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第三章 北極星(ポラリス)・6

 以後、ろくな受け答えをしなくなった俺に、光は明らかにしょんぼりと肩を落とす。それに気付かなかったわけでも、無視したわけでもない。怒りもまだくすぶってはいたが、また違う、別の思考がじわじわと広がってゆく。 「なぁ、光?」  しばしの沈黙が流れたあと、声を掛ける。ぴくん、と頭を跳ね上げる様は本当に名を呼ばれた飼い犬の反応に近いと思う。 「なっ、何?」 「もし……もしも、冗談抜きであそこで溺れそうになったら、どうする?」  光はぽかん、と一時呆けたような顔をし、それからやや首を傾げて考えを巡らせたようだった。 「そう、だな。息を継いであげるって言ったのは案外本気だったよ?いや、あの方法じゃなくて。俺、こう見えてちゃんと泳げるから。鞍を抱えて一緒に脱出して、なんとか泳いで岸を目指すかな」  ごく当たり前の返答をされたはずなのに、なぜか少し意外な感じに、俺には聞こえた。 「場所があぁいうごつごつした岩場だから、結構大変かもしれないけど。でも、危険が迫ったら鞍は俺が護るよ!」 「それは自分の命を投げ打ってでも、ってことか?」 「そりゃあね!って、言いたいところだけど」  そこで一度言葉を止め、光は一度くす、と笑みを零す。 「自分も一緒に助かるように頑張るよ?だって、そんなのでまた一人になるのは淋しいでしょ?まだまだ鞍の事好きになりたいし一緒にいろんなこともしたいから、どちらか一人助かる、という方法はあまりとりたくないかも」  しみじみと、しかし確固たる強さのある声で、光は言った。だが。 「なんてね。これ半分は和の受け売りみたいなもんだなぁ」  フォークを持つ手が一瞬固まる。 「和、の?」 「うん。和はそういう考え方するからね。拒否されたなら仕方ないけど、じゃないなら自分も一緒に、ってね?そういうところは昔から妥協しないし。頑固だよ、和は」  あそこで、俺は最初「二人で死ぬなら悪くない」と思った。最期の瞬間に、誰かと共にあるのならそれはそれで十分なのではないかと。けれど、本当に「そうなった」ら、結局俺は光を「道連れ」にしたに過ぎない。  仮に光の言う通り二人であの場を泳ぎ出たとしても、潮の流れが速かったら?風が出て、波が荒れ始めたら?  俺はきっと、自分から光の手を離した、と思う。  実を言えば、俺は元々泳ぎが得意な方ではない。距離もろくに伸ばせなければ、スピードだって遅い。  波に攫われるような事態に陥れば、俺はただのお荷物だ。光一人ならば、泳いで岸に戻れる確率は格段に向上するだろう。 「ねぇ、鞍?」  急に黙りこくったので不安になったのか、光がおそるおそる、といった体で口を開いた。 「もし鞍が、自分の命を捨てて俺を助けてくれたとしても、俺は哀しみでどうにかなっちゃうと思う。鞍はどう?俺が鞍を救うために自分を犠牲にしたら、鞍はそれでも普通に生きていける?」  見透かされたのかと思った。顔を上げ、何も言えずに光へ視線を注ぐ。 「自惚れじゃないよ?鞍がそれでも平気だっていうなら、俺は喜んでそうする。それが俺に出来ることだっていうなら、嬉しいくらい。でも」  また瞳が翳る。暗さだけではなく、蒼い悲しみも映して。 「多分、そうじゃないよね?鞍は、俺にそうされたら自分も生きてはいられない。でしょ?」  唇を噛んで俯いた。肯定するまでもない。  まだカトラリーを握っていた両拳に、力が籠もる。そうだ、だから 「俺は……」  だから、和は共に死ぬでもなく、己を犠牲にするでもなく。  和ならば、何の迷いもなく。  それこそが、和が光を導いた灯火。和が光に与えた希望。 「俺は…………」  俺は、今こうして光と一緒にいる。けれど、俺が光にしてやれてる事は何だ? 「俺は、和とは違う」  絞り出すようにして口を突いたのは、その一言だった。  それきり、何も出てこない。再び、沈黙がその場を支配した。

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