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第32話 魔王の秘密

 グオオオオオオ!  巨大な洞窟の中央で、血のように赤いたてがみを振って怪物が吠える。ライオンのような猛々しい顔の下に続く首は異様な太さだ。すぐ横にはねじ曲がった角をいただく山羊が気味の悪い薄笑いを浮かべている。山羊のひづめが石ころだらけの洞窟を蹴ると、尾がS字を描くようにして長くのびた。 「キマイラだ!」アンブローズ先生が叫んだ。「尾の蛇に気をつけろ!」 「シルフ!」  プリンスが呼ぶと同時にシルフが舞い上がる。ひとつ呼吸するあいだに小鳥のような体がキマイラを覆い隠すほど大きくなる。鋭い鉤爪に向かって怪物が吠え猛り、長い舌から炎が燃える。俺は指笛を吹き鳴らした。イヌが三つの頭をふりながらキマイラに飛びかかる。三組の牙が山羊の脚と蛇の首に噛みついて足止めしたところで、俺は呪文を唱えた。 「氷・結・絡」  六つの眸から発射された青いビームが空中で絡みあい、氷の網となってキマイラの胴体を縛る。山羊のひづめが石ころのあいだで硬直し、動きが止まった一瞬の隙にアンブローズ先生の杖が動いた。 「王子!」  プリンスが宙に印を描いた。シルフの鉤爪がライオンと山羊の頭を同時につかみ、顎を大きくひらかせる。だらだらと涎を垂らした巨大な口の中に、アンブローズ先生が放った鉛の弾丸が立て続けに吸い込まれる。 「離れろ!」  イヌが俺のそばに飛びすさる。キマイラの胴の中で白い光が瞬き、ふくれあがった。シルフが力強く翼をはためかせ、洞窟の高い天井すれすれを滑空する。俺はイヌにしがみつき、キマイラが爆散する衝撃をやりすごす。 「やった……道が開けた……」  静かになった洞窟にプリンスの声が響き、それを合図にしたように後ろに下がっていた魔法使いたちが姿をあらわした。キマイラの残骸の向こうに細い通路が出現していた。左右の壁には炎に焼かれたような跡が残っている。  俺はイヌの背を撫でて、足もとにおさまるくらいのサイズに変えた。三組のつぶらな眸が俺を見上げ、甘えるように揺れた。  フンフンッ。  クーン……。  バウバウバウッ。 「ミギー、ナカー、ヒダリー。よくやったね」  三つの頭をもつケルベロスも仔犬の大きさなら愛らしいだけというか、可愛さ三倍だ。俺は順番に頭を撫でて、キマイラの毒を受けていないか確かめた。後ろでパタパタと足音が続く。後続のひとたちだ。ここは魔王探索と魔物討伐の最前線で、魔法学園の生徒の顔もある。 「プリンスもアッシュも大丈夫か?」  大柄な魔法使いが走り寄ってきた。魔法大学の教授で参謀役のマーティン先生だ。 「マーティン、これを見てくれ」  アンブローズ先生が白い球を手のひらに乗せ、空中に図を投射した。  あらわれたのは魔王の地下宮殿の地図だ。白く点滅する丸印は王国の魔法使い部隊が魔物と戦っている場所を、青い丸印は倒した魔物を示す。俺たちがいる場所には大きな青い丸印がついていて、前にみたとき空白だった部分に新たな洞窟が出現していた。 「伝承ではキマイラは魔王の三大配下の一頭だ。あの通路の先にいるのがバジリスクとヒュドラーだろう。この洞窟は浄化魔法でカバーして、明日に備えよう。キマイラには触れるな」  マーティン先生がてきぱきと指示を出し、みんなが動きはじめた。プリンスが先生たちのそばへ行き、地図をさして何か話している。  マーティン先生は伝承魔物学の第一人者だ。ゴーレムに詳しいプリンスはずっとそれを知っていたらしい。でもマーティン先生もケルベロス型ゴーレムに進化したイヌをはじめてみたときは驚いていた。大柄で筋肉質で、朗らかな感じの人だ。アンブローズ先生とはぜんぜん違うタイプだが、ふたりはずっと前からの友人らしい。  魔法学園の生徒も含めた部隊で地下宮殿の探索をはじめて、これで五日だ。同行の魔法使いは実力者ばかりだけれど、不思議なことにお城や魔法省の役付はひとりもいなかった。マーティン先生も、魔法大学では研究予算がなくて業績があげられなかったという。でもマーティン先生がいなかったら俺たちはここまで来られなかっただろう。  先生は地下宮殿に出現する魔物や、攻撃魔法の種類や急所、ゴーレムのタイプによる具体的な攻撃方法など、自分が知るありとあらゆることをレクチャーしてくれた。大学ではかつての魔法大戦の伝承から再現模擬実験を試みていたそうで、魔王との戦いがはじまって以来、先生の予想がつぎつぎに当たるのは長年の研究のたまものらしい。 「魔王は地下宮殿の核と結びついている」  その日キャンプの準備が整ったあと、魔法で灯した明かりの下で、マーティン先生は一行――アンブローズ先生やプリンス、他の魔法使いたち、選ばれた魔法学園の生徒――を前にして、重々しくいった。 「かつての魔法大戦で、伝説の魔法使いは魔王を完全に倒せなかった。魔王が自分の魂の核を地中深くに隠したからだ。伝説の魔法使いは戦いの土壇場で魂の核を探したが、ついに見つけ出すことができなかった。伝説の魔法使いは魔王の〈気〉を城に封印し、魂の核から遠ざけた。しかし封印の威力は年月とともに弱まった。封印が剥がされたとき、魔王の〈気〉は剥がした者に隠れ、魂の核を探させたのだ」  生徒の一人の肩がぴくりと動いた。ラスだ。彼も選ばれた生徒の中にいると知っても俺はまったく驚かなかった。双子の魔力についてはよく知っていたし、魔法大会ではズルをしたとしても、ラスのゴーレムは強い。  ラスは隅の方にいて、他の生徒や魔法使いたちからほとんど無視されていた。  実をいうと俺はラスにどんな風に接したらいいのかわからなかった。以前俺のラレデンシを盗んだのはラスとダスのふたりだとアンブローズ先生に聞いたときも、俺はどう反応したらいいのかわからなかった。ラレデンシがなくなった時の悔しい気持ちは忘れていなかったけれど、あれからあまりにも色々なことがあって、しかもダスが魔王に憑依されたと聞くと、双子のやったことはひどくちっぽけなことに思えたのだ。  たぶん今の俺には前にはなかった余裕があって、だからラスがすこし可哀想にみえたのかもしれない。それにラスがいちばん嫌なのは、そんなふうに俺に哀れまれることにちがいなかった。俺はラスにとって、ただの召使、燃え殻でしかなかったのだから。 「俺たちは魔王の核を今度こそ粉砕する。アンブローズの地図はかなり精度を増してきた。キマイラを仕留めたからには、探索も最終段階だ。ラス」  みんながいっせいにラスの方を向いた。 「持ってきたか?」  ラスは無表情で前に進み出て、マーティン先生にヘアブラシを差し出した。持ち手が薄い水色で、先端に宝石がついている。 「自分のものじゃないな?」 「はい」  ラスの返事はとても小さかった。俺はハッとする。双子の持ち物はどれもそっくりで、共有することも多かったから見分けがつかなくて困ることもあったが、ヘアブラシは違った。ダスのブラシは持ち手がは水色、ラスのブラシは持ち手が淡いピンクだ。 「アッシュ」マーティン先生は次に俺を呼んだ。「イヌをここに」  突然呼ばれてびっくりしたけれど、イヌはマーティン先生の声に尻尾を振った。抱いたまま先生の前に出ると、アンブローズ先生が地面に魔法陣を描いた布を広げた。マーティン先生はダスのヘアブラシを魔法陣の真ん中に置いた。 「イヌをその前に」  イヌの三つの頭が魔法陣をみつめ、四つの脚がすばやくヘアブラシに駆け寄る。ぼうっと青い輝きが魔法陣の上にうかび、三つの鼻がヘアブラシを嗅ぎまわると、味をたしかめるように三つの舌が隅々を舐めた。俺はやっと気がついた。先生方は、イヌにダスの匂い――魔王の痕跡を覚えさせているのだ。思わずラスの顔をみると、ひたいに嫌そうな皺がよっている。魔法陣の光が消えると、イヌの涎で濡れたヘアブラシが残った。 「よし、これでいい」マーティン先生がうなずいた。 「明日からケルベロスが追跡の先頭に立つ。この先に待ちかまえているのは強力な配下だ。いっそう気を引き締めていくぞ」  先生の言葉通り、翌日はバジリスクに出くわした。視線で殺すことのできるバジリスクの攻撃でゴーレムが数体灰になったが、幸い誰も、治療魔法で治せないような怪我は負わなかった。ゴーレムを失った者は撤退することになり、一行の人数はすこし減った。バジリスクの残骸は猛毒を含んでいる。数人がかりで浄化をはじめたとたん、毒がしみこんだ洞窟の床が溶けはじめ、俺たちはあわてて後ろに下がった。 「どうなっているんだ? 地図にはこの先があるのに、これじゃ……」 「地面が陥没していくぞ! こ、これは……湖だ!」  興奮の叫び声が消えて、しんと静かになる。崖のような岸辺からのぞきこむと昏い水がたぷたぷ揺れていた。マーティン先生はアンブローズ先生の地図をみつめ、険しい表情になった。でもイヌは尻尾を振りたて、三つの頭それぞれ――ミギーもナカーもヒダリーも――目をギラギラ光らせている。俺は目を細め、三組のまなざしが指す方向をみつめた。昏い水の上にうかぶ、あれは……。  俺は叫んだ。 「先生、島があります!」 「核はそこだな」  マーティン先生がうなずき、アンブローズ先生は指を鳴らした。 「バトラー、水を渡る道具を」 「かしこまりました」  翌日目をさましたとき、三艘の小舟が岸辺に浮かんでいた。マーティン先生は部隊を三つに分け、俺はイヌと一緒に最初の一艘に乗り込んだ。プリンスもおなじ舟だ。この探索行に出てからというもの、キャンプの夜はイヌとプリンスとアンブローズ先生に挟まれて眠っている。山の向こうにいたときの寂しさを感じることもない。  でもラスはそうじゃない。マーティン先生とおなじ舟に乗りこんだ彼の背中が俺はひどく気になった。ラスともっと……話をした方がいいと思うのだ。でも何をどんなふうに話したらいいのか、わからない。  魔法の舟には帆も漕ぎ手もいないのに、水面の上をゆらり、ゆらりとリズムを刻みながら進んだ。アンブローズ先生はもう一艘の舟にいる。湖は地底だと思えないほど広く、目的の島はひどく遠い。みんな魔物を警戒していたけれど、昏い水は不気味なほど静かだったし、マーティン先生もできるだけ静かにしろと厳命していた。  ゆらり、ゆらり。  ゆらり、ゆらり。  単調なリズムが続くと眠くなってきた。舟が水をわける音が心地よい歌声のように聞こえてきて、俺はイヌを膝に抱いたままうつらうつらしていた。肩に重みがかかるのを感じて目を覚ますと、プリンスがごめん、と耳元でささやいた。俺と同じようにうとうとしていたのだろう。思わずクスっと笑いを漏らすと、プリンスは俺の肩を抱きよせてくる。膝の上でイヌがむくりと動いた。  俺はイヌの視線を追った。小舟の先端からすこし離れたところで、鏡のように平坦だった水面に大きな波紋が生まれている。目をこらしたとたん、波紋の中央が凹んで渦を巻きはじめた。 「センパイ、あれ……」  ささやいた時には渦はもう大きく――舟を飲みこみそうなくらいの大きさに変わった。渦の底から長く禍々しい首が持ちあがる。一本、二本、三本、四本…… 「ヒュドラーだ!」  マーティン先生の叫び声が水の面に響き渡った。

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