57 / 190

第三章 北極星(ポラリス)・26

「光。俺、釈七さんとキスした」 「……え?」  相手の身体が一瞬、ビクリと硬直する。そう、光がキルトさんとキスしていたのなら。 「俺の傍にいろ、って言われた。俺も、それもいいかもしれない、って思った」 「……そ……っ、そう……」  少しだけ、腕が緩まる。 「それで。鞍は、俺のことが嫌いになった?もう、ここには……俺と一緒にはいたくない?」  真っ直ぐに、目を見る光。暗い影を潜める瞳ではなく、優しく、諭すような、あの。  どうして。 「どうして、そうなるんだよ?」  冷たかった身体に、血が駆け巡る感覚。ふつふつと静かに沸き立つと、急激に煮えくり返った。  誰にも間に割って欲しくないと、俺だけだと、ついさっき口にしたばかりなのに。 「なんで……なんで俺の考えを聞くんだよ?怒れよ。自分がこんなにも想ってるのに、お前は他の奴と何やってたんだって怒れよ!」  頭が急に熱くなる。理不尽なことを言っているのは自分でも分かっていた。だけど、止められなかった。光の胸倉を掴んで揺さぶる。 「手紙勝手に読んだことも、釈七さんに気を許したことも、キルトさんのことをいつまでも引きずってることも!殴ってでも、お前は何を言ってるんだって怒ってみろよ!!俺の考えなんてどーだっていいんだよ!てめぇの想いを、ちゃんと俺にぶつけてみろよ!!」  目の奥にも熱が籠もり、気付けば溢れ出していた。体内に納まりきらなくなったように、次から次へと零れ落ちる。 「できないよ、そんなこと」  俺が激昂するのと逆行して、光の声は弱々しくなっていく。力無く肩を落として、悲しそうな、かつ自虐的な笑みを微かに浮かべた。 「怒れないよ。そうさせたのも、そう思わせたのも俺なんだし。キルトはともかく和の事は、俺があえて隠していたんだから」  服を掴んでいた手を離す。やりきれなさは瞬時に失せ、代わりに俺はどうしようもなく狼狽えていた。 「俺から先に全部話すべきだった。ごめんね、不安に思わせて。でも、これだけは信じてよ鞍。鞍は和の代わりなんかじゃない。代わりにしようとも思ってない。鞍と和は、全然違うよ。違うから、俺は鞍を好きになったんだよ?」 「どう、して?光には和が必要だったはず、だろ?和がいたから……和のために、一人で頑張って、帰国したんだろ?それなのに」  ゆるゆると光は、首を横に振った。 「ごめん、それは俺にもよくわからない。だけどね、鞍。俺は鞍と出逢って、この街に自分が戻ってきた意味を見付けられた気がしたんだ。和は確かに、俺の支えだった。けど、俺が帰国しても和は相変わらず強くて頑固で、兄としての俺を慕ってくれて。少し大人にはなったけど、俺が発つ前の和と何も変わってなかった。俺は結局また、和に甘えちゃってたんだよね」  俺の目に映っている表情は苦笑。ではあったが、やはりそれは哀しげで、自嘲気味のものだった。 「キスをやり直したいとは手紙に書いたけど、実際顔を合わせたら、とてもじゃないけどそんなこと言えなくなっちゃった。やり直すどころか、ただ過去の繰り返しみたいでさ。でも、鞍は違う。鞍に会えたから、好きになれたから、自分が前に進めてたんだって俺は自覚できたんだ。支えられるだけじゃなく、逆に自分が支えることもできるんじゃないかって」  そんなことはない。和だってずっと、光を支えとし、頼りにしてきたと思う。兄の帰国も、楽しみにしていただろう。だけど、俺には言えなかった。  光の瞳にずっと見えていた仄暗い影、それは多分、俺にもあって。和も、キルトさんも。もしかしたら釈七さんや慈玄にだって。  想いは全部は伝わらなくて、誤解されたり、想像を事実と信じ込んでしまったり。  だから、こんな言い合いは無意味なのだ。無意味、なのだけど。 「俺はもう、お前じゃないと無理なんだよ、鞍」  光が湛えていた薄い笑みが、俄に歪む。腕を引かれ、ソファに転がされる。そのまま上にのしかかられた。押しつけられた唇。離れたら、雨のように零れ落ちた雫。  こいつの泣き顔を見たのは、これが初めてだった。 「支えとか拠り所とか、ほんとはそんなのどうだっていいんだ。鞍がいる事が、俺にとっての全てなんだ。それなのに黙っていなくなるなんて。すごく悲しかった。夜も不安で眠れなくて、ずっと鞍の事考えてて。なのに……なのに、なんで離れたりするのさ」  光の涙はぽたぽたと、俺に降り注ぐ。俺の目元も熱くて、頬を濡らしているのがもはやどちらの涙なのか分からないほど。 「支えになれない、だけじゃない。俺は、こんなにも光を傷つけてる。悲しませて、心配かけて、泣かせて。それでもいいのかよ?ほんとに、俺で光はいいのかよ?」 「鞍で良い、んじゃない。鞍じゃなきゃダメなんだ」  再度、唇が重なる。何度も何度も。涙の後を追うように、頬へ、喉元へ、首筋や鎖骨へ口付けが落ちた。歯をたてて、噛みつかれるように肌を吸われる。俺も応酬に、肩に背中に爪を食い込ませた。 「一人にしないで。俺だけのものでいて、鞍……!」  いつものような、甘い愛撫は無い。  指で馴らすのもそこそこに、いつしかむき出しになった秘部を熱く滾った肉棒が貫く。 「……っぐ、ぁ……っっ!……いぁ、こ、こぅ……っっ!!」  身体を揺すられる度、日頃の情交とは違う苦痛が走る。  受け入れられる状態にまでされていなかったためだけではない、もっと奥深く、鋭い痛み。  だが、自分が求めていたのはこれだったようにも思う。グチグチと中を掻き乱される度、摩擦の熱が全身に行き渡る。己のモノが連動して跳ね上がるのが分かる。焼け爛れてどろどろに融解するように、互いが溶けて、ひとつになる気がした。 「……っふ、ぐ……うぅ……っ!」  耐える声をよそに、グチュ、ニチャ、と重い淫音が響き渡る。抵抗も恥じらいも許さないと責めんばかりに。  汗と、涙と、溢れはじめた体液とが、錯覚をリアルなものへと変貌させる。 「イッて、鞍」  反り上がった陰茎を強めに握られ、尿道に指先を押し込まれると、そこに集まっていた 熱が弾けた。粘った白濁が、二人を絡め取る蜘蛛の巣みたいに糸を引く。 「……っふ、ぁ、あ……ぅ……」  息も絶え絶えに、光の指から滴り落ちる乳白色を見る。俺の体内には、それと同じ光のものが放出されている。  激しい性交の末に、得られたものはわからない。けれど、共に果てたあとも身体は繋がったまま。 「お願いだよ鞍、もうどこへも行かないで」  光はもう一度念を押し、唇と舌とでも俺を縛る。  繋ぎ止められたように感じた。身動きがとれなくなって、やっと俺は、この場所に落ち着けたのだった。

ともだちにシェアしよう!