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第28話 思いがけない再会
「アッシュ、動けるか? こっちへ、早く」
プリンスがささやくが、足が思うように動かない。地面に手をついて肩で息をしていると、突然両足が宙に浮いた。
「つかまって」
抱き上げられたのを恥ずかしく思う余裕もなかった。翼がはためく音がきこえ、プリンスのゴーレム、シルフが黒い蛇の上を待った。羽根から輝く粉がうねる蛇の胴体へ降り注ぐ。光の粉をまぶされた蛇はのたうちまわりながら煙となって消えていく。
「あとは私がやる。外へ!」
アンブローズ先生の声が響いた。右手を大きく振ったとたん、指先から光の網がぱっと広がって、残りの蛇を押さえつける。体が揺れ、俺はプリンスに抱っこされた状態でその場を離れた。先生にもプリンスにも、こんなにすぐ会えるんて思ってもいなかった。転移陣で学園を囲む森(のどこか)へ戻れたとしても、学園にたどりつくにはもっと時間がかかると思っていたのだ。
それに俺には事態がまったく飲みこめていない。急ぎ足でプリンスが歩いている暗い道の左右は石の壁に囲まれている。どうみてもダンジョンの中だ。だけど王国にダンジョンがあるなんて、俺はこれまで聞いたこともなかった。
プリンスは俺を抱き上げたまま階段をのぼった。白い光が前から差しこんできて、冷たい空気が鼻をくすぐる。
「プリンス!」走り寄って来るのは魔法学園の制服だ。
「行方不明だったアッシュがみつかった。学園に運ぶぞ」
ちらちらと雪が舞っていた。山の向こうとちがって、ここはまだほとんど積もっていない。俺は担架のようなものに横たえられた。
「バトラー、アッシュを学園へ。アッシュ、これを」
アンブローズ先生が手に冷たく硬いものを握らせる。土人形に戻ったイヌだ。誰も支えていないのに担架はひゅんひゅんと動き始めた。俺は首をめぐらした。すぐ隣をバトラーさんが歩いている。アンブローズ先生が魔法で呼びだした召使だ。
空が白く、やけに眩しかった。俺は目をつむったままイヌのかたちを指でたどり、異変に気づいた。
ラレデンシがない。
「すぐに到着しますから、横になっていてください」
バトラーさんにそういわれて、横になったままイヌをもう一度確かめる。ラレデンシが嵌っていたスロットは空っぽだった。ラレデンシが壊れるなんてこと、あるんだろうか。
あの蛇に襲われたとき、イヌは俺に巻きつくようにして守ってくれた。ひょっとしてあの時に?
俺はイヌに唇を押しつけた。魔力を吹きこもうとしてもまったく力が湧いてこない。
「アッシュ様、今は休息が必要です。魔王の眷属に魔力を吸収されたのでしょう」
「魔王の眷属って?」
「復活した魔王の手先です。アッシュ様は彼らに遭遇したことがなかったのですか?」
「俺は……魔法使いがいない国にいたんです。古代の転移陣で飛ばされて」
俺はイヌをぎゅっと握りしめる。
「ごめんなさい。俺、何が起きているのかまったくわかっていなくて」
「大丈夫です。到着までお休みください」
バトラーさんの声を聞きながら俺はいつのまにか眠ってしまった。
目が覚めるとふかふかのベッドの上だった。特別奨学生の部屋だ。
「アッシュ様、ご気分は?」
バトラーさんがのぞきこんだ。
「大丈夫です」
今度は簡単に起き上がることができた。見下ろすと今着ている服もあちこちが破れていた。俺、こんな格好でプリンスに運ばれたのか。
「浴室のご用意ができています。お着替えも」
「は、はい」
窓の外には青空が広がっている。時計をみると朝の八時だ。ずっと眠っていたのだろうか。
俺は体を洗ってさっぱりして、用意されていた清潔な服に着替えた。制服のズボンを履くうちに帰ってきたという実感が湧き上がる。窓の外にみえる風景も懐かしくて、またじわじわと涙がこみあげそうだ。
でも学園の建物の向こうに広がる森は俺の記憶とすこし違っていた。あちこちで煙があがっているし、見慣れない空き地がいくつもできている。テーブルにサンドイッチと果物のトレイ、それに水差しが置かれていた。バトラーさんはいなかった。
サンドイッチを食べていると、トントンとノックの音が響く。
「アッシュ。入ってもいいだろうか」
アンブローズ先生の声だった。
「はい!」
先生のすぐあとにプリンスが続き、俺をみたとたんぱっと明るい表情になる。
「アッシュ、具合は?」
「なんともないです」
「目を覚まさないからすごく心配したよ」
「俺はどのくらい眠っていたんですか?」
答えたのはプリンスではなくアンブローズ先生だった。
「まる二日だ。サーペントは魔力を吸い取る」
「サーペントって……あの蛇?」
「ああ。魔王の眷属だ」
「魔王は本当に復活したんですか? 伝説の魔法使いが封印した、あの魔王ですよね?」
すごく愚かな質問をしているような気がしたが、聞かずにはいられなかった。アンブローズ先生とプリンスは顔をみあわせた。
「アッシュ。先にきみがここからいなかったあいだのことについて聞かせてもらえないか。学園祭の日、いったい何があった?」
「えっと、あの日は早く目が覚めてしまって……あの、おふたりとも座っていただけませんか」
プリンスと先生は並んですわった。プリンスの目元の影がとても色っぽく感じられて、俺はどきりとしてしまった。アンブローズ先生が俺を力づけるように軽くうなずく。
「学園祭がはじまる前にイヌを走らせてやりたいと思ったんです」
いったん話しはじめるとするすると言葉が出てきた。イヌと森の奥へ入りこみ、転移陣を踏んでしまったこと。山の向こうの魔法使いがいない国へ飛ばされ、知りあった人の紹介で冒険者登録をしたこと。
プリンスが驚いた表情で何かいいかけたが、アンブローズ先生が制したので、俺はそのまま話し続けた。山の向こうには魔法使いがおらず、魔道具もなくて、連絡をとれなかったこと。お金を稼ぎながらダンジョンを回っていたこと。古代の遺物と呼ばれていた転移陣や転移ブリッジのこと、転移ブリッジを使ってダンジョンを渡り歩いていたら、転移陣をみつけたこと。蛇が向こう側にいるとわかっていて、それでも飛びこんだこと。
「アッシュ、まったく……危険な賭けに出たな」アンブローズ先生がため息をついた。
「私たちが偵察に潜っていたのはただの偶然だ。危ないところだった」
「でも先生、アッシュがこちら側へ飛ばなければ、サーペントが向こうへ渡り、魔王の勢力がさらに拡大したはずです」
プリンスが落ちついた声でいった。
「結果としてはいちばんよかった。サーペントがいるとわかっていて魔法陣に触れるなんて、すごい勇気だ」
「そんなのじゃありません。俺は帰りたかっただけです」
俺はそういったが、アンブローズ先生もプリンスと一緒にうなずいている。
「ああ。帰ってきて嬉しい。ほんとうに」
「それでこっちでは何が起きたんですか? 魔王の封印は?」
先生とプリンス、ふたりの背中がさっと緊張した。
「最初に城の玉座の下にあった封印が破られた」アンブローズ先生が静かに話しはじめた。
「おそらく事故だろう。あとの調査でわかったが、封印は衰えていて強化が必要だった。しかし城の魔法使いはずっと怠っていたようだ。魔王は封印を破った人間に憑いたが、城の封印が破られてすぐに復活したわけではなく、しばらくその人間に潜伏していた。彼が完全に力を取り戻したのは、森に隠されていた地下宮殿を発見した時だ。アッシュ、きみが行方不明になった日にそれが起きた。魔王が憑いた者がその入口を発見したのだ。我々が森できみを探しているときに」
「魔王が憑いたのは魔法学園の……誰かなんですか?」
アンブローズ先生は苦い表情になった。
「その話はすこし……あとだ。魔王復活後、我々はきみの探索を中断せざるを得なかった。地下宮殿――魔王のダンジョンが目覚めると同時にその者は姿を消したが、ダンジョンが拡大するたびに水鏡に映るようになった。我々を挑発しているのだ。私は聞き取り調査をして……その者の様子が、城で開かれた魔法大会の直後からおかしかったとつきとめた。あの日、宣告の大時計が鳴っただろう。城の魔法使いは気づかなかったが、あれは警告だったのだ」
「魔王はいったい誰に憑いたんです?」
俺は重ねてたずねた。アンブローズ先生はためらったが、プリンスが首を振った。
「先生、どうせすぐにわかることです。アッシュ、魔王が憑いたのは、ダスだ。魔法大会の夜、舞踏会の最中にダスが封印を剥がした」
「ダスが」俺は信じられなかった。
「ラスは?」
「ラスは学園にいる。僕らはいま、全員で魔王と戦っているんだ」
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