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第29話 ふたりの助けがあれば
「アッシュが転移した魔法陣は、伝説の魔法使いが魔王を封じた戦いのとき、当時の魔法使いたちが作ったものだろう」
アンブローズ先生が眉をひそめながらいう。
「残念ながら今は古文書が失われて、転移のための魔法陣がどのくらい残っているのかはわからない。山の向こう側のダンジョンでも異変が起きているのなら、すでに魔王の眷属が入り込んでいるのだろう。急いで魔王を倒さなければ」
プリンスが急に思いついたようにたずねた、
「先生、古文書はなぜ失われたのでしょう? 魔法大学や魔法省で保管していたのではありませんか?」
「いにしえの大戦関連文書は膨大な量にのぼるが、その多くは失われた。大戦直後は大学と省庁で分野ごとに保管されていたが、大学で空間魔法の予算が削減されたあと、一括して城の文書庫に移されたのだ。ここも魔王の封印と同じく管理が甘かったらしい。リチャード王子、あなたが生まれる前に不注意の火災で焼失している。魔王を封印したあと、長いあいだ安心しきっていた我々の驕りが招いた事故だ」
アンブローズ先生は顔をしかめ、プリンスは考えこんだ様子になった。俺はそろそろと口をひらいた。
「封印が破られたのは魔法大会の日といわれましたね。そういえばあの後、俺もおかしな夢を続けて見ました」
「夢?」
アンブローズ先生とプリンスが声をそろえる。
「黒い霧、いや煙のようなものに追われる夢です。今思うと、転移陣からサーペントがあらわれたときにも同じようなものが見えました。封印が解けたことに関係がありますか?」
「アッシュ。あのころのきみは第三次魔徴の奥義をひらいたばかりだった」
アンブローズ先生が静かにいった。
「魔王は力ある者を求める。ダスの中に潜みながら周囲を探っていたのだろう。きみは魔力を完全に制御できていなかった。それに浅い眠りにおちているとき、心は無防備になるものだ」
「それではアッシュが狙われていたと?」
プリンスが鋭く言葉を挟む。
「その可能性はあった――今もあるだろう。アッシュだけではない。魔力の多い者ほど魔王に気をつけなければならない」
すこしだけ沈黙がおちた。俺は混乱した頭の中を整理しつつたずねた。
「あの、いま学園はどうなっていますか? 魔王との戦いがはじまって、授業は?」
「安心したまえ、カリキュラムに多少変更はあるが、授業は行われている。魔法省の決定で、ゴーレム戦闘の基準を満たした生徒は実戦にも参加している。私としては不本意なのだが……」
「アンブローズ先生、魔王との戦いは一刻を争います」
プリンスがきっぱりと告げた。
「戦いが長引けば、このさき被害を受けるのは魔法を使えない無力な民です。今は魔法を使える者が総力を結集するときですから、魔法学園で学んだ成果を僕らも発揮しなければ。糸魔法のようにこれまで人気がなかった教科だって、今はみんな必要性を理解しています。そもそも魔法学園が設立されたきっかけは――」
「リチャード王子」
アンブローズ先生はプリンスの言葉をさえぎった。
「私はもちろん魔法省や陛下の決定を理解している。しかし魔法省や学園長がなんといおうとも、準備の整わない生徒は実戦には出さない」
そこまで聞いて、俺はついに我慢できなくなった。
「先生、センパイ、俺もやります。山の向こうではイヌと一緒にダンジョンをいくつも回ったし、ダンジョンモンスターも倒しました。転移陣を通ったときは魔力を消耗しすぎていたけれど、今なら俺も十分戦えます」
「アッシュ、だめだ」
先生とプリンス、ふたりが同時にそういった。ついで気まずそうに顔を見合わせた。
「先生? センパイ? でもさっき、ゴーレム戦闘の基準を満たした生徒は実戦にって……」
プリンスが小さく首をふった。
「アッシュ。きみのゴーレムは実戦基準を満たしていないんだ。サーペントの攻撃でラレデンシが消滅してしまった」
「え、でも……」
俺は軽く指をはじいた。ほとんど無意識に魔法を使って、土人形となったイヌが俺の手のなかに呼び寄せる。
「ゴーレムは破壊されていません。新しいラレデンシをここに入れればいいだけで……」
「王国では今、ラレデンシが払底しているのだ」
アンブローズ先生が重々しい声でいった。
「数日前、魔王の眷属が魔法省管轄のラレデンシ工場と名匠の工房群を襲った。どちらも相当な被害をこうむっている。魔道具やゴーレムのためにラレデンシの必要性が高まっていたために、在庫はあっというまになくなった。魔法学園にすら予備を調達できな状態だ」
俺はぽかんと口をあけていた。
「そんな……」
「アッシュ。私はきみの能力を理解している。そのゴーレムが完全な状態であれば、きみが実戦に加わることに反対はできない。だが今は予備のラレデンシもないのだ」
「アッシュはいずれ、素晴らしい魔法使いになる。そうですよね、アンブローズ先生」
プリンスの手がすっと前にのび、俺の手を握る。
「だけど今は表に出るときじゃない。それに実戦へ出ない生徒も後方で支えることはできる。ここは我慢してくれ」
「そうだ。自分の魔力を磨くことも大いなる戦いの一部なのだから」
アンブローズ先生もプリンスも、真摯な表情で俺をみている。でも俺の中にはむくむくと反発が沸き起こっていた。
たしかにラレデンシがないのなら、俺の魔力で実体化させてもイヌは仔犬も同然だ。盗賊を追い払うことだってできないだろう。でもイヌに嵌っていたラレデンシは――
あ! その瞬間俺は思い出した。
イヌのラレデンシはアンブローズ先生の魔法の助けを借りて、俺が自分の魔力で生成したものだ。
どうして忘れていたのだろう。森の泉のそばで、貯めたお金で買ったラレデンシが盗まれてしまって、もう魔法大会には出られないと思っていたときに先生に会って、そういうことになったのだ。
だけどあの時、先生はいったいどんな魔法を使っていただろう?
俺は考えたが、まったく思い出せなかった。あの時は、気がついたらラレデンシが俺の手の中にあって、先生は興奮したように顔をすこし赤くしていた。
そうか。生成したときの記憶がほとんどないから忘れていたのだ。
俺は思わず立ち上がっていた。
「アンブローズ先生、ラレデンシなら作れます」
「アッシュ?」
「イヌに入れたラレデンシは先生の魔法と俺の魔力で作ったものだ。先生は魔法大会の日、ラレデンシを持っていない俺のために特別に術式を行ってくれましたよね。あれをもう一回やって、ラレデンシを生成すればいい」
「何だって?」
口をはさんだのはプリンスだった。
「ラレデンシをつくる? 魔法使いひとりやふたりの力でそんなことができるんですか?」
アンブローズ先生は顔をしかめた。
「リチャード王子。その術式は伝説の魔法使いが考案したものだが、今はほぼ忘れられている。条件が整う者がほとんどいないからだ」
「先生、条件なら、俺はまだ……」
俺はさらにいいつのろうとした。プリンスが椅子を揺らして立ち上がった。
「ちょっと待ってください。その条件とはなんですか」
アンブローズ先生は肩をすくめた。
「術式を行う者が一人以上いること。ラレデンシは術式の対象者の魔力で生成される。対象者に必要なのは十分な魔力と純潔だ」
「純潔?」
「童貞で処女であることだ」
「つまり――そうか。アッシュは……」
プリンスが俺にちらりと視線をやり、顔をそらした。なぜか頬が赤らんでいる。アンブローズ先生は座ったまま俺とプリンスをみあげた。
「しかしこの術式は……対象になる者に過剰な負荷を与えてしまう。本来、生徒のレベルに求めていいことではなかったのだ。だがあの時、私は」
俺はたまらず声をあげていた。
「でもあれは、俺が先生にお願いしたんです。どうしても魔法大会に出たかったから! 先生は俺の願いをかなえてくれて、俺は魔法大会に出場できました」
プリンスがゆっくりとうなずいた。
「あの見事なラレデンシは、そうやってアッシュが生成したのか」
「アンブローズ先生の術式がなければできませんでした。今もそうです。だから……」
「アッシュ。今回のケースはちがう」
アンブローズ先生の声は大きくはなかった。でも声は部屋のなかにはっきりと響いた。
「私はきみを戦いに送り出したくない。きみのように魔法の素質と才能に恵まれた者には、戦いが終わったあとこそ真の未来が待っている。魔王との戦いは私のような老兵に任せなさい」
「そんなの嫌です」
俺は何も考えずに口走っていた。
「だって、俺には魔力と素質があるんでしょう? 今それを使わなくてどうするんですか? センパイはシルフと一緒に戦っていたのに、俺は残っていなくちゃいけないなんて……俺はセンパイや先生と、それにイヌと一緒に戦いたい。魔法大会のときは先生がどんな術式を使ったのかぜんぜん覚えてないけど、過剰な負荷がかかったなんて思わなかったし、先生の指導で修行も積んだ今は、あの時よりうまく生成できるかもしれないでしょう?」
一気にまくしたて、俺は肩で息をする。背中に温かい感触を感じた。プリンスの手が触れている。
「アッシュ、落ちついて」プリンスは静かにいった。
「アンブローズ先生も冷静になってください。僕たちは一刻も早く魔王を倒さなければならない。実戦にアッシュが加わるかどうかは別として、ラレデンシが不足している今、ひとつ増えても立派な成果です。魔王に一歩近づくことになります」
アンブローズ先生は渋い表情でうなずいた。
「リチャード王子。もっともな話だ」
「ラレデンシの生成ですが、純潔が条件だとすると、たしかに僕やこの学園の者は対象者にはなれない。でも先生のような……術式を行う者にその条件は必要ないのでしょう?」
「ああ」
「それなら僕も術式を会得したい。僕に教授していただけませんか」
アンブローズ先生はそわそわと頭を揺らしたが、プリンスの話は終わっていなかった。
「さっき先生は、ラレデンシ生成に必要な条件として、術式を行う者が一人以上いることだとおっしゃいました。術者となる魔法使いは二人いてもいいのでしょう。複雑な魔法を二人の術者で行うのはよくわることですよね?」
先生はしぶしぶといった様子でうなずく。
「ラレデンシについては、二人の方が安定したという記録もある」
「だったらなおさらです。僕にも術式を教えてください」
アンブローズ先生はため息をついた。
「リチャード王子。私は王国の臣民だ。いずれ王となるあなたには逆らえない」
「今はまだ学園の生徒で、アンブローズ先生は僕の師です。教えを乞うてはいけませんか」
先生は俺の方へ向きなおった。
「アッシュ。術式を行ったときの様子を覚えていないのなら、もう一度いわなければならないが――生成魔法の術式のあいだは術者を信じ、心を開かなくてはならない」
俺はうなずいた。心臓が喜びでドキドキする。
「第三次魔徴の奥義がひらき、きみの魔力はあの時より強くなった。しかし生成魔法は明確な予測ができないのだ。私とリチャード王子を信じて術式を受けるか?」
「はい、先生。もちろんです」
先生はプリンスと俺を交互にみつめた。覚悟を決めたように小さくうなずく。
「わかった。それでは準備をはじめよう」
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