研費の請求という突っこんだ話になると、学園長はすこしばかりひやりとしたのです。承認といってもよほどの大金でなければ事務員が自動的にハンコを押すだけで、いちいち内容を知っているわけはありません。  リチャード王子がこんなことをたずねてくる裏にはいったい何があるのだろう? まさか、城から抜き打ちで調査が入る前触れか……?  アンブローズの書類はまだ箱に入ったまま、事務員の休暇が明けるのを待っていました。

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