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第三章 北極星(ポラリス)・5

 頭の中を止めどない思考がぐるぐると渦を巻いたが、執拗な口付けがそれらを徐々に奪っていく。反対に、ここまで来る間にすっかり醒めていたはずの熱が疼きを取り戻す。場違いなくらい脈打つ音は耳に煩く、流れる血が全部そこに集結しているのではと思うほど己自身が膨れあがってきたのが分かる。 「ん、鞍、抜いてあげようか?」  ジーンズのファスナーの上に、光の手が落ちる。それだけでビクリ、と背中が跳ね上がった。 「な……っ、何言ってんだよ!こっ、こんな時に!」  首を横に振って拒絶するも、言動とは裏腹にその部分ははち切れんばかりに硬さを増す。極限状態ほど反応が過敏になるとも言われるが、だとしても、自分の浅ましさに目を背けたくなる。 「抜くだけだよ。部屋にいた時から、ずっと我慢してたみたいだし。このままじゃ苦しいでしょ?」  表ももう薄闇が覆ってきたのか、ますます視界は狭まられる。相手の顔に目を遣っても、瞳にかかる色は分からない。ただ、まるで洞穴のように暗く穿っているだけみたいに見えた。押さえていた手を退け、抵抗をやめる。 「俺にさせてよ。ね?」  そこから光は一言も発さず、ファスナーを下ろし、下着をずらした。岩で囲まれた空洞が冷やした外気に、熱く屹立したモノの先端が触れる。すでにじっとりと湿っているように感じるのは、浸水のせいか体液なのか判別が付かなかった。  下着の奥に手を入れられ、睾丸から撫で上げるように光の指が這う。せり上がった水が時々尻まで達して、溢れ始めた蜜と混ざり合った。 「……っぅ、ふぁ……あっ!」  漏れた声が反響し、羞恥を誘う。それに重なる、ぴちゃ、くちゅ、という水音。ここがどこで、今どういった状況なのか、全部がどうでもよくなってくる。  目の前は暗闇で閉ざされつつあるのに、肉棒に纏わり付く指先と絡み伝う粘液がぼんやりと白く浮かんで見え、ことさら淫靡さを増しているようだった。我ながらいやらしいと厭うのに、どうしてか凝視してしまう。  断続的にキスを重ねつつ、光の片手は俺の下半身をまさぐり、もう片方は胸や腹をなぞった。パーカーの襟元から侵入し、シャツの上から胸の突起も転がされる。布と擦り合わせるように摘まみ上げられ、その度に逆の手の中にある自身もビクビクと震えた。 「は……ぁ、あっ!光……ぅ……っ!!」 「いいよ、鞍。イッて?」  耳元で囁き、きゅ、っと抓るほど強く胸先を捻りながら、陰茎を掌で包み握った状態で上下の動きを速める光。 「んぁ、ぁああああっっ!!」  ピシャピシャと派手な音を立て、堪えきれず俺は水面に精を飛び散らせた。ぐっしょりと水気を含んだジーンズの腰を、白濁の雫が更に濡らす。それをまた、打ち寄せる波が洗った。  重たい粘液は水底に澱んで溶けたが、中に紛れてあの青白い灯が、朦朧と霞む視界の隅で一条ゆらめいた、そんな気がした。 ◆◇◆ 「だからぁ。『大丈夫だ』って言ったでしょ?そもそも、ほんとに出られなくなるくらいあそこが水で埋まったら、俺今ここにはいないし」  ホテルのレストランで苦笑紛れに弁解する光と向かい合って、俺はむくれていた。  食事は、この手の宿泊施設ではよくあるというビュッフェバイキングだった。遅れて席に着いた俺達に残された大皿料理は限られていたものの、その場で切り分けるローストビーフなどはなくなる心配はなさそうだった。花弁にも似た薄切りの肉とナイフとフォークで格闘しつつ、目の前の相手に不機嫌さをアピールする。  光の手でイかされた後、少しの間意識が落ちてしまった。このまま洞穴を満たす海水に溺れてしまうかもしれない、などということを考える余裕ももうなかったのだが…。  結局、そんなぼんやりした記憶の中で目にした水かさより、ほとんど上昇することはなかった。腰のあたりがわずかに浸った程度。立った状態なら、踝にさえ届かなかっただろう。  つまり、あれで満潮時のほぼ最高水位だったということだ。もちろん光はそれを承知していた。というか、落ち着いて考えれば「子どもの頃の光」が無事帰還できたのだから、大した危険のない事くらい俺にだって予測はついたはずなのだ。  冷静な判断もできず狼狽え、しかもあんな場所で恥ずかしい事をされ。自分にも非があるのは承知しているし、光に悪意がないのも分かる。それでも、俺にしてみればなんだか騙されたような心持ちだった。  俺が微睡半分だったので、潮がいくらか引けるのを待って、光が俺を負ぶってホテルまで帰った。体液でべたついた部分は海水で軽く流し、濡れた衣類は……といっても、そういうわけでずぶ濡れ、というほどでも無かったが……絞って水気を切ったらしい。  陽は大方沈んでいたが、残った夕焼けと、月明かりもあったので戻るのには別段苦労しなかった、と光は言った。多少水を滴らせた服を着て、ぐったりした人間を運んでいて見咎められても、酔っ払って浜辺ではしゃいでいるうちに眠ってしまったという説明で大体納得されるだろう。だとしても、気恥ずかしいというか悔しいというか、そういう気持ちは拭いきれないのだが。  部屋に入るとベッドに下ろされたが、ほどなく俺は目覚めた。それで、なんとか夕飯には間に合ったのだった。  まったく、下手をしたら食いっぱぐれていたかもしれない。 「鞍ってば、涙いっぱい溜めてホントに可愛くよがるんだもん、あぁいうところだから声にエコーかかって響くしさぁ。俺も疼いて大変だったんだよ?でもちゃんと我慢したけど」 「ぁあっっ?!」  つい大声が出てしまい、慌てて周囲を見渡した。宿泊者の数はそう多くなかったし、定められた夕食時間も終わりに近い頃だったので人の目がそれほどあったわけではないが、一息吐いてから最小限に声を潜める。 「あ、当たり前だろ?!バカ!」  項の辺りが火を噴きそうなくらい熱い。  自分から仕掛けておいて、我慢もなにもないものだ。言葉には出さなかったものの俺はそんな思いを込めて、大型犬にも似た相手の顔をねめつけた。

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