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第21話 喧嘩をやめて
物音が聞こえてもプリンスは俺を抱きしめたままだ。
「僕はきみのことをもっと知りたいんだ、アッシュ。きみの……すべてを……」
制服の下、肌に直接なにかがふれる感触があった。これは……舞踏会のときの、あの……。
「触魔法、覚えているかい?」
プリンスが耳元でささやいた。
「きみも僕に触ったんだ……」
みえない指が俺の太腿をさすり、さらに上へあがる。あ、そんなところ、触られちゃ……はしたなく腰を揺すってしまって、こんなこといけない、と思うのに止められない。
「可愛いよ、アッシュ……濡れてるんだね……」
「せ、センパイ……」
「僕のためにこうなってるんだろう? ああ、好きだよ……やっとわかった。ラスとダスの話を本気にした僕は間違っていた。何度教室を回ってもきみをみつけられない、なんて思いこんで……きみはすぐそこにいた。あの黒いマスク……あれで自分を守っていたんだ。でもどんな服を着ていても、顔を隠しても、アッシュはアッシュだ」
「センパイ、俺はセンパイが思ってるような……」
「ちがう」
プリンスの両腕は俺を抱きしめたまま、でも別の見えない指が俺の皮膚を直接なぞっている。いつのまにか俺の頭からはさっきの物音のことなど消え失せてしまった。
「僕は間違っていたが、きみも間違っている。きみはほんとうの自分を知らなくちゃいけない」
ほんとうの俺?
プリンスが何をいっているのか俺にはわからない。俺はただのアッシュだ。燃え殻と双子が俺を呼ぶのは、俺が何も持っていないから。この学園に入れたのも、魔法大会の時も、たまたま俺を助けてくれる偶然があったから。
「アッシュ、きみはまだ知らないんだ。でも僕には……わかる……」
「センパ――あっ……俺、あ、で、でちゃ……」
「いいよ……ああ、きみの魔力を感じる……」
みえない指が動き、俺の体の奥の方でせきとめられていたものがぶわっとあふれ出した。体が宙に浮くような解放感と甘い快感が一度に押し寄せてくる。
「あ、んっ、んんんっ――」
どこかでピカッと何か光ったような気がした。
ガタガタッドシンッ
さっきとはくらべものにならない物音と共に、プリンスではない人の声が響き渡った。
「アッシュ! 魔力が――」
バリバリバリ――
俺はふわふわした気持ちよさに包まれて、うっとりと目を閉じていた。遠くの方で話す声が聞こえるけれど、意味をもった言葉にきこえない。
「王子、アッシュに何をした」
「アンブローズ先生?! いったいこれは」
「アッシュは第三次魔徴をひらいたばかりだ。まだ自分をコントロールできない――」
何をそんなにあわてているんだろう? さっぱりわからなかったけれど、どちらの声の響きも心地よかった。どっちの声も、とてもすき……。
「ああもう、そのまま接吻しなさい!」
「え?」
「いいから早く! あふれた魔力を吸うんだ!」
突然すうっと涼しい風が吹いた。俺の中の熱がそっちへ向かって流れ出していく。ああ、すごくすっきりして、いい気持ち……俺は両手をのばして、指が触れたものにぎゅっとしがみつく。体の感覚が戻ってきて、甘い快感に下半身が震えた。
「アッシュ……?」
「あ、センパイ……? 俺……」
俺はいつのまにか椅子にへたりこんでいた。黄色い光の中でプリンスとアンブローズ先生が俺をみつめている。嵐が通り過ぎたあとのように葉っぱが床に散らばっていた。
「アンブローズ先生、第三次魔徴とは」
まだぼうっとしている俺のまえで、プリンスがアンブローズ先生に向き合っている。
「一人前の魔法使いがまれに目覚める奥義だ。ふつうは長年の修行で会得するものだが、アッシュはこの前の魔法大会がきっかけで奥義をひらいてしまった。いまはあやうく魔力が暴発するところだった。リチャード王子、あなたのせいだ」
「僕の?」
「ああ、いや……」アンブローズ先生は頭を振り、長い髪が揺れた。
「そうじゃない! 責任というならもちろん私だ。私の……注意が足りなかった。王子、あなたはただ……知らなかっただけだ。知るはずがない。あなたはアッシュを知ったばかりなのだから」
「先生、あなたはアッシュを知っていたというんですか?」
プリンスが険をおびた声でいった。
「もちろんだ! 私こそがあのとんまですっとこどっこいで***で*****な」――アンブローズ先生の口からとんでもない悪態が飛び出した――「偉大なる魔法使いの屋敷でアッシュを見出したのだからな! しかしアッシュがこの年齢で奥義をひらくとは思っていなかった。王子、あなたは何も知らないのだ。この学園でアッシュがどんな風に過ごしているのか……」
俺の頭はまだちっとも働かなかった。どうしてふたりとも、そんなにむきになって、怒っているんだろう? 気分はとてもよいのに体がひどくだるくて、眠かった。
うとうとしている俺の上の方で、ふたりは長々と話をしている。一般人から生まれた魔力もちの不公平な扱いがどうとか、貸付金がどうとか、良い血筋に生まれただけで優遇される無能がどうとか、学園や魔法省にはびこる腐敗や不公平が、うんぬんかんぬん……。
「アンブローズ先生……申し訳ありませんでした」
あらたまった声を聞いて、俺はハッと目を覚ました。
「僕は誤解していました。非礼をお詫びします。どうかお許しください」
プリンスがアンブローズ先生に深く頭を下げている。
「若輩者の浅薄な考えと思い上がりを正してくださって、感謝します」
「リチャード王子、頭を上げてください」
アンブローズ先生が重々しくいった。
「あなたはこれから国を担う人だ。謝罪は受け入れよう。私も誤解を生む行動をとっていたのだろう。なぜなら私は……気づいてしまったからだ。私は」
「それをいうなら僕もです、アンブローズ先生」
プリンスが先生をさえぎるようにいった。
「僕はひと目みた瞬間に選びました」
アンブローズ先生は鋭い目でプリンスを見返した。
「私はちがった。だがずっと……みてきた」
「ええ、先生にはそのアドバンテージがある。でも僕は未来の王国を負う人間です。僕は負けません」
先生とプリンスは不敵な微笑みをうかべてみつめあっている。俺は口をぱくぱくさせて、どうにか声を出した。
「あ、あの……先生、センパイ……」
「アッシュ!」ふたりが同時に俺をみる。
「ごめんなさい、何がどうなっているのかわからないけど……争わないで……ください……」
「もちろん!」ふたりが同時にこたえた。
プリンスが俺の前に膝をつく。
「アッシュ、僕が悪かったんだ。少ない情報で誤った判断をしていた。色々なことがわかったよ。これから学園でやるべきこともわかった。きみにとってよりよい学園になるよう、きみがきみ自身でいられる場所になるよう、これから努力する」
アンブローズ先生も俺の方へかがみこんだ。一度もみたことのない光がその眸に宿っている。
「私もそうだ。私はどうやら物事を諦めすぎていたらしい。リチャード王子と話して、それがわかった」
「は、はい……?」
なんだかよくわからないが、先生とプリンスは仲直りしたらしい。俺はよろよろと椅子から立ち上がった。温室はめちゃくちゃに散らかっていた。マスクはどこへ行ったんだろう?
きょろきょろあたりを見回すと、俺の心を見透かしたように先生がいった。
「アッシュ。もうマスクや髪で自分を覆い隠すのはやめなさい」
プリンスが力づけるように俺の肩に手を置く。
「きみは自分にふさわしい学園生活を送るんだ。明日から僕がすべてを変えてみせる」
「私もだ。きみが魔力を制御できるよう、教師として正しく導こう」
ふたりの勢いにおされるように俺はこくんとうなずいた。これから何が起きるのか、まったく想像できないままで。
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