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第22話「ライバルは心を通わせるものです」

 リチャード王子とアンブローズが奮起した結果、アッシュの学園生活はがらりと変わりました。  まず最初に、アッシュは「特別奨学生(紫)」になりました。 「紫」とは王家が特別に贔屓したい生徒に特別な待遇をする制度で、何十年も忘れ去られていましたが、リチャード王子が学園の規則を調べ上げて見つけ出しました。「紫」になるために必要なものは王もしくは世継ぎの王子(つまりリチャード王子本人)の認定だけです。  なんと都合のいいことでしょう。王子が一筆書いた結果、アッシュはさまざまな特典を受けられることになりました。授業料だけでなく教材費や寮費など、学園生活にかかる費用がすべて免除になり、制服も無料支給、交際費や書籍代の名目でお小遣いまで支給されるのです!  寮の部屋も変わりました。これも何十年も忘れられていましたが、特別奨学生(紫)には専用の部屋がありました。場所はリチャード王子の塔から回廊で繋がる翼棟です。長いあいだ特別な客人用に使われていましたが(たとえば偉い魔法使いが特別講義のために滞在するときなどです)実は何十年も前、とある特別奨学生(紫)のために作られたのです。勉強部屋と寝室、浴室に衣装部屋まで付属する至れり尽くせりの住まいです。  この衣裳部屋には王子が特急であつらえさせたアッシュの制服その他の衣服が用意されました。城から取り寄せたスタイリスト魔法鏡がアッシュの外見を磨きあげたのはいうまでもありません。  次にリチャード王子は自分が探し求めたパートナーは二年生の「アッシュ」であると全学園に宣言しました。自分はアッシュに申し出を受け入れてもらうべく精進するのだと。  えええ、プリンス、大丈夫なの?  ――と最初こそ、生徒もアンブローズ以外の教師もはては学園長まで、みんなが驚いたものです。ところが王子に伴ってあらわれたアッシュをみたとたん、何もいえなくなってしまいました。そこには魔法大会で華麗なゴーレム技を披露したあの貴公子が立っていたからです。  嘘だろ。マスクと制服と前髪だけでこんなに変わるもん?  誰もがそう思いました。でもマスクと制服と前髪だけでこれだけ変わったのだから、仕方がありません。  いちばんざわついたのは双子の取り巻きたちでした。醜いアヒルの子が白鳥に変身した驚きで、これまで双子の美貌に惹きつけられていた生徒たちの結束にもひびが入りました。数日のうちにアッシュのファンクラブ(非公式)や、アッシュと王子の行く末を壁になって見守る会などが発足し、王子と談笑するアッシュをひそかに眺めるようになりました。  学園祭ががぜん楽しみになってきました。とても盛り上がることでしょう。アッシュの一歩引いた、はにかんだような、謙虚な素振りも他の生徒の人気を博しました。アッシュの能力がすぐれていることも、これまでアッシュから潤滑ジェルを買った生徒には納得のいくものでした。  もちろん、ラスとダスの双子は面白くありませんでした。  このふたりからみれば、アッシュは子供のころから家にいた使用人の息子にすぎません。ラレデンシを失くして、魔法大会にも出場しなかったはずなのです。長耳狼のゴーレムを操った者がアッシュ本人で、王子に気に入られて、いまや周囲に身の程を知らない扱いを受けている。取り巻き連中すらアッシュを憧れの視線でみつめ、中には「王子がいなければ……」と懸想する者までいるありさまです。  王子とアッシュが並ぶ様子をみて、ラスは騙されたような気分でした。一方ダスは眸の奥に昏い光をたぎらせ、ドーナツを齧っていました。アッシュを雑用に使えなくなったので、取り巻きのひとりに買いに行かせたものです。しかしアッシュほど双子の好みを熟知していた者はおらず、ダスはおつかいに行った生徒がオールドファッションダブルチョコドーナツを買ってこなかったのにイライラしていました。  最近のダスはよくイライラするのです。ラスと喧嘩になることもありましたが、ダスは最後にはラスを言い負かします。取り巻きに対しても、ダスは意地悪なものいいが目立ちます。そのせいか、以前は双子を見分けられなかった人々も、最近はラスとダスの違いがわかることがあるらしく、ラスはちかごろ胸騒ぎがするのでした。  魔法大会の日まで僕らは一心同体だった。  それなのに今のダスが何を考えているのか、僕にはさっぱりわからない。  ダスのことが気にかかっていたので、ラスはアッシュについて「騙された」と思いはしたものの、それ以上何か企んだりする気はありませんでした。でもダスはちがったようです。  特別奨学生(紫)だって、 なにそれ? 馬鹿馬鹿しい。  ダスは邪悪な笑みをうかべましたが、リチャード王子は双子につけいる隙を与えませんでした。アッシュを従者として扱うのをやめるよう、王子の立場から命じたのです。魔法学園は実家の屋敷ではない。生徒はこの学園で独立心を学ばなければならない。たとえ双子であっても。  リチャード王子はその他にもいろいろな意見を学園長に申し入れましたが、その中には試験の厳格化や学期末に横行していた不正の防止策、特別に優秀な生徒に対する特別講義の提案も含まれていました。さらに王子は、双子が魔法大会に出場した際のチート疑惑を学園長に告げ、詳細な調査を求めました。  いろいろ面倒くさいことになった。学園長はそう思ったものの、相手は世継ぎの王子です。うかつな対応をすれば王様にチクられ――いや、報告されてしまうかもしれません。とはいえ双子の父親は王国の偉大なる魔法使いですから、こちらもうかつな対応をすれば自分の将来に響きます。  悩んだ末に学園長は折衷案をとることにしました。王子の要求する調査は行うが、報告書の期限はさだめない。なぜなら王子も双子も三年生で、やがて卒業するからです。チート行為があってもなくても、卒業後に判明した真実に人々は興味をもたないものだ。  一方で学園長は飛びぬけて優秀な生徒をさらに伸ばすという構想を歓迎しました。特別奨学生(紫)となったアッシュの実力は魔法大会で明らかです。アンブローズが魔力制御の特別授業をしたいと申し入れると、学園長は歓迎し、特別手当を払うとまでいいました。つい最近アンブローズに魔研費の使途についてくどくど問い詰めたこともなかったように。  というわけで、アッシュの学園生活にはもうひとつ、大きく変わったところがありました。あらたにはじまった魔法指導です。アンブローズのMTAは三日で終わりましたが、そのかわり毎朝、第三次魔徴で目覚めた能力をコントロールするための修行がはじまったのです。場所は温室。内容は瞑想だったり、呪文の練習だったりとさまざまです。  アンブローズは表向き、厳しい教師の顔を崩しませんでした。彼は誠実な教師でしたから、アッシュが自分の魔力を理解し、十全に使えるようになることを心の底から願っていました。ですから自分の煩悩は、すくなくとも指導のあいだはかけらも表に出しませんでした。  ところが、二人だけの訓練の時間が終わると、温室にはリチャード王子があらわれます。  王子は朝食の籠をもち、爽やかにアッシュとアンブローズに挨拶をし、食事に誘うのです。  アンブローズは無表情でテーブルを用意します。年中同じ気温に保たれた温室では、誰もが薄いシャツ一枚。三人は穏やかに会話をかわします。ふとしたはずみに――たとえばアッシュが塩をとろうとして手をのばしたとき、教師が指先を絡めるように塩の瓶を渡したり、アッシュの口もとについたマヨネーズを王子がさりげなく指でぬぐうなどしたときに――バチバチと見えない火花が散りはしても、王子も教師も、アッシュは自分が手に入れるのだ、と面と向かっていい争いはしませんでした。  実をいうとふたりとも、アッシュの心が自分に――相手ではなく、より自分の方へ傾いているという、確信が持てなかったのです。  リチャード王子は、自分がつい最近アッシュを知ったばかりだという事実にいささか傷ついていました。アンブローズは入学以前からアッシュを知り、アッシュを見出した人物です。自分がいかに無知だったかということも、王子のプライドを少しばかり傷つけました。  それにアッシュは、時々アンブローズに仔犬のような信頼しきったまなざしを向けるのです。それにひきかえ自分に接するときは、ほんのわずかでしたが、構えているような印象を受けました。  おまけにアンブローズは王子に対して圧倒的な大人の余裕をみせつけてきます。王子は何度かアッシュに好きだと告白したのに、アッシュはきちんと返事をしたためしがない。  ――お気づきでしょうか。王子は正式にアッシュに求婚していなかったのです。いつもどさくさに紛れたような雰囲気で、邪魔が入りましたよね。  温室で、アンブローズとアッシュが仲睦まじい師弟として立つのをみるたびに、王子の胸はきりきりと痛みました。それでも王子には他人にうかがいしれない洞察力がありました。彼はひそかに確信していました。アッシュのなかには、アンブローズにも自分にもみせていない、秘密の核のようなものがある。舞踏会のバルコニーや、温室でキスをしたとき、王子は一瞬だけそれを感じたのです。  アッシュともっと親しくなって、ほんとうのアッシュを捕まえることができたとき、自分は勝利するだろう。  ところでアンブローズも、王子とおなじくらい苦悩していました。  彼は教師という立場上、王子のように無邪気に告白などできません。しかし魔法の修行などを通じてアッシュに自分の愛を理解させ、彼を自分のもとに留めることはできる、と信じようとしていました。アッシュはまだ二年で、卒業はしばらく先です。弟子としてアッシュがずっと自分のそばにいる、そんな暮らしをアンブローズは夢見ていました。  しかしアンブローズがみるに、アッシュの態度はリチャード王子の前では、あきらかに変わりました。  魔法修行のときの落ち着きとはうってかわって、緊張したような、あるいはそわそわと落ちつかない様子。王子と話すとき、無意識のしぐさでしょうが、やたらと耳を触ったり、ぽっと頬をそめたりするところ――こんな場面をみるにつけ、アッシュは王子に恋しているのではないかと思えて仕方なかったのです。  考えてみるとアッシュが王子に恋するのはごく当たり前のことでした。王子はハンサムで輝かしい未来を約束されており、しかもアッシュと一歳しかちがわない。そんな存在に誘惑されて、心が動かないはずはない。  しかしアンブローズには年の功がありました。  自分の経験をかえりみて思うのは、恋は一時の感情にすぎない、ということです。  それにアンブローズには、自分こそがアッシュを理解できるという自信がありました。恵まれて育ったリチャード王子は、アンブローズが話して聞かせたおかげでこれまでのアッシュの苦労を知ったつもりになっているでしょうが、ほんとうに理解できているはずはないのです。  アッシュのほんとうの姿を知っているのは私だ。  アッシュは王子を「センパイ」と呼び、アンブローズを「先生」と呼びます。  アッシュに呼ばれると、王子もアンブローズも心が浮き立ちました。しかし呼ばれているのが自分ではない場合、内心こんな風に毒づいていたのです。  センパイもセンセイも、一音しかちがわないではないか。

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