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第33話 思い出せ双子の絆

   *  ヒュドラーは不死身の生命力をもつ蛇型の魔物で、九つの首を持つ。  そのうち八つの首は倒すことが出来るが、放っておくと傷口から新しい首が生えてくる。  伝承によれば中央の首は不死だといわれている。  ヒュドラーは猛毒の息を吐く。その皮膚からも毒が染み出すため、ヒュドラーが眠った岩場を通るときは本体がいなくとも用心が必要だ。解毒剤は知られていない。 (『マーティン博士の魔物百科』より)    * 「毒の息を防げ! 作戦のとおりに動くぞ!」  黒々と光る首をのばし、口をぱかりとあけるヒュドラーを前に、俺たちはマスクを口元にひっぱりあげた。マスクには糸魔法で浄化と防護が縫いこまれている。そのあいだも小舟はヒュドラーを囲むように三方向へ散った。 「バブルをはなて!」  アンブローズ先生の号令と同時に俺も他の人たちも空中に印を描く。印の中心からシャボン玉のような泡がぽろりぽろりと生まれ、ヒュドラーの方へ舞い上がる。「バブル」はもともと採取魔法の一種で、飛んでいる虫を捕まえたり、傷つきやすい果物を収穫するときに使われるものだが、この泡は対魔物用に改良されていた。魔物が吐き出す有害な物質を感知して中に閉じこめてしまうのだ。  たちまち無数の泡がヒュドラーの口の周辺に群がり、毒の息を吸い込んでいく。怪物は泡を振り落とそうとするように九つの首をぶるんぶるんと振るが、毒を包んだ泡を振り払っても、また新しい泡が印から生まれては取り囲んだ。  ヒュドラーが首を振るたびに湖の面にしぶきが立ち、小舟は嵐にあったように揺れた。でももう、こっちの攻撃は始まっている。俺の隣でプリンスがシルフを飛び立たせる。鳥型ゴーレムは瞬くほどのあいだに小鳥サイズから巨鳥に変化し、ヒュドラーの頭のひとつに襲いかかった。  キエエエエエエイイ!!  耳を覆いたくなるような醜い叫び声があがるが、シルフはヒュドラーの毒には当たっていない。シルフは首の一つを鉤爪で掴み、引きちぎって水の中に捨てた。 「バブルを!」  アンブローズ先生が叫ぶ。誰かが杖をふった。ヒュドラーの毒を閉じこめたバブルが千切れた首の痕に弾丸のように飛んでいき、炸裂する。  シュウウウウウウウ!  千切れた首のところから白い煙があがったと思うと、怪物は残った八つの頭をのたうちまわらせた。  キィイイイイィイイウイイイ……  ヒュドラーの毒の息はヒュドラーの肉にも毒なのだ!  「よし、いけるぞ!」  誰かが叫んだ。小舟の左右で昏い水が大きくうねった。ざぷんっとしぶきをあげて飛び出したのは二体の巨大な水棲動物だ。首のひとつを毒で焼かれて悶えているヒュドラーに追い打ちをかけるように体当たりする。二頭ともベテランの魔法使いが操るゴーレムだ。水の中からの攻撃に怪物が惑っている隙をついて、シルフがもうひとつ首を仕留めた。俺はすかさず呪文を唱え、毒のバブルをヒュドラーの傷口になすりつける。マーティン先生がいる小舟からは月のように輝く丸い光が弾丸のように立て続けに発射され、さらに三つの首が落ちた。断面は切り株のようにまっすぐだ。 「ジャスパー、端のやつを仕留めろ!」 「ジュニパーは反対側だ!」  別の小舟から魔法使いたちが叫ぶ。水棲ゴーレムの主人なのだろう、それぞれに魔法の指示を受けたゴーレムは水面に巨体を跳ねさせて、残ったヒュドラーの首に立ち向かうが、怪物の細く長い首はゴーレムの大きな体をすり抜けるように逃げ、毒を吐いた。俺はとっさにイヌを前に押し出した。 「ジャスパー、背中を借ります!」  イヌはひと跳びで水面の上を高く飛び、水面に浮かんだジャスパーの背中を踏切台にする。三つの頭がヒュドラーの頭部に牙をむく。噛み千切られたヒュドラーの首がぼちゃん、ぼちゃんと水の中に落ちた。イヌはジャスパーの背中に着地し、揺れる水の上でバランスをとっている。水中のゴーレムは毒で傷ついてしまったようだ。しかし、いまやヒュドラーの頭はひとつだった。  ズウウウウウン!  巨大な胴体が水の中から姿をあらわし、ただひとつ残った頭がまとわりつくバブルをはじきかえす。パチンと弾けるような音が響き、バブルを生み出す印が立て続けに消えた。 「マーティン! クロック・デストロイヤーだ!」  アンブローズ先生が叫ぶと同時に、マーティン先生は歯車仕掛けの機械を頭の上に掲げた。  カチッカチッカチッ……。 「禍々しき蛇の時よ、宣告の時計の名において命じる――止まれ!」  そのとたん、ヒュドラーの唸り声や水しぶきの音、その口から吐き出される妖しい音、すべてが止まった。たぷん、たぷん……小舟が水の上を漂う音が妙に大きく響いた。静けさのなかで俺はやっと何が起きたのかを理解した。ヒュドラーの最後の頭は不死身だ。でも時を止めた体は動くことができず、皮膚から毒が染み出すこともない。宣告の時計、とマーティン先生はいった。あの魔道具はもしかしたら、お城の大時計の中身だろうか。 「よし、うまくいった……」 「島へ!」  三艘の舟は静まった湖の上をすべるように動きはじめる。その時だ。  パリン……  ガラスが砕けるような音が響いた。  俺たちはいっせいに音の方をみつめた。彫像のように動かないヒュドラーの頭の中央にひび割れが生まれている。ワンワンワン! イヌが激しく――三つの頭それぞれ――吠え猛り、前足でがしがしと舟の床を掻く。ひび割れのあいだから金色の糸のようなものがこぼれた。  糸? いや、あれは―― 「時の魔法が効いてない?」  プリンスがつぶやいたが、俺は確信を持てないまま首を振った。あれはヒュドラーじゃない。あの金色は―― 「ダス!!」  隣の小舟にラスが立ち上がっていた。  ヒュドラーの蛇体の上に漆黒のマントで全身を覆った美少年が立ち上がり、金色の巻き毛を揺らした。陶器のような白い肌に、薔薇色の頬、青い眸。顔立ちはラスとまったく同じだ。 「ダス! どうしてそんな――そんなところに!」  そう叫んだラスの頬はこけ、両目の下には黒い隈が浮かんでいた。しかしヒュドラーの胴に悠々と立つ存在はラスを見向きもしなかった。 「時をとめたか。小癪なことを」  マントがひらめき、小柄な体が宙に浮かぶ。アンブローズ先生の杖から光線がほとばしった。 「やっと姿をあらわしたな、魔王!」  ダスの姿をした魔王は空中を軽々と回転しながら後方へ、島に向かって移動していく。大きな水しぶきがあがってふりむくと、硬直したヒュドラーが斜めになって、丸太のように岸辺にもたれかかる。  俺たちの乗った小舟はいっせいにぶるぶる震えると、魔王を追ってすさまじい勢いで前方へ進み、いつのまにか島の地面に上陸していた。  ゴゴゴゴゴゴゴ……  魔法使いたちのゴーレムがすばやく立ち上がる。すると巨大な石つぶてが空からごろごろ降りそそいだ。パン! パン! 巨人型ゴーレムが得意のパンチを放ち、石礫を粉砕した。 「ふははははは人間たちよ、我の島はどうだ?」  みると魔王は空中に浮かび、お手玉でもするように石礫を操っている。その声はラスにそっくりだった。つまりダスの声だ。 「周りをみよ、魔法使いたちよ。ここには我のお気に入りの財宝が集めてある」  全員が足をとめた。俺も足をとめ、周囲をみまわした。黄金色の光が輝く小山がある。宝物――宝石の嵌った装飾品や、禍々しいが強力そうな気配を漂わせている魔道具や、金銀の食器や金貨が積み上げられて、見上げるほどの山になっているのだ。  俺は地面を蹴り、土くれのあいだで輝く光をみつめた。これは砂金? この石ころだって、宝石の原石だ。 「ここまで来るのは大変だっただろう。好きに持って行っていいのだぞ。ケチ臭い地上の王とちがい、我は寛大で報酬をいとわない。ここまでたどりついたおまえたちには、我の配下となる資格が十分ある……」  石つぶてはやんでいた。あたりは静まりかえっていた。魔王は両手をひろげ、俺たちに向かってにいっと微笑んだ。美貌が邪悪な輝きをおびる。俺は息をのんだ。 「ダスの声でそんなことをいうな!」  細い、でもしっかりした声が緊張を破った。 「ゴールドラン! ダスを正気に戻せ! 魔王なんて……魔王なんて!」  ラスの金と銀のゴーレムが財宝を蹴散らしながら魔王に向かって突撃する。呪縛を破られたように他の魔法使いたちも動き出した。魔王は一瞬苛立たしそうな表情をして、ゴールドランのビームを軽々と避ける。ラスを守るように巨人型ゴーレムがフォーメーションを組み、俺もイヌに援護に出そうとした。その時だ。耳もとでアンブローズ先生の声が響いた。 『アッシュ、リチャード王子。魔王の魂の核を探しなさい』  顔をあげるとアンブローズ先生は魔王と戦いはじめたゴーレムのすぐそばにいる。ささやきの魔法を使って、俺とプリンスに声を届かせている。 『島にある財宝や魔道具……どれかに魂の核が潜んでいる』 「先生、この島は財宝でいっぱいです。 どうやって見分けるんですか?」  俺も魔法で先生にささやきかえした。プリンスが俺の方へ駆け寄ってくる。 『魔王の魂の核にはめくらましがかけられている。欲望をくすぐるようなものはすべて罠だ。魂の核は、誰も欲しがらないもの、ほとんど無害にみえるものに潜んでいるはず』 「ほとんど無害???」 「アッシュ、探そう」  プリンスはもう財宝の山に足を踏み入れていた。 「誰も欲しがらないものなら、金銀や宝石ではない、魔道具でもない。ほとんど無害で、誰もがみすごすもの……」 「センパイ、土や石ころにも金や宝玉が含まれていますよ。誰も欲しがらないものといっても……」 「アッシュ、ゴーレムを出して」  シルフが鳥の目で地表を調べ始めたので、俺はイヌの鼻に望みをかけることにした。 『私たちが魔王を止めているあいだにみつけるんだ! 魂の核を抹消しなければならない』  アンブローズ先生がまたささやく。背後ではバキバキバキバキバキ!!とかドーン!とか、派手に戦う音が響いている。一方で俺の頭はだんだん混乱してきた。積み上げられた財宝はどれもこれもおなじにみえる。 「ゴールドラン、コインシャワー……」  ラスのかすれた声が小さくきこえ、俺は思わずそっちを振りむいた。空中に浮かぶ魔王と、地上にいるラスが目に入った。  ラスのゴーレムはまっすぐ立っていない。ひどく弱っているのだ。魔王に向かって放たれた攻撃は途中で勢いをなくし、放物線を描いて逸れていく。 「ゴールドラン!」  ラスが叫んだ。ゴールドランの指先に魔王が放った火がうつり、めらめらと燃え始めたのだ。 「ほう、おまえは我が宿るこの体と同じものだな」  灰になっていくゴーレムを前にして、魔王がダスの声でいった。 「なぜおまえはそちら側にいる? さては、おまえはこの体が恋しいのだろう?」 「魔王、僕をたばかるな!」ラスの声は震えていた。 「僕はダスよりも魔法を使えないけれど、ダスとおまえを間違えたりしない!」  ラスの右手が制服をさぐる。 「ゴールドランダッシュ! ダスを起こして!」  俺はまばたきした。ラスの手から小さなゴーレム人形が飛び出して、空中で実体化する。ゴールドランそっくりのゴーレム――俺はまた、まばたきした。ちがう。  あれはゴールドランじゃない。ゴーレムのひたいのラレデンシの魔力――あれはダスの魔力だ。そうだ、あれはダスのゴーレム。あのラレデンシにはダスの魔力紋が登録されている。 「まったく、無駄なことを」  魔王は呆れた目つきでゴーレムをみつめ、指をパチンと鳴らした。実体化したばかりのゴーレムは無傷だったが、宙に浮かんだままバラバラのパーツに分解されていく。  ラスは地面に突っ立ったまま微動だにしなかった。  バラバラになったゴーレムの一部――パーツのどこかで、チカッと光の点が瞬いた。魔王のひたいに皺が寄った。 「ん? なんだ、なんだこれは――?」  なぜかゴーレムはまだ宙に浮いている。光の点の数が増え、網目のようにつながって、魔王の方へふわっと浮かぶ。光の網からダスの魔力が響くのを俺は感じた。  魔王は足をすべらせたように、空中で尻もちをついた。光る網が魔王を受けとめ、ぽんと弾ませる。 「ダス。僕らは双子だよ。ダスはけっして僕を忘れない。」  白い網に包まれた魔王の口から黒い霧があふれ出る。 「いまだ!」  たぶんそれはマーティン先生の声だっただろう。 「魔王の〈気〉が宿主から逸れた!」

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