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第24話 おや、こんなところに古代の転移陣が
学園祭の日がきた。
「紫」の部屋の窓は大きくて、夜明けの白みはじめた空と、秋の黄色に色づきはじめた森がみえる。今日はいつもよりずっと早く目が覚めた。また夢をみたような気がする。でも今日はどんな夢だったのか、思い出せない。
俺はいつも通り顔を洗った。きれいなシャツを着て制服に手を伸ばしたとき、ふと思い出した――そうだ、今日は学園祭だから、朝の授業が休みだ。ここのところ休日も欠かさずアンブローズ先生の温室へ通っていたから、すっかり忘れていた。
ということはつまり、まだ時間がたくさんあるということだ。
どうしよう。勉強するか、アンブローズ先生に教えられたみたいに魔力を落ちつかせるための瞑想をするか、それとも――俺の目は横にすべって、机の上の土人形で止まった。
そうだ、イヌを散歩させよう。いい機会じゃないか? 寮の裏から森へ入って、イヌを実体化させてもいい場所を探そう。
森へ行くのなら制服を着ない方がいいだろうか。新しい制服を汚すのは嫌だった。俺は寝室に戻って壁の扉をあけた。小部屋の壁にそってずらりと服が下がっている。紫の線が入った制服と一緒に仕立て屋がもってきたものだ。王様に会う時にしか着ないような燕尾服、スーツ、休日用のカジュアルな服までいろいろあって、靴も先のとがった革靴からレインブーツ、モカシン、サンダルまで揃っている。
俺は汚れが目立ちそうにない、ポケットの多い服を探した。あ、これがちょうどいいや。キャンプ用の服かな? 濃色のズボンを履いて上着のボタンをとめる。これなら朝露にも濡れても大丈夫だろう。厚手の靴下に、足首までのブーツ。勉強中のおやつに常備しているチョコバーを何本か上着のポケットに入れ、念のため杖を左の内ポケットに入れる。
魔法大会の賞品で貰った杖に俺はまだラレデンシを嵌めていなかった。他の魔道具と同様にラレデンシを嵌めれば杖はそれ自体で魔力を蓄えられるようになる。でもラレデンシがなくても杖には使いようがある。俺の手から流れる魔力の照準を定めたり、呪文を地面や壁に書いたりできるのだ。
最後に水筒を肩からさげて、イヌを杖と反対側の内ポケットにしまった。
外はとても静かだった。まだみんな眠っているのだ。寮の裏の森に足を踏み入れるのは魔法大会の日以来かもしれない。俺は泉のそばで立ち止まった。イヌの体の一部はこの土でできている。
俺は泉を囲む石にすわると土人形を取り出した。ちいさな鼻先に唇をあて、そっと息を吹き込むと、たちまちゴーレムは命を取り戻した。イヌが仔犬の姿になるまで俺は魔力を吹きこんで、暖かい体をそっと抱える。次に手のひらをひたいにあてて、ラレデンシに魔力を注入する。
クゥーーン、キャンッ
仔犬のような声をあげながらもイヌは魔力を吸収し、たちまち大きな狼に変わった。
「おまえ、なんて綺麗なんだろう」
嬉しくなって俺はもふもふの背中をさすり、頭を撫でた。イヌはクンクン鳴いて俺の胸に頭をつっこみ、うれしそうに尻尾を振った。
「どこに行きたい? まだ時間があるから、森の奥へ行ってみようか」
歩きながら俺はチョコバーの皮をむいて齧った。朝露に濡れた草や木の葉から水の匂いが漂う。空気は冷たく、風は静かで、泉から離れるときこえるのは鳥の声と、ブーツが下草を踏む音だけだ。
静けさのせいだろうか、ふいにとても平和な気分が訪れた。魔法大会の日から俺に起きた色々な変化など何もなかったみたいな、落ちついて平安な気持ちだ。イヌは足音も立てずに俺の横を歩いている。
このままイヌと一緒に森を歩いて行ったら、何に出会うだろう? 学園を取り囲む森と湖には大昔の遺物が埋もれているという噂があった。伝説の魔法使いが生まれるよりも前の、人間が魔王におびえながら暮らしていた時代の遺物だ。
「もしもおまえの鼻がすごく効くなら、何かみつけられるかも」
冗談のつもりでそういったら、イヌの耳がぴん!と立った。
ウオン!
イヌはひと声吠えて俺の前に飛び出す。鼻をあげて空気の匂いを嗅いだかと思うと、木の根のあいだをタタッと走り出した。
「なに、ほんとに何かあるの?」
俺は笑い、イヌのあとを追って小走りになる。秋の森の地面は枯葉やしおれた草に埋もれていたから、しっかりしたブーツで来たのはよかった。イヌの尾が幹のあいだで揺れている。どんどん先へ行くゴーレムを追って、俺はいつのまにか森の奥まで入り込んでいた。イヌは奇妙な形をした巨木の前にいた。まるで人の足のように二股に分かれた幹が俺の頭の上で融合している。
イヌの鼻が股のあいだの地面をごそごそ嗅いだ。前足がひっかいたところに土の色ではない、薄い灰色が覗いている。
俺はやっとイヌに追いついて、ブーツの爪先でイヌのように地面を蹴った。薄い灰色は石の色かと思ったが、もっとつるつるしていて、かかとで蹴ると甲高い音が鳴った。これは金属の音だ。俺はイヌの隣でしゃがみ、両手で土を払いのけた。大きな丸い金属板のようだ。表面にきらりと模様のようなものがみえる。とても細い線で彫られていて、初めてみる模様だが、でも――
――これは魔法陣では?
そのとたん足もとがピカッと光った。稲妻みたいな光だった。イヌが吠えたような気がした。頭がくらくらして、足もとがぐらつく。
「ええええ、何これ、何、あ――――???」
俺の足もとから地面が消えた――と思ったのは一瞬だった。俺はイヌの背中にしがみついていた。真っ暗な中にオレンジ色の炎が揺れる。薪がはぜる音と煙の匂い。それに――
「うぉ、獣だ!」
「いったいどこからあらわれた? ぎゃ、狼!」
髭面の大柄な男がふたり、イヌをみて腰を抜かした。ふたりとも剣を持っている。焚火の横からうめき声が聞こえた。縛られて、地面に倒れている人がいるのだ。
グオオオオオオオ!
イヌが吠え、剣を持つふたりに襲いかかった。その動きがあまりにも早くて俺はイヌにしがみついていられず、地面に滑り落ちた。チャリン、と音が響いた。男の一人が剣を落としたのだ。
「うわああああああ!」
「逃げろ! 走れ、走るんだ!」
男たちは走り出したが、イヌはあとを追いかけて闇に消える。
「イヌ、戻って!」
俺は指笛を吹いた。夜の闇の中で音はぎょっとするほど鋭く響いた。
大丈夫だ、ここがどこなのかわからないけど、すぐに戻ってくる。おまえは俺のゴーレムなんだから。
自分にそういいきかせて、俺は焚火の横に転がっている人のことを思い出した。
「ムー、ムー、ムー」
金属の猿ぐつわで顔の半分はみえないが、男の人だ。俺は杖を握り、魔法で猿ぐつわの留め金を外した。
「ハ~助かった。おまえいったい、何だ? あの狼は? なんであんなところからあらわれた?」
俺は男の目が動いた方向をみた。石の壁がそそり立っている。手が届かないほど高いところで満月のような光を発するものがある。
「俺は……あそこから出てきたんですか?」
「ああ、動けなかったが目はいいんだ。ばっちり見たぜ。おまえを背中に乗せた銀色の狼が飛び出してくるの」
「俺たちがいたところは……朝でした。森を歩いていたら土の中からあれと同じものが出てきて……それに触ったら……」
「あ、まさか転移陣に触ったのか?」
男の目がきらりと光った。
「俺はジャック、冒険者ギルドのトレジャーハンターさ。おまえの狼が追い払った盗賊じゃない。正式の依頼で遺跡調査をしてる。頼む、縄を解いてくれないか」
猿ぐつわを外した男の顔は最初思ったよりも若かった。アンブローズ先生と同じくらいだろうか?
クゥン……カチャン。
鳴き声にふりむくと、短剣を咥えたイヌがぬっと顔を突き出している。
「こら、あぶないだろ」
俺は短剣をとると杖を上着にしまい、男の縄をごしごし切りはじめた。
「盗賊だったんだ……」
「いつもはこんなへまはしないんだが、罠にかけられてな。まさか転移陣から助っ人がくるなんて思わなかったよ」
「転移陣って……あれが?」
「古代の魔法さ。じゃあ知らずに触ったんだな。どこから来たんだ?」
「学校の外の森をイヌと散歩していたんです」
「転移陣が埋まってるなんて、さては古い森だな。そんなところに学校があるのか?」
「田舎なんです。でもこんな……転移陣があるなんて、聞いたこともありません」
やっと手と足を縛る縄が解けた。ジャックは起き上がって座り、手首や足首をさすっている。
「大昔の魔法使いどもが作ったのさ。その頃はこの国にもたくさん魔法使いがいたが、弾圧されて山の向こうに去ったといわれてる。なんでもあっち側にはいまも魔法使いが大手を振って歩ける国があるらしいし、当時の遺物もあるんだろうな。で、転移陣はそんな昔の魔法使いが山を越えて移動するために作ったんだそうだ。といっても、どうやって動くのかさっぱりわからん代物だけどな」
ジャックの話を聞いて俺はやっと理解した。ここは王国ではない。
森と湖の先にひろがる山脈を超えたところの、魔法使いがいない国だ。
俺はとっさにイヌをふりかえった。ちゃんとあたりを警戒しながら座っている。イヌのひたいをそっと撫でて、毛並みでラレデンシをそっと隠す。
「そんな……」俺はつぶやいた。
「どうやって帰ったらいいんだろう。みんな心配してる。今日は学園祭だったのに……」
「学園祭? それはまたのんき……」
ジャックは呆れ顔でなにかいいかけたが、イヌが牙をむいて唸ると黙った。
「まあいい、おまえはあの転移陣から出てきたんだ。あそこに触れば帰れるんじゃないか――あ!」
ジャックの叫び声に俺は石壁を振り返る。石壁の中でまるい円盤が一度明るく輝いたと思うと、すうっとまたたいて、縮みはじめた。
「え、待って――」
俺は叫び、あわてて壁に駆け寄った。みるまに小さく縮んでいく円は思ったよりずっと高いところにあって、手をのばしても届かないし、ジャンプしてもだめだ。
ウォーーン!
イヌが鳴いて、タタタッと飛んだ。その間も光の円は小さくなり、前足が届いたと思った瞬間にふっと消えてしまう。
「使用は一度こっきりの使い捨て転移陣ってところか」
呆然として立ち尽くす俺のうしろでジャックが呑気な口調でいった。
「ええ? じゃあ、俺はどうやって帰れば……」
「田舎から来たらしいが、このあたりも田舎だ。どこの田舎へ帰るにせよ、まずは町へ連れて行ってやるよ。助けてもらった恩もある――おい、そんなにへこむなって」
俺はきっとひどくみじめな顔をしていたにちがいない。ジャックが慰めるように肩に手を置いた。
「大丈夫だ。きっと帰れるって。ところでおまえの田舎、狼をペットにしてるのか?」
「あ……この子はイヌです」
「犬? 犬にしてはずっと……」
「でもイヌなんです」
ジャックはまた呆れた表情になった。
「犬ねえ。まあいいか。夜明けまで休んで、それから出発だ」
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