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第27話 白い道の先で

 地上は雪が深すぎるので、俺はここ数日ずっとダンジョンを巡っている。この前冒険者ギルドへ行った時、離れたダンジョンをつなぐ通路のことを教えてもらった。転移ブリッジと呼ばれるその通路は、この国で今も機能している古代の遺物らしい。冒険者ギルドで買った地図にはちゃんと場所も書いてある。  ダンジョンにはモンスターが出るし、転移ブリッジはすべてのダンジョンにあるわけではない。地上を歩いた方が目的地まで近い場合もある。でも雨や雪で地上を移動するのが大変な時期は重宝された。  俺をこの国に飛ばした転移陣と同じように、転移ブリッジも大昔に魔法使いが作った設備なのだろう。直接魔力を使わなくても動いているのは、魔力を蓄える仕掛けがあるということだろうか。たとえば想像もできないくらい大きなラレデンシとか。  ブリッジの入口は一見ただの岩壁だ。地図にある通り錨に似た絵が描かれていた。 「みつけた、あれだ」  イヌにささやくと無言で尻尾をふる。  雪が深くなると、冒険者ギルドの掲示板には薬草採取のような手ごろな依頼が減ってしまった。だからブリッジをたどって、高価な遺物が眠っていると噂のダンジョンに行くことにしたのだ。ダンジョンをいくつもめぐっていれば、山の向こうに通じる古代の転移陣をみつけられるかもしれないという淡い希望もあった。それにお金もためなくちゃならない。  錨の絵に手のひらを押し当てると、岩がぐーっと奥へ凹んだ。石のあいだの見えない継ぎ目がからくり仕掛けのように動いたと思うと、四角い穴の向こうに昏く果てしない空間があらわれる。その中央を白く輝く道がつらぬいている。転移ブリッジはどれも同じだ。足を踏み出すと一瞬だけ、体がくにゃっと曲がるような感じがする。あきらかに魔法の作用だ。いったい誰が作ったんだろう。魔法大学で研究している魔法使いたちは、大昔の人がこんなすごいものを作ったってこと、知っているんだろうか。  俺もいつか、魔法でこんなことができるようになれないかな。ふっとアンブローズ先生の顔が頭にうかぶ。個人指導を受けるようになってから、先生にとって魔法学園はふさわしい場所ではないのかもしれない、と思うことがあった。アンブローズ先生ならこの国のダンジョンに潜んでいる魔法の秘密も解けるかもしれない。  俺はイヌを従えて白く光る道を歩いた。背中のリュックが重くて、肩に食い込む。ダンジョンを巡っているとどうしても持ち物が多くなるから、小さくて高価な遺物しか集められない。道の端までたどりつくと、また体がくにゃっと曲がるような感覚を受ける。  前に冒険者ギルドに立ち寄った時、おかしな噂をきいた。  これまで何度も通った転移ブリッジを出たら、全然しらない巨大ダンジョンへ踏み込んでいたとか。何度もモンスターを狩っているダンジョンに、これまでは存在しなかった通路がいきなりあらわれたとか、見たこともないダンジョンモンスターに襲われたとか。冒険者ギルドに登録した日に聞かされたような、死んだ獣が蘇った、という噂はなかった。それでも異常なことが起きているのは間違いなく、職員には気をつけるように念を押された。  光る道の終点から、ダンジョン特有の石の床に踏み出す。ぶら下げたランプの丸い光がぼんやりとあたりを照らした。イヌもちゃんと出たのをたしかめてからふりむくと、転移ブリッジはゆっくり閉じていくところだった。壁には錨のしるしが残っている。何度も使える転移装置はこんな風にしるしが残るのだ。 「えっと……このダンジョンはまだ下層の地図が完成していないんだっけ」  俺はリュックを背負いなおし、用心しながら歩きはじめた。地図によればすぐ近くに外の森への出口があるはずだ。この階層はあらかた探索が終わっていて、有望な遺物層とみなされているのはこの下の層である。  ふいにイヌの耳がぴん、と立った。俺はそっと地図を畳んだ。 「何かある?」  トコトコ、とゴーレムの足が動き出す。遺物は魔法の気配をおびていることが多く、イヌは敏感に反応する。突然姿がみえなくなったので俺は思わず足をとめたが、岩の隙間から尻尾が飛び出しているのをみつけて息を吐いた。 「もう、びっくりするだろう。そんなところに……」  イヌの尻尾がぴょこんと動く。ついてこいというのだ。隙間の幅はやっとリュックが通るくらいだったので、俺はランプを片手にそろそろと足を踏み入れる。どのくらい進んだだろうか、尻尾の動きが止まったと思ったら、ぽかりとひらいた空間に出た。 「あ……これは……まさか」  俺はランプを掲げ、奥の壁に近づいた。見覚えのある模様が浮かび上がる。魔法陣、いや転移陣だ。きっとそうだ。 「こんなところに……これであっち側に帰れる――?」  思わず伸びた手を触れる寸前でとめる。ダメだ、前みたいに急に飛ばされるのは嫌だし、まずは落ちつかないと。  と、イヌが唸りはじめた。 「どうした?」  ウウウウウウウウ……グルルルル……  これは警戒の声だ。ダンジョンモンスターか?  何もしていないのにピカッと壁の図形が光った。まさか、向こう側で発動した? 俺がこっちへ飛ばされたときと同じ使い捨て転移陣だとしたら、また帰れなくなる。 「イヌ!」  俺は叫び、ゴーレムが足元に寄り添うのをたしかめた。目の前の転移陣からにょろにょろと細長い、蛇のようにうねるものが生えてくる。一本じゃない、何本もだ。それぞれに紅い目がふたつ光る。とっさに杖で狙いを定め、俺は魔力の閃光で蛇を撃った。閃光は蛇を倒しはしなかった。ぬるりと陣の向こうへひっこんでいく。 「ど、どうしよう……」  つまりこの転移陣の向こう側にアレがいるのだ。またこっちへ来ようとするかもしれない。陣はまだ光っている。今ならイヌと一緒にあっち側へ渡れる。俺が来たときのように、これが消えれば帰れるチャンスはまた――  ワン!  イヌが励ますように鳴いた。 「うん、帰ろう!」  俺は杖を胸元におしこみ、しゃがんでイヌの背中を抱きしめた。ゴーレムが魔力を吸って大きくなると、逆に俺の方が背中にしがみついた状態になる。 「行って! 早く」  イヌがタタタっと走り出すと俺の両足は地面を離れた。光る転移陣に飛びこんだ一瞬は、なぜか水の中に落ちたような気がした。俺は思わず息をとめ、イヌが泳ぐように前足をばたつかせるのをみつめ――  ブシュー!!! ザッパーン!!  ――濡れた石の床に投げ出された。 「ゲホッ」  俺は水を吐き出し、石に手をつく。暗くてよくみえないが、すぐそばにいるイヌがふたまわり小さくなった気がする。俺の下になって衝撃を受けとめたせいだ。俺の服もイヌの毛皮もずぶ濡れだ。背負ったままのリュックが肩に食いこむ。 「だいじょう――!!」  リュックがぐいっと後ろから引っ張られた。俺はふりむき、紅い目がいくつも光っているのをみた。 「うわあああ!」  叫ぶのと同時にリュックごと体を持ち上げられた。俺の腕の太さほどの黒い蛇が何匹も、リュックと俺の体に巻きついてくる。絡みついた蛇の胴体に両腕を縛られ、吊り下げられたようなかっこうで、俺は足をばたつかせた。紅い目が外套の隙間から中へ入りこむ。ぽきりと杖が折れる音がきこえた。  グウウウウウ! ワオンワオン!!  イヌが宙を飛んだ。俺を吊り下げている蛇たちに襲いかかり、噛みついている。 「裂!旋!転!」  俺は魔法攻撃の命令を叫んだ。イヌはすぐに反応した。牙の魔法で何匹かの蛇が跳ね飛ばされ、バラバラに飛び散る。濡れた床にどさりと尻もちをつきながら、俺はまた命令を叫ぶ。 「爆――あああっ」  いつのまにか体を這いのぼってきた蛇の、ぬらぬらした尖った顔があごのすぐ下にあった。俺は悲鳴をあげたが、同時に高く飛んだ犬の前足が蛇を叩き落とした。ほっとしたのも束の間で、また別の蛇が腕を上ってくる。外套の裾にまとわりついた一匹がシューっと透明な液体を吐いた。たちまち布に大きな穴があく。  ふとみると外套だけでなく、内側のシャツやズボンまでぼろぼろになっていた。俺は足で蛇を蹴り、立ち上がって踏みつぶす。折れた杖を拾い上げると、近づく蛇に稲妻を放って牽制しようとした。魔力がうまく集中せず、雷魔法は中途半端に途切れた。 「イヌ、そばにいて!」  俺の足もとに走り寄ったイヌの動きがすこし鈍い。魔力が減っているのだ。最後にラレデンシを満充填したのはいつだった? 紅い目は俺たちを円状に取り囲んでいた。仲間の死骸を乗り越えて、じりじりと狭まる。無数の絡みあう黒い体はまるでひとつの生き物のようで、いくつもの光る目は俺を値踏みするようにじろじろみた。 (おまえ、美味そう……)  ぶわり。蛇たちの体がいっせいに持ちあがったとき、イヌの全身がぐいっと伸びた。そのまま銀色のなめらかな毛皮にかわると俺の全身をくるりと包む。その向こうから黒い蛇の波が襲ってくる。蛇のぬるりとした皮膚が顔に触れるのを感じ、イヌの魔力が消えていくのがわかった。ああ、行かないで――  その瞬間、あたりを灼くような眩しい光が降り注いだ。 「サーペントだ! 焼きつくせ!」 「待つんだ。あそこに人がいる!」  真っ白の光を浴びたとたん、蛇の紅い目が石の灰色に変わり、胴体が俺の体から剥がれ落ちていく。 「大丈夫か! 僕をみるんだ!」  誰かが俺に向かって叫んでいる。この声を俺は知ってる。知っているけれど、今はもう立っていられない。膝をついてうずくまると、背中をさすられた。俺はゆっくり顔をあげる。ああ、俺はこの顔も知ってる。相手が息を飲む。 「まさか――アッシュ?」 「何だって?」 「アンブローズ先生、アッシュだ!」  俺はうつむいたまま涙を流していた。帰ってきたのだ。

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