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第25話 ひとりと一匹とダンジョンと

 ジャックと一緒に森を抜けて町へ行く途中、二回盗賊に襲われた。  単独行動のトレジャーハンターは戦闘と探索に特化した冒険者らしい。でも二回とも、最後に盗賊を追い払ったのはイヌだった。盗賊は牙と爪で傷を負いながら、悪鬼に追われているかのように逃げ出していった。 「俺のときとあわせて三回か。町へ着くと噂が回ってるぞ」  焚火にかけた鍋をかき回しながらジャックがいう。 「噂?」 「ジャックとその連れを狙ったら、雲を隠すほどの巨大獣に食い殺されるっていう噂さ」 「そんな、イヌは巨大なんていうほどじゃない」  イヌはゴーレムだ。魔力の調節次第でもっと大きくすることもできる。でも転移陣から飛び出したときのイヌはそんなサイズじゃなかったし、今も俺のうしろで大人しく座っている。 「噂ってのは尾ひれがつくんだ。逃げ出した連中だって、ダンジョンモンスターでもない獣にやられたなんていっちゃ、ただの弱虫になっちまうだろ? 話も盛り上がらないしな。それにおまえの犬、殺そうと思えばやれるんだろうに、傷を負わせるだけで止められるのはおまえの命令か?」  命令? 俺はゴーレムに人を殺してほしくなかったが、イヌに直接命じはしなかった。ゴーレムは俺の目から心を読むのだ。  答えに迷った俺をジャックは問い詰めなかった。 「まあいいさ、だいたい殺さない方が都合がいいんだ。盗賊でも殺すとギルドに届け出をしなきゃならんし、バウンティハンターにやっかまれる。おまえの犬に手傷を負わされたあとで、ハンターがとどめを刺せばいい」  鍋からいい匂いが漂ってきた。俺は昼間摘んだハーブを取り出した。 「あの、これを入れるといいよ」 「ん? これが食えるなんて聞いたことないぞ」 「煮えたら取り出すんだ。元気になる」 「山の向こうのおまえの学校、そんなことを教えているのか? 薬師になるのか?」  俺は一瞬考えた。 「そんなところかな。それに縫い物とか……その袋、破れてるね」  ジャックが寝るときいつもそばに置いている皮袋をゆびさす。 「ああ、この穴か。何度も繕ってるんだが、いつも同じところが裂けるんだ」 「ちょっと貸して。針と糸も……あ、中身は出して」  ジャックは一瞬迷った表情になったが「おまえならいいか」とつぶやいて袋から白い布包みを取り出した。俺は魔法の息遣いを感じた。とても古いものだが、魔道具のようだ。 「それは遺物?」 「ああ。ダンジョンで苦労して掘った。俺のもんだぞ」 「わかってるよ。俺の用があるのはそっちの袋だから」  単独探索の冒険者は針と糸を持ち歩いているし、料理や繕い物もできなくてはやっていけないらしい。でもこの皮袋に穴があいてしまうのは、中に入れているものが魔道具だからだ。ささやかな糸魔法をこの皮袋にほどこしてもジャックは気づかないだろう。俺は自分の魔力紋に防御の呪文を重ねあわせて穴をかがった。糸魔法に気づいたイヌが俺のとなりでコロンと横になり、膝に頭をのせる。 「おまえらほんとに、仲いいよな」  チクチク縫っているとジャックが呆れたようにいった。 「うん」 「そいつが一緒なら町へ行っても大丈夫だろう」 「どういうこと?」 「町にいるのは俺みたいに気のいいトレジャーハンターだけじゃない。冒険者もいろいろだし、盗賊を雇って汚い仕事をさせる金持ちもいる。おまえみたいなのは絶好のカモだ。若くて綺麗な顔をしているからな」 「俺はそんな……ことないよ」 「自覚がないならますます厄介だ。しかし町じゃ顔を隠しても怪しまれる。いっそ俺が手を出してしまおうかと思ったが」 「え?」 「おまえの犬が邪魔をした」  俺は糸の玉をむすび、ジャックをまじまじと見返した。 「それってもしかして……今朝?」  目を覚ましたとき、ジャックが膝をついて片手で尻を押さえ、唸っていたのだ。 「ああそうだよ。おまえを襲って既成事実を作ろうかと……いや怒るな、何もしなかったし、もうしない。二度としない。おまえの犬を盗賊が怖がる理由がよくわかった。嫌というほどわかった」 「ジャック」 「つまりおまえはその犬と一緒なら安全ってことだ。だが町で獣を連れ歩くには理由がいる。紹介してやるから、冒険者ギルドに登録しろ」  冒険者ギルド? 俺は面食らった。 「どうして?」 「身元は俺が保証してやる。山の向こうに帰りたいんだろう? 古代の転移陣なんてそうそうみつかるもんじゃないし、あちこち動き回るには通行証が必要だ。旅の路銀もいる。冒険者登録をすればどこにでも行けるし、金も稼げる。薬草を見分けられるならダンジョンに入らなくても多少は稼げるぞ」 「あ、そうか……」 「あとな、俺には今後の予定がある。依頼主にこいつを届けなくちゃならないからな。せっかくの縁だし、できればもう少しつきあってやりたいが、その犬はなかなか……独占欲が強いらしいな」  ジャックはまた尻をさすった。道理で今日一日、変な歩き方をしていたわけだ。魔法を使えることを秘密にしていなければ、ゴーレムは主人を守るものだと教えてあげたんだけど。 「わかった。登録するよ」  俺は縫い終えた革袋をジャックに渡した。 「もう破れないと思う」 「そうか?」  ジャックは疑わしい目つきで皮袋を調べ、布包みをしまった。糸魔法に魔道具が反応してリン、と鳴った。俺とイヌにだけ聞こえる音だ。 「ジャックとは町でお別れなんだね。いろいろありがとう」 「まったく、何も知らないような無邪気な顔して……」 「なに?」 「何でもない」  鍋がふつふつ煮えている。ジャックは薬草をつまみだした。 「たしかにいい匂いだ。うん、美味い。食おう」  翌日たどりついた町は小さく、きっと魔法学園よりも人の数は少ないにちがいなかった。それでも俺はひどく緊張した。なにしろしばらくのあいだ、ジャック以外の人と話をしていなかったのだ。  宿屋でシャワーだけ借りたあと、俺はジャックに連れられて冒険者ギルドへ行った。ジャックが窓口であれこれ説明したせいか、ギルドの人は親切だった。 「名前と年齢を」 「アッシュ。十七歳です」 「紹介者ジャックの話に間違いはない?」 「ええ」 「十八歳未満だからソロの冒険者よりパーティを進めたいけど、相棒がいるんですって?」 「はい、このイヌです」 「可愛いわね。ジャックがいうほど怖い子にはみえない」  ジャックが唸った。 「俺を信じろ。アッシュに手を出すやつには悪鬼も同然だ」  職員が真顔で俺にたずねた。 「どうしてジャックにそれがわかったのか、聞いた方がいい?」  俺はあわてて答えた。 「いえ、俺は何も問題なかったので。イヌは俺を確実に守るように躾けられていますから」  職員はにっこり笑った。 「それならいいわ。これがあなたのギルドカード。この紙に親指をのせてもらえる?」  まるい枠に指を押し当てる。職員は紙にうかびあがった指紋をギルドカードに転写した。 「依頼の掲示はあっちの壁よ。ジャックの話だと討伐ではなく採取系ね。護衛もいるし、森やダンジョンの浅い層で経験を積むといい。トレジャーハンターになりたいのならランクを上げること。討伐系の依頼で上げればバウンティハンターね。トラブルやおかしな現象に出くわしたら各地のギルドへ報告すること。これは義務だから忘れないように」 「おかしな現象?」俺は聞き返した。 「古代のダンジョンではたとえば、遺物が光ってるとかは異常のうちに入らないの。でも一度死んだはずの獣が蘇って襲ってきたというのはおかしな出来事だわ」  職員は真顔でそういってから、薄く微笑んだ。 「ふざけているんじゃない。大昔、ほんとうに起きたことだから。そのころはこの国にも魔法使いたちがいて、怪異の元凶と戦った。今この地には魔法使いがいないから、私たち冒険者ギルドはどんな異変も見逃さないようにしている。そんな報告、私は一度も受けたことないけどね」 「ジュディス、あまりおどかすなよ」 「いいえ、アッシュはわかっている。じゃあこれで説明はおしまい」  ギルドカードの角には穴があいていた。俺はジャックをまねてその穴に鎖を通し、首にかけた。  王国は森の背後にそびえる山脈の向こう側だ。目もくらむほど高い峰がならんでいる山脈を徒歩で超えるなんて、ふつうの人間は考えないらしい。  この国には魔法使いがいないし、魔法や魔法使いはふつうの人たちにはとても怖がられているらしかった。魔法の素質がある子供はこの土地には生まれないようだ。ジャックのような冒険者は魔法がこの地で使われていた時代のことを知っているから、むやみに恐れてはいなかった。彼らにとって魔法は失われた力で、今はおとぎ話の中にしか存在しないのだ。  この町にくればプリンスやアンブローズ先生に連絡がとれるかもしれない、という俺の淡い期待は打ち砕かれた。魔法がない国には魔道具の設備もないから、鏡や水晶球を使えないのだ。  帰るためにはどうにかして山脈を越えるしかない。そして山脈の周辺はダンジョンだらけで、冒険者たちをひきつけていた。  ダンジョンの入口は森の木の根のあいだにある。すべて古代の戦いの痕跡だという。大きなダンジョンの深層にはお宝も埋まっているし、浅い層にはそこでしか取れない薬草や苔が生えていたり、珍しい鉱物がむきだしになっていたりする。地上では小さくて大人しいウサギやネズミのような動物も、ダンジョンでは巨大化して人を襲うこともある。でもそんな「ダンジョンモンスター」は利用価値が高く、狩ると高く売れるらしい。  ダンジョンを回って古代の転移陣をみつければ、来たときと同じように山を越えて戻れるかもしれない。最初俺はそう考えた。その次に、この国の首都には空を飛ぶ機械があるという話を聞いた。これを使って山脈を越えるのはどうだろう。  飛行機械に乗るにはどうするのか、と装備屋のおじさんにたずねると、おじさんは目をむいて「うーん、一日二千くらいか」と答えた。  「二千……レイ? そんなに?」 「空を飛ぶんだぞ。金がかかって当たり前だろう」  1レイは100カイ。10カイあれば一日分のパンが買える。  この国でも結局必要になるのはお金だ。俺はひとまずダンジョンで稼ぐことにした。運が良ければ高価な遺物をみつけられるかもしれない。  ジャックはすぐ南へ出発してしまった。俺が受けた最初の依頼は薬草集めだ。学園の勉強が役に立って、仕事は順調に進んだ。他の冒険者と出会った時は魔法を使うとばれないように気をつけた。  町やダンジョンの周囲で、たまにすごくなれなれしい冒険者に出会うことがあった。でもイヌが唸りつづけると不安な表情になって、離れていく。  寒さが厳しくなってきたので、俺は報酬を使って黒いフードつきの外套を買った。学園祭の朝に選んだ服は今もすごく役に立っている。こんなつもりで選んだわけじゃなかったのに。  魔法学園や、アンブローズ先生や、プリンスのことはあまり考えないようにしていた。特に夜は。寂しくて、怖くてたまらなくなってしまうからだ。  雪が降りはじめると俺はダンジョンの中で過ごすことが多くなった。古代の遺物を掘り当てたことは一度もなかったが、宝石なら何度か掘ったし、図書室の文献でしかみたことのなかった珍しい薬草を何種類もみつけた。  ダンジョンモンスターにも出会った。後ろ足で立つ巨大ネズミで、するどい爪で攻撃してきたが、イヌが喉元にかぶりついて一撃で倒した。俺は同じ階層に冒険者がいないのをたしかめてから、杖を握って魔法でネズミを解体し、毛皮を処理した。思ったよりも繊細な作業で、しまいには頭がくらくらした。体が火照って、フラフラする。 「同じような感じ……前にもあったような……」  気にしないことにして、俺は解体したモンスターを運ぶのをイヌにまかせた。地上は雪が積もっているけれどダンジョンの中は暖かい。イヌはダンジョンの中の安全な場所を嗅ぎ分けられる。眠る場所をきめて火を焚くと岩のあいだを煙が流れていった。  俺はモンスター肉を切り取って串焼きにした。残りは燻製にすることにした。焚火を使うのではなく、魔法の火を使うのだ。  こっそり魔法を使うのには慣れたけれど、今日はいつもより頭がくらくらするし、杖をにぎる手がふらつく。それでもネズミ肉を燻製に仕上げると満足した。焚火は燠になっていた。モンスター肉から切り取った油でランプが明るく燃えている。  イヌが俺に寄りかかってきたので、俺は両手を広げて抱きついた。ふかふかの毛皮に顔をおしあて、ぎゅっと抱きしめる。  クゥン。  イヌが鳴いた。ラレデンシに俺の魔力が充填されていくのがわかった。  このラレデンシには相当な魔力がこめられるはずだ。最近の俺はイヌが俺の作ったゴーレムだということを忘れがちだった。でもイヌは水も飲まないし何も食べないのだから、抱きしめて魔力を補充するのだ。とはいえ、人目があるとやたらなことはできないので、ラレデンシがいっぱいになるまで魔力を充填したことがない。 「おまえ、ずっと満腹してなかったり、する……?」  キューン。 「ごめん。今日はもうすこし――あっ」  イヌが急に動いたので、俺はバランスを崩してあおむけに倒れた。 「こら、もう……」叱るつもりだったのに俺は笑い出してしまった。 「何するの!」  フンフン。  イヌの口から赤い舌がのぞく。犬の鼻面が俺のズボンの上――股間を柔らかく押した。 「な、そんなとこ――え?」  犬のひたいでラレデンシが一度きらめいて、ゴーレムが魔法を発動させたのがわかった。ずるっとズボンがさがり、下着ごと脱げてしまう。  ぺろぺろ。ぺろぺろ。  むき出しにされた部分をざらりとする舌が舐めた。 「あっ、だめ、あん、あああん……」  そういえば前も一回……こんなこと、あったっけ――たしか温室で、今日みたいに体が熱くてたまらないとき……イヌが俺のところに帰ってきたとき。  以前の記憶がぼんやり浮かんできたものの、イヌの舌が俺のあそこを……何度も舐めて、締めつけるみたいに絡んでくると、気持ちがよすぎて、どうでもよくなってきた。ぴちゃぴちゃといやらしい音が響いても、俺は腰を揺らして、イヌにもっと、とねだった。もっと舐めて、もっと、気持ちよくしてほしいんだ……。 「あん、はっ、あうん、出ちゃう、ん、んんんっ――」  はぁはぁと息をつきながら目をあける。犬はまだ俺の股間をぺろぺろ舐めていた。ラレデンシがキラキラ光って、魔力の充填が完了したのがわかる。 「こんな……いきなりなんて……満腹した……?」  ウヮンッ。  イヌは嬉しそうに尻尾を振ると、俺のズボンをそっと咥えた。体の火照りが消えていた。過剰な魔力をイヌのラレデンシが吸い取ったのだ。  俺はイヌの頭を撫でた。 「こら、魔法で脱がせたりするの、だめだからね」  ワゥン?  イヌの尻尾がしゅん、と下がる。 「怒ってない、怒ってないって。でも次はあんな風に脱がすのはだめだよ。わかった?」  ワン!  イヌはぶんぶん尻尾をふり、俺はふかふかの毛皮に指をうずめた。  イヌがここにいてほんとうによかった。たったひとりで知らない国に飛ばされたら、寂しさに耐えられなかっただろう。  それにしても俺は学園に帰れるのだろうか。

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