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第23話 人生に悩みはつきものだ
りーんごーん、りーんごーん。
「ではここまで。学園祭の準備で忙しくても課題の提出期限は忘れないように」
鐘の音が鳴り終わると呪文学のスミス先生が教科書を閉じた。教室はたちまちざわついて、みんなガタガタと椅子を引き、立ち上がる。これから昼休みだ。俺も教科書やノートをまとめ、みんなのあとについて廊下に出た。
食堂へ急ぐ生徒たちで廊下はごった返している。すこし前なら、横をすり抜ける生徒に肘で押しのけられたり、ぶつかられたりすることもあったし、課題代行のために声をかけられて食堂へ行くのが遅くなることもあった。
でも特別奨学生になった今は代行を引き受ける必要はなくなった。どれほど混雑している場所でも押しのけられたりはしない。すぐ横を通りかかった、顔もろくにしらない一年生や三年生に挨拶されてびっくりすることならある。それに――
「アッシュ! いた!」
パシャパシャ!
廊下の一角に置かれたロッカーに教科書をしまってふりむいた瞬間、シャッター音が鳴った。俺はあわてて手を顔の前でぶんぶん振る。小さなカメラのレンズの横でラレデンシがチカッと光った。名前はギルバート、学内新聞「週刊リリータイム」の編集長だ。
「アッシュ、明後日からの学園祭をどう過ごすつもりか取材したいんだ。食堂まで一緒していい?」
「あの、そういうの困るんです」
「ミスコンのエントリーを断ったってきいたけど、それやっぱりプリンスのせい? 束縛されてんの?」
「いや、その……」
ギルバートは空気を読まないタイプだ。双子はときどき「週刊リリータイム」の記事に取り上げられていたが、俺はこれまでまったく縁がなかった。でも特別奨学生になったとたん、隙をつくようにしてやってくるのだ。
「束縛って……そんなのじゃないです」
「じゃあどうして? アッシュが出場するかしないかで「週刊リリータイム 」の優勝予想、ひっくり返るんだ」
「でも、俺はミスコンなんて出ませんし」
「だからその理由だよ」
「そんなのどうだって……」
顔をそむけたとき、横から声が割り込んだ。
「ギルバートさん、困らせないでください」
「そうだよ、嫌がってるだろ」
「貴重な昼休みなんですよ!」
ろくに話したこともない隣のクラスの生徒たちが口々に文句をいって、俺の行く手をふさいでいたギルバートを押しのける。
「アッシュ、アッシュ! まだここか。昼だよ、ひるごはん」
よく通る声が響いたと思うとヘンリーが人混みのあいだに顔をのぞかせた。
「今日のAラン日替わり、デザートがプリンとチョコケーキの二択なんだ。早く行かないとチョコがなくなる」
「あ、うん……」
「ほらほら、行くぜ。週刊リリーなんかほっとけ、別のネタみつけるさ」
俺はあわててヘンリーを追った。食堂に入ったとたん、ざわついた空間が一瞬静かになり、すこしおいて元に戻る。カウンターをみたヘンリーがニヤニヤしながらふりむいた。
「なあ、デザート、チョコにする?」
「プリンの方が好きなんだ」
「やった! おまえの親衛隊がAランどっちもキープしてくれてるけど、俺チョコの方もらう」
「い、いいけど……」
食堂のカウンターでAランチの売り切れを阻止したのは自称「アッシュの親衛隊」だ。俺に親衛隊やファンクラブができたと教えてくれたのもヘンリーだった。他の生徒とちがって、ヘンリーだけは特別奨学生になっても以前と同じように接してくれる。それは嬉しかったけれど、親衛隊なんてはっきりいわれると恥ずかしくてたまらない。
ヘンリーが親衛隊と呼んでいる生徒たちは、俺がカウンターに近づくとさっと左右に避けた。
「Aランチ、プリンでお願いします」
そのとたん脇に寄った生徒のひとりがすばやくメモをとった。
「俺はチョコの方ね」
ヘンリーは嬉しそうな顔でトレイをもつ。
「アッシュさん、窓際の席、あけておきました!」
くるくるした巻き毛の一年生がいったので、俺はあわてて「どうもありがとう。わざわざごめんね」とこたえる。
「いいえ!」
巻き毛の生徒がぶんぶん頭をふったので、俺はなんとなく笑顔を返した。そのとたんまわりがざわついたような気がするが、できるだけ気にしないようにして、すこし高くなった窓際のテーブルへ。
食堂のこのあたりは庭園の眺めがきれいで、テーブルもゆったりしている。すこし前までは、昼休みも放課後の開放時間も、良い血筋の生徒たちが窓際を独占していた。俺は双子に呼ばれたときのために一段下がった手前の低いテーブルにいるのが常だった。陰で「従者席」と呼ばれていた位置だ。
でもプリンスがそんな区分けをしないよう厳命した今、暗黙のルールはなくなった。だから早い者勝ちで好きな席に座れるはず……なのだが。
四人用のテーブルにヘンリーと向いあわせで座るのとほぼ同時に、すばやくあらわれた一年生(顔もろくに知らない)がナプキンと水のグラスを並べていった。
「あ、ありが――」
「は、はいっ」
お礼をいいかけたとたんにパタパタっと走り去ってしまう。
「こういうの、いいのかな」
俺はため息をつきたくなるのをこらえてぼやいた。
「何が?」
ヘンリーがあっけらかんとした顔でたずねた。
「何がって、ぜんぜん関係ないのに、席とか水とか……」
「世話をしたいんだよ。好きでやってるんだから。今ごろは舞い上がってる。あいつら毎日ジャンケンで誰が行くか決めてるしさ」
「ジャンケン?」
「そ。燃え殻――アッシュはいまや憧れの君なんだ」
俺は黙ってAランチに手をつける。昼は購買のパンですませることが多かったし、食堂でもBランチばかりだった。Aランチを初めて食べた時は美味しくてびっくりした。
ランチだけじゃない、何もかもが変わった。
プリンスの尽力で、俺は特別奨学生の中でもとくに優遇される「紫」に指名された。「紫」には特別寄宿舎がある。図書室に近く、寝室の他に勉強部屋や風呂もついている立派なところだ。部屋には紫の線が肩に入った新しい制服が何着もあって、どれも俺の体にぴったり合っている。
毎朝顔を洗って鏡をみると、自動的に鏡のスタイリスト魔法が働いて、俺の髪をセットしたり、あれこれやってくれる。そういえば王国の偉大なる魔法使いのお屋敷にはこんな鏡があったっけ。鏡は俺がマスクをつけることを許してくれなかった。「あなたのベストな状態を保てません」というのだ。でもそれ以外は親切で、どんな色が似合うとか、いろいろ教えてくれる。
「紫」は学園生活にかかる費用のすべてを免除になる上にお小遣いまで使える。そのためアンブローズ先生は俺が始めたばかりのMTAを取り消した。でも先生と温室ですごす朝の時間がなくなることはなかった。今の俺は毎朝、第三次魔徴のコントロール法を学ぶために先生の特別授業を受けている。
他の生徒と一緒の授業でもいろいろなことが変わった。たしかに俺は急に特別奨学生になって、制服が新しくなって、マスクを外したけれど、俺自身は変わらないはずだ。それなのに周りが変わった。不思議なことに、今は俺が何をしてもみんながいちいち俺をみる。悪い意味ではなく、良い意味で。先生方の質問に答えれば感心してくれるし、俺の意見をものすごく尊重してくれる。そう、まるでプリンスに接するように。
「うん、やっぱりチョコケーキは最高だ」
ヘンリーが嬉しそうにフォークを握っている。ヘンリーは俺を「アッシュ」と呼ぶようになったほかは前とほとんど変わらない。ラスとダスとはほとんど会わなくなったけれど、あのふたりもたぶん変わっていない。でも他の生徒や先生の俺に対する態度は一変してしまった。
ものすごく特別な人間のように扱われるのが、最初は嬉しかった。ところが今は自分が何を感じているのか、よくわからなかった。
プリンスが食堂へ来たらすぐにわかる。ざわめきが一瞬とまるからだ。
「アッシュ。食事はすんだみたいだな。朝も話した通り、午後は僕と一緒に実験だ」
朝、とプリンスが爽やかにいったとたん周囲がざわめいた。
「ええ、わかってます」
「塔まで一緒に行こう」
「センパイ、その前に教科書を取りに行かないと」
「飛び級あつかいの三年の授業だぞ。教科書は僕のを貸すから大丈夫だ。ルイス先生も承知してる」
特別奨学生になってから、朝食は温室で、プリンスとアンブローズ先生と俺の三人で食べている。アンブローズ先生の授業が終わった時はすでに食事が用意されていて、プリンスが待っているのだ。
奨学生になったのをきっかけに色々な先生とあらためて面談をした結果、俺の魔法技術は二年にしては進みすぎているとわかった。そこで三年の上級授業をいくつか受けることになったが、それは全部プリンスと、選ばれた良い血筋の生徒と一緒の授業だった。塔の部屋で少人数で行われる講義は集中できてやりがいがあった。他の生徒の顔ぶれは毎回変わったが、ラスとダスは一度も現れなかった。
実をいうと、俺はけっこう双子のことが気になっていた。あのふたりにはみじめな思いをさせられたことが何度もあるのに、不思議なものだ。一度購買部の前ですれちがったとき、ラスがみょうに寂しそうな目つきをして、ダスの雰囲気がむやみにとげとげしかったせいだろうか。
子供のころから知っているせいか、俺はあのふたりをいつだって見分けられた。でもラスとダスにはずっと、ふたりでひとりの人間のような雰囲気があった。それなのに今はバラバラで、ひとりきりで立っているみたいだ。
ヘンリーが「じゃあね」と手を振り、俺は椅子を立つ。プリンスと一緒に廊下を歩くとみんなが道をあけてくれる。彼を邪魔する生徒はいないし、先生方だってそうかもしれない。吹き抜けの広い空間にかけられた横断幕に「世界を知ろう!」と書いてあった。学園祭のスローガンである。ミスコンや模擬店のようなお祭りらしい企画と同時に、今年の生徒会は真面目なコンテストも行うことにした。魔法研究、魔法起業、学内改革の三部門でプレゼンコンテストをするのだ。プリンスの発案である。
「アッシュ。これから塔の授業か」
むこうからアンブローズ先生が来るのがみえた。
「はい。センパイと一緒に実験です」
「錬金術のルイス先生だな」
俺と話しているのに、プリンスと先生の視線が一瞬バチッとぶつかった。なんだかヒヤヒヤする。俺にとってはふたりとも、感謝してもしきれないくらいの人たちなのだ。
「紫」の特別奨学生は夕食を教員専用食堂でとる。プリンスも夕食をここで食べていたのを俺は初めて知った。専用食堂は生徒の食堂よりずっと豪華で、魔法の召使がいる。俺の席はプリンスと同じテーブルにあって、週に五日は学園の先生もひとりかふたり、同じテーブルについた。先生方が同席すると俺はめちゃくちゃ緊張したが、プリンスは平気な様子だ。これも帝王教育の一環なのだろうか。でもアンブローズ先生の時はすごくほっとしたのは否めない。プリンスとアンブローズ先生は同じテーブルにいると、またバチバチした視線を交わすのだけれど。
ふたりとも、俺を買いかぶりすぎじゃないか、と思うことがある。
俺とふたりだけになったとき、アッシュはもっと自分を知るべきだ、というのだ。
ふたりにこんなに気にかけてもらえるなんて、俺はとてもラッキーに決まってる。
それなのに彼らの眸に映る俺は、なぜか俺じゃないみたいな気がする。
そのことが心の奥にひっかかって、ぜいたくなのは百も承知で、俺は悩ましい気分なのだった。
自分でも変だと思うのだ。ついこの前まで、俺の悩みは支払いのドラ札が足りるかどうか、それだけだった。それも自分ががんばればどうにかなると思って、なんとかやってきた。忙しかったけれど手や体を動かしていればなんとかなったし、学園を卒業した後のことだって、迷いもなかった。
ところが今のモヤモヤした気持ちをどうすればいいのか俺にはわからない。俺はどっちへ行ったらいいかわからないのに、竜巻のように俺のまわりがぐるぐる回って、どこかへ連れて行こうとしている。
俺はこのままでいいんだろうか。
それに最近、よく怖い夢をみる。
生き物のように動く真っ黒の煙か、霧のようなものに追いかけられる夢だ。
「紫」の寝室はとても広くて、ベッドも弾んで寝心地がいい。それなのに俺は汗びっしょりで目をさます。下着の中がいつも汚れていて、あんなに怖かったのになぜか射精したのだとわかる。
いったい俺に何が起きているんだろう?
この学園はすっかり俺の居場所になったと思っていた。でも今はそんな気がしない。怖い夢をみて目が覚めたあとは、自分が自分でなくなるんじゃないかと思うこともある。
そんなとき俺は土人形のイヌをとって、手のひらできゅっと握った。ラレデンシがきらきら輝いて、狼の姿になったイヌを俺は思い描く。
どこか広い場所で、おまえを走り回らせたいな。
今の平和な王国では、ゴーレムが本来の姿と能力を役立てる場面なんてほとんどない。とくに巨人型はそうだ。
でもイヌは巨人型じゃなくて犬型だ。正確には狼だけど。実体化させたイヌを連れて歩いても、ラレデンシがみえなければゴーレムだとわからないだろう。
一度森で、イヌを放してみようかな。
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